5話 薄紅梅(5)
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つれづれ草の作者に音が似ているから、法師とも人が呼ぶ、弦光法師は、盃を置き息をついて、
「しかも件の艶なのが、あまつさえ大概番傘の処を、その浅黄をからめた白い手で、蛇目傘と来た。祝儀なしに借りられますか。且つまたこれを返す時の入費が可恐しい。ここしばらくあてなしなんだからね。」
「そこで、雪の落人となったんだね。私は見得も外聞も要らない。なぜ、この降るのに傘を借りないだろうと、途中では怨んだけれど、外套の頭巾をはずして被せてくれたのには感謝した、烏帽子をつけたようで景気が直った。」
「白く群がる朝返りの中で、土手を下りた処だったな。その頭巾の紐をしめながらどこで覚えたか――一段と烏帽子が似合いて候。――と器用な息子だ。しかも節なしはありがたかった。やがて静の前に逢わせたいよ。」
「静といえば。」
「乗出すなよ。こいつ、昨夜の遊女か。」
「そんなものは名も知らない。てんで顔を見せないんだから。」
「自棄をいうなよ、そこが息子の辛抱どころだ。その遊女に、馴染をつけて、このぬし辻町様(おん箸入)に、象牙が入って、蝶足の膳につかなくっちゃ。……もっともこの箸、万客に通ずる事は、口紅と同じだがね、ははは。」
「おって教授に預ろうよ。そんな事より、私のいうのは、昨夜それ引前を茶屋へのたり込んだ時、籠洋燈の傍で手紙を書いていた、巻紙に筆を持添えて……」
「写実、写実。」
「目の凜とした、一の字眉の、瓜実顔の、裳を引いたなり薄い片膝立てで黒縮緬の羽織を着ていた、芸妓島田の。」
「うむ、それだ。それは婀娜なり……それに似て、これは素研清楚なり、というのを不忍の池で。……」
と、半ば口で消して、
「さあ、お酌だ。重ねたり。」
「あれは、内芸者というんだろう。ために傘を遠慮した茶屋の女房なぞとは、較べものにならなかったよ。」
「よくない、よくない量見だ。」
と、法師は大きく手を振って、
「原稿料じゃ当分のうち間に合いません。稿料不如傘二本か。一本だと寺を退く坊主になるし、三本目には下り松か、遣切れない。」
と握拳で、猫板ドンとやって、
「糸ちゃん! お互にちっと植上げをする工夫はないかい。」
と、喟然として歎じて、こんどは、ぐたりとその板へ肘をつく。
「へい、へい、遅わりましてござります。」
爪の黒ずんだ婆さんの、皺頸へ垢手拭を巻いたのが、乾びた葡萄豆を、小皿にして、兀げた汁椀を二つ添えて、盆を、ぬい、と突出した。片手に、旦那様穿換えの古足袋を握っている。
「ああ、これだ。」と、喟然として歎じて、こんどは、畳へ手をついた。
この傭にさえ、弦光法師は配慮した。……俥賃には足りなくても、安肉四半斤……二十匁以上、三十匁以内だけの料はある。竹の皮包を土産らしく提げて帰れば、廓から空腹だ、とは思うまい。――内証だが、ここで糸七は実は焼芋を主張した。粮と温石と凍餓共に救う、万全の策だったのである、けれども、いやしくも文学者たるべきものの、紅玉、緑宝玉、宝玉を秘め置くべき胸から、黄色に焦げた香を放って、手を懐中に暖めたとあっては、蕎麦屋の、もり二杯の小婢の、ぼろ前垂の下に手首を突込むのと軌を一にする、と云って斥けた。良策の用いられざるや、古今敗亡のそれこそ、軌を一にする処である。
が、途中まず無事に三橋まで引上げた。池の端となって見たがいい、時を得顔の梅柳が、行ったり来たり緋縮緬に、ゆうぜんに、白いものをちらちらと、人を悩す朝である。はたそれ、二階の欄干、小窓などから、下界を覗いて――野郎めが、「ああ降ったる雪かな、あの二人のもの、簑を着れば景色になるのに。」――婦めが、「なぜまた蜆を売らないだろう。」と置炬燵で、白魚鍋でも突かれてみろ、畜生! 吹雪に倒るればといって、黒塀の描割の下が通れるものか。――そこで、どんどんから忍川の柵内へ、池のまわり、雪の原へ迷込んだ次第であったが。……
