縷紅新草

4話 縷紅新草(4)

4,395字 約9分 2003年9月13日 公開

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「――おばけの蜻蛉、おじさん。」

「――何そんなものの居よう筈はない。」

 胸傍(むなわき)の小さな(あざ)、この青い(こけ)、そのお米の乳のあたりへ(はさみ)が響きそうだったからである。辻町は一礼し、墓に向って、(きっ)といった。

「お嬢さん、私の仕業が悪かったら、手を、怪我をおさせなさい。」

 鋏は(さわやか)な音を立てた、ちちろも声せず、松風を切ったのである。

「やあ、塗師屋(ぬしや)様、――ご新姐(しんぞ)。」

 木戸から、寺男の皺面(しわづら)が、墓地下で口をあけて、もう(わめ)き、冷めし草履の()れたもので、これは(こうかく)たる(みち)は踏まない。草土手を踏んで横ざまに、(そば)へ来た。

 続いて日傭取(ひようとり)が、おなじく木戸口へ、肩を組合って低く出た。

「ごめんなせえましよ、お客様。……ご機嫌よくこうやってござらっしゃる処を見ると、間違(まちげ)えごともなかったの、何も、別条はなかっただね。」

「ところが、おっさん、少々別条があるんですよ。きみたちの仕事を、ちょっと無駄にしたぜ。一杯買おう、これです、ぶつぶつに縄を切払(きっぱら)った。」

「はい、これは、はあ、いい事をさっせえて下さりました。」

「何だか、あべこべのような挨拶だな。」

「いんね、全くいい事をなさせえました。」

「いい事をなさいましたじゃないわ、おいたわしいじゃないの、女さんがさ。」

「ご新姐、それがね、いや、この、からげ縄、畜生。」

 そこで、(かが)んで、毛虫を踏潰(ふみつぶ)したような爪さきへ近く、切れて落ちた、むすびめの節立った荒縄を手繰棄てに背後(うしろ)刎出(はねだ)しながら、きょろきょろと樹の空を見廻した。

 妙なもので、下木戸の日傭取たちも、申合せたように、揃って、(かが)んで、空を見る目が、皆動く。

「いい塩梅(あんばい)に、幽霊蜻蛉、消えただかな。」

「一体何だね、それは。」

「もの、それがでござりますよ、お客様、この、はい、石塔を動かすにつきましてだ。」

「いずれ、あの糸塚とかいうのについての事だろうが、何かね、掘返してお骨でも。」

「いや、それはなりましねえ。記念碑発起押っぽだての、帽子、靴、洋服、(はかま)(ひげ)の生えた、ご連中さ、そのつもりであったれど、寺の和尚様、承知さっしゃりましねえだ。ものこれ、三十年()ったとこそいえ、若い(じょうろう)(うま)ってるだ。それに、久しい無縁墓だで、ことわりいう檀家もなしの、立合ってくれる人の見分もないで、と一論判(ひとろっぱん)あった上で、土には触らねえ事になったでがす。」

「そうあるべき処だよ。」

「ところで、はい、あのさ、石彫(いしぼり)(でけ)え糸枠の上へ、がっしりと、立派なお堂を据えて戸をあけたてしますだね、その中へこの……」

 お米は着流しのお太鼓で、まことに優に立っている。

「おお、成仏をさっしゃるずら、しおらしい、嫁菜の花のお羽織きて、霧は紫の雲のようだ、しなしなとしてや。」

 と、(こけ)の生えたような手で()でた。

「ああ、(くすぐ)ったい。」

「何でがすい。」

 と、何も知らず、久助は墓の羽織を、もう一撫で。

「この石塔を(いつ)き込むもくろみだ。その堂がもう出来て、切組みも済ましたで、持込んで寸法をきっちり合わす段が、はい、ここはこの通り足場が悪いと、山門(うち)まで運ぶについて、今日さ、この運び手間だよ。肩がわりの念入りで、丸太棒(まるたんぼう)(かつ)ぎ出しますに。――丸太棒めら、丸太棒を押立(おった)てて、ごろうじませい、あすこにとぐろを巻いていますだ。あのさきへ矢羽根をつけると、掘立普請の(とき)が出るだね。へい、墓場の入口だ、地獄の門番……はて、飛んでもねえ、肉親のご新姐ござらっしゃる。」

 と、泥でまぶしそうに、口の(はた)(こぶし)でおさえて、

「――そのさ、担ぎ出しますに、石の直肌(じかはだ)に縄を掛けるで、(わら)なり(むしろ)なりの、花ものの草木を雪囲いにしますだね、あの骨法でなくば悪かんべいと、お客様の(めえ)だけんど、わし一応はいうたれども、丸太棒めら。あに、はい、墓さ苞入(つといり)に及ぶもんか、手間(ざい)だ。また誰も見ていねえで、構いごとねえだ、と()いての。

