恐怖の口笛

7話 恐怖の口笛(7)

7,589字 約15分 2004年11月4日 公開

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 大江山捜査課長は後を部下に(まか)せて、一旦本庁へかえったが、覆面探偵がまだ健在だと聞いて、立っても(すわ)ってもいられなかった。なんという恐ろしい相手だろう。彼は自分の部下の警戒線をドンドン破って潜入(せんにゅう)し、それからパチノ墓地の秘密などをテキパキと調べてゆくことなど、実に(あざや)かだった。雁金検事が彼の云うことを信用しているのもどっちかというと、無理はなかった。

強敵(きょうてき)の覆面探偵よ?」

 大江山は今や決死的覚悟を()めた。このままでは、これから先、彼の後塵(こうじん)ばかりを(おが)んでいなければならないだろう。

「よオし、やるぞ!」と課長は思わず卓子(テーブル)をドンと叩いた。「第一になすべきことはポントスの行方(ゆくえ)を探しあてることだ。彼奴(きゃつ)が吸血鬼であるか、さもなければ吸血鬼を知っているに違いない。覆面探偵の方はいずれ仮面をひっ()いでやるが、彼からポントスのことやパチノ墓地のことを十分吐きださせた後からでも遅くはないであろう」

 課長はポントスの行方に、彼の首をかけた。(ただ)ちに特別捜査隊を編成して、それに秘策(ひさく)(さず)けて出発させた。そして彼は(ゆう)()して、単身、青竜王の探偵事務所を訪ねた。――

青竜王(せんせい)は不在ですよ、課長さん」出て来た勇少年は気の毒そうな顔もせず、むき出しに答えた。

「何処へ行くといって出掛けたのかネ」

玉川(たまがわ)の方です。骸骨(がいこつ)のパチノとお(すみ)という日本の女との間に出来た子供のことについて調べに行くと云っていましたよ」

「なんだって?」課長は頭をイキナリ煉瓦(れんが)(なぐ)られたような気がした。一体青竜王はどこまで先まわりをして調べあげているのだろう。折角(せっかく)勇気を出したものの、これでは到底(とうてい)太刀打(たちう)ちが出来ないと思った。しかしまだ間に合うかも知れない。「その子供というのはポントスのことじゃないのかネ」

「ポントスは本当のギリシア人ですよ。あいつはパチノ墓地を探しに来て、その墓地の上だとは知らずに、あのキャバレーを開いていたのです」

「ポントスでなければ誰だい。それとも痣蟹かネ」

「痣蟹は日本人ですよ。青竜王が探しているのは混血児ですよ」

 混血児を探しに玉川へ行った――ということを聞きだした大江山は、鬼の首でも取ったような気がした。これなら或いは分らぬこともあるまい。

 大江山課長は玉川へ自動車を飛ばした。しかし玉川という地域は、人家こそ(まば)らであったが、なにしろ広い土地のことだから、どこから調べてよいか見当がつかない。そこで彼は、なるべく混血児の出没(しゅつぼつ)しそうなところはないかと思ったので、秋晴(あきばれ)の停留場の前に立っている土地の名所案内をズラリと眺めまわしたが、そこで目に(とま)ったのは、「玉川ゴルフ場」という文字だった。

 ゴルフ場に混血児――はちょっと似つかわしいと思った。彼は雁金検事に(さそ)われて、いささかゴルフを(たしな)んだ。この秋晴れにゴルフは(なつか)しいスポーツであったが、なんの因果(いんが)か、今日は懐しいどころか、わざわざお苦しみのためにゴルフ場を(のぞ)きに行かねばならないことを悲しんだ。

 車を玉川ゴルフ場に走らせたまではよかったけれど、クラブの玄関をくぐるなり、

「いよオ、大江山君。これはどうした風の吹きまわしだい」

 と背中を叩く者があった。ハッと思って後をふりかえってみると、そこには思いがけなくも、雁金検事がゴルフ・パンツを履いてニヤニヤ笑っていた。そればかりではない。検事の後には、彼の馴染(なじみ)の顔がズラリと並んでいたので(おどろ)いた。それは蝋山教授、西一郎、赤星ジュリア、矢走千鳥(やばせちどり)という面々で、これでは吸血鬼事件の関係者大会のようなものだった。ただ肝腎(かんじん)の覆面探偵青竜王とキャバレーの主人ポントスとが不足していたが、この二人もどこからか現れてきそうであった。

