12話 坑夫(12)
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して、初さんの起きるのを待ち合わしていると、初さんはなかなか起きない。やっぱり這っている。
「どうか、しましたか」
と後から聞いた。初さんは返事もしない。――はてな――怪我でもしやしないかしら――もう一遍聞いて見ようか――すると初さんはのこのこ歩き出した。
「何ともなかったですか」
「這うんだ」
「え?」
「這うのだてえ事よ」
と初さんの声はだんだん遠くなってしまう。その声で自分は不審を打った。いくら向うむきでも、普通なら明かに聞きとられべき距離から出るのに、急に潜ってしまう。声が細いんじゃない。当り前の初さんの声が袋のなかに閉じ込められたように曖昧になる。こりゃただ事じゃないと気がついたから、透して見るとようやく分った。今までは尋常に歩けた坑が、ここでたちまち狭くなって、這わなくっちゃ抜けられなくなっている。その狭い入口から、初さんの足が二本出ている。初さんは今胴を入れたばかりである。やがて出ていた足が一本這入った。見ているうちにまた一本這入った。これで自分も四つん這いにならなくっちゃ仕方がないと諦めをつけた。「這うんだ」と初さんの教えたのもけっして無理じゃないんだから、教えられた通り這った。ところが右にはカンテラを提げている。左の手の平だけを惜気もなく氷のような泥だか岩だかへな土だか分らない上へぐしゃりと突いた時は、寒さが二の腕を伝わって肩口から心臓へ飛び込んだような気持がした。それでカンテラを下へ着けまいとすると、右の手が顔とすれすれになって、はなはだ不便である。どうしたもんだろうと、この姿勢のままじっとしていた。そうして、右の手で宙に釣っているカンテラを見た。ところへぽたりと天井からしずくが垂れた。カンテラの灯がじいと鳴った。油煙が顎から頬へかかる。眼へも這入った。それでもこの灯を見詰めていた。すると遠くの方でかあん、かあん、と云う音がする。坑夫が作業をしているに違ないが、どのくらい距離があるんだか、どの見当にあたるんだか、いっこう分らない。東西南北のある浮世の音じゃない。自分はこの姿勢でともかくも二三歩歩き出した。不便は無論不便だが、歩けない事はない。ただ時々しずくが落ちてカンテラのじいと鳴るのが気にかかる。初さんは先へ行ってしまった。頼はカンテラ一つである。そのカンテラがじいと鳴って水のために消えそうになる。かと思うとまた明かるくなる。まあよかったと安心する時分に、またぽたりと落ちて来る。じいと鳴る。消えそうになる。非常に心細い。実は今までも、しずくは始終垂れていたんだが、灯が腰から下にあるんで、いっこう気がつかなかったんだろう。灯が耳の近くへ来て、じいと云う音が聞えるようになってから急に神経が起って来た。だから這う方はなお遅くなる。しかもまだ三足しか歩いちゃいない。ところへ突然初さんの声がした。
「やい、好い加減に出て来ねえか。何をぐずぐずしているんだ。――早くしないと日が暮れちまうよ」
暗いなかで初さんはたしかに日が暮れちまうと云った。
自分は這いながら、咽喉仏の角を尖らすほどに顎を突き出して、初さんの方を見た。すると一間ばかり向うに熊の穴見たようなものがあって、その穴から、初さんの顔が――顔らしいものが出ている。自分があまり手間取るんで、初さんが屈んでこっちを覗き込んでるところであった。この一間をどうして抜け出したか、今じゃ善く覚えていない。何しろできるだけ早く穴まで来て、首だけ出すと、もう初さんは顔を引っ込まして穴の外に立っている。その足が二本自分の鼻の先に見えた。自分はやれ嬉しやと狭い所を潜り抜けた。
「何をしていたんだ」
「あんまり狭いもんだから」
「狭いんで驚いちゃ、シキへは一足だって踏ん込めっこはねえ。陸のように地面はねえ所だくらいは、どんな頓珍漢だって知ってるはずだ」
初さんはたしかに坑の中は陸のように地面のない所だと云った。この人は時々思い掛けない事を云うから、今度もたしかにとただし書をつけて、その確実な事を保証して置くんである。自分は何か云い訳をするたんびに、初さんから容赦なくやっつけられるんで、大抵は黙っていたが、この時はつい、
