10話 坑夫(10)
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必ずこの南京米に対わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣れるに連れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳に向って逡巡した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病むところに廻り合わせて、現状を目撃したら、ことに因ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。
南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗に対する冷評は、自然のままにして抛って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥を叩き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切って、拍子を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄い囃して何物か近づいて来た。
「ジャンボーだ」
と一人が膝頭を打たないばかりに、大きな声を出すと、
「ジャンボーだ。ジャンボーだ」
と大勢口々に云いながら、黒い塊がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボーなんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達したせいか、自分もジャンボーを見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲をとって暮らしていると云っても差支なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞がっている上から背伸をして見下すと、斜に曲ってる向の石垣の角から、紺の筒袖を着た男が二人出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧しつぶして薄っ片にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後の禿山に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節で咄喊するような稀代な調子であった。
「おい金公はいねえか」
と、黒い頭の一つが怒鳴った。後向だから顔は見えない。すると、
「うん金公に見せてやれ」
とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸けて、首を捻じ向けると、――寝ている。薄い布団をかけて一人寝ている。
「おい金州」
と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。
「おい金しゅう起きろやい」
と怒鳴つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎に出掛けた。被ってる布団を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、
「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」
と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯は幾日も剃らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛も、こう憔悴ると憐れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極全く怖かった。
病人は二人に支えられながら、釣られるように、利かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数は、さも面白そうに囃し立てる。
「よう、金しゅう早く来いよ。今ジャンボーが通るところだ。早く来て見ろよ」
「己あジャンボーなんか見たかねえよ」
と病人は、無体に引き摺られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子の角まで圧しつけられてしまった。
