薄紅梅

6話 薄紅梅(6)

6,521字 約13分 2008年11月22日 公開

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「それでも、上杉先生の、詞成堂――台町の山の屋敷の庭続き崖下にある(やれ)借家……矢野も二三度遊びに行ったね、あの塾の、小部屋小部屋に割居して、世間ものの活字にはまだ一度も文選されない、雑誌の半面、新聞の五行でも、そいつを狙って、鷹の目、(ふくろう)の爪で、待機中の友達のね、墨色の薄いのと、字の(まず)いのばかり、先生にまだしも叱正を得て、色の恋のと、少しばかり甘たれかかると、たちまち朱筆の一棒を(くら)うだけで、気の吐きどころのない、(ぐう)を負う虎、壁裏の蝙蝠(こうもり)穴籠(あなごもり)の熊か、中には瓜子(うりこ)という可憐なのも、気ばかり手負の荒猪(あらじし)だろう。

 見す見す一雪女史に(せん)を越されて、畜生め、でいる処へ、私のその『べっかっこ』だ、()った! 行った! 痛快! などと喝采だから、内々得意でいたっけが――一日(あるひ)、久しく御不沙汰で、台町へ機嫌伺いに出た処が、三和土(たたき)に、見馴れた二足の下駄が揃えてある。先生お出掛けらしい。玄関には下の塾から交代の当番で、弁持十二が居るのさ。日曜だったし……すぐの座敷で、先生は箪笥(たんす)の前で着換えの最中、博多の帯をきりりと(しま)った処なんだ。令夫人は藤色の手柄の高尚(こうとう)円髷(まるまげ)で袴を持って支膝(つきひざ)という処へ、敷居越にこの(つら)が、ヌッと出た、と思いたまえ。」

「その顔だね。」

「この(つら)だ。――今朝なぞは特に拙いよ。「糸。」縮んだよ、先生の声が激しい。「お前、中洲のお京の悪口を書いたそうだな。」いきなりだろう、へどもどした。「は、いえ、別に。」「何、何を……悪気はない。悪気がなくって、悪口(あっこう)を、何だ、洒落(しゃれ)だ。黙んな、黙んな。洒落は一廉(ひとかど)の人間のする事、云う事だ。そのつらで洒落なんぞ、第一読者に対して無礼だよ。べっかっこが聞いて呆れる。そのべっかっこという面を俺の前へ出して見ろ。うわさに聞けば、友子づれで、吉原の河岸をせせって。格子へ飛びつくというから、だぼ沙魚(はぜ)のようになりやがった。――弁持……」十二のくすくす笑っているのを呼びかけて、「(どぶ)をせせって、格子へ飛びつくのは、だぼ沙魚じゃない……お前はよく、くだらない事を知っている、何だっけな。」弁持が鹿爪らしく、「は、飛沙魚(とびはぜ)です、は。」「飛沙魚だ、贅沢(ぜいたく)だ。もぐり沙魚の孑孑(ぼうふら)だ。――先方(さき)は女だ、娘だよ。可哀そうに、(口惜(くやし)いか、)と俺が聞いたら、(恥かしい、)と云って、ほろりとしたんだ、袖で顔を隠したよ。孑孑め、女だって友だちだ、頼みある夥間(なかま)じゃないか。黒髪を腰へ(さば)いた、緋縅(ひおどし)の若い女が、敵の城へ一番乗で塀際へ着いた処を、孑孑が這上(はいあが)って、乳の下を(くすぐ)って、同じ(どぶ)の中へ引込むんだ。」と……」

「分った、もう()い、もう可い。」

 と弦光は膝も浮きそうに、火鉢の向うで、肩をわななかせて、手を振った。

「雪のごとき、玉のごとき、乳の下を……串戯(じょうだん)にしろ、話にしろ、ものの譬喩(たとえ)にしろ、聞いちゃおられん。私には、今日(こんにち)今朝(こんちょう)よりの私には――ははははは。」

 寂しい笑いで、

「話はおかしいが、大心配な事が出来た。糸(こう)の先生、上杉さんは、その様子じゃ大分一雪女史が贔屓(ひいき)らしい。あの容色(きりょう)で、しんなりと肩で嬌態(あま)えて、机の(そば)よ。先生が二階の時なぞは、令夫人やや(おだやか)ならずというんじゃないかな。」

