神鷺之巻

4話 神鷺之巻(4)

5,535字 約11分 2006年5月4日 公開

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 この薙刀を、もとのなげしに納める時は、二人がかりで、それはいいが、お誓が刃の方を支えたのだから、おかしい。

 誰も、ここで、薙刀で腹を切ったり、切らせたりするとは思うまい。

 ――しかも、これを取はずしたという時に落したのであろう。女の長い切髪の、いつ納めたか、元結(もとゆい)を掛けて黒い水引でしめたのが落ちていた。見てさえ気味の悪いのを、(しずか)に掛直した。お誓は偉い!……落着いている。

 そのかわり、気の静まった女に返ると、身だしなみをするのに、ちょっと手間が取れた。

 下じめ――腰帯から、解いて、しめ直しはじめたのである。床へ坐って……

 ちっと(くすぐ)ったいばかり。こういう時の男の起居挙動(たちいふるまい)は、漫画でないと、容易にその範容が見当らない。小県は一つ一つ絵馬を()ていた。薙刀の、それからはじめて。――

 一度横目を流したが、その時は、投げた単衣(ひとえ)後褄(うしろづま)を、かなぐり取った花野の帯の輪で守護して、その秋草の、幻に夕映ゆる、蹴出(けだ)しの色の片膝を立て、それによりかかるように(はぎ)をあらわに、おくれ毛を()でつけるのに、指のさきをなめるのを、ふと見まじいものを見たように、目を外らした。

「その絵馬なんですわ、小県さん。」

 ()つと、坐ると、しかも背中合せでも、狭い堂の中の一つ処で、気勢(けはい)は通ずる。安達ヶ原の……

「お誓さん、気のせいだ。この絵馬は、(まないた)の上へ――裸体(はだか)の恋絹を縛ったのではない。白鷺を一羽仰向けにしてあるんだよ。しかもだね、料理をするのは、もの(すご)鬼婆々(おにばばあ)じゃなくって、(たこ)の口を(とが)らした、とぼけた爺さん。笑わせるな、これは願事(ねがいごと)でなくて、殺生をしない戒めの絵馬らしい。」

 事情(ことがら)()めている。半ば上の空でいううちに、小県のまた(なが)めていたのは、その次の絵馬で。

 はげて、くすんだ、泥絵具で一刷毛(ひとはけ)なすりつけた、波の線が太いから、海を(かつ)いだには違いない。……鮹かと思うと脚が見えぬ、(かれい)比目魚(ひらめ)には、どんよりと色が赤い。(あかえい)だ。が何を意味する?……つかわしめだと聞く白鷺を引立たせる、待女郎(まちじょろう)の意味の奉納か。その待女郎の目が、一つ、黄色に照って、縦にきらきらと天井の暗さに光る、と見つつ、且つその俎の女の正体をお誓に言うのに、一度、気を取られて、見直した時、ふと、もうその目の玉の縦に切れたのが消えていた。

 (はんみょう)だ。斑が留っていた。

「お誓さん、お誓さん。――その辺に、綺麗(きれい)な虫が一つ居はしませんか、虫が。」

「ええ。」

「居る?」

「ええ。居ますわ。」

 バタリと口に(くわ)えた(くし)が落ちた。お誓は帯のむすびめをうしろに取って、細い腰をしめさまに、その引掛(ひっか)けを手繰っていたが、

「玉虫でしょう、綺麗な。ええ、人間は、女は浅間しい。すぐに死なないと思いましたら、(かんざし)()ものも(ほし)いんです。この場所ですから、姫神様が下さるんだと思いましてさ、ちょっと、櫛でおさえました。ツイとそれて、取損って、見えませんわ。そちらに居ません? 玉虫でしょう。」

 (かたみ)の簪、箪笥(たんす)(きぬ)、薙刀で割く腹より、小県はこの時、涙ぐんだ。

 いや、懸念に堪えない。

「玉虫どころか……」

 名は知るまいと思うばかり、その説明の暇もない。

「大変な毒虫だよ。――支度はいいね、お誓さん、お堂の下へおりて下さい。さあ……その櫛……指を、唇へ触りはしまいね。」

「櫛は峰の方を啣えました。でも、指はあの、(びん)の毛を撫でつけます時、水がなかったもんですから、つい……いいえ、毒にあたれば、神様のおぼしめしです。こんな身体(からだ)を、構わんですわ。」