じゃじゃん、じゃららんとジャンボーは知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延びをして見下した時、自分は再び慄とした。金盥と金盥の間に、四角な早桶が挟まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾で包んで、細い杉丸太を通した両端を、水でも一荷頼まれたように、容赦なく担いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボーの意味を理解した。生涯いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボーは葬式である。坑夫、シチュウ、掘子、山市に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節に唄って、金盥の潰れるほどに音楽を入れて、一荷の水と同じように棺桶をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極で、また冷刻の極である。
「金しゅう、どうだ、見えたか、面白いだろう」
と云ってる。病人は、
「うん、見えたから、床ん所まで連れてって、寝かしてくれよ。後生だから」
と頼んでいる。さっきの二人は再び病人を中へ挟んで、
「よっしょいよっしょい」
と云いながら、刻み足に、布団の敷いてある所まで連れて行った。
この時曇った空が、粉になって落ちて来たかと思われるような雨が降り出した。ジャンボーはこの雨の中を敲き立てて町の方へ下って行く。大勢は
「また雨だ」
と云いながら、窓を立て切って、各々囲炉裏の傍へ帰る。この混雑紛に自分もいつの間にか獰猛の仲間入りをして、火の近所まで寄る事が出来た。これは偶然の結果でもあり、また故意の所作でもあった。と云うものは火の気がなくってははなはだ寒い。袷一枚ではとても凌ぎ兼ねるほどの山の中だ。それに雨さえ降り出した。雨と云えば雨、霧と云えば霧と云われるくらいな微かな粒であるが、四方の禿山を罩め尽した上に、筒抜けの空を塗り潰して、しとどと落ちて来るんだから、家の中に坐っていてさえ、糠よりも小さい湿り気が、毛穴から腹の底へ沁み込むような心持である。火の気がなくってはとうていやり切れるものじゃない。
自分が好い加減な所へ席を占めて、いささかながら囲炉裏のほとぼりを顔に受けていると、今度は存外にも度外視されて、思ったよりも調戯われずに済んだ。これはこっちから進んで獰猛の仲間入りをしたため、向うでも普通の獰猛として取扱うべき奴だと勘弁してくれたのか、それとも先刻のジャンボーで不意に気が変った成行として、自分の事をしばらく忘れてくれたのか、または冷笑の種が尽きたか、あるいは毒突くのに飽きたんだか、――何しろ自分が席を改めてから、自分の気は比較的楽になった。そうして囲炉裏の傍の話はやっぱりジャンボーで持ち切っていた。いろいろな声がこんな事を云う。――
「あのジャンボーはどこから出たんだろう」
「どこから出たって御ジャンボーだ」
「ことによると黒市組かも知れねえ。見当がそうだ」
「全体ジャンボーになったらどこへ行くもんだろう」
「御寺よ。きまってらあ」
「馬鹿にするねえ。御寺の先を聞いてるんだあな」
「そうよ、そりゃ寺限で留りっこねえ訳だ。どっかへ行くに違えねえ」
「だからよ。その行く先はどんな所だろうてえんだ。やっぱしこんな所かしら」
「そりゃ、人間の魂の行く所だもの、大抵は似た所に違えねえ」
「己もそう思ってる。行くとなりゃ、どうもほかへ行く訳がねえからな」
「いくら地獄だって極楽だって、やっぱり飯は食うんだろう」
「女もいるだろうか」
「女のいねえ国が世界にあるもんか」
ざっと、こんな談話だから、聞いているとめちゃめちゃである。それで始めのうちは冗談だと思った。笑っても差支ないものと心得て、口の端をむずつかせながら、ちょっと様子を見渡したくらいであった。ところが笑いたいのは自分だけで、囲炉裏を取り捲いている顔はいずれも、彫りつけたように堅くなっている。彼らは真剣の真面目で未来と云う大問題を論じていたんである。実に嘘としか受け取れないほどの熱心が、各々の眉の間に見えた。自分はこの時、この有様を一瞥して、さっきの笑いたかった念慮をたちまちのうちに一変した。こんな向う見ずの無鉄砲な人間が――カンテラを提げて、シキの中へ下りれば、もう二度と日の目を見ない料簡でいる人間が――人間の器械で、器械の獣とも云うべきこの獰猛組が、かほどに未来の事を気にしていようとは、まことに予想外であった。して見ると、世間には、未来の保証をしてくれる宗教というものが入用のはずだ。実際自分が眼を上げて、囲炉裏のぐるりに胡坐をかいて並んだ連中を見渡した時には、遠慮に畏縮が手伝って、七分方でき上った笑いを急に崩したと云う自覚は無論なかった。ただ寄席を聞いてるつもりで眼を開けて見たら鼻の先に毘沙門様が大勢いて、これはと威儀を正さなければならない気持であった。一口に云うと、自分はこの時始めて、真面目な宗教心の種を見て、半獣半人の前にも厳格の念を起したんだろう。その癖自分はいまだに宗教心と云うものを持っていない。
