春昼

9話

1,363字 約3分 2006年8月26日 公開

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「まさかとお思いなさるでありましょう、お話が大分唐突(だしぬけ)でござったで、」

 出家は頬に手をあてて、(うつむ)いてやや考え、

「いや、しかし恋歌(こいか)でないといたして見ますると、その死んだ人の(ほう)が、これは迷いであったかも知れんでございます。」

「飛んだ話じゃありませんか、それはまたどうした事ですか。」

 と、こなたは何時(いつ)か、もう御堂(おどう)の畳に、にじり(あが)っていた。よしありげな物語を聞くのに、(ふところ)窮屈(きゅうくつ)だったから、懐中(かいちゅう)押込(おしこ)んであった、鳥打帽(とりうちぼう)を引出して、(かたわら)差置(さしお)いた。

 松風が()に立った。が、春の日なれば人よりも軽く、そよそよと空を吹くのである。

 出家は仏前の燈明(とうみょう)をちょっと見て、

「さればでござって。……

 実は先刻お(はなし)申した、ふとした御縁で、御堂(おどう)のこの下の仮庵室(かりあんじつ)へお宿をいたしました、その御仁(ごじん)なのでありますが。

 その貴下(あなた)、うたゝ()の歌を、其処(そこ)へ書きました、婦人のために……まあ、言って見ますれば恋煩(こいわずら)い、いや、こがれ(じに)をなすったと申すものでございます。早い話が、」

「まあ、今時(いまどき)、どんな、男です。」

(ちょう)貴下(あなた)のような(かた)で、」

 ()? 茶釜(ちゃがま)でなく、這般(この)文福和尚(ぶんぶくおしょう)渋茶(しぶちゃ)にあらぬ振舞(ふるまい)三十棒(さんじゅうぼう)、思わず(しりえ)瞠若(どうじゃく)として、……(ただ)苦笑(くしょう)するある而已(のみ)……

「これは、飛んだ(ところ)へ引合いに出しました、」

 と言って打笑(うちわら)い、

「おっしゃる事と申し、やはりこういう事からお知己(ちかづき)になったと申し、うっかり、これは、」

(いや)、結構ですとも。恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で討死(うちじに)をする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬものを、(こが)れじにが洒落(しゃれ)ています。

 華族の金満家(きんまんか)へ生れて出て、恋煩(こいわずら)いで死ぬ、このくらいありがたい事はありますまい。恋は(かな)う方が()さそうなもんですが、そうすると愛別離苦(あいべつりく)です。

 (ただ)死ぬほど()れるというのが、(かね)()めるより(かた)いんでしょう。」

(まこと)御串戯(ごじょうだん)ものでおいでなさる。はははは、」

真面目(まじめ)ですよ。真面目だけなお串戯(じょうだん)のように聞えるんです。あやかりたい人ですね。よくそんなのを見つけましたね。よくそんな、こがれ(じに)をするほどの婦人が見つかりましたね。」

「それは見ることは誰にでも出来ます。美しいと申して、竜宮(りゅうぐう)天上界(てんじょうかい)へ参らねば見られないのではござらんで、」

「じゃ現在いるんですね。」

「おりますとも。土地の人です。」

「この土地のですかい。」

「しかもこの久能谷(くのや)でございます。」

「久能谷の、」

貴下(あなた)、何んでございましょう、今日此処(ここ)へお出でなさるには、その(うち)の前を、御通行(おとおり)になりましたろうで、」

「その美人の住居(すまい)の前をですか。」

 と言う時、(はた)を織った(わか)い方の婦人(おんな)が目に浮んだ、赫燿(かくよう)として菜の花に。

「……じゃ、あの、やっぱり農家の娘で、」

否々(いやいや)大財産家(だいざいさんか)の細君でございます。」

「違いました、」

 と我を忘れて、(つぶや)いたが、

「そうですか、大財産家(おおがねもち)の細君ですか、じゃもう(ぬし)ある花なんですね。」

「さようでございます。それがために、貴下(あなた)、」

「なるほど、他人のものですね。そうして誰が見ても綺麗(きれい)ですか、美人なんですかい。」

「はい、夏向(なつむき)随分(ずいぶん)何千人という東京からの客人で、目の覚めるような美麗(びれい)(かた)もありまするが、なかなかこれほどのはないでございます。」

「じゃ、(わたし)が見ても恋煩(こいわずら)いをしそうですね、危険(けんのん)危険(けんのん)。」

 出家は真面目に、

何故(なぜ)でございますか。」

帰路(かえり)には気を()けねばなりません。何処(どこ)ですか、その財産家の(うち)は。」

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