春昼

23話 二十三

1,430字 約3分 2006年8月26日 公開

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寝衣(ねまき)にぐるぐると扱帯(しごき)を巻いて、(しも)のような跣足(はだし)、そのまま向うむきに、舞台の上へ、崩折(くずお)れたように、ト膝を曲げる。

 カンと木を入れます。

 (くぎ)づけのようになって立窘(たちすく)んだ客人の背後(うしろ)から、背中を()って、ずッと出たものがある。

 黒い影で。

 見物が()にもいたかと思う、とそうではない。その影が、よろよろと舞台へ出て、御新姐(ごしんぞ)と背中合わせにぴったり坐った(ところ)で、こちらを向いたでございましょう、顔を見ると自分です。」

「ええ!」

「それが客人御自分なのでありました。

 で、(わたくし)へお話に、

真個(ほんとう)なら、其処(そこ)で死ななければならんのでした、)

 と言って歎息(たんそく)して、真蒼(まっさお)になりましたっけ。

 どうするか、見ていたかったそうです。勿論(もちろん)、肉は(おど)り、血は()いてな。

 しばらくすると、その自分が、やや身体(からだ)()じ向けて、惚々(ほれぼれ)御新姐(ごしんぞ)の後姿を見入ったそうで、指の(さき)で、薄色の寝衣(ねまき)の上へ、こう山形に引いて、下へ一ツ、△を書いたでございますな、三角を。

 見ている胸はヒヤヒヤとして冷汗がびっしょりになる。

 御新姐(ごしんぞ)(ただ)首垂(うなだ)れているばかり。

 今度は四角、□、を書きました。

 その男、(すなわち)客人御自分が。

 御新姐(ごしんぞ)の膝にかけた指の(さき)が、わなわなと震えました……とな。

 三度目に、○、(まる)いものを書いて、線の(はし)がまとまる時、(さっ)と地を払って空へ(えぐ)るような風が吹くと、谷底の()の影がすっきり()えて、(あざや)かに薄紅梅(うすこうばい)。浜か、海の色か、と見る耳許(みみもと)へ、ちゃらちゃらと鳴ったのは、投げ銭と()の葉の()れ合う音で、くるくると廻った。

 気がつくと、四、五人、山のように背後(うしろ)から押被(おっかぶ)さって、何時(いつ)()にか()に見物が出来たて。

 爾時(そのとき)御新姐(ごしんぞ)の顔の色は、こぼれかかった(つや)やかなおくれ毛を()いて、一入(ひとしお)美しくなったと思うと、あのその口許(くちもと)莞爾(にっこり)として、うしろざまにたよたよと、男の足に(せなか)をもたせて、膝を枕にすると、黒髪が、ずるずると仰向(あおむ)いて、真白(まっしろ)な胸があらわれた。その重みで男も倒れた、舞台がぐんぐんずり(さが)って、はッと思うと(もと)の土。

 峰から谷底へかけて(どっ)と声がする。そこから夢中で駈け戻って、蚊帳(かや)に寝た(わたくし)(すが)りついて、

(水を下さい。)

 と言うて起された、が、身体中(からだじゅう)(きず)だらけで、夜露にずぶ(ぬれ)であります。

 それから(あかつき)かけて、一切の懺悔話(ざんげばなし)

 翌日(あくるひ)一日(いちにち)寝てござった。(ひる)すぎに女中が二人ついて、この御堂(みどう)へ参詣なさった御新姐(ごしんぞ)の姿を見て、私は(あわ)てて、客人に知らさぬよう、暑いのに、貴下(あなた)、この障子を閉切(しめき)ったでございますよ。

 以来、あの柱に、うたゝ()の歌がありますので。

 客人はあと二、三日、石の唐櫃(からびつ)(こも)ったように、(われ)と我を、手足も縛るばかり、(つつし)んで引籠(ひきこも)ってござったし、(わたくし)もまた油断なく見張っていたでございますが、貴下(あなた)(いささ)か目を離しました(わずか)(ひま)に、何処(どこ)か姿が見えなくなって、木樵(きこり)が来て、点燈頃(ひともしごろ)

(わし)、今、来がけに、彼処(あすこ)さ、(じゃ)矢倉(やぐら)で見かけたよ、)

 と知らせました。

 客人はまたその晩のような芝居が見たくなったのでございましょう。

 死骸(しがい)は海で見つかりました。

 (じゃ)矢倉(やぐら)と言うのは、この裏山の二ツ目の(すそ)に、水のたまった、むかしからある横穴で、わッというと、おう――と底知れず奥の方へ十里も広がって響きます。水は海まで続いていると申伝(もうしつた)えるでありますが、如何(いかが)なものでございますかな。」

 雨が二階家(にかいや)の方からかかって来た。音ばかりして草も濡らさず、裾があって、(みち)(かよ)うようである。美人(たおやめ)(れい)(さそ)われたろう。雲の黒髪(くろかみ)桃色衣(ももいろぎぬ)菜種(なたね)の上を(ちょう)を連れて、庭に来て、陽炎(かげろう)と並んで立って、しめやかに窓を(のぞ)いた。

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