神鷺之巻

3話 神鷺之巻(3)

6,317字 約13分 2006年5月4日 公開

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「……小県さん、女が、女の不束(ふつつか)で、絶家を起す、家を立てたい――」

「絶家を起す、家を()てたい……」

「ええ、その考えは、間違っていますでしょうか。」

「何が、間違いです。誰が間違いだと云いました。とんでもない、天晴(あっぱ)れじゃありませんか。」

「私の父は、この土地のものなんです。」

「ああ、成程。」

「――この藩のちょっとした藩士だったそうなんですが、道楽ものだったと思います。御維新の騒ぎに刀さしをやめたのは()いんですけれど、そういう人ですから、堅気(かたぎ)の商売が出来ないで、まだ――街道が(にぎや)かだったそうですから、片原の町はずれへ、茶屋旅籠(はたご)の店を出したと申しますの。

 ……貴方、こちらへいらっしゃりがけに――その、あの、牡丹(ぼたん)、牡丹ですが。」

 なぜか、引くいきに、声がかすれて、

「あの咲いております処は、今は田畝(たんぼ)のようになりましたけれど、もと、はなれの庭だったそうですの……そして――

 牡丹は、父の手しおにかけましたものですって。……あとでは、料理ばかりにして、牡丹亭といったそうです。父がなくなりますと……それが人手から人手へ渡って、あとでは立ちぐされも同様。でも、それも、不景気で、こぼし屋の引取手もなしに、暴風雨(あらし)(つぶ)れたのが、家の骸骨(がいこつ)のように路端(みちばた)に倒れていますわ。

 母はその牡丹亭ごろの、おかみさん。……そんな事は申しませんでもいいんですけど、父とは、大層若くて年が違いました。

 ――町あたりの芸者だそうです。ですが、武家の娘だったせいですか――まだ、私がお腹に。……」

 ふと耳許(みみもと)をほんのりと薄く染めた。

「お腹のうち、本所に居る東京の遠縁のものにたよって出まして、のちに、浅草で、また芸者をしたんですけれど、なくなります時、いまわの際まで、血統(ちすじ)が絶える、田沢の家を、田沢の家をと、せめて後を(たや)さないように遺言をしたんです。

 私はその時分、新橋でお酌に出ておりました。十四や十五の考えで、この上一本になって、人の世話になるにした処で、一人で商売をした処で、家を立てるのぞみがありそうに思われません。だもんですから、都合をつけて道をかえまして、梅水へ奉公をしましたのです。自分の口からお恥かしい、余りあからさまのようですが、つむりのものより、なりかたちより、少しでもお金を貯めて、小さな店でも出せますように、その上で、堅気の養子になる人を、縁があったらと、思詰め、念じ切っておりました。

 こんなものでも、一つ(うち)に、十年の余も辛抱をしますうちには、お一人やお二方、相談をして下さる方のないこともなかったんですけど、田沢の家の養子とでは、まるでかけ離れました縁ですもの。冷たい顔して、きっぱりと、お断り申しました。それが、心得違いだったんです、間違っていたんです。ねえ。」

「間違いではありません。お誓さん、しかし、ただ、道も一条(ひとすじ)の上だとしたら、家を起す――血統を絶やさない、真に立派な覚悟だけれど、……本当は女一人だとすると、どうしていいか、それは、学者でも、教育家でも、たとえばお寺の坊さんでも、実地に当ると、八衢(やちまた)前途(ゆくて)(わか)れて、道しるべをする事はむずかしい……世の中になったんですね。」

「まったくですわ。でも、それも、まだ月日は長し……昨日(きのう)や今日の事とは思わなかったんですのに――昨年、店の都合で裾野の方へ一夏まいりまして、朝夕、あの、富士山の景色を見ますにつけ……ついのんびりと、一人で旅がしてみたくなったんです。一体出不精な処へ、お蔭様、店も忙しゅうございますし、本所の伯父伯母と云った処で、ほんの母がたよりました寄親(よりおや)同様。これといって()きたい場所も知りませんものですから、旅をするなら、名ばかりでも、聞いただけ懐しい、片原を、と存じまして、十月小春のいい時候に、もみじもさかり、と聞きました。……

 はじめて、泊りました、その土地の町の旅宿(やど)が、まわり合せですか、因縁だか、その宿の隠居夫婦が、よく昔の事を知っていました。もの珍らしいからでしょう、宿帳の田沢だけで、もう、ちっとでも片原に縁があるだろう、といいましてね。

