春昼

3話

1,220字 約2分 2006年8月26日 公開

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 されば(かわら)()(かまど)の、()(むね)よりも高いのがあり、(ぬし)の知れぬ(みや)もあり、無縁になった墓地もあり、(しきり)に落ちる椿(つばき)もあり、田には(おおき)(どじょう)もある。

 あの、西南(せいなん)一帯の海の(しお)が、浮世の波に白帆(しらほ)を乗せて、このしばらくの間に九十九折(つづらおり)ある山の(かい)を、一ツずつ(わん)にして、奥まで迎いに来ぬ内は、いつまでも村人は、むこう(むき)になって、ちらほらと畑打(はたう)っているであろう。

 (ちょう)どいまの曲角(まがりかど)の二階家あたりに、屋根の七八(ななやっ)(かさな)ったのが、この村の中心で、それから(かい)の方へ飛々(とびとび)にまばらになり、海手(うみて)と二、三(ちょう)(あいだ)人家(じんか)途絶(とだ)えて、かえって折曲(おれまが)ったこの小路(こみち)の両側へ、また飛々(とびとび)に七、八軒続いて、それが一部落になっている。

 (おさ)を投げた娘の目も、山の方へ(ひとみ)(かよ)い、足踏みをした女房の胸にも、海の波は(うつ)らぬらしい。

 通りすがりに考えつつ、立離(たちはな)れた。(おもて)(あっ)して菜種(なたね)の花。(まばゆ)い日影が輝くばかり。左手(ゆんで)(がけ)の緑なのも、向うの山の青いのも、(かたえ)にこの真黄色(まっきいろ)の、(わずか)(かぎり)あるを語るに過ぎず。足許(あしもと)細流(せせらぎ)や、一段(いちだん)(さっ)(すだれ)を落して流るるさえ、なかなかに花の色を薄くはせぬ。

 ああ目覚(めざ)ましいと思う目に、ちらりと見たのみ、呉織(くれはとり)文織(あやはとり)は、あたかも一枚の白紙(しらかみ)に、朦朧(もうろう)(えが)いた二個(ふたつ)のその姿を残して余白を真黄色に塗ったよう。二人の衣服(きもの)にも、手拭(てぬぐい)にも、(たすき)にも、前垂(まえだれ)にも、織っていたその(はた)の色にも、(いささか)もこの色のなかっただけ、一入(ひとしお)鮮麗(あざやか)に明瞭に、脳中に(えが)(いだ)された。

 勿論(もちろん)、描いた人物を判然(はっきり)浮出(うきだ)させようとして、この彩色(さいしょく)()塗潰(ぬりつぶ)すのは、()の手段に取って、()か、()か、(こう)か、(せつ)か、それは菜の花の(あずか)り知る(ところ)でない。

 うっとりするまで、眼前(まのあたり)真黄色な中に、機織(はたおり)の姿の美しく宿った時、若い婦人(おんな)()と投げた(おさ)の尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下(あしもと)(ひらめ)いて、輪になって(ひと)()ねた、(しゅ)金色(こんじき)を帯びた一条(いちじょう)の線があって、赫燿(かくよう)として(まなこ)を射て、(ながれ)のふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。

 赤楝蛇(やまかがし)が、菜種(なたね)の中を輝いて通ったのである。

 悚然(ぞっ)として、向直(むきなお)ると、突当(つきあた)りが、樹の枝から(こずえ)の葉へ(から)んだような石段で、上に、(かや)ぶきの堂の屋根が、目近(まぢか)一朶(いちだ)の雲かと見える。(むね)に咲いた紫羅傘(いちはつ)の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪(くろかみ)にさしかざされた(よそおい)の、それが久能谷(くのや)観音堂(かんおんどう)

 我が散策子は、其処(そこ)(こころざ)して来たのである。爾時(そのとき)、これから参ろうとする、前途(ゆくて)の石段の真下の処へ、(ほとん)ど路の幅一杯に、両側から押被(おっかぶ)さった雑樹(ぞうき)の中から、真向(まむき)にぬっと、(おおき)な馬の顔がむくむくと()いて出た。

 (ただ)見る、それさえ不意な上、胴体は唯一(ただひと)ツでない。(たてがみ)に鬣が(つな)がって、胴に胴が重なって、(およ)そ五、六(けん)があいだ(けもの)の背である。

 咄嗟(とっさ)(かん)、散策子は(ステッキ)をついて立窘(たちすく)んだ。

 曲角(まがりかど)の青大将と、この(かたわら)なる菜の花の中の赤楝蛇(やまかがし)と、向うの馬の(つら)とへ線を引くと、細長い三角形の只中(ただなか)へ、封じ籠められた形になる。

 奇怪なる地妖(ちよう)でないか。

 しかし、若悪獣囲繞(にゃくあくじゅういにょう)利牙爪可怖(りげしょうかふ)も、蛇及蝮蝎(がんじゃぎゅうふくかつ)気毒煙火燃(けどくえんかねん)も、薩陀(さった)彼処(かしこ)にましますぞや。しばらくして。……

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