三太郎の日記 第三

79話 十五 思想上の民族主義 7

732字 約1分 2012年3月20日 公開

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 最後に自分は一つの注意を附記してこの覺え書を閉づる。余の此處に云ふ民族主義とは國家主義と同義ではない。民族を統一するものは血液と歴史とである。國家を統一するものは主權と其意志としての法律である。國家主義と民族主義との相違は政治上の主張として兩者を對照すれば最も明瞭になるであらう。現在の世界に於ける國境の區分は、強大なる民族の征服慾や政治的經濟的野心や、その他種々の理由によつて自然の境界を紊されてゐる。國家と國家とを區分する理由は、決して血族や歴史の一致ばかりではない。故に政治上に於ける民族主義は寧ろ帝國主義的國家主義に反抗して、世界主義人道主義の主張と握手するものである。それは猶一國内に於ける個人の自由の主張の如く、世界に於ける民族の釋放を主張するのである。凡ての民族をしてその血族上その歴史上の自然に從つて彼等の國家を組織せしめよ。凡ての民族を強國の壓制と征服慾とより釋放せよ。如何なる民族をも、強國が自ら肥るための犧牲、強大なる民族の貪婪なる欲望に奉仕するための奴隷となすことなかれ。政治上の民族主義は當然此の如き主張を以つて世界の政治的區劃を變革することを要求するものでなければならない。故に印度人や波蘭人や匈牙利人やスラヴ人種の或者に適用さるゝとき、民族主義の主張は、現在の主權にとつては危險なる反國家主義である。ヰルソンの民族主義とカイザー・ヰルヘルムの汎獨乙主義とは孰れが正當であるか、印度人は大英帝國に對して如何なる義務を負はざる可からざるか――此の如き政治上の問題は我等が此處に考察の自由を持つてゐる問題ではない。余が批評せむとしたるは主權によつて統一されたる國家主義ではなくて、血族と歴史とによつて統一されたる民族主義である。(六、五)

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