恐怖王

3話 怪自動車

2,399字 約5分 2020年7月28日 公開

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 お話変って、死美人の婚礼が行われたその同じ日の夜、麹町区内のとある大通りを、一台の大型自動車が、大小四個のヘッドライトもいかめしく、すれ違うボロタクシーを尻目にかけて、豊かに走っていた。

 運転手も助手も、汗のにじまぬ背広を着て、髪も(ひげ)綺麗(きれい)に手入れが届いている。せかず(あわ)てず、大様(おおよう)に構えていて、しかもいつの間にか、一台二台と(ほか)の車を抜いて行く。運転の手際(てぎわ)まで何となく垢抜(あかぬ)けがして見えるのだ。

 車内に納まっている中老紳士は、千万長者と聞えた、布引(ぬのびき)銀行の取締役頭取(とうどり)、布引庄兵衛(しょうべえ)氏だ。この人にしてこの自動車、この運転手、さもあるべきことだ。

 でっぷり()えた赤ら顔に、白髪(しらが)まじりのチョビ髭、厚い唇に葉巻煙草、形()けはいつもの庄兵衛氏である。だが、よく見ると、どこやら気が抜けている。日頃の張り切った力がない。

 彼は物思いに(ふけ)っていたのだ。事業上の事ではない。銀行家だって、利子のことばかり考えているとは()まらぬ。もっと人間らしい悲しみに、我を忘れていたのだ。

 悲しみとは外ではない。布引庄兵衛氏は、つい数日(ぜん)、最愛の一人娘の照子(てるこ)を失って、昨日葬儀をすませたばかりなのだ。ふとした(かぜ)が元で、急性肺炎を起し、手をつくした看病も甲斐(かい)なく、淡雪(あわゆき)の消える様に果敢(はか)なくなってしまった。

 もうちゃんと、婿君(むこぎみ)も極まっていた。布引銀行の社員で、眉目秀麗(びもくしゅうれい)才智縦横(さいちじゅうおう)の好青年、鳥井純一(とりいじゅんいち)というのが頭取のお眼鏡に(かな)い、相互の耳にも入れて、もう吉日を選ぶばかりになっていた。

 照子は、(やまい)あらたまるや、已に死を悟ったものか、父母にせがんで、鳥井純一を呼び寄せて(もら)い、少しも(そば)を離さなかった。そして、もう息を引取るという間際(まぎわ)に、鳥井の手を握って、

「お父さまも、お母さまも、どうぞ許して下さい」

 と()びながら、鳥井に最後の接吻を求めた。

 鳥井は、ポロポロと涙をこぼして、照子のもう冷たくなり始めた額に、清い接吻を与えた。

 庄兵衛氏は、その光景が、今でも(まぼろし)の様に目先にちらついて仕方がなかった。

「アア、可哀相に、どんなにか死にともなかったであろう。(もっと)もだ。尤もだ」

 彼は愚痴(ぐち)っぽく、心で死者に囁いていた。

 そんな風に、なき愛嬢のことばかり考えていた時、突然車が急カーヴして、身体がグッと横倒しになったので、大銀行家は、ふと現実に立帰った。

 見ると、目の前によその自動車が、大きく立ちふさがっていた。(あやう)く衝突する所を、こちらの運転手の手際で、(わず)かに避けることが出来たのだ。

「どうも、すみません」

 向うの自動車の運転手が、窓から顔を出して、叮嚀(ていねい)に詫びている。

 こちらの運転手は、上等自動車の手前、威厳(いげん)を見せて、はしたなく怒鳴(どな)りつける様なことはせぬ。その代り、無言のまま正面を切って、相手の詫言(わびごと)を黙殺して、しずしずと車を出発させた。

 先方の自動車も動き出す。衝突しかけた程だから、出発する双方の車は、(ほとん)ど窓と窓とがスレスレに接近して、反対の方角に、行きちがった。

 庄兵衛氏は、当然、先方の車の窓を見た。目の先五寸とは隔たぬ(むこう)の窓は、見まいとしても目に写る。窓ガラスが開いていた。その中に白い花の様な顔があった。

 こちらの窓も半開(はんびらき)になっていたので、顔と顔とが、何の障害物もなく向き合った。

 庄兵衛氏の頭の中で、ギラギラ光る花火の様なものが、クルクルと廻転した。余りのことに声も出なければ、息さえ止ったかと思われた。

 と、聞き覚えのある、懐しい声が、「アラ、お父さま! お父さま! 助けて……」と口早(くちば)やに叫んだ。イヤ、叫びかけた。「助けて」の「た」が口を出ぬ先に、何者かが照子の口を(ふさ)ぎ、スルスルと窓のブラインドをおろした。

 まがう(かた)なき我娘(わがむすめ)照子であった。

「アッ、照子、オイ、車を止めるんだ。あの車をおっかけるんだ」

 庄兵衛氏は、車の中で地だんだを踏みながら、怒鳴った。

 だが、こちらの運転手には、事の仔細(しさい)が分らぬ。何事かとたまげて、躊躇(ちゅうちょ)している間に、先方(むこう)の車は矢の様に走りだした。

「何でもいいから、今の車をおっかけるんだ。早く早く、何をぐずぐずしているか」

 庄兵衛氏の気違いめいた命令に、運転手はやっと車の方向を転じて、走り出した。随分(ずいぶん)スピードのある車だったが、方向転換その他に手間どった。その上、相手の車が、なりは小さいけれど、滅茶苦茶(めちゃくちゃ)な速力だ。

 夜の大道を、四五丁も走る内に、どの横丁へそれたのか、(たちま)ち相手の車を見失ってしまった。その辺をグルグル廻って見たけれど、どこにもそれらしい自動車は見当らぬ。

 仕方がないので、庄兵衛氏は、捜索をあきらめ、再び自邸に向って車を走らせたが、考えて見ると、何とやら(きつね)につままれた感じだ。

 照子は数日(ぜん)彼の目の前で息を引取り、ちゃんと葬式まですました。現に彼女の棺が火葬場の竈の中へ納められるのを目撃した。その死んだ照子が、今頃自動車に乗って、町を走っている(はず)はないのだ。

 だが、さっきの娘は、確かに照子の顔を持っていた。あんなによく似た他人があろうとは思われぬ。のみならず、「お父さま」と呼びかけさえした。よその娘が、そんなことを云う訳はない。実に不思議だ。

 気の迷いかしら。何か奇妙な偶然が、わしにあんな幻視と幻聴を起させたのかしら。それとも、なき娘の幽魂が、冥途(めいど)をさまよい出て、夜の暗さにまぎれ、懐しい父に逢いに来たのであろうか。

 庄兵衛氏は、通り魔の様に、彼の目をかすめて消え去った娘の姿を、何と解釈してよいのか、途方にくれてしまった。

 余り馬鹿馬鹿しい様なことなので、自宅に帰っても、夫人の園子(そのこ)に打明けることを差控(さしひか)えた。つまらぬことを云い出して、又母を泣かせるでもないと思ったからだ。

「お父さま、助けて……」と叫んだ娘の声が耳について、ひどく気掛りではあったが、まさか、こんな夢みたいな話を警察に持込んで、捜索を願う訳にも行かぬので、庄兵衛氏はきっと幻覚であったに違いないと、()いても忘れる様にした。

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