三太郎の日記 第三

80話 十六 奉仕と服從 1

737字 約1分 2012年3月20日 公開

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 奉仕とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬもののために盡すことである。服從とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬものの意志に從ふことである。奉仕も服從も、共に「己れ」の否定を意味する點に於いて共通なるものを持つてゐるが故に、我等は往々この兩者を混同して、あらゆる場合にその對象の意志に服從することを以つて、その對象に奉仕する所以の途であると思惟する。併し我等が奉仕に於いて否定する「己れ」と服從に於いて否定する「己れ」とは、唯一つの場合を除いては――「道」に對する奉仕と、「道」に對する服從との場合を除いては――全然その意味を異にするものである。さうして奉仕の場合に「己れ」の代りに立てられるものと、服從の場合に「己れ」の代りに立てられるものとも亦決して同一であるといふことが出來ない。故に我等が眞正に或る對象を愛してこれに奉仕せむと欲するとき、その對象の現實的意志に服從するよりは、寧ろこれを「諫」めてその意志の矯正を要請しなければならぬ場合も、亦決して少しとしないのである。これは古來――我等の祖先によつても――明瞭に認められて來た陳套の眞理である。併し今日の時勢は、痛切に、この眞理を再び明瞭に把握しなほすことの必要を思はせる。故に、余の理解せる限りに於いて、この明白なる眞理に幾分の根據を與へることは、この一篇の目的とするところである。併しこの問題は人生の至高なる問題の一つである。この問題に對する考察を進めて行くとき、余は屡自己の現在の體驗を超えて、豫感と憧憬との境に想を馳せ、未だ自ら十分に體得せざるところを以つて、自他を責めなければならぬ場合に遭遇するであらう。この問題を考察するに當つて、余は特に、自ら主張することの畢竟自ら責める所以であることを感ぜざるを得ない。

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