二十四
「ありがたい、この、汁レルから湯気が立つ。」
と、味噌椀の蓋を落して、かぶりついた糸七が、
「何だ、中味は芋殻か、下手な飜訳みたいだね。」
「そういうなよ、漂母の餐だよ。婆やの里から来たんだよ。」
「それだから焼芋を主張したのに、ほぐして入れると直ぐに実になる。」
「仲之町の芸者の噂のあとへ、それだけは、その、焼芋、焼芋だけはあやまるよ。」
と、弦光が頭を下げた。
同感である。――糸七のおなじ話でも、紅玉、緑宝玉だと取次栄がするが、何分焼芋はあやまる。安っぽいばかりか、稚気が過ぎよう。近頃は作者夥間も、ひとりぎめに偉くなって、割前の宴会の座敷でなく、我が家の大広間で、脇息と名づくる殿様道具の几に倚って、近う……などと、若い人たちを頤で麾く剽軽者さえあると聞く。仄に聞くにつけても、それらの面々の面目に係ると悪い。むかし、八里半、僭称して十三里、一名、書生の羊羹、ともいった、ポテト……どうも脇息向の饌でない。
ついこの間の事――一大書店の支配人が見えた。関東名代の、強弓の達者で、しかも苦労人だと聞いたが違いない。……話の中に、田舎から十四で上京した時は、鍛冶町辺の金物屋へ小僧で子守に使われた。泥濘で、小銅五厘を拾った事がある。小銅五厘也、交番へ届けると、このお捌きが面白い、「若、金鍔を食うが可かッ。」勇んで飛込んだ菓子屋が、立派過ぎた。「余所へ行きな、金鍔一つは売られない。」という。そこで焼芋。
と、活機に作者が、
「三つ。」
声と共に、《あうん》の呼吸で、支配人が指を三本。……こうなると焼芋にも禅がある。
が、何しろ、煮豆だの、芋殻だのと相並んで、婆やが持出した膳もさめるし、新聞の座がさめる。ものが清新でないのである。
不精髯も大分のびた。一つ髪でも洗って来ようと、最近人に教えられ、いくらか馴染になった、有楽町辺の大石造館十三階、地階の床屋へ行くと、お帽子お外套というも極りの悪い代ものが釦で棚へ入って、「お目金、」と四度半が手近な手函へ据る、歯科のほかでは知らなかった、椅子がぜんまいでギギイと巻上る……といった勢。しゃぼんの泡は、糸七が吉原返りに緒をしめた雪の烏帽子ほどに被さる。冷い香水がざっと流れる。どこか場末の床店が、指の尖で、密とクリームを扱いて掌で広げて息で伸ばして、ちょんぼりと髯剃あとへ塗る手際などとは格別の沙汰で、しかもその場末より高くない。
お職人が念のために、分け目を熟と瞻ると、奴、いや、少年の助手が、肩から足の上まで刷毛を掛ける。「お麁末様。」「お世話でした。」と好い気持になって、扉を出ると、大理石の床続きの隣、パール(真珠)と云うレストランに青衿菫衣の好女子ひとりあり、緑扉に倚りて佇めり。
「番町さん。」
「…………」
「泉さん。」
驚いて縮めた近目の皺を、莞爾……でもって、鼻の下まで伸ばさせて、
「床屋へお入んなったのを……どうもそうらしいと思ったもんですから、お帰り時分を待っていたの、寄ってらっしゃいよ。」
「は、いや、その。」
ああ、そうか、思い出した。この真珠の本店が築地の割烹懐石で、そこに、月並に、懇意なものの会がある。客が立込んだ時ここから選抜きで助けに来た、その一人である。
「どこかへいらっしゃる、ちょっと紅茶でも。」
面喰った慌しい中にも、忽然として、いつぞのむかし吉原の横町の、ずるずる引摺った青い裳と、紅い扱帯と、脂臭い吸いつけ煙草を憶起すと、憶起す要はないのに、独りで恥しくなって、横を向いた。
「お可厭。」
「飛んでもない。」
「あら、ご挨拶。」