丁度(ちょうど)いい。一緒にホールを廻ろうじゃないか」と検事は腕を(とら)えた。

「ぜひそう遊ばせな。――」とジュリアたちも(すす)めた。

 結局大江山課長は、その仲間に入った。背広を着てきたので、恥をかかずに()んだのは何よりだった。

 最初の競技は二組に分れることになった。ジャンケンをすると、第一組は雁金検事、蝋山教授に矢走千鳥、第二組は大江山と西一郎に赤星ジュリアと決まった。

 まず第一組が(ボール)をティに置いては、一人一人クラブを振って打ち出していった。それから五分ほど遅れて、第二組がティの上に立った。

「課長さんのお相手をしようなどとは、夢にも思っていませんでしたわ」

 とジュリアが笑った。

「課長さん――は競技の間云わないことにしましょうよ、お嬢さん」

「あら――ホホホホ」

 大江山はすっかりいい気持になってしまった。――ジュリアが最初に打ち、次に大江山が打った。一番あとを西一郎が打つと、三人はキャデーを連れて、青い芝地の上をゾロゾロ(ボール)の落ちた方へ歩きだした。

「君たちに会おうとは思いがけなかった」

 と、課長は一郎の方を向いて破顔(はがん)した。

「雁金さんのお誘いなんです。丁度ジュリア君も元気がないときだったんで、たいへんよかったですよ」と一郎が答えた。

「ほう、お嬢さんはどこか悪いのかネ」

「あら、嘘。――このとおり元気ですわよ」

 といったが、第一の球はジュリアが一番成績が出なかった。

 第二のティで球を打つと、ジュリアの球は横に(まが)って、一時二人に離れた。

「オイ西君」と課長は冗談ともなくそっと連れに(ささや)いた。「このあたりに混血児はいないかネ」

「混血児で一番近いのは、アレですよ」と一郎はジュリアの方を(ゆびさ)した。

「なにジュリアか」とハッとした風であったが、「そう云われると、なるほどジュリアは混血児みたいなところがあるが……私の云っているのは、この玉川附近にもう七十歳ぐらいになる混血児が住んでいるのを知らないかというのだ」

「そんなのは居ませんよ」

「いないというのかネ。君はハッキリ云うから愉快だ、何も知らない(くせ)に……」

 と(ひと)合点(がてん)の課長は、(ななめ)ならざる機嫌に見えた。しかし後に分るようにこれらの会話は決して冗談ではなかった。それが持つ重大な意味が今課長に分っていたとしたら、彼はそんなに恵比寿顔(えびすがお)ばかりはしていられなかったであろう。――ジュリアは(ボール)をグリーンに入れて、二人の方へ手をさしあげた。

 第三のコースでは、また三人が一緒になって球を打っていった。

「君たちはだいぶ仲がいいようだが、まだ私に媒酌(なこうど)を頼みに来ないネ」と課長は更に機嫌がよかった。

「よして下さい。ジュリア君の人気に(さわ)りますよ」と一郎が打ち消すのを、ジュリアは、

「あら、あたしは課長さんにぜひお願いしたいわ。でも一郎さんは、あたしがお嫌いなのよ。どうせあたしは独りぽっちで、地獄へ()ちてゆくのだわ――」

 とジュリアはヒステリックに云って、ハンカチーフを鼻に当てた。彼女の打数(だすう)はいよいよ荒れていった。

 そんな風にして、コースを一(じゅん)した結果は、大江山がズバ抜けて成績がよく、ずっと落ちて普通の成績を示したのが蝋山教授と矢走千鳥で、雁金検事も西一郎も更に振わず、ジュリアに至っては荒れ切った悪成績だった。

「イヤ恐ろしい成績表だ。全く恐ろしい」

 と雁金検事は首を振って一郎の顔をみた。

「全く、こんなに恐ろしく打てようとは、当人の方で面喰(めんくら)っているところですよ」

 と大江山課長は自分のことが問題にされているんだと早合点(はやがてん)して、(きま)()()にいった。

「時間があれば、もっと廻りたいのだが……」

 と検事が云ったが、(すご)い当りをみせた大江山も至極(しごく)同感(どうかん)だった。しかしジュリア達の出演時刻のこともあるので、時間が足りないから()めにした。その代り検事と課長は練習場で、(ボール)()ッ飛ばしに出ていった。ジュリアと千鳥とは、その間にクラブ(ハウス)の奥にある噴泉浴(ふんせんよく)へ出かけた。蝋山教授と一郎とは、青々としたグリーンを眺められる休憩室の籐椅子(とういす)に腰を下ろして、紅茶を注文した。こうして六人の同勢は三方に別れた。

