3話 恐怖の口笛(3)
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待ちに待たれていた大胆不敵な挑戦状の主は、とうとう皆の前に姿を現わしたのだった。怪賊痣蟹は二た目と見られない醜悪な面をわざと隠そうともせず、キッと武装警官隊の方を睨みつけた。
武装隊を指揮しているのは金剛部長だったが、ヌックと立って部下に号令した。
「あの怪物がすこしでも動いたら、撃ち殺してしまえッ」
痣蟹はそれを聴くと、薄い唇をギュッと曲げて冷笑した。そして突然、背後に隠しもった彼の手慣れた武器をとりだした。それは恐るべき軽機関銃だった。彼が和蘭にいたとき、そこの秘密武器工場に注文して特に作らせたという精巧なものだった。――その機関銃の銃口が、警官たちの胸元を覘った。
「急ぎ撃てッ」
武装隊長は咄嗟に射撃号令をかけた。
ドドーン。ドドーン。
カタ、カタ、カタ、カタ。
どっちが先へ撃ちだしたのか分らなかった。忽ち室内の電灯はサッと消えて、暗黒となった。阿鼻叫喚の声、器物の壊れる音――その中に嵐のように荒れ狂う銃声があった。正面と出口とに相対峙して、パッパッパッと真紅な焔が物凄く閃いた。猛烈な射撃戦が始まったのだ。
警官隊は銃丸を浴びながら、ひるまず屈せず、勇敢に闘った。前方に火竜が火を噴いているような真赤な火の塊の陰に痣蟹がいる筈だった。それを目標に、拳銃の弾丸の続くかぎり覘いうった。ときどき警官たちは胸のあたりを丸太ン棒で擲りつけられたように感じた。それは防弾衣に痣蟹の放った銃丸が命中したときのことだった。防弾チョッキがなかったら、彼等はとうの昔に、全身蜂の巣のように穴が明いてしまったであろう。
だが軽機関銃の偉力は素晴らしかった。物凄い速さで飛びだしてくる銃丸は、大部分防弾衣で防ぎとめられはしたものの、だんだんに防弾鋼の当っていない肘を掠めたり手首に流れ当ったりして、さすがの警官隊もすこしひるみ始めた。卓子の陰から、眼ばかり出してこの猛烈な暗黒中の射撃戦を凝視していた雁金検事や大江山捜査課長などの首脳部一行は、早くも味方の旗色の悪いのを見てとった。
「大江山君、この儘じゃあ危いぞ。警官隊に突撃しろと号令してはどうだ」
「突撃したいところですが、駄目です。卓子だの椅子だの人間だのが転がっていて、邪魔をしているから突撃できません」
「でもこのままでは……」と検事は悲痛な言葉をのんだ。
と、そのときだった。誰か、検事の腕をひっぱる者があった。
「雁金さん、雁金さん――」
「おう、誰だッ」
「落付いて下さいよ、僕です。分りませんか」
「ナニ……そういう声は」
と雁金検事は相手の男の腕をグイと握ってひきよせて、低声で囁いた。
「――青竜王だナ」
青竜王! それはかねて雁金検事の親友として名の高い覆面探偵青竜王だったのである。どうしたわけか、このところ十日ほど、所在の不明だった探偵王だった。彼のところへやった通信が届いて、このキャバレーへやってきたものらしい。
青竜王は闇の中で雁金検事と何事かを低声で囁きあった。その揚句、話がすんだと見えて、
「じゃ、しっかり頼むぞ」
という検事の激励の言葉とともに、青竜王はコソコソとまた闇の中に紛れこんでしまった。――検事はこんどは大江山課長を引きよせると、何かを耳打ちした。
「よろしい。命令しましょう」
課長はそういって、卓子の陰から匍いだした。彼は銃丸の中をくぐりぬけながら、力戦している警官隊の方へ進んでいった。
間もなく何か号令が発せられて、武装警官隊の射撃は更に猛烈になった。天井から何かガラガラと墜ちてくる物凄い音がした。