「飛んでもない。可厭なものかね。」
「お世辞のいいこと、熱燗も存じております。どうぞ――さあいらっしゃい。」
二十五
「人が見ては厭なんでしょう。お馴れなさらない場所ですから。――あいにく三組ばかり宴会があって、多勢お見えになっていますから。……ああと……こっちが可いわ。」
拙者生れてより、今この年配で、人見知りはしないというのに、さらさら三方をカーテンで囲って、
「覗いちゃ不可ません。」
何事だろうと、布目を覗く若い娘をたしなめて、内の障子より清純だというのに、卓子掛の上へ真新しいのをまた一枚敷いて、その上を撓った指で一のし伸して、
「お紅茶?」
「いや、酒です、燗を熱く。」
「分っていますわ。」
「それから、勿論食べます。」
「お無駄をなさらないでも。」
「食べますとも、空腹です。そこで、お任せ、という処だけれど、鳥を。」
「蒸焼にしましょう、よく、火を通して。」
それまで御存じか、感謝を表して、一礼すると、もう居なくなる。
すっと入交ったのが、瞳の大きい、色の白い、年の若い、あれは何と云うのか、引緊ったスカートで、肩が膨りと胴が細って、腰の肉置、しかも、その豊なのがりんりんとしている。
「私も築地で……先日は。」
乳のふくらみを卓子に近く寄せて朗かに莞爾した。その装は四辺を払って、泰西の物語に聞く、少年の騎士の爽に鎧ったようだ。高靴の踵の尖りを見ると、そのままポンと蹴て、馬に騎って、いきなり窓の外を、棟を飛んで、避雷針の上へ出そうに見える。
カーネーション、フリージヤの陰へ、ひしゃげた煙管を出して点けようとしていたが、火燧をパッとさし寄せられると、かかる騎士に対して、脂下る次第には行かない。雁首を俯向けにして、内端に吸いつけて、
「有難う。」
と、まず落着こうとして、ふと、さあ落着かれぬ。
「はてな、や、忘れた。」
「え。」
「下足札。」
吃驚したように顔を見たが、
「そこに穿いていらっしゃるじゃないの。」
実は外套を預けた時、札を貰わなかったのを、うっかりと下足札。ああ、面目次第もない。
騎士が悟って、おかしがって、笑う事笑う事、上身をほとんど旋廻して、鎧の腹筋を捩る処へ、以前のが、銚子を持参。で、入れかわるように駆出した。
「お帽子も杖も、私が預ったじゃありませんか。安心してめしあがれ。あの方、今日は会計係、がちゃがちゃん、ごとンなの。……お酌をしますわ。」
やがて少々、とろりとなって、「さてそこへ立っていちゃ、ああ成程――風紀上、尤です……と、従って杯は。」
「さあ。(あたりを忍び目、カーテンばかり。)ちょっと一杯ぐらい……お盃洗がなくて不可ませんわね。」
「いや、特に感謝します、結構です。」
「あの、番町さん。私あの辺を知っていますわ。――学院の出ですもの。」
「ほう、すると英学者だ、そのお酌では恐縮です、が超恐縮で、光栄です。」
焼を念入に注意したが、もう出来たろうと、そこで運出した一枚は、胸を引いて吃驚するほどな大皿に、添えものが堆く、鳥の片股、譬喩はさもしいが、それ、支配人が指を三本の焼芋を一束ねにしたのに、ズキリと脚がついた処は、大江山の精進日の尾頭ほどある、ピカピカと小刀、肉叉、これが見事に光るので、呆れて見ていると、あがりにくくば、取分けて、で、折返して小さめの、皿に、小形小刀の、肉叉がまたきらりと光る。
「ご念の入った事で……光栄です、ありがたい。」
「……お気にめして……おいしいこと。……まあ、嬉しい。それはね、手で持って、めしあがって、結構よ。」
「構いませんか、そいつは可い、光栄です。」
仰に従うと、口のまわりが……
「はい、お手拭。」
二十六
お会計はあちらで、がちゃがちゃがちゃんの方なんですが……ここで……分っていますからと、鉛筆を軽く紙片に走らせた。