 大江山課長は人気のない練習場でクラブを振りながら、雁金に話しかけた。

「検事さん。今日の集りの真意(しんい)はどこにあるのですかなア」と先刻(さっき)から聞きたかったことを(たず)ねた。

「うん――」と雁金は振りかけたクラブを止めて、「(わし)にもよく分らぬが、これは青竜王の注文なのだ」

「えッ、青竜王の注文?」と課長はサッと青ざめた。

「彼はゲームの結果を知りたがっていた。さし(あた)り、君の大当りなんか、何といって彼が説明するだろうかなア。はッはッはッ」

 外国の名探偵が、真犯人を探し出すために、嫌疑者(けんぎしゃ)を一室にあつめてトランプ競技をさせ、その勝負の模様によって判定したという話を聞いたことがあるが、青竜王はそれに似たことをやるのではあるまいか。とにかく課長は憂鬱(ゆううつ)になって、(にわ)かに(ボール)が飛ばなくなった。

「検事さん。青竜王は貴方がたにゴルフをさせて置いて、自分はこの玉川でパチノの遺族を探しているそうですが、御存知ですか」

「そうかも知れないネ」

「では青竜王の居るところを御存知なんですネ。至急会いたいのです。教えて下さい」

「教えてくれって? 君が行って会えばいいじゃないか」

 検事は妙な返事をした。課長は検事が機嫌を(そん)じたのだと思って、あとは口を(つぐ)んだ。

 丁度そのときだった。クラブ(ハウス)の方で、俄かに人の立ち騒ぐ声が聞えた。課長がふりかえると、クラブ(ハウス)のボーイが大声で叫んだ。

「皆さん、早く来て下さーい。御婦人が襲われていまーすッ」

 御婦人?――検事と課長とはクラブを投げ捨て、クラブ(ハウス)へ駈けつけた。

   (おそ)われた裸女(らじょ)

 この突発事件が起ったところは、クラブ(ハウス)の中の噴泉浴室(ふんせんよくしつ)のあるところだった。

 それより三十分ほど前、その婦人用の浴室の二つが契約された。もちろんそれは赤星ジュリアと矢走千鳥の二人が、汗にまみれた身体を噴泉で洗うためだった。当時この広い浴場は、二人の外に誰も使用を契約していなかった。

 ジュリアは第四号室を、千鳥の方はその隣りの第五号室を借りた。その浴室は、公衆電話函(こうしゅうでんわばこ)を二つ並べたようになっていて、入口に近い仕切(しきり)の中で衣類を脱ぎ、その奥に入ると、白いタイルで張りつめた洗い場になっていて、(せん)をひねると天井からシャーッと温湯(おんとう)(たき)のように降ってくるのであった。婦人たちのためには、セロファンで作った透明な袋があって、これを頭から(かぶ)ってやれば、髪は湯に()れずに()んだ。

 二人はゴトゴトと音をさせながら、着物を脱いだ。

「お姉さま」と千鳥が隣室(りんしつ)から呼んだ。

「なーに、()いちゃん」

「あたし、何だか怖いわ。だってあまり静かなんですもの」

「おかしな人ネ。静かでいい気持じゃないの」

 そういってジュリアは奥に入ると、シャーッと白い噴泉を真白な裸身(らしん)()びた。

「あの――お姉さま」と千鳥がトントンと間の板壁を叩いた。

「お姉さまが黙っていると、なんだか、(ひとり)ぽっちでいるようで怖いのよ。あたし、お姉さまのところへ入っていってはいけないこと?」

「あらいやだ。まあ早くお洗いなさいよ。――そう、いいことがあるわ。じゃあ、あたしがここで歌を唄ってあげるわ。世話の焼ける人ネ」

 そういってジュリアは千鳥のために、美しい口笛を吹きならしたのであった。その歌はいわずと知れた彼女の十八番(おはこ)の「赤い苺の実」の歌だった。

 千鳥もそれに力を得たか、騒ぐのをやめてシャーッと噴泉の栓をひねって、しなやかに伸びた四肢(しし)を洗いはじめた。

 それから何分のちのことだったかよく分らないが、この噴泉浴室の中から、突如として魂消(たまぎ)るような若い女の悲鳴が聞えた。それは一人のようでもあり、二人のようでもあった。と、途端(とたん)にガチャーンといって硝子(ガラス)()れるような(すさま)じい音がして、これにはクラブ(ハウス)の誰もがハッキリと変事(へんじ)に気がついたのだった。