「前面を注視していろ!」
隊長が叫んでいる――
と、正面に怪物のように火を吐いていた痣蟹の軽機関銃が、どうしたものか急に目標を変えた。ダダダダダッと銃丸は天井に向けられ、シャンデリアに当って、硝子の砕片がバラバラと墜ちてきた。
「おや?」と思う間もなく、ワッという悲鳴が聞えて、いままで呻りつづけていた機関銃の音がハタと停った。そしてドサリという重い機械が床上に叩きつけられる音がした。――これは勇敢な青竜王が、ひそかに痣蟹の背後にまわり、機関銃を叩き落したのだった。痣蟹は正面から警察隊の猛射を受けていたので、その撃退に夢中になっていたところをやっつけられたのであった。しかし本当は警官隊は猛射をしていたことに違いないけれど、天井ばかり撃っていたのであった。それは突入した青竜王に怪我をさせることなく、しかも痣蟹を牽制するためだった。すべては名探偵青竜王の策戦だったのである。
気味のわるい機関銃の響がハタと停った。警官隊の激しい銃声もいつの間にか熄んでいた。暗黒の室内は、ほんの数秒であったが、一転して墓場のような静寂が訪れた。
「灯りを、灯りを……」
青竜王の呶鳴る声がした。
それッというので、室内の電灯スイッチをひねったが、カチリと音がしただけで、電灯はつかなかった。警官たちは懐中電灯を探ったが、いまの騒ぎのうちに壊れてしまったものが多かった。それでも二つ三つの光芒が、暗黒の室内を慌ただしく閃いたが、青竜王に近づいたと思う間もなく、ピシンと叩き消されてしまった。暗黒のなかには、物凄い呻り声を交えて、不気味な格闘が行われていることだけが分った。
警官隊は、倒れた卓子や、逃げ惑っているキャバレーの客たちを踏み越え掻き分けて、呻り声のする方へ近づいていった。が、また捲き起る混乱のために、その呻り声がどこかへ行ってしまった。
「どこにいるのだ、青竜王!」
「青竜王、声を出して下さーい!」
雁金検事たちは、大声で探偵の名を呼んだが、その応答は聞こえなかった。
「オーイ皆、ちょっと静かにせんかッ」
大江山課長が破れ鐘のような声で呶鳴った。
その声が皆の耳に達したものか、一座はシーンとした。
「オイ、青竜王、どこにいるのだッ」
検事は暗黒の中に再び呼んだ。――
だが、誰も応えるものはなかった。一同は闇の中に高く動悸のうつ銘々の心臓を感じた。
(どうしたのだろう?)
そのとき正面と思われる方向の闇の中から軽い口笛の音が聞えだした。
「あたしの大好きな
真紅な苺の実
とうとう見付かった
おお――
あなたの胸の中……」
ああ、いま流行の『赤い苺の実』の歌だ。竜宮劇場のプリ・マドンナ赤星ジュリアの得意の歌だった。――
「こら、誰だ。――」と大江山課長は叫んだ。「こんなときに呑気に口笛を吹く奴は、あとで厳罰に処するぞ」
呑気な口笛――と捜査課長は云ったけれど、それは決して呑気とは響かなかった。なぜなら口笛は、警官の制止の声にも応じないで、平然と吹き鳴っていた。墓場のような暗黒と静寂の中に……。
「こら、止めんか。止めないと――」
と大江山課長が火のようになって暗がりの中を進みいでたとき、呀ッという間もなく、足許に転がっている大きなものに突当り、イヤというほど足首をねじった。その途端に、足許に転がっていたものが解けるようにムクムクと起き上って、激しい怒声と共に格闘を始めたから、捜査課長は胆を潰してハッと後方へ下った。
「青竜王はここにいるぞッ」と格闘の塊の中から思いがけない声が聞えた。
「なにッ」
「痣蟹を早く押えて――」
雁金検事はその声に活路を見出した。
「明りだ、明りだ。明りを早く持ってこい」出口の方から、やっと手提電灯が二つ三つ入ってきた。