「でもカンテラが消えそうで、心配したもんですから」
と云っちまった。すると初さんは、自分の鼻の先へカンテラを差しつけて、徐に自分の顔を検査し始めた。そうして、命令を下した。
「消して見ねえ」
「どうしてですか」
「どうしてでも好いから、消して見ねえ」
「吹くんですか」
初さんはこの時大きな声を出して笑った。
自分は喫驚して稀有な顔をしていた。
「冗談じゃねえ。何が這入てると思う。種油だよ、しずくぐらいで消てたまるもんか」
自分はこれでやっと安心した。
「安心したか。ハハハハ」
と初さんがまた笑った。初さんが笑うたんびに、坑の中がみんな響き出す。その響が収まると前よりも倍静かになる。ところへかあん、かあんとどこかで鑿と槌を使ってる音が伝わって来る。
「聞えるか」
と、初さんが顋で相図をした。
「聞えます」
と耳を峙てていると、たちまち催促を受けた。
「さあ行こう。今度あ後れないように跟いて来な」
初さんはなかなか機嫌がいい。これは自分が一も二もなく初さんにやられているせいだろうと思った。いくら手苛くきめつけられても、初さんの機嫌がいいうちは結構であった。こうなると得になる事がすなわち結構という意味になる。自分はこれほど堕落して、おめおめ初さんの尻を嗅いで行ったら、路が左の方に曲り込んでまた峻しい坂になった。
「おい下りるよ」
と初さんが、後も向かず声を掛けた。その時自分は何となく東京の車夫を思い出して苦しいうちにもおかしかった。が初さんはそれとも気がつかず下り出した。自分も負けずに降りる。路は地面を刻んで段々になっている。四五間ずつに折れてはいるが、勘定したら愛宕様の高さぐらいはあるだろう。これは一生懸命になって、いっしょに降りた。降りた時にほっと息を吐くと、その息が何となく苦しかった。しかしこれは深い坑のなかで、空気の流通が悪いからとばかり考えた。実はこの時すでに身体も冒されていたんである。この苦しい息で二三十間来るとまた模様が変った。
今度は初さんが仰向けに手を突いて、腰から先を入れる。腰から入れるような芸をしなければ通れないほど、坑の幅も高さも逼って来たのである。
「こうして抜けるんだ。好く見て置きねえ」
と初さんが云ったと思ったら、胴も頭もずる、ずると抜けて見えなくなった。さすが熟練の功はえらいもんだと思いながら、自分もまず足だけ前へ出して、草鞋で探を入れた。ところが全く宙に浮いてるようで足掛りがちっともない。何でも穴の向うは、がっくり落か、それでなくても、よほど勾配の急な坂に違ないと見当をつけた。だから頭から先へ突っ込めばのめって怪我をするばかり、また足をむやみに出せば引っ繰り返るだけと覚ったから、足を棒のように前へ寝かして、そうして後へ手を突いた。ところがこの所作がはなはだ不味かったので、手を突くと同時に、尻もべったり突いてしまった。ぴちゃりと云った。アテシコを伝わって臀部へ少々感じがあった。それほど強く尻餅を搗いたと見える。自分はしまったと思いながらも直両足を前の方へ出した。ずるりと一尺ばかり振ら下げたが、まだどこへも届かない。仕方がないから、今度は手の方を前へ運ばせて、腰を押し出すように足を伸ばした。すると腿の所まで摺り落ちて、草鞋の裏がようやく堅いものに乗った。自分は念のためこの堅いものをぴちゃぴちゃ足の裏で敲いて見た。大丈夫なら手を離してこの堅いものの上へ立とうと云う料簡であった。
「何で足ばかり、ばたばたやってるんだ。大丈夫だから、うんと踏ん張って立ちねえな。意久地のねえ」
と、下から初さんの声がする。自分の胴から上は叱られると同時に、穴を抜けて真直に立った。
「まるで傘の化物のようだよ」
と初さんが、自分の顔を見て云った。自分は傘の化物とは何の意味だか分らなかったから、別に笑う気にもならなかった。ただ
「そうですか」