この時さっきの病人が、向うの隅でううんと唸り出した。その唸り声には無論特別の意味はない。単に普通の病人の唸り声に過ぎんのだが、ジャンボーの未来に屈託している連中には、一種のあやしい響のように思われたんだろう。みんな眼と眼を見合した。
「金公苦しいのか」
と一人が大きな声で聞いた。病人は、ただ、
「ううん」
と云う。唸ってるのか、返事をしているのか判然しない。するとまた一人の坑夫が、
「そんなに嚊の事ばかり気にするなよ。どうせ取られちまったんだ。今更唸ったってどうなるもんか。質に入れた嚊だ。受出さなけりゃ流れるなあ当り前だ」
と、やっぱり囲炉裏の傍へ坐ったまま、大きな声で慰めている。慰めてるんだか、悪口を吐いているんだか疑わしいくらいである。坑夫から云うと、どっちも同じ事なんだろう。病人はただううんと挨拶――挨拶にもならない声を微かに出すばかりであった。そこで大勢は懸合にならない慰藉をやめて、囲炉裏の周囲だけで舌の用を弁じていた。しかし話題はまだ金さんを離れない。
「なあに、病気せえしなけりゃ、金公だって嚊を取られずに済むんだあな。元を云やあ、やっぱり自分が悪いからよ」
と一人が、金さんの病気をさも罪悪のように評するや否や、
「全くだ。自分が病気をして金を借りて、その金が返せねえから、嚊を抵当に取られちまったんだから、正直のところ文句の附けようがねえ」
と賛成したものがある。
「若干で抵当に入れたんだ」
と聞くと、向側から、
「五両だ」
と誰だか、簡潔に教えた。
「それで市の野郎が長屋へ下がって、金しゅうと入れ代った訳か。ハハハハ」
自分は囲炉裏の側に坐ってるのが苦痛であった。背中の方がぞくぞくするほど寒いのに、腋の下から汗が出る。
「金しゅうも早く癒って、嚊を受け出したら好かろう」
「また、市と入れ代りか。世話あねえ」
「それよりか、うんと稼いで、もっと価に踏める抵当でも取った方が、気が利いてらあ」
「違ねえ」
と一人が云い出すのを相図に、みんなどっと笑った。自分はこの笑の中に包まれながら、どうしても笑い切れずに下を向いてしまった。見ると膝を並べて畏まっていた。馬鹿らしいと気がついて、胡坐に組み直して見た。しかし腹の中はけっして胡坐をかくほど悠長ではなかった。
その内だんだん日暮に近くなって来る。時間が移るばかりじゃない、天気の具合と、山が囲んでるせいで早く暗くなる。黙って聞いていると、雨垂の音もしないようだから、ことによると、雨はもう歇んだのかも知れない。しかしこの暗さでは、やっぱり降ってると云う方が当るだろう。窓は固り締め切ってある。戸外の模様は分りようがない。しかし暗くって湿ッぽい空気が障子の紙を透して、一面に囲炉裏の周囲を襲って来た。並んでいる十四五人の顔がしだいしだいに漠然する。同時に囲炉裏の真中に山のようにくべた炭の色が、ほてり返って、少しずつ赤く浮き出すように思われた。まるで、自分は坑の底へ滅入込んで行く、火はこれに反して坑からだんだん競り上がって来る、――ざっと、そんな気分がした。時にぱっと部屋中が明るくなった。見ると電気灯が点いた。
「飯でも食うべえ」
と一人が云うと、みんな忘れものを思い出したように、
「飯を食って、また交替か」
「今日は少し寒いぞ」
「雨はまだ降ってるのか」
「どうだか、表へ出て仰向いて見な」
などと、口々に罵りながら、立って、階下段を下りて行った。自分は広い部屋にたった一人残された。自分のほかにいるものは病人の金さんばかりである。この金さんがやっぱり微な声を出して唸ってるようだ。自分は囲炉裏の前に手を翳して胡坐を組みながら、横を向いて、金さんの方を見た。頭は出ていない。足も引っ込ましている。金さんの身体は一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。気の毒なほど小さく平ったく見えた。その内唸り声も、どうにか、こうにかやんだようだから、また顔の向を易えて、囲炉裏の中を見詰めた。ところがなんだか金さんが気に掛かってたまらないから、また横を向いた。すると金さんはやっぱり一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。そうして、森としている。生きてるのか、死んでるのか、ただ森としている。唸られるのも、あんまり気味の好いもんじゃないが、こう静かにしていられるとなお心配になる。心配の極は怖くなって、ちょっと立ち懸けたが、まあ大丈夫だろう、人間はそう急に死ぬもんじゃないと、度胸を据えてまた尻を落ちつけた。
ところへ二三人、下からどやどやと階下段を上がって来た。もう飯を済ましたんだろうか、それにしては非常に早いがと、心持上がり段の方を眺めていると、思も寄らないものが、現れた。――黒か紺か色の判然しない筒服を着ている。足は職人の穿くような細い股引で、色はやはり同じ紺である。それでカンテラを提げている。のみならず二人が二人とも泥だらけになって、濡れてる。そうして、口を利かない。突っ立ったまま自分の方をぎろりと見た。まるで強盗としきゃあ思えない。やがて、カンテラを抛り出すと、釦を外して、筒袖を脱いだ。股引も脱いだ。壁に掛けてある広袖を、めりやすの上から着て、尻の先に三尺帯をぐるりと回しながら、やっぱり無言のまま、二人してずしりずしりと降りて行った。するとまた上がって来た。今度のも濡れている。泥だらけである。カンテラを抛り出す。着物を着換える。ずしんずしんと降りて行く。とまた上がって来る。こう云う風に入代り、入代りして、何でもよほど来た。いずれも底の方から眼球を光らして、一遍だけはきっと自分を見た。中には、