「そっちだ、そっちだ」
すると正面の太い円柱のあたりで、ひどく物の衝突する音が聞えた。それから獣のような怒号が聞えた。
「捕えた捕えた。明りを早く早く」
それッというので、手提電灯が束になって飛んでいった。
「痣蟹、もう観念しろッ」
まだバタバタと格闘の音が聞えた。するとそのときどうした調子だったか、室内の電灯がパッと点いた。射撃戦に被害をのがれた半数ほどの電灯が一時に明るく点いた。――人々は悪夢から醒めたようにお互いの顔を見合わせた。
「痣蟹はここにいますぞオ」
それは先刻から、暗闇の中に響いていた青竜王の声に違いなかった。警官隊もキャバレーの客も、言いあわせたようにサッとその声のする方をふり向いた。おお、それこそ覆面の名探偵青竜王なのだ。
「とうとう掴えたかね」
と検事は悦びの声をあげて、青竜王に近づいた。
「青竜王!」
人々はそこで始めて、覆面の名探偵を見たのであった。彼はスラリとした長身で、その骨組はまるでシェパードのように剽悍に見えた。ただ彼はいつものように眼から下の半面を覆面し、鳥打帽の下からギョロリと光る二つの眼だけを見せていた。
「さあこの柱の根元をごらんなさい。ここに見えるのが痣蟹の左足です。またこっちに挟っているのが彼の黄色い皮製の服です。始め痣蟹は、人知れずこの仕掛けのある柱から忍び出たのですが、いま再びこの仕掛け柱へ飛びこんでここから逃げようとしたのが運の尽きで、自ら廻転柱に挟まれてしまったんです。もう大丈夫です」
なるほどこの円柱は廻転するらしく、合せ目があった。そして根元に近く、黄色い皮服と、変な形の左足の靴とがピョンと食みだしていた。
大江山捜査課長は飛びあがるほど悦んだ。
「さあ、早くあの足を持って、痣蟹を引張りだせ!」
と命令した。
多勢の警官たちはワッとばかりに柱の方へ飛びつくと、痣蟹の足を持ってエンヤエンヤと引張った。また別の警官は、黄色い皮服を引張った。――だが暫くすると、警官たちは云いあわせたように、呀ッと悲鳴をあげると、将棋だおしに、後方へひっくりかえった。そして彼等の頭上に、途中から切断した皮服と左の長靴とがクルクルと廻ったかと思うと、ドッと下に落ちてきた。
「なアんだ、服と靴とだけじゃないか」
と捜査課長は叫んだ。
「ウーム」
と流石の覆面探偵も呻った。痣蟹に一杯喰わされたという形であった。
そのときであった。警官の一人が、顔色をかえて、捜査課長の前にとんできた。
「た、大変です、課長さん、あの舞台横の柱の陰に、一人のお客が殺されています」
「なんだ、いまの機関銃か拳銃でやられたのだろう」
「そうじゃありません。その方の怪我人は片づけましたが、私の発見したそのお客の屍体は惨たらしく咽喉笛を喰い破られています。きっとこれは、例の吸血鬼にやられたんです。そうに違いありません」
「ナニ、吸血鬼にやられた死骸が発見されたというのか」
「そういえば、先刻暗闇の中で『赤い苺の実』の口笛を吹いていたものがあった……」
人々は驚きのあまり顔を見合せるばかりだった。
果してこれは痣蟹の仕業だろうか。それなれば検察官や覆面探偵はまんまとここまで誘きだされたばかりでなく、吸血の屍体をもって、拭っても拭い切れない侮辱を与えられたわけだった。
自分は吸血鬼でないという痣蟹の宣言が本当か、それとも今夜のこの惨劇が、皮肉な自白なのであろうか。
赤星ジュリアは無事に引きあげたろうか。覆面の名探偵青竜王は雪辱の決意に燃えて、いかなる活躍を始めようとするのか。
そのうちに、どこからともなく、あの「恐怖の口笛」が響いてくるような気配がする。
吸血鬼の正体は、そも何者ぞ!