串戯(じょうだん)じゃない、片田舎の面疱(にきび)だらけの心得違(こころえちがい)の教員なぞじゃあるまいし、女の弟子を。失礼だ。」

「失礼、結構、失礼で安心した。しかし、一言でそうむきになって、腰のものを振廻すなよ。だから振られるんだ、遊女(おいらん)持てのしない小道具だ。淀屋(よどや)か何か知らないが、黒の合羽張(かっぱばり)両提(ふたつさげ)煙草入(たばこいれ)、火皿までついてるが、何じゃ、塾じゃ揃いかい。」

「先生に貰ったんだ。弁持と二人さ、あとは巻莨(まきたばこ)だからね。」

「何しろ真田(さなだ)の郎党が(かく)し持った張抜の短銃(たんづつ)と来て、物騒だ。」

「こんなものを物騒がって、一雪を細君に……しっかりおしよ。月村はね、駿河台へ通って、依田学海翁に学んでいるんだ。」

 と居直った。

       二十九

「学海翁に。」

 弦光は(とうもく)一番した。

「まさか剣術じゃあるまいな。それじゃ、僧正坊の術譲りと……そうか、言わずとも白氏文集。さもありなん、これぞ淑女のたしなむ処よ。」

「違う違う、稗史(はいし)だそうだ。」

「まさか、金瓶梅(きんぺいばい)……」

紅楼夢(こうろうむ)かも知れないよ。」

「何だ、紅楼夢だ。(しん)代第一の艶書、翁が得意だと聞いてはいるが、待った、待った。」

 と上目づかいに、酒の呼吸(いき)を、ふっと吐いて、

「学海説一雪紅楼夢(いっせつにこうろうむをとく)――待った、待った、第一の艶書を、あの()に説かれては穏かでない。」

「教ゆ。授く。」

「……教ゆ。授く。気になる、気になる。」

「施す。」

「……施す、妙だ。いや、待った。待った。」

 と(てのひら)で押えて留めるとともに、今度は、ぐっと深く目を(つむ)って、

「学海施一雪紅楼夢――や不可(いけね)え。あの(ひげ)が白い頸脚(えりあし)へ触るようだ。女教員渚の方は閑話休題として、前刻(さっき)入って行った氷月の小座敷に天狗(てんぐ)の面でも(かか)っていやしないか、悪く(ひね)って払子(ほっす)なぞが。大変だ、胸がどきどきして来たぞ。」

 弦光はわざとらしく胸をわななかせたと思うと、その胸を()らし、畳後(たたみうしろ)へ両の手をどさんと()いた。

「安心するがいい。誰が紅楼夢だときめたよ、一人で慌てているんじゃないか。一雪の習ってるのは水滸伝(すいこでん)だとさ、白文でね。」

「何、水滸伝。はてな、妙齢の姿色、忽然(こつねん)として剣侠(けんきょう)下地だ、うっかりしちゃいられない。」

 と(おもて)を正しく、口元を()めて坐り直し、

「寝ているうちに、匕首(ひしゅ)が飛んで首を(さら)うんだ、恐るべし……どころでない、魂魄(こんぱく)をひょいと(つか)んで、血の道の薬に持って()く。それも、もう他事(ひとごと)ではない、既に今朝の雪の朝茶の子に、肝まで抜かれて、ぐったりとしているんだ。聞けば聞得で、なお有難い。その様子じゃ――調ったとして婚礼の時は、薙刀(なぎなた)の先払い、新夫人は(にしき)の帯に守刀というんだね。夢にでも見たいよ、そんなのを。……

 ……といううちにも、糸(こう)糸的(きみ)はひとりで目の覚めた顔をして澄ましているが、内で話した、外で逢ったという気振(けぶり)も見せない癖に、よく、そんな、……お京さんいい名だなあ、その()の駿河台の研学の科目なぞを知っているね。あいつ、高慢だことの、ツンとしているのと、口でけなして何とかじゃないのかい。刺違えるならここで頼む。お互に怪我はしても、生命(いのち)に別条のない決闘なら、立処(たちどころ)にしようと云うんだ。俺はもう目が(すわ)っている、真剣だよ。」