 そんなですから、隠居二人で、西明寺の父の墓も案内をしてくれますし。……まことに不思議な、久しく下草の中に消えていた、街道(ばた)の牡丹が、去年から芽を出して、どうしてでしょう、今年の夏は、花を持った。町でも人が沢山見に()き、下の流れを飲んで酔うといえば、()んで取って、香水だと()めるのもある。……お嬢さん……私の事です。」

 と頬も冷たそうに、うら寂しく、

「故郷へ帰って来て、田沢家を起す、瑞祥(ずいしょう)はこれで分った、と下へも置かないで、それはほんとうに深切に世話をして、牡丹さん、牡丹さん、私の部屋が牡丹の間。餡子(あんこ)ではあんまりだ、黄色い白粉(おしろい)でもつけましょう、牡丹亭きな子です。お一ついかが……そういってどうかすると、お客にお酌をした事もあるんです。長逗留(ながとうりゅう)の退屈ばらし、それには()れた軽はずみ……」

 歎息(ためいき)も弱々と、

「もっとも(うるさ)いことでも言えば、その場から、つい立って、牡丹の間へ帰っていたんです。それというのが、ああも、こうもと、それから、それへ、商売のこと、家のこと。隠居夫婦と、主人夫婦、(うち)のものばかりも四人でしょう。番頭ですの、女中ですの、(いり)かわり相談をしてくれます。聞くだけでも(たのし)みで、つんだり、崩したり、切組みましたり、庭背戸まで見積って、子供の積木細工で居るうちに、日が()ちます。……鳥居数をくぐり、門松を()ないと、故郷とはいえない、といわれる通りの気になって、おまいりをしましたり。……逗留のうち、幾度、あの牡丹の前へ立ったでしょう。

 柱一本、根太板も、親たちの手の触ったのが残っていましょう。あの骨を拾おう。どうしよう。()こうか、埋めようか。ちょっと九尺二間を建てるにしても、場所がいまの田畝(たんぼ)ではどうにもならず。(地蔵様の(ほこら)を建てなさい、)隠居たちがいうんです。ああ、いいわねえ、そうしましょうか。

 思出しても身体(からだ)がふるえる、……

 今年二月の(はじめ)でした。……東京も、そうだったって聞いたんですが、この辺でも珍らしく、雪の少い、暖かな冬でしたの。……今夜の豆撒(まめまき)が済むと、片原で年を取って、あかんぼも二つになると、隠居たちも笑っていました。その晩――暮方……

 湯上りのいい心持の処へ、ちらちら降出しました雪が嬉しくって、生意気に、……それだし、銀座辺、あの築地辺の夜ふけの辻で、つまらない悪戯(いたずら)をされました覚えもなし、またいたずらに逢ったところで、ところ久しいだけ、(かど)なみ知っているんです。……梅水のものですよ。それで大概、挨拶(あいさつ)をして離れちまいますんですもの、道の可恐(こわ)さはちっとも知らずにいたんです。――それに牡丹亭のあとまでは、つれがありましたり、一人でも幾度も行ったり来たり、屋根のない長い廊下もおんなじに思っていましたものですから、コオトも着ないで、小県さん、浴衣に襟つき一枚何かで。――(すそ)へ流れる水、あの小川も、梅水に居て、座敷の奥で、水調子を聞く音がします。……牡丹はもう、枝ばかり、それも枯れていたんですが、降る雪がすっきりと、白い(つぼみ)に積りました。……大輪(おおりん)なのも面影に見えるようです。

 向うへ、小さなお地蔵様のお堂を建てたら、お提灯(ちょうちん)(つた)の紋、養子が出来て、その人のと、二つなら嬉しいだろう。まあ(きま)りの悪い。……わざとお賽銭箱(さいせんばこ)を置いて、宝珠の玉……違った、それはお稲荷様(いなりさま)、と思っているうちに、こんな風に傘をさして、ちらちらと、藤の花だか、鷺だかの娘になって、踊ったこともあったっけ。――傘は、ここで、畳んだか、開いてさしたかと、うっかりしました。――(からかさ)を、ひどい力で、上へぐいと引いたんです。天にも地にも、小県さん、観音様と、明神様のほかには、女の身体(からだ)で、口へ出して……」