怪しい図面
大胆不敵の兇賊痣蟹仙斎が隠れ柱の中に逃げこもうとするのを、素早く覆面探偵青竜王がムズと掴えたと思ったが、引張りだしてみると何のこと、痣蟹の左足の長靴と、そして洋服の裂けた一部とだけで痣蟹の身体はそこに見当らなかったではないか。これには痣蟹就縛に大悦びだった雁金検事や大江山捜査課長をはじめ検察官一行は、網の中の大魚を逃がしたように落胆した。
しかし痣蟹はまだそんなに遠くには逃げていない筈だった。総指揮官の雁金検事は逡ろぐ気色もなく直ちに現場附近の捜査を命じたのだった。警官隊はキャバレー・エトワールの屋外と屋内、それから痣蟹の逃げこんだ隠れ柱との三方に分れて、懸命の大捜査を始めたのだった。
「おお、青竜王は何処へいったのか」
と、雁金検事は始めて気がついた様子で左右を見廻わした。
「青竜王?」
検事につきそっていた首脳部の人たちも同じように左右を顧みた。だが彼の姿はどこにも見えなかった。
「さっきまでその辺にいたんだが、見えませんよ」と大江山課長は云った。
「また何処かへとびだしていったんだろう」
「イヤ雁金検事どの」課長は改まった口調で呼びかけた。「貴官はあの青竜王のことをたいへん信用していらっしゃるようですが、私はどうもそれが分りかねるんです」
と、暗に覆面探偵を疑っているらしいような口ぶりを示した。
「はッはッはッ。あの男なら大丈夫だよ」
「そうですかしら。――そう仰有るなら申しますが、さっき暗闇の格闘中のことですが、いくら呼んでも返事をしなかったですよ。そして唯、あの『赤い苺の実』の口笛が聞えてきました。それから暫くすると、急に青竜王の声で(痣蟹はここにいますぞオ)と喚きだしたではありませんか。その間、彼は何をしていたのでしょう。なにしろ暗闇の中です。何をしたって分りゃしません」
人殺しだって出来るとも云いかねない課長の言葉つきだった。
「あれは君、青竜王のやつが痣蟹に組み敷かれていたんで、それで声が出せなかったのだろう。それをやッと跳ねかえすことが出来て、それで始めて喚いたのだと思うよ」
「そうですかねえ。――第一私は青竜王のあの覆面が気に入らないのです。向こうも取ると都合が悪いのでしょうが、私たちは捜査中気になって仕方がありません。あの覆面をとらない間、青竜王のやることは何ごとによらず信用ができないとさえ思っているのです」
「それは君、思いすぎだと思うネ」
と検事は困ったような顔をして大江山捜査課長の顔を見た。
「ですから私は――」と課長は勝手に先を喋った。「あの柱に服の裂けた一片と靴とが挟まっていましたが、あれは痣蟹が逃げこんだのではなくて、予め痣蟹が用意しておいた二つを柱に挟んで、その中へ逃げたものと見せかけ、自分は覆面をして誰に見られても解るその痣を隠し、青竜王だと云っているかもしれないと思うのです」
「はッはッはッ。君は青竜王が覆面をとれば痣蟹だというのだネ。いやそれは面白い。はッはッはッ」
「私は何事でも、疑わしいものは証拠を見ないと安心しないのです。またそれで今日捜査課長の席を汚さないでいるんですから……」
「じゃ仕方がないよ。僕の身元引受けが役に立たぬと思ったら遠慮なく彼の覆面を外してみたまえ、僕は一向構わないから」
「イヤそういうわけではありませんが……。しかし今夜はもう青竜王は出て来ませんよ。彼は逃げだせば、それでもう目的を達したんですから」
流石は捜査課長だけあって、誰も考えつかないような疑点を示したのだった。だがそのときだった。例の隠れ柱が音もなくパックリと口を開き、その中から飛びだしてきたのが誰あろう、覆面の探偵だったから、気の毒な次第だった。
「うむ――」
と捜査課長は驚きのあまり、思わず呻った。
青竜王は検事たちの姿をみつけると、ズカズカと走りよった。