対手(あいて)にならないが、次第(わけ)は話そう。――それ、弁持の甘き、月府の()きさ、誰某(たれそれ)と……久須利苦生の苦きに至るまで、目下、素人堅気輩には用なしだ。誰が売女(くろうと)に好かれるか、それは知らないけれどもだよ。――塾の中に一人、自ら、新派の伊井蓉峰(ようほう)に「似てるです。」と云って、(あご)を撫でる色白な鼻の突出た男がいる。映山先生が()れ聞いてね、渾名(あだな)して、曰く――荷高似内(にたかにない)――何だか勘平と伴内を捏合(こねあ)わせたようだけれど、おもしろかろう。ところがこれだけが素人ばりの、大の、しんし。」

「大のしんし、いい(とこ)の息子、(きん)ありかい。」

「お互に懐中は寂しいね、一杯おつぎよ、満々と。しんしと聞いていい許の息子かは慌て過ぎる、大晦日(おおみそか)に財布を落したようだ。(しんし)だよ、張物に使う。……押を強く張る事経師屋以上でね。着想に、文章に、共鳴するとか何とか唱えて、この男ばかりが、ちょいちょい、中洲の月村へ出向くのさ。隅田(おおかわ)に向いた中二階で、蒔絵(まきえ)の小机の前を白魚(しらお)船がすぐ通る、欄干に(もた)れて、二人で月を()た、などと云う、これが、駿河台へ行く一雪の日取まで知っているんだ。

 (だんま)りでは相済まないと思って、「先生、(わたくし)も、京子とともに無点本の水滸伝。」上杉先生が、「その(ひま)に、すいとんか、おでんを売れ。」「ははっ。」とこそは荷高似内、口をへの字に(あご)の下まで結んで鼻を一すすり、無念の思入で畳をすごすごと退(さが)る処は、旧派の花道の引込(ひっこ)みさ。」

「三枚目だな、我がお京さんを誰だと思うよ、取るに足らず。すると、まず、どこにも敵の心配はなしか。」

「……ところがある、あるんだ! 一人ある。」

 弦光は猫板に握拳(にぎりこぶし)を、むずと出して、

驚破(すわ)、驚破、その短銃(たんづつ)という煙草入を意気込んで持直した、いざとなると、やっぱり、辻町が敵なのか。」

「噴出さしちゃ不可(いけな)いぜ。私は最初(はな)から、気にも留めていなかった、まったくだ。いまこう真剣となると、黙っちゃいられない。対手(あいて)がある、美芸青雲派の、矢野(きみ)も知ってる名高い絵工(えかき)だ。」

       三十

「――野土青麟(のづちせいりん)だよ。」

「あ、野土青麟か。」

「うむ、野土青麟だ。およそ世の中に可厭(いや)(やつ)。」

「当代無類の気障(きざ)だ。」

 声を(はや)って、言うとともに、火鉢越に二人が思わず握手した。

(……ふと思うと、前段に述べた、作者が、真珠(やきいも)三枚(みッつ)で、書店の支配人と、ばらりの調子で声と指を合わせたと、趣を(ひと)しゅうする。)

「絵だけ描いていれぱ、当人も世間も助かるものを、紫の太緒(ふとひも)を胸高々と、紋緞子(もんどんす)(はかま)引摺(ひきず)って、(ひと)が油断をしようものなら、白襟を重ねて出やがる。歯茎が真黒(まっくろ)だというが。」

 この弦光の言、――聞くべし、特説(なり)

「乱杭、歯くそ(かくし)鉄漿(かね)をつけて、どうだい、その(ざま)で、全国の女子の服装を改良しようの、音楽を古代に(かえ)すの、美術をどうのと、鼻の(さき)で議論をして、舌で世間を()めやがる。爪垢(つまあか)で楽譜を汚して、万葉、古今を、あの臭い息で笛で吹くんだ。生命(いのち)知らずが、誰にも解りこないから、歌を一つ一つ、異変、畜類な声を張り、高らかに(うた)って、続くは横笛、ひゃらひゅで、緞子袴の膝を(たた)くと、一座を《みまわ》し、ほほほ、と笑って、おほん、と反るんだ。(たま)らないと言っちゃない。あいつ、麟を改めて(うろこ)とすればいい、青大将め。――聞けばそいつが(次第前後す、段々解る)その三崎町のお伽堂とかで(とぐろ)を巻いて黒い舌をべらべらとやるのかい。」