 ちょっとなまって、甘えるような口ぶりが、なお、きっぱりと断念(あきらめ)がよく聞えた。いやが上に、それも可哀(あわれ)で、その、いじらしさ。

「帯にも、袖にも、どこにも、居ないかね。」

 再び巨榎(おおえのき)(みどり)の蔭に透通る、寂しく澄んだ姿を()た。

 水にも、満つる時ありや、樹の根の清水はあふれたり。

「ああ、さっき水を飲んだ時でなくて()かった。」

 引立てて(きざはし)を下りた、その蔀格子(しとみごうし)の暗い処に、カタリと音がした。

「あれ、薙刀がはずれましたか。」

 清水の(おもて)が、柄杓(ひしゃく)(こけ)を、(ろうかん)のごとく、(こずえ)もる透間(すきま)を、銀象嵌(ぎんぞうがん)(ちりば)めつつ、そのもの音の響きに揺れた。

「まあ、あれ、あれ、ご覧なさいまし、長刀が空を飛んで行く。」……

 榎の梢を、兎のような雲にのって。

「桃色の三日月様のように。」

 と言った。

 松島の沿道の、雨晴れの雲を豆府に、陽炎(かげろう)を油揚に見物したという、外道俳人、小県の目にも、これを仰いだ目に疑いはない。薙刀の()き刃のように、たとえば片鎌の月のように、銀光を帯び、水紅(とき)(うすもの)して、あま(かけ)る鳥の翼を見よ。

「大沼の方へ飛びました。明神様の導きです。あすこへ行きます、行って……」

「行って、どうします? 行って。」

「もうこんな気になりましては、腹の子をお守り遊ばす、観音様の腹帯を、肌につけてはいられません。解きます処、棄てます処、流す処がなかったのです。女の肌につけたものが一度は人目に触れるんですもの。抽斗(ひきだし)にしまって封をすれば、仏様の(なさけ)(あだ)の女の邪念で、蛇、(ひる)に、のびちぢみ、ちぎれて、蜘蛛(くも)になるかも知れない。やり場がなかったんですのに、導びきと一所に、お(さと)しなんです。小県さん。あの沼は、真中(まんなか)が渦を巻いて底知れず水を巻込むんですって、爺さんに聞いています……」

 と、銑吉の(たもと)の端を(しか)と取った。

()く道が分っていますか。」

「ええ、身を投げようと、……二度も、三度も。」――

 欄干の折れた西の縁の出端(はずれ)から、袖形に地の(なび)く、向うの末の、雑樹(ぞうき)茂り、葎蔽(むぐらおお)い、ほとんど国を一重隔てた昔話の音せぬ滝のようなのを、猶予(ため)らわず(くぐ)る時から、お誓が先に立った。おもいのほか、外は細い路が(うね)って通った。が、小県はほとんど山姫に半ばを誘わるる思いがした。ことさらにあとへ退(さが)ったのではない、もう二三尺と思いつつ、お誓の、草がくれに、いつもその半身、縞絹(しまぎぬ)に黒髪した遁水(にげみず)のごとき姿を追ったからである。

 沼は、不忍(しのばず)の池を、その(なかば)にしたと思えば()い。ただ周囲に蓊鬱(おううつ)として、樹が茂って暗い。

 森をくぐって、青い姿見が蘆間(あしま)に映った時である。

 (なぎさ)の、斜向(はすむこ)うへ――(おおき)な赤い蛇が(あら)われた。蘆(かや)を引伏せて、鎌首を挙げたのは、真赤(まっか)なヘルメット帽である。

 小県が追縋(おいすが)(すき)もなかった。

 ()()く、お誓が、心せいたか、樹と樹の幹にちょっと支えられたようだったが、そのまま両手で裂くように、水に襟を開いた。玉なめらかに、きめ細かに、白妙(しろたえ)なる、乳首の深秘は、(かすか)に雪間の(すみれ)を装い、牡丹冷やかにくずれたのは、その腹帯の結びめを、伏目に一目、きりきりと解きかけつつ、

