春昼

14話 十四

1,425字 約3分 2006年8月26日 公開

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「これはおかしい、(つり)といえば(ちょう)どその時、向う(づめ)の岸に(しゃが)んで、ト釣っていたものがあったでござる。橋詰(はしづめ)小店(こみせ)、荒物を(あきな)う家の亭主で、身体(からだ)()せて引緊(ひっしま)ったには似ない、(ふんどし)(ゆる)い男で、因果(いんが)とのべつ釣をして、はだけていましょう、(まこと)にあぶなッかしい形でな。

 渾名(あだな)一厘土器(いちもんかわらけ)と申すでござる。天窓(あたま)の真中の兀工合(はげぐあい)が、宛然(さながら)ですて――川端の一厘土器(いちもんかわらけ)――これが爾時(そのとき)も釣っていました。

 庵室(あんじつ)の客人が、唯今(ただいま)申す欄干(らんかん)に腰を掛けて、おくれ毛越(げごし)にはらはらと(なび)いて通る、雪のような襟脚(えりあし)を見送ると、今、小橋(こばし)を渡った(ところ)で、中の十歳(とお)位のがじゃれて、その腰へ()き着いたので、白魚(しらお)という指を()らして、軽くその小児(こども)の背中を打った時だったと申します。

(お(ぼっ)ちゃま、お坊ちゃま、)

 と大声で呼び懸けて、

手巾(ハンケチ)が落ちました、)と知らせたそうでありますが、(くだん)土器殿(かわらけどの)も、(えさ)振舞(ふるま)う気で、(いき)な後姿を見送っていたものと見えますよ。

(やあ、)と言って、十二、三の一番上の()が、駈けて返って、橋の上へ落して行った白い手巾(ハンケチ)を拾ったのを、懐中(ふところ)突込(つッこ)んで、黙ってまた飛んで行ったそうで。小児(こども)だから、辞儀(じぎ)挨拶(あいさつ)もないでございます。

 御新姐(ごしんぞ)が、礼心(れいごころ)で顔だけ振向いて、肩へ、(おとがい)をつけるように、唇を少し曲げて、その(すずし)い目で、(じっ)とこちらを見返ったのが取違えたものらしい。(わたくし)(とこ)の客人と、ぴったり出会ったでありましょう。

 引込(ひきこ)まれて、はッと礼を返したが、それッきり。御新姐(ごしんぞ)の方は見られなくって、(わき)を向くと貴下(あなた)一厘土器(いちもんかわらけ)怪訝(けげん)顔色(かおつき)

 いやもう、しっとり冷汗(ひやあせ)を掻いたと言う事、――こりゃなるほど。(きまり)がよくない。

 局外(はた)のものが何んの気もなしに考えれば、愚にもつかぬ事なれど、色気があって御覧(ごろう)じろ。第一、野良声(のらごえ)の調子ッぱずれの可笑(おかし)(ところ)へ、自分主人でもない余所(よそ)小児(こども)を、坊やとも、あの()とも言うにこそ、へつらいがましい、お坊ちゃまは不見識の行止(ゆきどま)り、申さば器量(きりょう)を下げた話。

 今一方(いまいっぽう)からは、右の土器殿(かわらけどの)にも小恥(こっぱず)かしい次第でな。他人のしんせつで手柄をしたような、変な羽目になったので。

 御本人、そうとも口へ出して言われませなんだが、それから何んとなく(ふさ)ぎ込むのが、傍目(よそめ)にも見えたであります。

 四、五日、引籠(ひきこも)ってござったほどで。

 (のち)に、何も()も打明けて(わたくし)に言いなさった時の話では、しかしまたその間違(まちがい)(えん)になって、今度出会った時は、何んとなく両方で挨拶(あいさつ)でもするようになりはせまいか。そうすれば、どんなにか(うれ)しかろう、本望(ほんもう)じゃ、と思われたそうな。迷いと申すはおそろしい、(なさけ)ないものでござる。世間大概(たいがい)の馬鹿も、これほどなことはないでございます。

 三度目には御本人、」

「また出会ったんですかい。」

 と聞くものも待ち構える。

「今度は反対に、浜の方から帰って来るのと、浜へ出ようとする御新姐(ごしんぞ)と、例の出口の処で逢ったと言います。

 大分もう薄暗くなっていましたそうで……土用(どよう)あけからは、目に立って日が(つま)ります(ところ)へ、一度は一度と、散歩のお帰りが遅くなって、蚊遣(かや)りでも我慢が出来ず、(わたくし)此処(ここ)蚊帳(かや)を釣って潜込(もぐりこ)んでから、帰って見えて、晩飯(ばんめし)ももう、なぞと言われるさえ折々の事。

 爾時(そのとき)も、早や黄昏(たそがれ)の、とある、人顔(ひとがお)(おぼろ)ながら月が出たように、見違えないその人と、思うと、男が五人、中に主人もいたでありましょう。婦人(おんな)(ただ)御新姐(ごしんぞ)一人、それを取巻く如くにして、どやどやと()急足(いそぎあし)で、浪打際(なみうちぎわ)の方へ通ったが、その人数(にんず)じゃ、空頼(そらだの)めの、余所(よそ)ながら目礼(どころ)の騒ぎかい、貴下(あなた)、その五人の男というのが。」

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