 和尚様は今日は留守なり、お納所(なっしょ)、小僧も、総斎(そうどき)に出さしった。まず大事ねえでの。はい、ぐるぐるまきのがんじがらみ、や、このしょで、転がし出した。それさ、その(かた)でがすよ。わしさ屈腰(かがみごし)で、膝はだかって、(つら)を突出す。奴等(やつら)三方からかぶさりかかって、棒を突挿そうとしたと思わっせえまし。何と、この鼻の先、奴等の目の前へ、縄目へ浮いて、羽さ(はじ)いて、赤蜻蛉が二つ出た。

 たった今や、それまでというものは、四人八ツの、団栗目(どんぐりまなこ)に、糠虫(ぬかむし)一疋入らなんだに、かけた縄さ下から(くぐ)って石から()いて出たはどうしたもんだね。やあやあ、しっしっ、吹くやら、払いますやら、(じっ)として赤蜻蛉が動かねえとなると、はい、時代違いで、何の気もねえ若い(てやい)も、さてこの働きに(かか)ってみれば、記念碑糸塚の因縁さ、よく聞いて知ってるもんだで。

 ほれ、のろのろとこっちさ寄って来るだ。あの、さきへ立って、丸太棒をついた、その手拭(てぬぐい)をだらりと首へかけた、(たくまし)い男でがす。奴が、女の幽霊でねえか。出たッと、また(ひげ)どのが叫ぶと、蜻蛉がひらりと動くと、かっと二つ、(きゅう)のような炎が立つ。冷い火を汗に浴びると、うら山おろしの風さ真黒(まっくろ)に、どっと来た、煙の中を、目が(くら)んで()げたでござえますでの。………

 それでがすもの、ご新姐、お客様。」

「それじゃ、私たち差出た事は、叱言(こごと)なしに済むんだね。」

「ほってもねえ、いい人扶(ひとだす)けして下せえましたよ。時に、はい、和尚様帰って、逢わっせえても、万々沙汰なしに頼みますだ。」

 そこへ、丸太棒が、のっそり来た。

「おじい、もういいか、大丈夫かよ。」

「うむ、見せえ、大智識さ五十年の香染(こうぞめ)袈裟(けさ)より利益があっての、その、嫁菜の縮緬(ちりめん)(なか)で、幽霊はもう消滅だ。」

「幽霊も大袈裟だがよ、悪く、蜻蛉に(たた)られると、(おこり)を病むというから可恐(おっかね)えです。縄をかけたら、また祟って出やしねえかな。」

 と不精髯の布子が、ぶつぶついった。

「そういう口で、何で包むもの持って来ねえ。糸塚さ、女様、()(くく)ったお祟りだ、これ、敷松葉の数寄屋(すきや)の庭の牡丹に雪囲いをすると思えさ。」

「よし、おれが行く。」

 と、冬の麦稈帽(むぎわらぼう)が出ようとする。

「ああ、ちょっと。」

 袖を開いて、お米が留めて、

「そのまま、その上からお(いわ)えなさいな。」

 不精髯が――どこか昔の提灯屋に似ていたが、

「このままでかね、勿体(もってい)至極もねえ。」

「かまいませんわ。」

「構わねえたって、これ、縛るとなると。」

「うつくしいお方が、見てる前で、むざとなあ。」

 麦藁(むぎわら)と、不精髯が目を見合って、半ば(つぶや)くがごとくにいう。

「いいんですよ、構いませんから。」

 この時、丸太棒が鉄のように見えた。ぶるぶると腕に力の(みなぎ)った(たくま)しいのが、

「よし、石も婉軟(やんわり)だろう。きれいなご新姐を抱くと思え。」

 というままに、(くび)の手拭が真額(まっこう)でピンと()ると、棒をハタと投げ、ずかと諸手を墓にかけた。袖の(しな)うを胸へ取った、前抱きにぬっと立ち、腰を張って土手を下りた。この方が(かか)り勝手がいいらしい。巌路(いわみち)へ踏みはだかるように足を拡げ、タタと総身に動揺(いぶり)()れて、大きな蟹が竜宮の女房を胸に抱いて逆落しの滝に乗るように、ずずずずずと下りて()く。