「手前は新前だな」
と云ったものもある。自分はただ、
「ええ」
と答えて置いた。幸い今度はさっきのようにむやみには冷やかされずに、まあ無難に済んだ。上がって来るものも、来るものも、みんな急いで降りて行くんで、調戯う暇がなかったんだろう。その代り一人に一度ずつは必ず睨まれた。そうこうしている内に、上がって来るものがようやく絶えたから、自分はようやく寛容いだ思いをして、囲炉裏の炭の赤くなったのを見詰めて、いろいろ考え出した。もちろん纏まりようのない、かつ考えれば考えるほど馬鹿になる考えだが、火を見詰ていると、炭の中にそう云う妄想がちらちらちらちら燃えてくるんだから仕方がない。とうとう自分の魂が赤い炭の中へ抜出して、火気に煽られながら、むやみに踊をおどってるような変な心持になった時に、突然、
「草臥れたろうから、もう御休みなさい」
と云われた。
見ると、さっきの婆さんが、立っている。やっぱり襷掛のままである。いつの間に上がって来たものか、ちっとも気がつかなかった。自分の魂が遠慮なく火の中を馳け廻って、艶子さんになったり、澄江さんになったり、親爺になったり、金さんになったり、――被布やら、廂髪やら、赤毛布やら、唸り声やら、揚饅頭やら、華厳の滝やら――幾多無数の幻影が、囲炉裏の中に躍り狂って、立ち騰る火の気の裏に追いつ追われつ、日向に浮かぶ塵と思われるまで夥しく出て来た最中に、はっと気がついたんだから、眼の前にいる婆さんが、不思議なくらい変であった。しかし寝ろと云う注意だけは明かに耳に聞えたに違ないから、自分はただ、
「ええ」
と答えた。すると婆さんは後ろの戸棚を指して、
「布団は、あすこに這入ってるから、独で出して御掛けなさい。一枚三銭ずつだ。寒いから二枚はいるでしょう」
と聞くから、また
「ええ」
と答えたら、婆さんは、それ限何にも云わずに、降りて行った。これで、自分は寝てもいいと云う許可を得たから、正式に横になっても剣突を食う恐れはあるまいと思って、婆さんの指図通り戸棚を明けて見ると、あった。布団がたくさんあった。しかしいずれも薄汚いものばかりである。自宅で敷いていたのとはまるで比較にならない。自分は一番上に乗ってるのを二枚、そっとおろした。そうして、電気灯の光で見た。地は浅黄である。模様は白である。その上に垢が一面に塗りつけてあるから、六分方色変りがして、白い所などは、通例なら我慢のできにくいほどどろんと、化けている。その上すこぶる堅い。搗き立ての伸し餅を、金巾に包んだように、綿は綿でかたまって、表布とはまるで縁故がないほどの、こちこちしたものである。
自分はこの布団を畳の上へ平く敷いた。それから残る一枚を平く掛けた。そうして、襯衣だけになって、その間に潜り込んだ。湿っぽい中を割り込んで、両足をうんと伸ばしたら踵が畳の上へ出たから、また心持引っ込ました。延ばす時も曲げる時も、不断のように軽くしなやかには行かない。みしりと音がするほど、関節が窮屈に硬張って、動きたがらない。じっとして、布団の中に膝頭を横たえていると、倦怠のを通り越して重い。腿から下を切り取って、その代りに筋金入りの義足をつけられたように重い。まるで感覚のある二本の棒である。自分は冷たくって重たい足を苦に病んで、頭を布団の中に突っ込んだ。せめて頭だけでも暖にしたら、足の方でも折れ合ってくれるだろうとの、はかない望みから出た窮策であった。
しかしさすがに疲れている。寒さよりも、足よりも、布団の臭いよりも、煩悶よりも、厭世よりも――疲れている。実に死ぬ方が楽なほど疲れ切っていた。それで、横になるとすぐ――畳から足を引っ込まして、頭を布団に入れるだけの所作を仕遂げたと思うが早いか、眠てしまった。ぐうぐう正体なく眠てしまった。これから先きは自分の事ながらとうてい書けない。……
すると、突然針で背中を刺された。夢に刺されたのか、起きていて、刺されたのか、感じはすこぶる曖昧であった。だからそれだけの事ならば、針だろうが刺だろうが、頓着はなかったろう。正気の針を夢の中に引摺り込んで、夢の中の刺を前後不覚の床の下に埋めてしまう分の事である。ところがそうは行かなかった。と云うものは、刺されたなと思いながらも、針の事を忘れるほどにうっとりとなると、また一つ、ちくりとやられた。
今度は大きな眼を開いた。ところへまたちくりと来た。おやと驚く途端にまたちくりと刺した。これは大変だとようやく気がつきがけに、飛び上るほど劇しく股の辺をやられた。自分はこの時始めて、普通の人間に帰った。そうして身体中至る所がちくちくしているのを発見した。そこでそっと襯衣の間から