13話 坑夫(13)
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端に、さっきの連中がもう、煙の中でかあん、かあん、鉱を叩いているのが聞えたんで、それじゃやっぱり安心なのかと、不審のあまりこの質問を起して見たんである。すると初さんは、煙の中で、咳を二つ三つしながら、
「驚かなくってもいい。ダイナマイトだ」
と教えてくれた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫でねえかも知れねえが、シキへ這入った以上、仕方がねえ。ダイナマイトが恐ろしくっちゃ一日だって、シキへは這入れねえんだから」
自分は黙っていた。初さんは煙の中を押し分けるようにずんずん潜って行く。満更苦しくない事もないんだろうが、一つは新参の自分に対して、景気を見せるためじゃないかと思った。それとも煙は坑から坑へ抜け切って、陸の上なら、大抵晴れ渡った時分なのに、路が暗いんでいつまでも煙が這ってるように感じたり噎せっぽく思ったのかも知れない。そうすると自分の方が悪くなる。
いずれにしても苦いところを我慢して尾いて行った。また胎内潜りのような穴を抜けて、三四間ずつの段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股になっている。その条路の突き当りで、カラカラランと云う音がした。深い井戸へ石片を抛げ込んだ時と調子は似ているが、普通の井戸よりも、遥に深いように思われた。と云うものは、落ちて行く間に、側へ当って鳴る音が、冴えている。ばかりか、よほど長くつづく。最後のカラランは底の底から出て、出るにはよほど手間がかかる。けれども一本道を、真直に上へ抜けるだけで、ほかに逃道がないから、どんなに暇取っても、きっと出てくる。途中で消えそうになると、壁の反響が手伝って、底で出ただけの響は、いかに微な遠くであっても、洩らすところなく上まで送り出す。――ざっとこんな音である。カラララン。カカラアン。……
初さんが留った。
「聞えるか」
「聞えます」
「スノコへ鉱を落してる」
「はああ……」
「ついでだからスノコを見せてやろう」
と、急に思いついたような調子で、勢いよく初さんが、一足後へ引いて草鞋の踵を向け直した。自分が耳の方へ気を取られて、返事もしないうちに、初さんは右へ切れた。自分も続いて暗いなかへ這入る。
折れた路はわずか四尺ほどで行き当る。ところをまた右へ廻り込むと、一間ばかり先が急に薄明るく、縦にも横にも広がっている。その中に黒い影が二つあった。自分達がその傍まで近づいた時、黒い影の一つが、左の足と共に、精一杯前へ出した力を後へ抜く拍子に、大きな箕を、斜に抛げ返した。箕は足掛りの板の上に落ちた。カカン、カラカランと云う音が遠くへ落ちて行く。一尺前は大きな穴である。広さは畳二畳敷ぐらいはあるだろう。箕に入れたばらの鉱を、掘子が抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立っている。微なカンテラに照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面に濡れて、濡れた所だけがきらきら光っている。
「覗いて見ろ」
初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。
「もっと、出ろ」
と初さんが後から催促する。自分は躊躇した。これでさえ踏板が外れれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ飛び退く手間が一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地の十間にも当る。自分は何分にも躊躇した。
「出ろやい。吝な野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」
と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入るんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ち応えていた。すると、
「おい邪魔だ。ちょっと退きな」
と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰で支えながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこの体を見て、すぐ傍へ避けた。そうして比較的安全な、板が折れても差支なく地面へ飛び退けるほどの距離まで退いた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑がるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。縁から二尺ばかり手前まで出て、足を揃えたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰もない。と思うと遠くでどさっと云った。俵は底まで落切ったと見える。
「どうだ、あの芸が出来るか」
と初さんが聞いた。自分は、
「そうですねえ」
と首を曲げて、恐れ入ってた。すると初さんも掘子もみんな笑い出した。自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。その時初さんがこんな事を云って聞かした。
「何になっても修業は要るもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。お前が掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりで抛げ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心の穴へは這入りゃしねえ。そうして、鉱の重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑だ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」
と云い掛けると、ほかの男が、
「二三度スノコへ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」
と笑った。
後戻をして元の路へ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。初さんと自分は真直に坂を下りる。下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。
「おい。まだ下りられるか」
と聞く。実はよほど前から下りられない。しかし中途で降参したら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落つけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程はけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。御免蒙ろうかしらと考えた。こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩れる場合のうちでもっとも顕著なる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。
前申す通り自分は初さんの顔を見た。すると、下りようじゃないかと云う親密な情合も見えない。下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。是非下ろして見せると云う威嚇もあらわれていない。下りたかろうと焦らす気色は無論ない。ただ下りられまいと云う侮辱の色で持ち切っている。それは何ともなかった。しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題が潜んでいる。この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。自分は窒息しても下りなければならない。