 キリキリと歯を()んで、つと(まぶた)の色が()せた。

(しゃく)か。しっかりなさい、お誓さん。」

 さそくに(すく)った柄杓(ひしゃく)の水を、削るがごとく口に含んで、

「人間がましい、癪なんぞは、通越しているんです。ああ、この水が、そのまんま、青い煙になって焼いちまってくれればいいのに。」

 しばらく、声も途絶えたのである。

口惜(くや)しいわ、私、小県さん、足が上へ浮く処を、うしろから、もこん、と抱込んだものを、見ました時。」

 わなわなと震えたから、小県も肩にかけていた手を離した。倒れそうに腰をつくと、(つま)を投げて、片手を(こけ)(すべ)らした。

灰汁(あく)のような毛が一面にかぶさった。枯木のような脊の高い、蒼い顔した(ひひ)、あの、絵の々、それの鼻、がまた高くて(おおき)いのが、黒雲のようにかぶさると思いましたばかり……何にも分らなくなりました。

 あとで――息の返りましたのは、一軒家で(あめ)を売ります、お(ばあ)さんと、お爺さんの炉端でした。裏背戸口へ、どさりと音がしたきりだった、という事です。

 どんな形で、(ほう)り出されていたんでしょう。」

 褄を引合わせ、身をしめて、

「……のちに、大沼で、とれたといって、旅宿(やど)の台所に、白い(がん)仰向(あおむ)けに、(まないた)の上に乗ったのを、ふと見まして、もう一度ゾッとすると、ひきつけて倒れました事さえあるんです。

 ――その晩は、お爺さんの内から、ほんの四五町の処を、(くるま)にのって帰ったのです。急に、ひどい悪寒がするといって、引被(ひっかぶ)って寝ましたきり、枕も顔もあげられますもんですか。悪寒どころですか、身体(からだ)はやけますようですのに、冷い汗を絞るんです。その汗が脇の下も、乳の処も、……ずくずく……悪臭い、(ふか)だか、(さめ)だかの、六月いきれに、すえたような(にお)いでしょう。むしりたい、切って取りたい、削りたい、身体中がむかむかして、しっきりなしに吐くんです。

 無理やりに()まされました、何の薬のせいですか、有る命は死にません。――活きているかいはなし……ただ西明寺の観音様へお(すが)りにまいります。それだって、途中、牡丹のあるところを()ます時の心もちは、ただお察しにまかせます。……何の罪咎(つみとが)があるんでしょう、と思うのは、身勝手な、我身ばかりで、神様や仏様の目で、ごらんになったら。」

「お誓さん、……」

 声を沈めて遮った。

「神、仏の目には、何の咎、何の罪もない。あなたのような人間を、かえって悪魔は狙うのですよ。幾年目かに朽ちた牡丹の花が咲いた……それは嘘ではありますまい。人は見て奇瑞(きずい)とするが、魔が咲かせたかも知れないんです。反対に、お誓さんが故郷へ帰った、その瑞兆(ずいちょう)(あら)われたとして、しかも家の骨に地蔵尊を祭る奇特がある。功徳、恭養、善行、美事、その只中(ただなか)を狙うのが、悪魔の役です。どっちにしろ可恐(おそろ)しい、早くそこを通抜けよう。さ、あなたも目をつむって、観音様の前へおいでなさい。」

「――ある時、和尚さんが、お寺へ紅白の(きれ)を、何ほどか寄進をして欲しいものじゃ、とおっしゃるんです。寺の用でない、諸人(しょにん)施行(せぎょう)のためじゃけれど、この通りの貧乏寺。……ええ、私の方から、おやくに立ちますならお願い申したいほどですわ。三反持って参りますと、六尺ずつに切りたいが、(はさみ)というものもなし……庖丁ではどうであろう。まあ、手で裂いても間に合いますわ。和尚さんに手伝って三方の上へ重ねました時、つい、それまでは不信心な、何にも知らずにおりました。子育ての慈愛をなさいます、五月帯(いわたおび)のわけを聞きまして、時も時、折も折ですし、……観音様。」

 お誓が、髪を長く、すっと立って、(ふもと)に白い手を合わせた。

「つい女気で、(あか)い切を上へ積んだものですから、真上のを、内証(ないしょ)で、そっと、頂いたんです。」

「それは、めでたい。――結構ではないか、お誓さん。」

 お誓は榎の根に、今度は(ほっ)として憩った、それと(さし)むかいに、小県は、より低い処に腰を置いて、片足を前に、くつろぐ(さま)して、

「節分の夜の事だ。対手(あいて)を鬼と思いたまえ。が、それも出放題過ぎるなら、怪我……病気だと思ったらどうです。怪我や病気は誰もする。……その怪我にも、病気にも障りがなくって、赤ちゃんが、御免なさいよ、ま、出来たとする。昔から偉人には奇蹟が携わる、日を見て、月を見て、星を見て、いや、ちと大道うらないに似て来たかね。」