「畜生……」

 と云った、女の声とともに、(こだま)が冴えて、銃が響いた。

 小県は草に、(ふせ)(かまえ)を取った。これは西洋において、いやこの頃は、もっと近くで()るかも知れない……爪さきに接吻(キス)をしようとしたのではない。ものいう()もなし、お誓を引倒して、危難を避けさせようとして、且つ及ばなかったのである。

 その草伏(くさぶし)の小県の目に、お誓の姿が――峰を()いて、高く、金色(こんじき)の夕日に(そばだ)って見えた。(ひと)しく、野の燃ゆるがごとく煙って、鼻の(とが)った、(おおい)なる紳士が、銃を倒す、と斉しく、ヘルメット帽を脱いで、高くポンと空へ投げて、拾って、また投げて、落ちると、宙に受けて、また(なげ)るのを視た。足でなく、頭で雀躍(こおどり)したのである。たちまち、法衣(ころも)を脱ぎ、手早く靴を投ると、(いきおい)よく沼へ入った。

 続いて、赤少年が三人泳ぎ出した。

 中心へ近づくままに、()く手の(ひじ)の上へ(あら)われた鼻の、黄色に青みを帯び、(きのこ)のくさりかかったような(おもて)を視た。水に(つたな)いのであろう。(あえ)ぐ――しかむ、泡を噴く。が、あるいは鳥に対する隠形(おんぎょう)一術(ひとて)であろうも計られぬ。

「ばか。」

 投棄てるようにいうとともに、お誓はよろよろと倒れて、うっとりと目を閉じた。

 早く解いて流した(くれない)の腹帯は、二重三重にわがなって、大輪の花のようなのを、もろ()を添えて、白鷺が、すれすれに水を切って、鳥旦那の(きた)り迫る波がしらと直線に、水脚を切って()く。その、花片(はなびら)に、いやその腹帯の端に、キラキラと、虫が居て、青く光った。

 鼻を仰向け、諸手(もろて)で、腹帯を(つか)むと、紳士は、ずぶずぶと沼に潜った。次に浮きざまに(ひるがえ)った帯は、翼かと思う波を立てて消え、紳士も沈んだ。三個の赤い少年も、もう影もない。

 ただ一人、水に入ろうとする、ずんぐりものの色の黒い少年を、その諸足を取って、孫八(じい)が押えたのが見える。押えられて、手を突込(つっこ)んだから、脚をばったのように、いや、ずんぐりだから、蟋蟀(こおろぎ)のように《もが》いて、頭で(うす)()いていた。

「――そろそろと歩行(ある)いて()き、ただ一番あとのものを助けるよう――」

 途中から女の子に呼戻させておいて、媼巫女(うばみこ)、その孫八爺さんに命ずるがごとくに云って――方角を教えた。

 ずんぐりが一番あとだったのを、孫八が来て見出したとともに、助けたのである。

 この少年は、少なからぬ便宜を与えた。――(しらべ)する官人の前で、

「――三日以来、大沼が、日に三度ずつ、水の色が真赤(まっか)になる情報があったであります。()の鳥が一羽ずつ来るのだと鳥博士が申されました。奇鳥で、非常な価値である。十分に準備を整えて出向ったであります。果して、対岸に真紅(まっか)な鳥が居る。撃ったであります。銃の命中したその鳥は、沼の中心へ落ちたであります。従って高級なる猟犬として泳いだのであります。」

 と明確に言った。

 のみならず、紳士の舌には、斑がねばりついていた。

 一人として事件に煩わされたものはない。

 (なぎさ)で、お誓を抱いた時、惜しや、かわいそうに、もういけないと思った。胸に硝薬(しょうやく)のにおいがしたからである。

 水を()もうとする処へ、少年を促がしつつ、廻り()けに駈けつけた孫八が(あわただ)しく留めた。水を飲んじゃなりましねえ。山野に馴れた爺の目には、沼の水を見さっせえ、お前等(めえら)がいった、毒虫が、ポカリポカリ浮いてるだ。……

 明神まで引返す、これにも少年が用立った。爺さんにかわって、お誓を背にして走った。

 清水につくと、魑魅(すだま)が枝を下り、茂りの中から(あら)われたように見えたが、早く尾根づたいして、八十路(やそじ)に近い、脊の低い柔和なお(ばあ)さんが、片手に幣結(しでゆ)える(さかき)を持ち、(つえ)はついたが、(すこやか)に来合わせて、