「雁金さん。痣蟹の逃げ路が、とうとう分りましたよ。このキャバレーの縁の下を通って、地階の物置の中へ抜けられるんです。そこからはすぐ表へとびだせます。貴方の号令がうまくいっていないのか、その物置の前には警官が一名も立っていないので、うまく逃げられた形ですよ」
「ナニこの柱から物置へ抜けて、表へ逃げちまったって」
検事は肯きながら大江山課長の方を向いて「そんな逃げ路のあることを何故前もって調べておかなかったのかネ、君。早速キャバレーの主人を呼んできたまえ」
「はア――」
課長は面目ない顔をして、部下にキャバレーの主人を引張ってくることを命じた。
間もなく、奥から身体の大きなキチンとしたタキシードをつけた男が現れた。彼はどことなく日本人離れがしていた。それも道理だった。彼はオトー・ポントスと名乗るギリシア人だったから。
「わたくし、ここの主人、オトーでございます。――」
西洋人の年齢はよくわからないが、見たところ三十を二つ三つ過ぎたと思われるオトー・ポントスはニコやかに揉み手をしながら、六尺に近い巨体をちょっと屈めて挨拶をした。
「君が主人かネ」と検事はすこし駭きの色を示しながら「怪しからん構造物があるじゃないか。この円柱が二つに割れたり、それから中に階段があったり、物置に抜けられたり、一体これは如何なる目的かネ」
「それはわたくし、知りません。この仕掛はこの建物をわたくし買った前から有りました」
「ナニ前からこの仕掛があった? 誰から買ったのかネ」
「ブローカーから買いました。ブローカーの名前、控えてありますから、お知らせします」
「うむ、大江山君。そのブローカーを調べて、本当の持ち主をつきとめるんだ。――それはいいとして何故こんな抜け路をそのままにして置いたのかネ。何故痣蟹に知らせて、利用させたのだ」
「わたくし痣蟹と称ぶミスター北見仙斎を信用していました。あの人、わたくし故国ギリシアから信用ある紹介状もってきました」
「ギリシアから紹介状をもってきたって。ほほう、痣蟹はギリシアに隠れていたんだな。イヤよろしい。君にはゆっくり話を聞くことにしよう。しかしもし痣蟹から電話でも手紙でも来たら、すぐ本庁へ知らせるのだ。いいかネ。忘れてはいけない」
「よく分りました」
そこでオトー・ポントスはまた恭しげに敬礼をして下ろうとしたとき、
「ああ、ちょっと待って下さい」
と声を掛けた者があった。それは先刻から痣蟹の遺留した品物をひねくりながら、この場の話に耳を傾けていた覆面探偵青竜王だった。
「ポントスさん。これは貴方のものではありませんかネ」
といって、青竜王は何か小さい紙片を見せた。キャバレーの主人はそれを手にとってみたが、それは何か建築図の断片らしく、壁体だの階段だの奇妙な小室だのの符合が並んでいたが、生憎ごく端の方だけを切取ったものらしく、何を示してある図か、この断片だけでは分らなかった。
「これ、何ですか。とにかく、わたくしのでは有りません」
ポントスは腑に落ちぬ顔をして、紙片を青竜王に返した。
「もう一つ、お尋ねしますが、赤星ジュリアは昨夜ここへ来たのが始めてですか」
「いえ、たびたび来て、歌わせました。もう七、八回も頼みました」
「たいへん御贔屓のようですね」
「そうです。ジュリア歌う――お客さま悦びます。わたくしも悦びます。なかなかよい金儲けできますから、はッはッはッ」
ポントスは露骨な笑いを残して出てゆくと、大江山捜査課長は青竜王の腕をムズと捉えた。
「いまの建築図のようなものを出し給え。君はそれを何時の間にどこから手に入れたんだい」
青竜王は課長の手を静かに払いながら、
「これですか。これを御存知なかったんですネ。なアに、痣蟹の裂けた洋服の裏に縫いつけてあったんですよ」と事もなげに云うと、その紙片を恭しく差し出しながら「では確かに貴方様にお手渡しいたしますよ」
不可解なる紙片! 一体それはいかなる秘密を物語るものであろうか。
消えた屍体