5話 恐ろしき陥穽

3,287字 約7分 2020年10月21日 公開

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 その翌日も、国枝判事は、警察署長と連立って、小学校の臨時捜査本部へやって来たが、彼が例の調べ室へ這入った時には、一夜の間に、刑事達の奔走によって、実に重大な証拠物件が取揃えられてあった。

 その証拠物件によって、事件は急転直下、あまりにもあっけなく終結したかに見えた。恐るべき殺人犯人は確定したのだ。のっぴきならぬ確証が上ったのだ。

 間もなく、調べ室のテーブルの前には、大宅幸吉が呼び出され、昨日と同じ様に国枝判事と対坐していた。

「本当のことを云って下さい。あの日君はN市へなぞ行かなかったのでしょう。仮令(たとえ)行ったとしても、七時までには村へ帰って、それからずっと村内のどこかにいたのでしょう。君があの夜帰宅したのは十二時頃だというから、それまで、どこかお宮の境内(けいだい)とか、森の中とかで過したのでしょう」

 予審判事は昨日と違って、確信に充ちた態度で、落ちつき払って取調べを始めた。

「何度お尋ねになっても同じことです。僕はN市から真直(まっすぐ)に徒歩で帰宅したのです。お宮や森の中にいる筈がありません」

 幸吉は、平然として答えたが、青ざめた顔色に、内心の苦悶を隠すことは出来なかった。彼は(すで)に予審判事の握っている証拠物件に気附いていたからだ。そののっぴきならぬ証拠を、如何に言い解くべきかと、心を千々(ちぢ)に砕いていたからだ。

「アア、君にお知らせして置くことがあったのです」判事は全く別のいとぐちから入って行った。

「鶴子さんは細身の刃物で心臓をやられていたのです。多分短刀でしょう。つい先程、解剖の結果が分ったのです。で、つまりですね。この犯罪には血がある。被害者は血を流して(たお)れた。従って、加害者の衣服などに、血痕が附着したかも知れないと考えるのは極めて自然なことですね」

「そ、そうでしたか。やっぱり他殺でしたか」

 幸吉は絶望の表情でうめいた。

「ところで、加害者は、若し衣服などに血痕が附着したとすれば、それをどんな風に処分するでしょう。君だったら、どうしますか」

「よして下さい」

 幸吉は気でも違ったのではないかと思われる様な、突拍子(とっぴょうし)もない声で叫んだ。

「そんな問い方はよして下さい。僕は知っているのです。刑事が僕の部屋の縁の下から這い出して行くのを見たのです。僕は少しも(おぼえ)がないけれど、縁の下に何かがあったのでしょう。それを云って下さい。それを見せて下さい」

「ハハハ……、君はお芝居が上手ですね。君の部屋の縁の下に隠してあった物を、君は知らないと云うのですか。よろしい。見せて上げよう。これだ。これが君の常用していた浴衣(ゆかた)であることは、ちゃんと調べが届いているのだよ。サア、この血痕は何だ。これが鶴子さんの血でないとでも云うのか」

 判事は威丈高(いたけだか)に云って、テーブルの下から、もみくちゃになった一枚の浴衣を取出し、幸吉の前に差出した。見ると、浴衣の袖や裾に、点々として黒い血痕が附着している。

「僕には全く訳が分りません。どうしてこんなものが僕の部屋の縁の下にあったのか。浴衣は僕のものの様です。併し血痕は全く覚がありません」

 幸吉は追いつめられた獣物(けだもの)の様に、目を血走らせ、やっきとなって叫んだ。

「覚がないではすむまいよ」判事は落ちつき払って「第一はKの署名ある呼出状、第二は実に不思議なアリバイの不成立、第三はこの浴衣だ。君はその一つをも言い解くべき反証を示し得ないじゃないか。これ程証拠が揃って、しかも弁解が成立たないとしたら、最早(もは)や犯罪は確定したといってもいい。私は君を、山北鶴子殺害の容疑者として拘引(こういん)する外はないのだ」

 判事が云い終ると、署長の目くばせで、二人の警官が、ツカツカと幸吉の側に近づき、左右からその手を取った。

「待って下さい」

 幸吉はゾッとする様な死にもの狂いの表情になって絶叫した。

「待って下さい。君達の集めた証拠はみんな偶然の暗合に過ぎない。そんなもので罪に(おと)されて(たま)るものか。第一僕には動機がないのだ。僕が、何の恨みもない許婚の少女を、なぜ殺さなければならないのか」