「苦労さしゃったの。もうよし、よし。」

 と、お誓のそのふくよかな腹を、袖の下で(さす)って微笑(ほほえ)んだ。そこがちょうど結び目の帯留の金具を射て、弾丸(たま)()れたらしい。小指のさきほどの打身があった。(うす)いふすぼりが、(うば)の手が榊を清水にひたして冷すうちに、ブライツッケルの冷罨法(れいあんぽう)にも(かな)えるごとく、やや青く、薄紫にあせるとともに、()が銀の露に汗ばんで、濡色の睫毛(まつげ)が生きた。

 町へ急ぐようにと云って、媼はなおあとへ残るから、

「お前様は?」

 お誓が聞くと、

「姫神様がの、お冠の(ひも)が解けた、と御意じゃよ。」

 これを聞いて、活ける女神(じょしん)が、なぜみずからのその手にて、などというものは、烏帽子折(えぼしおり)を思わるるがいい。早い処は、さようなお方は、恋人に羽織をきせられなかろう。袴腰も、御自分で当て、帽子も、御自分で取っておかぶりなさい。

       五

 神巫(いちこ)たちは、数々(しばしば)、顕霊を示し、幽冥(ゆうめい)を通じて、俗人を驚かし、郷土に一種の権力をさえ把持(はじ)すること、今も昔に、そんなにかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。

 むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥(しょうよう)した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄(くちよせ)巫女(いちこ)があると聞く、いまだ試みた事がない。それへ案内(あない)をせよ。太守は人麿の声を聞こうとしたのである。

 しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋(あばらや)を包む霧寒く、松韻颯々(さつさつ)として、白衣(びゃくえ)の巫女が口ずさんだ。

「ほのぼのと……」

 太守は門口(かどぐち)()と引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あの(やから)の教化は、士分にまで及ぶであろうか。」「泣きみ、笑いみ……ははッ、ただ婦女子のもてあそびものにござりまする。」「さようか――その儀ならば、」……仔細(しさい)ない。

 が、孫八の(うば)は、その秋田辺のいわゆる(おかみん)ではない。越後路(えちごじ)から流漂(るひょう)した、その頃は色白な年増であった。呼込んだ孫八が、九郎判官は恐れ多い。弁慶が、ちょうはん、熊坂ではなく、(さい)の目の口でも寄せようとしたのであろう。が、その女(ぶり)()て、口説(くど)いて、口を()げられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱を(さら)って我が家を遁げて帰らない。この奇略は、モスコオの退都に似ている。悪孫八が勝ち、無理が通った。それも縁であろう。越後巫女(みこ)は、水飴(みずあめ)と荒物を売り、軒に草鞋(わらじ)(つる)して、ここに姥塚(うばづか)を築くばかり、あとを(とど)めたのであると聞く。

 ――前略、当寺檀那、孫八どのより申上げ候。入院中流産なされ候御婦人は、いまは大方に快癒(かいゆ)鬱散(うっさん)のそとあるきも出来候との事、御安心下され(たく)候趣、さて、ここに一昨夕、大夕立これあり、孫八老、()(みぎり)某所墓地近くを通りかかり候折から、天地晦冥(かいめい)(ひょう)の降ること(すさ)まじく、(かつ)は電光の(うち)に、清げなる婦人一(にん)、同所、鳥博士の新墓の前に(たたず)み候が、冷く莞爾(にこり)といたし候とともに、手の壺微塵(みじん)に砕け、一塊の鮮血、あら土にしぶき流れ、降積りたる雹を染め候が、赤き霜柱の如く、暫時(しばし)は消えもやらず有之(これあり)候よし、貧道など口にいたし候もいかが、相頼まれ申候ことづてのみ、いずれ仏菩薩の思召す処にはこれあるまじく、()しく(いつく)しき明神の嚮導(きょうどう)指示のもとに、化鳥の類の所為(しょい)にもやと存じ候――

西明寺   木魚。

 和尚さんも、貧地の癖に「木魚」などと洒落(しゃ)れている。が、それはとにかく――(上人の手紙は取意の事)東京の小県へこの来書の趣は、婦人が受辱(じゅにく)胎蔵(たいぞう)玻璃(はり)を粉砕して、汚血(おけつ)を猟色の墳墓に、たたき返したと思われぬでもない。

昭和八(一九三三)年一月

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