「横笛は、八本の調子を、もう一本上げたいほど高い処で張ってるのさ。貸本屋へしけ込むのは、道士逸人(いつじん)、どれも膏切(あぶらぎ)った髑髏(しゃれこうべ)と、竹如意(ちくにょい)なんだよ――「ちとお慰みにごらん遊ばせ。」――などとお時の声色をそのまま、手や肩へ貸本ぐるみしなだれかかる。女房がまた、背筋や袖をしなり、くなり、自由に()まれながら、どうだい頬辺(ほっぺた)と膝へ、道士、逸人の面を附着(くッつ)けたままで、口絵の色っぽい処を見せる、ゆうぜんが溢出(はみで)るなぞは、地獄変相、極楽、いや天国変態の図だ。」

「図かい。」

「図だよ。」

「見料は高かろう。」

「高い、何、見料どころか、この図を()ながら、ちょんぼり(ひげ)の亭主が、「えへへ、ご(さかん)(こつ)だい。」(いきおい)の趣くところ、とうとう袴を穿()いて、辻の角の(安旅籠(やすはたご))へ、両画伯を招待さ……「見苦しゅうはごわすが、料理店は余り露骨……」料理屋の余り露骨は可訝(おか)しいがね、腰掛同然の店だからさ、そこから、むすび針魚(さより)(わん)、赤貝の酢などという代表的なやつを並べると、お時が店をしめて、台所から、これが、どうだい葛籠(つづら)に秘め置いた小紋の小袖に、繻珍(しゅちん)の帯という扮装(いでたち)で画伯ご所望の前垂(まえだれ)をはずしてお取持さ。色紙、短冊、扇面、紙本、立どころに、雨となり、雲となり……いや少し慎もう……竹となり、蘭となる。……情流既に枯渇して、今はただ金慾(きんよく)()()く髯だからね。向うの写真館の、それ「三大画伯お写真。」へは、三崎座の看板前、大道の皿廻しほどには人だかりがするんだから、考えたんだよ。

(――これ皆、中洲を伺い、三崎町を覗く、荷高似内の見聞して報ずるところさ。)

 ところで、青麟――青麟と中洲の関係は、はじめ、ただ、貸本屋から本を借りるには、帳面へ、所番地を控える常規(きまり)だ。きっと、馴染か、その時が初めかは分らないが、店頭(みせさき)で見たお嬢さんの住居(すまい)も名も、すぐ分るだろう、というので、誰に見せる気だか薄化粧(うすげ)って。」

白粉(おしろい)を?……遣るだろう!」

「すぼめ口に紅をつけて「ほほほ景気はどうかね。」とお伽堂へ一人で青麟が(あら)われたそうだ。この方は、女房の手にも足にも触りっこなし、傍へ寄ろうともしない澄まし方、納まり方だそうだが、見ていると、むかっとする、離れていても胸が悪い、口をきかれると、虫唾(むしず)が走る、ほほほ、と笑われると、ぐ、ぐ、と我知らず、お時が胸へ嘔上(こみあ)げて、あとで黄色い水を吐く……」

「聞いちゃおられん、そ、そいつが我がお京さんを。」

「痛い、痛い。」

「あ、何度めだい、また握手した。糸(こう)もよく一息に饒舌(しゃべ)ったなあ。」

       三十一

「まず握手を解こう。両方がこう意気込んでは、青麟輩に――断って置くが、意地にも我慢にも、所得は違うが――彼等に対して、いやしくも、糸七、弦光二人(がか)りのようで癪に障る。そこで、大切なその話はどうなったんだい。」

「……いずれ、その安料理屋へ青麟を請待(しょうだい)さ。こいつは、あと二人より大分に値が違うそうだからね。その節は、席を改めまして、が、富士見楼どころだろう。お伽堂の亭主の策略さ。