と真面目に答えた。妙な事にこの返事が面白かったと見えて、初さんは、また大きな声を出して笑った。そうして、この時から態度が変って、前よりは幾分か親切になった。偶然の事がどんな拍子で他の気に入らないとも限らない。かえって、気に入ってやろうと思って仕出かす芸術は大抵駄目なようだ。天巧を奪うような御世辞使はいまだかつて見た事がない。自分も我が身が可愛さに、その後いろいろ人の御機嫌を取って見たが、どうも旨い結果が出て来ない。相手がいくら馬鹿でも、いつか露見するから怖いもんだ。用意をして置いた挨拶で、この傘の化物に対する返事くらいに成功した場合はほとんどない。骨を折って失敗するのは愚だと悟ったから、近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしている。ただ困るのは演舌と文章である。あいつは骨を折って準備をしないと失敗する。その代りいくら骨を折ってもやっぱり失敗する。つまりは同じ事なんだが、骨を折った失敗は、人の気に入らないでも、自分の弱点が出ないから、まあ準備をしてからやる事にしている。いつかは初さんの気に入ったような演説をしたり、文章を書いて見たいが、――どうも馬鹿にされそうでいけないから、いまだにやらずにいる。――それはここには余計な事だから、このくらいでやめてまた初さんの話を続けて行く。
その時初さんは、笑いながら、下から、自分に向って、
「おい、そう真面目くさらねえで、早く下りて来ねえな。日は短えやな」
と云った。坑の中でカンテラを点けた、初さんはたしかに日は短えやなと云った。
自分が土の段を一二間下りて、初さんの立ってる所まで行くと、初さんは、右へ曲った。また段々が四五間続いている。それを降り切ると、今度は初さんが左へ折れる。そうしてまた段々がある。右へ折れたり左へ折れたり稲妻のように歩いて、段々を――さあ何町降りたか分らない。始めての道ではあるし、ことに暗い坑の中の事であるから自分には非常に長く思われた。ようやく段々を降り切って、だいぶ浮世とは縁が遠くなったと思ったら急に五六畳の部屋に出た。部屋と云っても坑を切り広げたもので、上と下がすぼまって、腹の所が膨らんでいるから、まるで酒甕の中へでも落込んだ有様である。あとから分った話だが、これは作事場と云うんで、技師の鑑定で、ここには鉱脈があるとなると、そこを掘り拡げて作事場にするんである。だから通り路よりは自然広い訳で、この作事場を坑夫が三人一組で、請負仕事に引受ける。二週間と見積ったのが、四日で済む事もあり、高が五日くらいと踏んだ作事に半月以上食い込む事もある。こう云う訳で、シキのなかに路ができて、路のはたに銅脈さえ見つかれば、御構なくそこだけを掘り抜いて行くんだから、電車の通るシキの入口こそ、平らでもあり、また一条でもあるが、下へ折れて第一見張所のあたりからは、右へも左へも条路ができて、方々に作事場が建つ。その作事をしまうと、また銅脈を見つけては掘り抜いて行くんだから、シキの中は細い路だらけで、また暗い坑だらけである。ちょうど蟻が地面を縦横に抜いて歩くようなものだろう。または書蠹が本を食うと見立てても差し支ない。つまり人間が土の中で、銅を食って、食い尽すと、また銅を探し出して食いにゆくんでむやみに路がたくさんできてしまったんである。だから、いくらシキの中を通っても、ただ通るだけで作事場へ出なければ坑夫には逢わない。かあんかあんという音はするが、音だけでは極めて淋しいものである。自分は初さんに連れられて、シキへ這入ったが、ただシキの様子を見るのが第一の目的であったためか、廻り道をして作事場へは寄らなかったと見えて、坑夫の仕事をしているところは、この段々の下へ来て、初めて見た。――稲妻形に段々を下りるときは、むやみに下りるばかりで、いくら下りても尽きないのみか、人っ子一人に逢わないものだから、はなはだ心細かったが、はじめて作事場へ出て、人間に逢ったら、大いに嬉しかった。
見ると丸太の上に腰をかけている。数は三人だった。丸太は四つや丸太で、軌道の枕木くらいなものだから、随分の重さである。どうして、ここまで運んで来たかとうてい想像がつかない。これは天井の陥落を防ぐため、少し広い所になると突っかい棒に張るために、シチュウが必要な作事場へ置いて行くんだそうだ。その上に二人腰を掛けて、残る一人が屈んで丸太へ向いている。そうして三人の間には小さな木の壺がある。伏せてある。一人がこの壺を上から抑えている。三人が妙な叫び声を出した。抑えた壺をたちまち挙げた。下から賽が出た。――ところへ自分と初さんが這入った。
