春昼

16話 十六

1,511字 約3分 2006年8月26日 公開

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「何にいたせ、(わたくし)なぞが通りすがりに見懸けましても、何んとも当りがつかぬでございます。勿論また、坊主に鑑定の出来ようはずはなけれどもな。その眉のかかり、目つき、愛嬌(あいきょう)があると申すではない。口許(くちもと)なども(りん)として、世辞(せじ)を一つ言うようには思われぬが、(ただ)何んとなく賢げに、恋も無常も知り抜いた(ふう)に見える。身体(からだ)つきにも顔つきにも、(なさけ)(したた)ると言った(さま)じゃ。

 恋い慕うものならば、馬士(うまかた)でも船頭でも、われら坊主でも、無下(むげ)振切(ふりき)って邪険(じゃけん)にはしそうもない、仮令(たとえ)恋はかなえぬまでも、(しか)るべき返歌はありそうな。帯の結目(むすびめ)(たもと)(はし)何処(どこ)へちょっと(さわ)っても、(なさけ)の露は男の骨を溶解(とろ)かさずと言うことなし、と申す風情(ふぜい)

 されば、気高いと申しても、天人神女(てんにんしんにょ)(おもかげ)ではのうて、姫路(ひめじ)のお天守(てんしゅ)()(はかま)で燈台の下に何やら書を(ひもど)く、それ露が(したた)るように婀娜(あで)なと言うて、水道の水で洗い髪ではござらぬ。人跡(じんせき)絶えた山中の温泉に、(ただ)一人雪の(はだえ)を泳がせて、(たけ)に余る黒髪を絞るとかの、それに()まして。

 慕わせるより、(なつか)しがらせるより、一目見た男を()する、(ちから)広大(こうだい)(すくな)からず、地獄、極楽、娑婆(しゃば)も身に附絡(つきまと)うていそうな婦人(おんな)(したご)うて、罪も(むくい)も浅からぬげに見えるでございます。

 ところへ、迷うた人の事なれば、浅黄(あさぎ)の帯に()扱帯(しごき)が、牛頭(ごず)馬頭(めず)逢魔時(おうまがとき)浪打際(なみうちぎわ)引立(ひきた)ててでも()くように思われたのでありましょう――(わたくし)どもの客人が――そういう心持(こころもち)で御覧なさればこそ、その()玉脇(たまわき)(やしき)の前を(とおり)がかり。……

 浜へ()く町から、横に折れて、背戸口(せどぐち)を流れる小川の方へ引廻(ひきまわ)した蘆垣(あしがき)(かげ)から、松林の幹と幹とのなかへ、(えり)から肩のあたり、くっきりとした耳許(みみもと)際立(きわだ)って、帯も(すそ)も見えないのが、浮出(うきだ)したように真中へあらわれて、後前(あとさき)に、これも肩から上ばかり、爾時(そのとき)は男が三人、(ひと)ならびに松の葉とすれすれに、しばらく桔梗(ききょう)刈萱(かるかや)(なび)くように見えて、段々(だんだん)低くなって隠れたのを、何か、自分との事のために、離座敷(はなれざしき)か、座敷牢(ざしきろう)へでも、送られて()くように思われた、後前(あとさき)引挟(ひっぱさ)んだ三人の(おとこ)の首の、兇悪なのが、(たしか)にその意味を語っていたわ。もうこれきり、未来まで()えなかろうかとも思われる、と無理なことを言うのであります。

 さ、これもじゃ、玉脇の家の客人だち、主人まじりに、御新姐(ごしんぞ)が、庭の築山(つきやま)を遊んだと思えば、それまででありましょうに。

 とうとう表通りだけでは、気が済まなくなったと見えて、(まえ)申した、その背戸口(せどぐち)搦手(からめて)のな、川を一つ隔てた小松原の奥深く()り込んで、うろつくようになったそうで。

 玉脇の持地(もちじ)じゃありますが、この松原は、野開(のびら)きにいたしてござる。中には汐入(しおいり)の、ちょっと大きな池もあります。一面に青草(あおぐさ)で、これに松の(みどり)がかさなって、唯今頃(ただいまごろ)(すみれ)、夏は常夏(とこなつ)、秋は(はぎ)真個(まこと)幽翠(ゆうすい)(ところ)()と行らしって御覧(ごろう)じろ。」

「薄暗い処ですか、」

(やぶ)のようではありません。真蒼(まっさお)な処であります。本でも御覧なさりながらお歩行(ある)きには、至極(よろ)しいので、」

「蛇がいましょう、」

 と唐突(だしぬけ)に尋ねた。

「お嫌いか。」

「何とも、どうも、」

(いえ)、何の因果か、あのくらい世の中に嫌われるものも少のうござる。

 しかし、気をつけて見ると、あれでもしおらしいもので、路端(みちばた)などを(われ)(がお)()してる(ところ)を、人が参って、(じっ)(なが)めて御覧なさい。見返しますがな、極りが悪そうに鎌首(かまくび)を垂れて、向うむきに羞含(はにか)みますよ。憎くないもので、ははははは、やはり心がありますよ。」

「心があられてはなお困るじゃありませんか。」

(いえ)、塩気を嫌うと見えまして、その池のまわりには(ちっ)ともおりません。(やしき)にはこの頃じゃ、その()するような御新姐(ごしんぞ)留主(るす)なり、(あな)はすかすかと真黒(まっくろ)に、足許に(はち)の巣になっておりましても、(かに)住居(すまい)、落ちるような憂慮(きづかい)もありません。」

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