 いつもは男子絶対禁制(きんせい)の婦人浴場だったけれど、誰彼(だれかれ)の差別なく、入口から雪崩(なだ)れこんだ。

「どうしましたッ」

 と真先(まっさき)に入ったのは、クラブの事務長の大杉(おおすぎ)だった。しかし内部からはウンともスンとも返事がなかった。

 彼は手前にある四番浴室をサッと開いた。そこにはジュリアの衣服が脱ぎ(ぱな)しになっていた。ノックをして奥の仕切を押し開いたが、どうしたものかジュリアが居ない。噴泉はシャーッと勢いよく出ていた。

 彼は直ぐそこを飛び出すと、次の五番浴室に闖入(ちんにゅう)した。そこには派手な千鳥の衣類が花を()いたように床上(ゆかうえ)散乱(さんらん)していた。格闘があったのに違いない。事務長はそこで胸を躍らせながら、奥の仕切をサッと開いた。

()ッ!」

 と叫ぶなり、彼は慌てて仕切を閉じた。彼は見るに忍びないものを見たのだ。そこには一糸も(まと)わないジュリアが、大理石彫(だいりせきぼ)りの寝像であるかのように、あられもない姿をしてタイルの上に倒れていたのであった。

「オイ、退()いた退()いた」

 と背後に大きな声がした。雁金検事と大江山捜査課長とが入ってきたのだ。

 噴泉を停め、ジュリアを抱き起すと、彼女は失心(しっしん)からやっと気がついた。

「どうしたのです。そして千鳥さんは……」

「ああ、()いちゃんは、……」とジュリアは白い腕を頭の方にあげて何か考えているようだったが、

「――誰かが(さら)って……」といって入口の方を(ゆびさ)したと思うと、ガックリと頭を()れた。ジュリアはまた失心してしまったのだった。

「ナニ、千鳥さんは攫われたというのか」

 課長はジュリアを検事に預けて、自分は浴室を飛びだした。見ると正面の窓硝子が上に開いて、しかも硝子が(こわ)れている。さっきの(ひど)い音はこれだったのだ。怪人物は千鳥を奪って、此処(ここ)から逃げたのに違いない。

 彼はヒラリと窓を飛び越して、外へ出た。

 そしてあたりを見廻わしたが、クラブの(かこ)いの外は、茫々(ぼうぼう)たる草原が見えるばかりで、怪人物の姿は何処にも見えなかった。ただ(はる)か向うを、濛々(もうもう)たる砂塵(さじん)が移動してゆくのが目に入った。

「ああ、あれだッ。自動車で逃げたナ」

 彼は玄関に廻ってみると、そこで()れて来た運転手とバッタリ出会った。

「課長さん。自動車を盗まれてしまいました」

 と運転手は青くなって云った。

 後には自動車が一台もなかった。だから向うを怪人物が裸身(らしん)の矢走千鳥を乗せたまま逃げてゆくのを望みながらも、何の追跡する方法もなかった。

「そうだ、電話をかけよう」

 事務室に飛びこんだ課長は、まどろこしい郊外電話に癇癪玉(かんしゃくだま)を爆発させながら、それでも(ようや)く警察署を呼び出し、自動車取押(とりおさ)(かた)の手配をするとともに、また至急(しきゅう)自動車をゴルフ場へ廻すように頼んだ。そして検事の待っている方へ歩いていった。

 ジュリアは事務室の中で、急拵(きゅうごしら)えのベッドの上に寝かされていた。枕頭(ちんとう)には医学博士蝋山教授が法医学とは勝手ちがいながら何くれとなく世話をしていた。雁金検事は腕を(こまね)いて沈思(ちんし)していたが、課長の入ってくるのを見るなり、

「矢走(じょう)は見つかったかネ」

 と聞いた。課長は一伍一什(いちぶしじゅう)を報告して、見失ったのを残念がった。

「ジュリアさんは、何か話をしましたか」

 と課長の問うのに対し、検事は()()まんで話をした。――ジュリアの話によると、彼女は噴泉を浴びているうちに、隣室の千鳥が只ならぬ悲鳴をあげたので、(おどろ)いて隣室へ飛びこんでみると、どこから入ったか、一人の怪漢が千鳥を襲っているので、背後(うしろ)から組みついたところ、(たちま)ち振り倒されて気を失った。気がついたら、こんなところに寝ていたというのであった。