三人はひとしく眼を上げて、自分と初さんを見た。カンテラが土の壁に突き刺してある。暗い灯が、ぎろりと光る三人の眼球を照らした。光ったものは実際眼球だけである。坑は固より暗い。明かるくなくっちゃならない灯も暗い。どす黒く燃えて煙を吹いている所は、濁った液体が動いてるように見えた。濁った先が黒くなって、煙と変化するや否や、この煙が暗いものの中に吸い込まれてしまう。だから坑の中がぼうとしている。そうして動いている。
カンテラは三人の頭の上に刺さっていた。だから三人のうちで比較的判然見えたのは、頭だけである。ところが三人共頭が黒いので、つまりは、見えないのと同じ事である。しかも三つとも集っていたから、なおさら変であったが、自分が這入るや否や、三つの頭はたちまち離れた。その間から、壺が見えたんである。壺の下から賽が見えたんである。壺と、賽と、三人の異な叫び声を聞いた自分は、次に三人の顔を見たんである。よくはわからない顔であった。一人の男は頬骨の一点と、小鼻の片傍だけが、灯に映った。次の男は額と眉の半分に光が落ちた。残る一人は総体にぼんやりしている。ただ自分の持っていた、カンテラを四五尺手前から真向に浴びただけである。――三人はこの姿勢で、ぎろりと眼を据えた。自分の方に。
ようやく人間に逢って、やれ嬉しやと思った自分は、この三対の眼球を見るや否や、思わずぴたりと立ち留った。
「手前は……」
と云い掛けて、一人が言葉を切った。残る二人はまだ口を開かない。自分も立ち留まったなり、答えなかった。――答えられなかった。すると
「新めえだ」
と、初さんが、威勢のいい返事をしてくれた。本当のところを白状すると、三人の眼球が光って、「手前は……」と聞かれた時は、初さんの傍にいる事も忘れて、ただおやっと思った。立すくむと云うのはこれだろう。立ちすくんで、硬くこわ張り掛けたところへ「新めえだ」と云う声がした。この声が自分の左の耳の、つい後から出て、向うへ通り抜けた時、なるほど初さんがついてたなと思い出した。それがため、こわ張りかけた手足も、中途でもとへ引き返した。自分は一歩傍へ退いた。初さんに前へ出てもらうつもりであった。初さんは注文通り出た。
「相変らずやってるな」
とカンテラを提げたまま、上から三人の真中に転がってる、壺と賽を眺めた。
「どうだ仲間入は」
「まあよそう。今日は案内だから」
と初さんは取り合わなかった。やがて、四つや丸太の上へうんとこしょと腰をおろして、
「少し休んで行くかな」
と自分の方を見た。立ちすくむまで恐ろしかった、自分は急に嬉しくなって元気が出て来た。初さんの側へ腰をおろす。アテシコの利目は、ここで始めて分った。旨い具合に尻が乗って、柔らかに局部へ応える。かつ冷えないで、結構だ。実はさっきから、眼が少し眩らんで――眩らんだか、眩らまないんだか、坑の中ではよく分らないが、何しろ好い気持ではなかったが、こう尻を掛けて落ちつくと、大きに楽になる。四人がいろいろな話をしている。
「広本へは新らしい玉が来たが知ってるか」
「うん、知ってる」
「まだ、買わねえか」
「買わねえ、お前は」
「おれか。おれは――ハハハハ」
と笑った。これは這入って来た時、顔中ぼんやり見えた男である。今でもぼんやり見える。その証拠には、笑っても笑わなくっても、顔の輪廓がほとんど同じである。
「随分手廻しがいいな」
と初さんもいささか笑っている。
「シキへ這入ると、いつ死ぬか分らねえからな。だれだって、そうだろう」
と云う答があった。この時、
「御互に死なねえうちの事だなあ」
と一人が云った。その語調には妙に咏嘆の意が寓してあった。自分はあまり突然のように感じた。
そうしているうちに、一間置いて隣りの男が突然自分に話しかけた。
「御前はどこから来た」
「東京です」
「ここへ来て儲けようたって駄目だぜ」
