春昼

4話

1,327字 約3分 2006年8月26日 公開

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 のんきな馬士(まご)めが、此処(ここ)に人のあるを見て、はじめて、のっそり馬の鼻頭(はなづら)(あらわ)れた、真正面(ましょうめん)から前後三頭一列に並んで、たらたら()りをゆたゆたと来るのであった。

「お待遠(まちどお)さまでごぜえます。」

「はあ、お邪魔さまな。」

御免(ごめん)なせえまし。」

 と三人、一人々々(ひとりひとり)声をかけて通るうち、(ながれ)のふちに爪立(つまだ)つまで、細くなって(かわ)したが、なお(おおい)なる皮の風呂敷に、目を包まれる心地であった。

 (みち)一際(ひときわ)細くなったが、かえって(やわら)かに草を踏んで、きりきりはたり、きりきりはたりと、長閑(のどか)(はた)の音に送られて、やがて仔細(しさい)なく、蒼空(あおぞら)()()()る、石段の(もと)に着く。

 この石段は近頃すっかり修復が出来た。(従って、爪尖(つまさき)のぼりの路も、草が分れて、一筋(ひとすじ)明らさまになったから、もう蛇も出まい、)その時分は大破して、(ちょう)(つくろ)いにかかろうという折から、馬はこの段の(した)に、一軒、寺というほどでもない住職(じゅうしょく)控家(ひかえや)がある、その背戸(せど)へ石を積んで来たもので。

 段を(のぼ)ると、階子(はしご)(ゆれ)はしまいかと(あやぶ)むばかり、(かど)が欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながら()(のぼ)った。見る見る、目の下の田畠(たはた)が小さくなり遠くなるに従うて、波の色が(あお)う、ひたひたと足許に近づくのは、海を(いだ)いたかかる山の、何処(いずこ)も同じ(ならい)である。

 樹立(こだ)ちに薄暗い石段の、石よりも(うずたか)青苔(あおごけ)の中に、あの蛍袋(ほたるぶくろ)という、薄紫(うすむらさき)差俯向(さしうつむ)いた桔梗(ききょう)科の花の早咲(はやざき)を見るにつけても、何となく湿(しめ)っぽい気がして、しかも湯滝(ゆだき)のあとを踏むように熱く汗ばんだのが、(さっ)一風(ひとかぜ)、ひやひやとなった。境内(けいだい)はさまで広くない。

 (もっと)も、御堂(みどう)のうしろから、左右の廻廊(かいろう)へ、山の幕を引廻(ひきまわ)して、雑木(ぞうき)の枝も墨染(すみぞめ)に、其処(そこ)とも()かず松風(まつかぜ)の声。

 (なぎさ)(なみ)の雪を敷いて、砂に結び、(いわお)に消える、その都度(つど)音も聞えそう、(ただ)残惜(のこりおし)いまでぴたりと()んだは、きりはたり(はた)の音。

 此処(ここ)よりして見てあれば、織姫(おりひめ)の二人の姿は、菜種(なたね)の花の中ならず、蒼海原(あおうなばら)に描かれて、浪に(うか)ぶらん風情(ふぜい)ぞかし。

 いや、参詣(おまいり)をしましょう。

 五段の(きざはし)(えん)の下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、欄干(らんかん)は影も(とど)めない。昔はさこそと思われた。丹塗(にぬり)の柱、花狭間(はなはざま)(うつばり)の波の紺青(こんじょう)も、金色(こんじき)(りゅう)も色さみしく、昼の月、(かや)()りて、唐戸(からど)(ちょう)の影さす光景(ありさま)、古き土佐絵(とさえ)の画面に似て、しかも名工の筆意(ひつい)(かな)い、(まば)ゆからぬが奥床(おくゆか)しゅう、そぞろに尊く(なつか)しい。

 格子(こうし)の中は暗かった。

 戸張(とばり)を垂れた御廚子(みずし)(わき)に、造花(つくりばな)白蓮(びゃくれん)の、気高く(おもかげ)立つに、(こうべ)を垂れて、引退(ひきしりぞ)くこと二、三尺。心静かに四辺(あたり)を見た。

 合天井(ごうてんじょう)なる、紅々白々(こうこうはくはく)牡丹(ぼたん)の花、胡粉(ごふん)(おもかげ)消え残り、(くれない)散留(ちりとま)って、あたかも(きざ)んだものの如く、髣髴(ほうふつ)として夢に花園(はなぞの)(あお)ぐ思いがある。

 それら、花にも(うてな)にも、丸柱(まるばしら)は言うまでもない。狐格子(きつねごうし)唐戸(からど)(けた)(うつばり)、《みまわ》すものの此処(ここ)彼処(かしこ)巡拝(じゅんぱい)(ふだ)の貼りつけてないのは殆どない。

 彫金(ほりきん)というのがある、魚政(うおまさ)というのがある、屋根安(やねやす)大工鉄(だいてつ)左官金(さかんきん)。東京の浅草(あさくさ)に、深川(ふかがわ)に。周防国(すおうのくに)美濃(みの)近江(おうみ)加賀(かが)能登(のと)越前(えちぜん)肥後(ひご)の熊本、阿波(あわ)の徳島。津々浦々(つつうらうら)渡鳥(わたりどり)稲負(いなおお)(どり)閑古鳥(かんこどり)。姿は知らず名を()めた、一切の善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)木賃(きちん)夜寒(よさむ)の枕にも、雨の夜の苫船(とまぶね)からも、夢はこの(ところ)に宿るであろう。巡礼たちが霊魂(たましい)は時々此処(ここ)に来て(あす)ぼう。……おかし、一軒一枚の門札(もんふだ)めくよ。

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