 袖を開いて扇を使った。柳の影が映りそうで、道得(いいえ)て、いささか(よし)と思ったらしい。

「鶴を()て懐姙した(げん)はいくらもある。いわゆる、もうし子だとお思いなさい。その上、面倒な口を利く父親なしに、お誓さん一人で育てたら、それが生一本の田沢家の血統じゃありませんか。そうだ、悪魔などと言ったのは、私のあやまり、豊年の何とかいう雪が降って、節分には、よく降るんです。正に春立(りっしゅん)ならんとする時、牡丹に雪の(ずい)といい、地蔵菩薩の(しょう)といい、あなたは(さずか)りものをしたんじゃないか、(たしか)にそうだ、――お誓さん。」

 お誓は(うす)くまた(まぶた)を染めた。

「そんな、あの、大それた、高望みはしませんけれど、女の子かも知れないと思いました。五日、七日(なぬか)二夜(ふたよ)、三夜、観音様の前に(じっ)としていますうちに、そういえば、今時、天狗(てんぐ)(ひひ)も居まいし、第一(けもの)臭気(におい)がしません。くされたというは心持で、何ですか、水に()むもののような気がするし、森の香の、時々峰からおろす松風と一所に通って来るのも、水神、山の神に魅入られたのかも分らない。ええ、因果と業。不具(かたわ)でも、虫でもいい。(とんび)(からす)でも、(ふな)(どじょう)でも構わない。その子を連れて、勧進比丘尼(かんじんびくに)で、諸国を(めぐ)って親子の見世ものになったらそれまで、どうなるものか。……そうすると、気が易くなりました。」

「ああ、観音の利益だなあ。」

 つと顔を背けると、肩をそいで、お誓は、はらはらと涙を落した。

「その御利益を、小県さん、頂いてだけいればよかったんですけれど――早くから、関屋からこの辺かけて、鳥の学者、博士が居ます。」

「…………」

「鳥の巣に近づくため、撃つために、いろいろな……あんな(なり)もする、こうもする。……頭に樹の枝をかぶったり、かずらや枯葉を腰へ巻いたり……何の気もなしに、孫八ッて……その飴屋の爺さんが夜話するのを、一言……」

    (!…………)

「焼火箸を脇の下へ突貫(つきぬ)かれた気がしました。扇子(おうぎ)をむしって()ちょうとして、勿体ない、観音様に投げうちをするようなと、手が(しび)れて落したほどです。夜中に谷へ飛降りて、田沢の墓へ()みつこうか、とガチガチと歯が震える。……路傍(みちばた)のつぶれ屋を、石油を掛けて焼消そうか。牡丹の根へ毒を絞って、あの小川をのみ干そうか。

 もうとても……大慈大悲に、腹帯をお守り下さいます、観音様の前には、口惜(くやし)くって、もどかしくって居堪(いたたま)らなくなったんですもの。悪念、邪心に、肝も魂も飛上って……あら神様で、(たたり)の鋭い、明神様に、一昨日(おととい)と、昨日(きのう)、今日……」

 ――誓ただひとりこの御堂(みどう)に――

「独り居れば、ひとり居るほど、血が動き、肉が震えて、つきます息も、千本の針で身体中さすようです。――前刻(さっき)も前刻、絵馬の中に、白い女の裸身(はだかみ)を仰向けにくくりつけ、膨れた腹を裂いています、安達(あだち)ヶ原の孤家(ひとつや)の、もの(すご)いのを見ますとね。」

(――実は、その絵馬は違っていた――)

「ああ、さぞ、せいせいするだろう。あの女は羨しいと思いますと、お腹の(なか)で、動くのが、動くばかりでなくなって、もそもそと()うような、ものをいうような、ぐっぐっ、と(おお)きな鼻が息をするような、その鼻が()めるような、舌を出すような、蒼黄色(あおぎいろ)い顔――畜生――牡丹の根で気絶して、生死(いきしに)も知らないでいたうちの事が(うつつ)(あら)われて、お腹の中で、土蜘蛛(つちぐも)が黒い手を拡げるように動くんですもの。

 帯を解いて、投げました。

 ええ、男に許したのではない。

 自分の腹を露出(むきだ)したんです。

 (ぷん)と、麝香(じゃこう)(かおり)のする、金襴(きんらん)の袋を解いて、長刀(なぎなた)を、この乳の下へ、平当てにヒヤリと、また芬と、丁子(ちょうじ)の香がしましたのです。」……

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