64話 十 不一致の要求 4
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自分は恐らくは Synthesist である。
自分の世界にも固より幾つかの Entweder-Oder がある。併し自分は人生の中に「あれかこれか」を發見するに特に鋭敏なる感覺を持つてゐるか。自分はこれを發見する事に對する一種の要求、一種の歡喜とも名づく可きものを持つてゐるか。恐らくはさうではあるまい。自分の「あれかこれか」はやむを得ずして逢着する突當りの壁である。自分は寧ろ Sowohl-als auch を喜ぶ性情を持つてゐるらしい。さうして多くのものを並び行はれさせながら、その中に生きて行く能力をも亦相應に持つてゐるらしい。これは自分の天性である、從つて又自分の長所である。自分はこの長所を自信して他人の Entweder-Oder を模倣することを戒めなければならない。
多くのものを雜然と竝列して徒らに取材の豐富なるはフオルケルトの Sowohl-als auch である。併し自分の「あれもこれも」は恐らくはフオルケルトのそれではない。一切の存在の中にその存在の理由を――その固有の價値を認めて悉くこれを生かすこと、個々のものを眞正に認識することによつて普遍に到達すること、凡てのものと共に生きて而も自ら徹底して生きること――自分は自ら修養することによつて Sowohl-als auch のこの途を進んで行くことが出來ることを信じてゐる。さうしてこの途を進むことによつてトルストイの理解するを得なかつた若干の事物を理解し得るやうになることを信じてゐる。
自分はトルストイに學ばなければならぬ極めて多くのものを持つてゐる。併し自分は根柢に於いて彼と我との間に天稟の相違あることを忘れてはならない。さうしてその相違はあらゆる意味に於いて自分の稟性がトルストイに劣つてゐることを意味するのではない。自分は虚僞の謙遜を離れて敢て正直にこのことを云ふ。自分は大トルストイに對するときと雖も、猶自ら恃むところを保持しなければならぬ。
トルストイの藝術論の中には、Sowohl-als auch を許すものを強ひて Entweder-Oder にしてしまつたところがないとは云はれない。トルストイの愛の缺乏のためにその眞意義が理解されなかつた若干の――恐らくは多くの藝術や思想がないとも亦云はれない。不一致の要求を根據とする「あれかこれか」は、「あれかこれか」の下級なるものである。又愛の缺乏がこの感受性の鋭敏な人をさへ誤謬に導いたことを思へば、我等は更らに一層戒むるところがなければならない。トルストイの誤謬を楯として、自己の誤謬に對する寛容を要求するは無恥なる者のみよくするところである。自分はトルストイの藝術論の中に多くの警告を讀まなければならなかつた。
併し彼の藝術論は凡て作爲された「あれかこれか」から成立してゐるか。その中には如何にも身動きを許さぬ眞正の「あれかこれか」は存在しないか。誰か此の如き獨斷を下す權利を持つてゐよう。彼の藝術論の中には、眞正の「あれかこれか」がある。我等の思想と生活との不徹底を嘲る眞正の「あれかこれか」がある。自分の見るところに從へば、それは第一には本能か文化か、この意味に於ける民衆か貴族かである。彼は誤まれる文化の惱み、醉生する貴族の惱みをもつて、その救ひを民衆の健全なる本能に求めた。彼はデカダンスの嫌惡と、そのデカダンス嫌惡の精神とに於て、不思議にニイチエと共通の點を持つてゐる。彼が民衆の藝術感を尚ぶは、それが單に多數に共通であるためではなくて、寧ろ人間の清醇なる本性に基く藝術感であるからである。彼の藝術上の民衆主義を解して單純なる多數決主義とするものは淺い。彼の民衆主義の眞精神は、他の場合に於けるが如く、此處でも亦民衆崇拜である。更に透明なる言語を用ゐれば寧ろ自然と本能との崇拜である。
さうして第二の「あれかこれか」は、自己の享樂か民衆に對する義務かである。これは彼の一生を貫く悲痛なる懸案であつた。理論では解決して實行では解決するを得なかつた――而も死に至るまでその解決を求めてやまなかつた懸案であつた。さうしてそれは此處でも亦その藝術論を貫く主動機となつてゐるのである。我等はこの主動機に同感することなしに、彼れの藝術論の眞精神に觸れることは出來ない。我等がトルストイの如くこの問題を痛切に感ずることを得ない故を以つて、トルストイのあの熾烈なる民衆に對する義務感は誤謬であると云へようか。云ふを敢へてする者は自ら知らざる無恥の輩である。自分はこの點に於いては自分の鈍感を恥づる外に一言もないことを覺える。
この二つの「あれかこれか」を除けば、他は寧ろ枝葉に近いものである。藝術の目的は美か感情の傳達か、よき藝術は農婦の唄かベートーヴンか、此の如きは恐らくは不一致の要求から生れた人爲の二筋道である。我等はこの Entweder-Oder を Sowohl-als auch にかへることを憚る可きではない。(五、一二)