 そこへ、愛読の(くるま)、一つ飛べば敬拝の馬車に乗せて、今を花形の女義太夫もどきで中洲の中二階から、一雪をおびき出す。」

「三崎町へ、いいえさ、地獄変相の図の中へな、ううう。」

「せき込むなよ……という事も出来るし、亭主がまた髯を(ひね)って、「先方御親父(しんぷ)が、府会議員とごわすれば、直接に打附(ぶつか)って見るも手廻しが早いでごわす。久しく県庁に勤めたで、大なり、小なり議員を扱う手心も承知でごわす。」などという段取になってるそうだ。」

 弦光がこの時、腕を(こまぬ)いた。

「少からず(うるさ)いな、いつからだね、そんな事のはじまってるのは。」

「初冬から年末……ははは、いやに仲人染みたぜ……そち以来(こち)だそうだ。」

「……だそうじゃ不可(いけな)いよ、冷淡だよ、友達(がい)のない。」

「頼まれたのは、今日はじめてじゃないか。」

「それにしても冷淡過ぎるよ。――したたかに中洲へ魔手が伸びているのに。」

「私は中洲が煮て喰われようが、焼いて……不可(いけな)い、人道の問題だ。ただし、呼出されようが、出されまいが、喰わそうが喰わすまいが、一雪の勝手だから、そんな事は構っちゃいられん。……不首尾重って途絶えているけれど、中洲より洲崎(すさき)遊女(おんな)が大切なんだ。しかし、心配は要るまいと思う。荷高の偵察によれば――不思議な日、不思議な場合、()も知れない悪臭い汚い点滴(したたり)が頬を汚して、一雪が、お伽堂へ駆込んだ時、あとで中洲の背後(うしろ)覆被(おいかぶ)さった三人の(うち)にも、青麟の黒い舌の臭気が頬にかかった臭さと同じだ、というのを、荷高が、またお時から、又聞(またぎき)、孫引に聞いている。お時でさえ黄水を吐く。一雪は()められると血を吐くだろう、話にはなりゃしないよ。」

 弦光は案じ入って、立処(たちどころ)に年を取ること(とお)ばかり。

「いやいや、そうでない。すべて悲劇はそこらで起る。不思議に、そんな縁の――万々一あるまいが――結ばる事が、事実としてありかねない。予感が良くない。胸が騒ぐ。……糸ちゃん、すぐにもお伽堂とかへ行って。」

「そいつは、そいつは不可(いけな)い……」

「なぜだよ、どうもお伽堂というのは、糸(こう)の知合からはじまった事らしいのに、妙に自分を除外して、荷高ばかりを廻しているし、第一、中洲がだね、二三度、その店へ()きながら、糸(こう)のうわさなぞをしないらしいのは、おかしいじゃないか。」

「ちっともしない、何にも言わない。またこっちも、うわさなんかして貰いたくないんだよ。」

――(様子を見ると、仔細(しさい)(いかに)、京子が『たそがれ』を借りた事など、女房は、それに一言も及ばぬらしい。)――

「ただ、いかんせん、亭主に高利の借がある。催促が厳しいんだ。亭主の催促が厳しいのに――そこを蔭になり、日向になり、「あなたア」などとその目でじろりと遣るだろう……白肉の柔い(たて)になって、(かば)ってくれようという――女房を、その上に、近い頃また痛めつけた。」

「誰だい、髑髏かい、竹如意かい。」

「また急込(せきこ)むよ。中洲の話になってからというものは、どうも、骨董(こっとう)はあせって不可(いけな)い。話の続きでも知れてるじゃないか。……高利の借りぬし、かくいう牛骨、私とそれに弁持十二さ。」

「何だ二人でか、まさか、そんな竹如意、髑髏の亜流のごとき……」

「黙るよ、私は。失礼な、素人を馬鹿な、誰が失礼を。」

「はやまった、(ことば)のはずみだ、逸外(はやま)った。その短銃(たんづつ)を、すぐに引掴(ひっつか)んで引金を(ひね)くるから殺風景だ。」

「けれどもね。実は、その時の光景というのが、短銃と短刀同然だったよ。弁持と二人で、女房を引挟(ひっぱさ)んで。」

 といって、苦笑した。

       三十二

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