「その怪漢の顔とか、服装には記憶がありませんか」

咄嗟(とっさ)の出来ごとで、何も分らないそうだ。背後(うしろ)から組みついたので、顔も見えないというのだよ」

 そのときジュリアは目をパッチリ明いて、もう大丈夫だから、竜宮劇場の出場に間に合うよう帰りたい。西一郎を呼んでくれるようにと云った。

「ああ、西一郎。彼はどこへ行ったんです」

「一郎君が見えないネ。――」

 と不審(ふしん)をうっているところへ、(ドア)が明いて、彼がヌッと入って来た。

「オイ君はこの騒ぎの中、どこにいたのだい」

 と課長は目を光らせていった。

「ちょっと外へ出て、畠を見ていたのです。都会人はこんなときでなければ、野菜の生えているところなんか見られませんよ」と云ったけれど、何だかわざとらしい弁解のように聞えた。

 ジュリアは西の声を聞くと、一層(いっそう)帰りたがった。そこで西の(ほか)に検事が附添って帰ることになり、大江山課長と蝋山教授は残ることになった。丁度警察から差し廻しの自動車が来ていたので、三人は直ぐ東京へ出発することが出来た。

「どうも西という男は曲者(くせもの)だて」と、蝋山教授は頭を大きく左右へ振った。

「まさか西一郎が、千鳥を襲撃したのじゃあるまいな」と課長は(ひと)(ごと)をいった。

「それは何とも云えぬ。――」

 といっているところへ、警笛(けいてき)をプーッと吹き鳴らしつつ、紛失した大江山の自動車が帰って来た。課長は愕いて玄関へ走りだしたが、中からは意外にも、彼の連れていた運転手の怪訝(けげん)な顔が現れた。

「自動車がございました。二百メートルばかり向うの畠の中に自動車の屋根のようなものが見えるので行ってみました。すると、愕いたことに、これが乗り捨ててあったのです」

「フーン」

 と大江山は(うな)った。一体何者の仕業(しわざ)か。西一郎がやったのか、それとも例のポントスが現れたのか、或いはまたその辺を徘徊(はいかい)している筈の覆面探偵の仕業か。――一方、矢走千鳥は天に()けたか地に(もぐ)ったか、(よう)として消息が入らなかった。

 だが、矢走千鳥は無事に生きていた。彼女は多摩川(たまがわ)眼下(がんか)に見下ろす、某病院の隔離病室(かくりびょうしつ)のベッドの上で、院長の手厚い介抱(かいほう)をうけていた。

「もう大丈夫です。静かにしていれば、二三日で(なお)ります。身体にはどこにも傷がついていません。ただ(おどろ)きが大きかったので、すこし心臓が弱っています。あまり昂奮しないのがよろしい」

「あたくし、誰かに逢いたいのですが」

「イヤ(もっと)もです。そのうち誰方(どなた)か見えましょう」

 そんな会話が繰返(くりかえ)されているうちに、夜更(よふ)けとなった。このとき病院の玄関に、一人の男が訪れた。院長の許可が出て、上へあげられた彼は、矢走千鳥の病室に通った。

「まあ、西さん。――よく来て下すったのネ」

 西はただニコニコ笑うだけだった。

「誰も来て下さらないので、悲しんでいたところですわ」

「僕は、ソノ青竜王から行って来るように頼まれたんです。当分(ほか)に誰も来ないでしょう。院長から許しが出るまで、一歩も寝台の上から降りないことですネ」

「ええ、貴方が仰有(おっしゃ)ることなら、あたくし何でも守りますわ。……ねえ、西さん」

「なんです、千鳥さん」

「あたくし、貴下(あなた)に、どんなにか感謝していますのよ。お分りになって……」

「感謝?――僕は何にもしませんよ。ああ、助けられたことですか。あれなら青竜王に感謝して下さい。……イヤ、そんなことを今考えるのは身体に(さわ)りますよ。何ごとも(しばら)くは忘れていることです。誰かが聞いても、何にも(しゃべ)ってはいけません。千鳥さんは当分、()ける(しかばね)になっていなくちゃいけないんですよ、いいですか」

「生ける屍――貴下の仰有ることなら、屍になっていますわ」

 といってニッコリ微笑んだが、(さら)われた千鳥は一体何を感謝しているのだろう。

   覆面探偵の危難(きなん)

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