故郷七十年

50話 辻川の話 男蝶・女蝶

1,275字 約3分 2018年7月31日 公開

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 私が何故このように結婚の話をするか。じつは子供のころは、変り目の時に住んでいて、よその人には気のつかないような経験をしているからである。

 綿帽子をとって初めて花嫁を知るといったような婚礼に限って、儀式が非常に面倒臭いものになっている。昔からそうではなかったのだが、私はまだ幼年時代に、そんな式に参加したことがある。三三九度のお酌をする役を、私は二度させられた。男の子は五つ、女の子の方は七つに限るわけで、男蝶・女蝶になるのだが、女の子はただお酌だけしていればいいのに、男の子の方にはちゃんというべき言葉が決っている。私はませていて、それがいえるというのと、もう一つ、どんな使いふるしたものでもいいから袴を一つ持っていなければならないという二つの条件のために、私は男蝶に選ばれたのである。

 式は子供にとって大変むつかしかった。二つの器に入った酒を合せていっしょにして、またそれを分けてお酌の銚子二つに盛り分ける。それから盃の縁をコツン、コツン、コツンと三つたたくようにして酒をつぐ。すると新郎新婦がそれを飲んでしまうのだが、その時、島台といって巻スルメやなんか色々の肴がおいてある台の上で、箸をもって左の肴を挟んで右へ、右のを左へちょっと移す真似事をしながら、「おさかなこれに」とその五つの男の子がいうことになっている。だから私らの方ではその五つになる男の子の方を、「おさかなこれに」行くといったものである。女の子の方は長い袂の着物を着て、黙って座っていればいい。

 儀式をなるべく厳粛に、しかも簡単にすませて、後に満座の人たちが酒盛りに入れるようにしなければならないわけである。

 私が男蝶に選ばれた婚礼のうち、一軒は私のすぐ隣の家の酒屋であった。娘がたった一人しかなく、およりといったが、家が俄か分限になったので、二里ばかり遠くから又三郎という養子をとったのである。明治十二年のことである。その年のうちにもう一カ所、三木家の大東という新宅にお嫁さんが来た。お婿さんは私の兄貴の友人だったから、二十一か二であったろう。そこへ姫路からお嫁さんが来たので、私が二回目に選ばれた。何れも大成功だったが、ご褒美に何をもらったか、それだけはどうしても思い出せない。

 しかし、そのときの光景は、今でも婚姻問題、日本婚姻史といったものを書いて見ようとすると、いつでも鮮やかに描かれるのである。両方ともお酌がよかったためか永続し、ことに第二回目の三木家の方は奥さんなど、かなり歳をとられるまで私の顔を覚えていられた。私が婚姻史を書く計画はずいぶん早くからあったが、こんな経験が隠れた刺激になったことは疑えない。

 ただ昔を半開時代とか、若しくは非常に乱暴な権力本位のものであったといって、古代人の心遣いを計算に入れないのを非常に残念に思っている。昔の婚姻制度を無視して、ただ士族流に解釈しようとしてしまうのは注意しなければならぬ。四民平等はいいことだが、できるだけ士族を真似しようとするのは良くないことである。昔の農民生活のよかったことを反省してみる必要があるのである。

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