と他のが、すぐ教えてくれた。自分は長蔵さんに逢うや否や儲かる儲かるを何遍となく聞かせられて驚いたが、飯場へ着くが早いか、今度は反対に、儲からない儲からないで立てつづけに責められるんで、大いに辟易した。しかし地の底ではよもやそんな話も出まいと思ってここまで降りて来たが、人に逢えばまた儲からないを繰り返された。あんまり馬鹿馬鹿しいんで何とか答弁をしようかとも考えたが、滅多な事を云えば擲りつけられるだけだから、まあやめにして置いた。さればと云って返事をしなければまたやりつけられる。そこで、こう云った。
「なぜ儲からないんです」
「この銅山には神様がいる。いくら金を蓄めて出ようとしたって駄目だ。金は必ず戻ってくる」
「何の神様ですか」
と聞いて見たら、
「達磨だ」
と云って、四人ながら面白そうに笑った。自分は黙っていた。すると四人は自分を措いてしきりに達磨の話を始めた。約十分余りも続いたろう。その間自分はほかの事を考えていた。いろいろ考えたうちに一番感じたのは、自分がこんな泥だらけの服を着て、真暗な坑のなかに屈んでるところを、艶子さんと澄江さんに見せたらばと云う問題であった。気の毒がるだろうか、泣くだろうか、それともあさましいと云って愛想を尽かすだろうかと疑って見たが、これは難なく気の毒がって、泣くに違ないと結論してしまった。それで一目くらいはこの姿を二人に見せたいような気がした。それから昨夜囲炉裏の傍でさんざん馬鹿にされた事を思い出して、あの有様を二人に見せたらばと考えた。ところが今度は正反対で、二人共傍にいてくれないで仕合せだと思った。もし見られたらと想像して眼前に、意気地のない、大いに苛められている自分の風体と、ハイカラの女を二人描き出したら、はなはだ気恥ずかしくなって腋の下から汗が出そうになった。これで見ると、坑夫に堕落すると云う事実その物はさほど苦にならぬのみか、少しは得意の気味で、ただ坑夫になりたての幅の利かないところだけを、女に見せたくなかった訳になる。自分の器量を下げるところは、誰にも隠したいが、ことに女には隠したい。女は自分を頼るほどの弱いものだから、頼られるだけに、自分は器量のある男だと云う証拠をどこまでも見せたいものと思われる。結婚前の男はことにこの感じが深いようだ。人間はいくら窮した場合でも、時々は芝居気を出す。自分がアテシコを臀に敷いて、深い坑のなかで、カンテラを提げたまま、休んだ時の考えは、全く芝居じみていた。ある意味から云うと、これが苦痛の骨休めである。公然の骨休めとも云うべき芝居は全くここから発達したものと思う。自分は発達しない芝居の主人公を腹の中で演じて、落胆しながら得意がっていた。
ところへ突然肺臓を打ち抜かれたと思うくらいの大きな音がした。その音は自分の足の下で起ったのか、頭の上で起ったのか、尻を懸けた丸太も、黒い天井も一度に躍り上ったから、分からない。自分の頸と手と足が一度に動いた。縁側に脛をぶらさげて、膝頭を丁と叩くと、膝から下がぴくんと跳ねる事がある。この時自分の身体の動き方は全くこれに似ている。しかしこれよりも倍以上劇烈に来たような気がした。身体ばかりじゃない、精神がその通りである。一人芝居の真最中でとんぼ返りを打って、たちまち我れに帰った。音はまだつづいている。落雷を、土中に埋めて、自由の響きを束縛したように、渋って、焦って、陰に籠って、抑えられて、岩にあたって、包まれて、激して、跳ね返されて、出端を失って、ごうと吼えている。
「驚いちゃいけねえ」
と初さんが云った。そうして立ち上がった。自分も立ち上がった。三人の坑夫も立ち上がった。
「もう少しだ。やっちまうかな」
と、鑿を取り上げた。初さんと自分は作事場を出る。ところへ煙が来た。煙硝の臭が、眼へも鼻へも口へも這入った。噎せっぽくって苦しいから、後を向いたら、作事場ではかあん、かあんともう仕事を始めだした。
「なんですか」
と苦しい中で、初さんに聞いて見た。実はさっきの音が耳に応えた時、こりゃ坑内で大破裂が起ったに違ないから、逃げないと生命が危ないとまで思い詰めたくらいだのに、初さんはますます深く這入る気色だから、気味が悪いとは思ったが、何しろ自由行動のとれる身体ではなし、精神は無論独立の気象を具えていないんだから、いかに先輩だって逃げていい時分には、逃げてくれるだろうと安心して、後をつけて出ると、むっとするほどの煙が向うから吹いて来たんで、こりゃ迂濶深入はできないわと云う腹もあって、かたがた後を向く途