「下りましょう」
と思い切って、云った。初さんは案に相違の様子であったが、
「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」
と穏かに同意の意を表した。なるほど危ないはずだ。九十度の角度で切っ立った、屏風のような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。梯子が懸ってる。勾配も何にもない。こちらの壁にぴったり食っついて、棒を空にぶら下げたように、覗くと端が見えかねる。どこまで続いてるんだか、どこで縛りつけてあるんだか、まるで分らない。
「じゃ、己が先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」
と初さんが云った。初さんがこれほど叮嚀な言葉を使おうとは思いも寄らなかった。おおかた神妙に下りましょうと出たんで、幾分か憐愍の念を起したんだろう。やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。そうして屈んだ。と思うと、足からだんだん這入って行く。しまいには顔だけが残った。やがてその顔も消えた。顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下した。初さんは下りて行く。黒い頭とカンテラの灯だけが見える。その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下り損なうかも知れない。面目ない事が出来する。早くするに越した分別はないと決心して、いきなり後ろ向になって初さんのように、膝を地につけて、手で摺り下りながら、草鞋の底で段々を探った。
両手で第一段目を握って、足を好加減な所へ掛けると、背中が海老のように曲った。それから、そろそろ足を伸ばし出した。真直に立つと、カンテラの灯が胸の所へ来る。じっとしていると燻されてしまう。仕方がないから、片足下げる。手もこれに応じて握り更えなくっちゃならない。おろそうとすると、指で提げてるカンテラが、とんだところで、始末の悪いように動く。滅多に振ると、着物が焼けそうになる。大事を取ると壁へぶつかって灯が揉み潰されそうになる。親指へカップを差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。その上梯子の幅は狭い。段と段の間がすこぶる長い。一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。そこへもって来て恐怖が手伝う。そうして握り直すたんびに、段木がぬらぬらする。鼻を押しつけるようにして、乏しい灯で透かして見ると、へな土が一面に粘いている。上り下りの草鞋で踏つけたものと思われる。自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下を覗いた。よせば善かったが、つい覗いた。すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。これは死ぬかも知れない。死んじゃ大変だと、噛りついたなり、いきなり眼を閉った。石鹸球の大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前に湧いて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。しかし現にいる。そうして降りて行く。いかにも不思議であった。今考えると、目舞のする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡て、死ぬ方が怖くなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。その当時は夢中である。坑は暗い、命は惜しい、頭は乱れている。生きてるか死んでるか判然しない。そこへ初さんが降りて行く。眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。するとやはり初さんが降りている。しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈もしなかったんで、よくよく眸を据えて見ると、まさに向う側を降りて行く。はてなと思った。ところへカンテラがまたじいと鳴った。保証つきの灯火だが、こうなるとまた心細い。初さんはずんずん行くようだ。自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。そこでぬるぬるする段木を握り更え、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。踏んで見たがやッぱり土だ。念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子は全く尽きている。踏んでいる土も幅一尺で切れている。あとは筒抜の穴だ。その代り今度は向側に別の梯子がついている。手を延ばすと届くように懸けてある。仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。そうして出来るだけ早く降りた。長さは前のと同様である。するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。どうも是非に及ばない。また移った。やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。ほとんど際限がない。自分が六つめの梯子まで来た時は、手が怠くなって、足が悸え出して、妙な息が出て来た。下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。見れば見るほど真闇だ。自分のカンテラへはじいじいと点滴が垂れる。草鞋の中へは清水がしみ込んで来る。
しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏み外しかねぬ。けれども下りるだけ下りなければ、のめって逆さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。あの力の出所はとうてい分らない。しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染み出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚めると、また五六頁は読めると同じ具合だと思う。こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。下読をする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。ちょうど十五あった。十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。しかし幸い一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。しかも、例のように無敵な文句は並べずに、
「どうだ苦しかったか」
と聞いてくれた。自分は全く苦しいんだから、
「苦しいです」
と答えた。次に初さんが、
「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」
と奨励した。次に自分は、
「また梯子があるんですか」
と聞いた。すると初さんが、
「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」