この会計だが、この分では、物価騰昇寒さの砌、堅炭三俵が処と観念の臍を固めたのに、
「おうう、こんな事で。……光栄です。」
「お給仕の分もついておりますから、ご心配なく。」
「いよいよ光栄です。」
と思わず口へ出た。床屋の分を倍額に、少し内へ引込んだのである。ここにおいて、番町さんの、泉、はじめて悠然として、下足を出口へ運ぶと、クローク(預所)とかで、青衿が、外套を受取って、着せてくれて、帽子、杖、またどうぞ、というのが、それ覚えてか、いつのこと……。後朝に、冷い拳固を背中へくらったのとは質が違う。
噫、噫、世も許し、人も許し、何よりも自分も許して、今時も河岸をぞめいているのであったら、ここでぷッつりと数珠を切る処だ!……思えば、むかし、夥間の飲友達の、遊び呆けて、多日寄附かなかった本郷の叔母さんの許を訪ねたのがあった。お柏で寝る夜具より三倍ふっくらした坐蒲団。濃いお茶が入って、お前さんの好きな藤村の焼ぎんとんだよ、おあがり、今では宗旨が違うかい。連雀の藪蕎麦が近いから、あの佳味いので一銚子、と言われて涙を流した。親身の情……これが無銭である。さても、どれほどの好男に生れ交って、どれほどの金子を使ったら、遊んでこれだけ好遇るだろう。――しかるにもかかわらず、迷いは、その叔母さんに俥賃を強請って北廓へ飛んだ。耽溺、痴乱、迷妄の余り、夢とも現ともなく、「おれの葬礼はいつ出る。」と云って、無理心中かと、遊女を驚かし、二階中を騒がせた男がある。
これにつけ、またそれよ、壱岐殿坂で鼠の印を結んでより、雪の中を傘なしで、池の端まで、などと云うにつけても、天保銭を車に積んで切通しを飛んだ、思案入道殿の方が柄が大きい。……その意気や、仙台、紀文を凌駕するものである。
と、大理石の建物にはあるまじき、ひょろひょろとした楽書の形になって彳む処に、お濠の方から、円タクが、するすると流して来て、運転手台から、仰向けに指を三本出した。
「これだ。」
外套の袖を浮せて膝をたたいた。番町は、何のために、この床屋へ来たんだ。あまりそこらに焼芋の匂がするから、気をかえようと髪を洗いに来たのである。そうだ、焼芋の事を、ここにちなんで(真珠)としよう。
ものは称呼も大事である。辻町糸七が、その時もし、真珠、と云って策を立てたら、弦光も即諾して、こま切同然な竹の皮包は持たなかったに違いない。雪に真珠を食に充て、真珠をもって手を暖むとせんか、含玉鳳炭の奢侈、蓋し開元天宝の豪華である。
即時、その三本に二貫たして、円タクで帰ったが、さて、思うに大分道草――(これも真珠としよう)――真珠を食った。
茅町の弦光の借屋の膳の上には、芋がらの汁と、葡萄豆ぽっちり、牛鍋には糸菎蒻ばかりが、火だけは盛だから炎天の蚯蚓のようだ、焦げて残っている、と云った処で、真珠を食ったあとだから、気が驕って、そんなものには、構っておられん。
本文を取急ごう。
その主意たるや、要するに矢野弦光が、その日、今朝、真もって、月村一雪、お京さんの雪の姿に惚れたのである。
一升徳利の転がったを枕にして、投足の片膝組みの仰向けで、酒の酔を陰に沈めて、天井を睨んでいたのが、むっくり、がばと起きると、どたりと凭掛ったまま、窓下の机をハタと打った。崖下の雪解の音は余所よりも。……
いま、障子外の雨落の雫がこの響きで刎ねそうであった。
「糸的。」
「ええ、驚いた。」
この方は、袖よじれに横倒れで、鉄張りの煙管を持った手を投出したまま、吸殻を忘れたらしい、畳に焼焦――最も紳士の恥ずべきこと――を拵えながら、うとうとしていた。
「呼んだぐらいで驚いてくれちゃ困る。よ、糸的、いい名だなあ、従兄弟に聞えて、親身のようだ。そのつもりで聞いてくれよ。ああ私は実は酔わん、酔えなかったんだよ。生れて三十年にして、いま目が覚めた。――ついてはだ。」