「動機だって? 生意気を云うな」署長が堪りかねて怒鳴った。「君は情婦があるじゃないか。そいつと切れるのがいやさに、せき立てられる結婚を一日延ばしに延ばして来たんじゃないか。併し、もうこれ以上は延期出来ないはめになっていた。君の(うち)と山北家との複雑な関係から、この結婚をもう一日も延ばし得ない状態になっていた。若しこの結婚が不成立に終ったら、君の一家は山北家は勿論(もちろん)、村中に対して、顔向けも出来ない事情があったのだ。君はせっぱ詰った窮境に立った。そして、とうとう、鶴子さんさえなきものにすればと、無茶な考えを起したのだ。これでも動機がないというのか。こちらではなにもかも調べ上げてあるのだよ」

「アア陥穽(おとしあな)だ。俺は恐ろしい陥穽にはめられたのだ」

 幸吉は咄嗟(とっさ)に返す言葉もなく、半狂乱に身もだえするばかりであった。

「幸ちゃん、しっかりし給え。君は忘れているんだ。もうこうなったら、本当のことを云い給え。ホラ、君にはちゃんとアリバイがあるじゃないか。N市に住んでいる女の人に証言して(もら)えばいいじゃないか」

 人々のうしろから、殿村昌一が躍り出して、叫んだ。彼は友達の苦悶を見るに見兼ねたのだ。

「そうだ。判事さん、N市×町×番地を調べて下さい。そこに僕の恋人がいるんです。僕は事件の()、ずっとそこにいました。散歩したなんて嘘です。その人の名は絹川雪子(きぬがわゆきこ)って云うんです。雪子に聞いて下さい」

 幸吉は遂にひそかなる恋人の名を隠して置くことが出来なくなった。

「ハハハ……、何を云っているんだ、君の情婦の証言なんか当てになるか。その女は君の共謀者かも知れんじゃないか」

 署長が一笑に附した。

「イヤ、その女の証言をとる位の手数は何でもありません。あんなに云っているのだから、警察電話で、本署へ至急取調べて返事をしてくれる様にお命じになっては如何(いかが)です」

 国枝氏のとりなしで、兎も角雪子という女を取調べさせることに決した。雪子はどうせ一度は調べなければならない人物なのだから。

 待遠しい一時間が経過して、駐在所から電話の返事を持って、一人の刑事が駈けつけて来た。

「絹川雪子は、一昨夜大宅は一度も来なかった。何かの間違いでしょうと答えたそうです。幾度尋ねても同じ返事だったそうです」

 刑事が報告した。

「それで、雪子は当夜ずっと在宅していたかどうかは?」

「それは雪子が二階借りをしている(うち)の婆さんを取調べた結果、確に在宅していたことが分ったということです」

 若し雪子が当夜外出したとなると、彼女にも鶴子殺しの疑いがかかる訳だ。彼女も(また)幸吉と同じ動機を持っていたからである。併し、外出した模様もなく、恋人の幸吉にとっては最も不利な証言をした所を見ると、雪子は何も知らぬらしい。全然この事件の圏外に置いて差支(さしつか)えない訳だ。

 国枝氏は再び幸吉を面前に呼出して、刑事からの報告を伝えた。

「サア、これで君の為に出来る丈けのことをした訳だ。もう異存はあるまいね。君の情婦さえアリバイを申立てては呉れなかったのだ。観念した方がいいだろう」

「嘘だ。雪子がそんなことを言う筈がない。会わせて下さい。僕を雪子に会わせて下さい。あれがそんな馬鹿なことを云う道理がない。君達はいい加減のことを云って、僕を(おとしい)れようとしているのだ。サア、僕をN市へ連れて行って下さい。そして雪子と対決させて下さい」

 幸吉は地だんだを踏まんばかりにして、わめいた。

「よしよし、会わせてやる。会わせてやるからおとなしくするんだ」

 警察署長は見えすいた猫撫(ねこな)で声をしながら、ギロリと鋭い目で部下に合図をした。

 二名の警官が、よろめく幸吉の手を掴んで、荒々しくドアの外へ引ずり出してしまった。

 大宅村長の若旦那幸吉は、果して恐ろしい殺人犯人であったか。若しや彼は何者かの為に、抜き差しならぬ陥穽に陥れられたのではあるまいか。ではその真犯人は、一体全体どこに隠れているのであろう。探偵小説家殿村昌一は、この事件に(おい)て、如何なる役割を勤めるのか。彼があの様に重大に考えていた藁人形には、抑々(そもそも)どんな意味があったのか。

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