「えらいぞ、権太、怪我をするな。」

 と、髯が小走りに、土手の方から後へ下りる。

「俺だって、出来ねえ事はなかったい、遠慮をした、えい、誰に。」

 と、お米を見返って、ニヤリとして、麦藁が後に続いた。

頓生菩提(とんしょうぼだい)。……小川へ流すか、燃しますべい。」

 そういって久助が、掻き集めた縄の(くず)を、一束ねに握って腰を(もた)げた時は、三人はもう木戸を出て見えなかったのである。

「久……爺や、爺やさん、羽織はね。式台へほうり込んで置いて()いんですよ。」

 この羽織が、黒塗の華頭窓に(かか)っていて、その窓際の机に向って、お米は(ほっそ)りと坐っていた。冬の日は釣瓶(つるべ)おとしというより、(こずえ)熟柿(じゅくし)(つぶて)に打って、もう暮れて、客殿の広い畳が皆暗い。

 こんなにも、清らかなものかと思う、お米の(えり)差覗(さしのぞ)くようにしながら、盆に渋茶は出したが、火を置かぬ火鉢越しにかの机の上の提灯を()た。

(――この、提灯が出ないと、ご迷惑でも話が済まない――)

 信仰に頒布する、当山、本尊のお札を捧げた三宝を(かたわら)に、硯箱(すずりばこ)を控えて、硯の朱の方に筆を染めつつ、お米は提灯に瞳を凝らして、眉を描くように染めている。

「――きっと思いついた、初路さんの糸塚に手向けて帰ろう。赤蜻蛉――尾を(くわ)えたのを是非頼む。塗師屋さんの内儀でも、女学校の出じゃないか。絵というと面倒だから図画で行くのさ。(べに)を引いて、二つならべれば、羽子の羽でもいい。胡蘿蔔(にんじん)を繊に松葉をさしても、形は似ます。指で挟んだ唐辛子でも構わない。――」

 と、たそがれの立籠めて一際漆のような板敷を、お米の白い足袋の伝う時、(そその)かして口説いた。北辰妙見菩薩(ほくしんみょうけんぼさつ)を拝んで、客殿へ退()()であったが。

 水をたっぷりと()して、ちょっと口で吸って、(つぼみ)の唇をぽッつり黒く、八枚の羽を薄墨で、しかし丹念にあしらった。瀬戸の水入が渋のついた鯉だったのは、(あつら)えたようである。

「出来た、見事々々。お米坊、机にそうやった処は、赤絵の紫式部だね。」

「知らない、おっかさんにいいつけて叱らせてあげるから。」

「失礼。」

 と、茶碗が、また、赤絵だったので、思わず失言を()びつつ、準藤原女史に介添してお掛け申す……羽織を取入れたが、窓あかりに、

「これは、大分うらに青苔がついた。悪いなあ。たたんで持つか。」

 と、持ったのに、それにお米が手を添えて、

「着ますわ。」

「きられるかい、墓のを、そのまま。」

「おかわいそうな方のですもの、これ、荵摺(しのぶずり)ですよ。」

 その優しさに、思わず胸がときめいて。

「肩をこっちへ。」

「まあ、おじさん。」

「おっかさんの名代だ、娘に着せるのに仔細(しさい)ない。」

「はい、……どうぞ。」

 くるりと向きかわると、思いがけず、辻町の胸にヒヤリと髪をつけたのである。

「私、こいしい、おっかさん。」

 前刻(さっき)から――辻町は、演芸、映画、そんなものの楽屋に縁がある――ほんの少々だけれども、これは筋にして稼げると、(ひそか)に悪心の(きざ)したのが、この時、色も、(よく)も何にもない、しみじみと、いとしくて涙ぐんだ。

「へい。お待遠でござりました。」

 片手に蝋燭(ろうそく)を、ちらちら、片手に少しばかり火を入れた十能を持って、婆さんが庫裏(くり)から出た。

「糸塚さんへ置いて行きます、あとで気をつけて下さいましよ、烏が火を(くわ)えるといいますから。」

 お米も、式台へもうかかった。

「へい、もう、刻限で、危気(あぶなげ)はござりましねえ、嘴太烏(ふと)も、嘴細烏(ほそ)も、千羽ヶ淵の森へ()んで寝ました。」

 大城下は、目の下に、町の()は、柳にともれ、川に流るる。(いしだん)を下へ、谷の暗いように下りた。場末の五(しょく)はまだ来ない。

 あきない帰りの豆府屋が、ぶつかるように、ハタと留った時、

「あれ、蜻蛉が。」

 お米が膝をついて、手を合せた。

 あの墓石を寄せかけた、塚の糸枠の柄にかけて下山した、提灯が、山門へ出て、すこしずつ高くなり、裏山の風一通り、赤蜻蛉が(そっ)と動いて、女の影が……二人見えた。

昭和十四(一九三九)年七月

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