二十七
「――賛成だ、至極いいよ。私たち風来とは違って、矢野には学士の肩書がある。――御縁談は、と来ると、悪く老成じみるが仕方がない……として、わけなく絡るだろうと思うがね、実はこのお取次は、私じゃ不可いよ。」
「そう、そう、そう来るだろうと思ったんだ。が、こうなれば刺違えても今更糸的に譲って、指を銜えて、引込みはしない。」
と、わざとらしいまで、膝の上で拳を握ると、糸七は気もない顔で、
「何を刺違えるんだ、間違えているんだろう。」
「だってそうじゃないか、いつか雑誌に写真が出ていたそうだが、そんなものはほとんど眼中になかった。今朝の雪は不意打さ。俥で帰ると、追分で一生の道が南北へ分れるのを、ほんとうに一呼吸という処で、不思議な縁で……どうも言う事が甘ったるいが、どうもどうも、腹の底まで汁粉に化けた。
――氷月の雪の枝折戸を、片手ざしの渋蛇目傘で、衝いて入るように褄を上げた雨衣の裾の板じめだか、鹿子絞りだか、あの緋色がよ、またただ美しさじゃない、清さ、と云ったら。……ここをいうのだ、茶屋の女房の浅黄縮緬のちらちらなぞは、突っくるみものの寄切だよ、……目も覚め、心に沁みようじゃないか。
……同時に、時々の出入りとまでしばしばでなくても、同門の友輩で知合ってる糸的が、少くとも、岡惚れを。」
「その事かい、何だ。」
と笑いもカラカラと五徳に響いて、煙管を払いた。
「対手は素人だ、憚りながら。」
「昨夜振られてもかい。」
「勿論。」
「直言を感謝す。」
と俯向いて、袖口をのばすように膝に手を長く置き、
「人壮んなる時は、娘に勝ち、人衰うる時は女房が欲しい。……その意気だ。が、そうすると、話に乗ってくれるのに、また何が不都合だろう。」
「月村と性が合わないんだ。先方は言うまでもなかろうが、私も虫が好かないんだ。前にね、月村が随筆を書いた事がある。燈籠見に誘われて、はじめて廓を覗いたというんだがね、雑誌の編輯でも、女というと優待するよ。――年方の挿絵でね、編中の見物の中に月村の似顔の娘が立っている。」
「素晴しいね。早速捜そう。」
「見るんなら内にあるよ。その随筆だがね、足が土についていない。お高く中洲の中二階、いや三階あたりに。――政党出の府会議員――一雪の親だよ――その令嬢が、自分一人。女は生れさえすりゃ誰でも処女だ、純潔だのに、一人で純潔がって廓の売色を、汚れた、頽れた、浅ましい、とその上に、余計な事を、あわれがって、慈善家がって、異う済まして、ツンと気取った。」
「おおおお念入りだ。」
「そいつが癪に障ったから。――折から、焼芋(訂正)真珠を、食過ぎたせいか、私が脚気になってね。」
「色気がないなあ。」
「祖母に小豆を煮て貰って、三度、三度。」
「止せよ、……今、酒を追加する……小豆は意気を銷沈せしめる。」
「意気銷沈より脚気衝心が可恐かったんだ。――そこで、その小豆を喰いながら、私らが、売女なら、どうしよってんだい、小姐さん、内々の紐が、ぶら下ったり、爪の掃除をしない方が、余程汚れた、頽れた、浅ましい。……塩みがきの私らを大きにお世話だ、お茶でもあがれ、とべっかっこをして見せた。」
「そうだろう、べっかっこでなくっちゃ筋は通らない。まともに弁じて、汚れた売女を憎んだのじゃない、あわれんだに……無理はないから。」
「勿論、つけた題が『べっかっこ。』さ――」
「見たいな、糸七……本名か。」
「まさか――署名は――江戸町河岸の、紫。おなじ雑誌の翌月の雑録さ。令嬢は随。……野郎は雑。――編輯部の取扱いが違うんだ。」
「辛うじて一坂越したよ、お互に、静かに、静かに。」
弦光は一息ふッ、日のあたる窓下の机の埃を吹き、吹いた後を絹切で掃った。
二十八