鳥影

43話 其九 五

1,290字 約3分 2007年2月25日 公開

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 川底の石は滑かに、流れは迅い。岸の智惠子が俄かの驚きに女兒(こども)等の泣き騷ぐも構はず、はら/\してる間に、吉野は危き足を踏みしめて十二三間も夜川の瀬を追驅けた。波がザブ/\と腰を洗つた。

 螢の光と星の影、處々に波頭の蒼白く飜へる間を、新坊はツブ/\と流れて行く。

 グイと手を延ばすと、小さい足が(つかま)つた。

『大丈夫!』と吉野は聲高く呼んだ。

(つかま)りましたか?』と智惠子の聲。

『捉つた!』

 吉野は、濡れに濡れて呼吸(いき)も絶えたらしい新坊の體を、無造作に抱擁(だきかゝ)へて川原に引返した。其處へ、騷ぎを聞いて通行の農夫が一人、提灯を下げて降りて來た。

『何したべ? 誰が死んだがナ?』

何有(なあに)、大丈夫!』と、吉野は水から上つた。丁度橋の下である。

『新坊さん、新坊さん!』と、智惠子は慌てゝ子供に手を添へて、『まア眞箇(ほんと)に! 怎うしませう!』と顫へてゐる。

『大丈夫ですよ!』と吉野は落着いた聲で言つて、子供の兩足を持つて逆樣に、小さい體を手荒く二三度振ると、吐出した水が吉野の足に掛つた。

 女兒(こども)等は恐怖に口を噤んで、ブル/\顫へて立つてゐる。小さいのはシク/\泣いてゐた。

『瀬が(はや)えだでなナ! これやはア先生(とこ)の子供だナ。』

と、農夫は提灯を(かざ)した。

 と、吉野は手早く新坊の濡れた着衣を脱がせて、砂の上に仰向に()せた。そして、それに跨る樣にして、徐々(そろ/\)と人工呼吸を遣り出す。

 可憐な小さい體を、提灯の火が薄く照らした。

 智惠子は、シッカリと吉野の脱ぎ捨てた下駄を持つた手を、胸の上に組んで、口の中で何か祈祷をしながら、熱心に男のする態を見て居た。

 大きい螢が一疋、スイと子供の顏を掠めて飛んだ。

『畜生!』()う言つて農夫がそれを拂つた。

『ワア――』と、眠りから覺めた樣な鈍い泣聲が新坊の口から洩れた。

『新坊さん!』と、智惠子は驚喜の聲を揚げて、矢庭に砂の上の子供に抱着いた。

『生きた! 生きた!』と女兒等も急に騷ぐ。

 新坊の泣き聲も高くなつた。眼も開いた。

『死んだんぢやないんだよ、初めつから。』と、吉野もホッと安心した樣な顏を上げて、笑ひながら女兒等を見はした。

『はア、大丈夫だ。』と農夫も安心顏。

『何とはア、此處ア瀬が迅えだで、子供等にや(あぶ)ねえもんせえ。去年もはア……』と、暢氣(のんき)に喋り立てる。

『わア――』と新坊はまた泣く。

『その着物を絞つて下さい、日向(さん)、いや、それより(あつた)めてやらなくちや。』と、吉野は裙やら袖やら濡れた己が着物の帶を解いて、肌と肌、泣く兒をピッタリと抱いて前を合せる。

『私抱きませう。』と智惠子が言つた。

『構ひません。冷くて氣持が好いですよ。さ、もう泣かなくて可い、好い兒だ! 好い兒だ!……イヤ、()うしてるよりや家へ歸つて寢かした方が好い。()()ませう日向(さん)! 此儘お送りしますから。(あつた)めなくちや、惡い!』

『そンだ、其方が()うがんす。』と農夫も口を添へる。

『濟みません、貴方!』と智惠子は心を籠めて言つて、

『私がうつかりしてゐて(こんな)事になつて……。』

()うぢやない、僕が惡いんです。僕が先に川に入つて見せたんだから!』

『否、私……夢見る樣な氣持になつてゐて、つい……。』

 その顏を、吉野はチラと見た。

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