と好意的の笑を洩らした。そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。ぴちゃぴちゃと云う音がする。カンテラの灯で照らして見ると、下谷辺の溝渠が溢れたように、薄鼠になってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨にも水の中へ落さなくっちゃならない。片足を揚げると、五位鷺のようにそのままで立っていたくなる。それでも仕方なしに草鞋の裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚の鰭のような波が立つ。その片側がカンテラの灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。せっかく平になった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。魚の鰭がまた光る。こう云う風にして、奥へ奥へと這入って行くと、水はだんだん深くなる。ここを潜り抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急に脛まで来た。この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがして膝まで漬かっちまう。こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。膝で切る波が渦を捲いて流れる。その渦がだんだん股の方へ押し寄せてくる。全く危険だと思った。ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今に坑のなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。しかるに初さんは辟易した体もなく、さっさと泥水を分けて行く。
「大丈夫なんですか」
と後から聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。自分の考えるところによると、いくら銅山でも水に漬かっていては、仕事ができるはずがない。こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。いずれにしても災難だと、不安の念に冒されながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。
「まだ這入るんですか」
と、自分はたまらなくなったから、後から初さんを呼び留めた。この声は普通の質問の声ではない。吾身を思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。だから、いざと云う間際には単音の叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前を憚るだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。カンテラを高く差し上げる。眸を据えると初さんの眉の間に八の字が寄って来た。しかも口元は笑っている。
「どうした。降参したか」
「いえ、この水が……」
と自分は、腰の辺を、物凄そうに眺めた。初さんは毫も感心しない。やっぱりにこにこしている。出水の往来を、通行人が尻をまくって面白そうに渉る時のように見えた。自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、
「大丈夫でしょうか」
を繰返した。この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目になって、
「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」
となかなか承知しないから、仕方なしに、股まで濡らしてついて行った。たださえ暗い坑の中だから、思い切った喩を云えば、頭から暗闇に濡れてると形容しても差支ない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水は踝からだんだん競り上がって来る。今では腰まで漬かっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体が腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内の所を海鼠のようについて行った。すると、右の方に穴があって、洞のように深く開いてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場に違いない。初さんは、穴の前に立ったまま、
「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」
と聞いた。自分は、胸が水に浸るまで、屈んで洞の中を覗き込んだ。すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、微な灯を無理に広い間へ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇に圧倒されて、茫然と濁っている体であった。その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついている辺から、かあんかあんと云う音が出た。洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水に跳ね返ったものが、纏まって穴の口から出て来る。水も出てくる。天井の暗い割には水の方に光がある。
「這入って見るか」
と云う。自分はぞっと寒気がした。
「這入らないでも好いです」
と答えた。すると初さんが、
「じゃ止めにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」
と但し書をつけて、一応自分の顔をとくと見た。自分は案の定釣り出された。
「明日っから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」
「そうさなあ」
と考えていた初さんは、
「一昼夜に三回の交替だからな」
と説明してくれた。一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。自分は黒い水の上へ眼を落した。
「大丈夫だ。心配しなくってもいい」
初さんは突然慰めてくれた。気の毒になったんだろう。
「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」
「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」
「どうしてですか」
「好いてえ事よ」
と初さんは歩き出した。自分も黙って歩き出した。二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。
「新前は大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」
と云いながら、にやにやと笑った。自分もにやにやと笑った。
「安心したか」
と初さんがまた聞いた。仕方がないから、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんは大得意であった。時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。爪先で探ると段々がある。一つ、二つと勘定すると三つ目で、水は踝まで落ちた。それで平らに続いている。意外に早く高い所へ出たんで、非常に嬉しかった。それから先は、とんとん拍子に嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコから落ちて来た鉱を聚めて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキの外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙った。いくら面白く運転する器械でも、明日の自分に用のない所は見る気にならなかった。器械を見ないとする