43話 其九 五
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川底の石は滑かに、流れは迅い。岸の智惠子が俄かの驚きに女兒等の泣き騷ぐも構はず、はら/\してる間に、吉野は危き足を踏みしめて十二三間も夜川の瀬を追驅けた。波がザブ/\と腰を洗つた。
螢の光と星の影、處々に波頭の蒼白く飜へる間を、新坊はツブ/\と流れて行く。
グイと手を延ばすと、小さい足が捉つた。
『大丈夫!』と吉野は聲高く呼んだ。
『捉りましたか?』と智惠子の聲。
『捉つた!』
吉野は、濡れに濡れて呼吸も絶えたらしい新坊の體を、無造作に抱擁へて川原に引返した。其處へ、騷ぎを聞いて通行の農夫が一人、提灯を下げて降りて來た。
『何したべ? 誰が死んだがナ?』
『何有、大丈夫!』と、吉野は水から上つた。丁度橋の下である。
『新坊さん、新坊さん!』と、智惠子は慌てゝ子供に手を添へて、『まア眞箇に! 怎うしませう!』と顫へてゐる。
『大丈夫ですよ!』と吉野は落着いた聲で言つて、子供の兩足を持つて逆樣に、小さい體を手荒く二三度振ると、吐出した水が吉野の足に掛つた。
女兒等は恐怖に口を噤んで、ブル/\顫へて立つてゐる。小さいのはシク/\泣いてゐた。
『瀬が迅えだでなナ! これやはア先生許の子供だナ。』
と、農夫は提灯を翳した。
と、吉野は手早く新坊の濡れた着衣を脱がせて、砂の上に仰向に臥せた。そして、それに跨る樣にして、徐々と人工呼吸を遣り出す。
可憐な小さい體を、提灯の火が薄く照らした。
智惠子は、シッカリと吉野の脱ぎ捨てた下駄を持つた手を、胸の上に組んで、口の中で何か祈祷をしながら、熱心に男のする態を見て居た。
大きい螢が一疋、スイと子供の顏を掠めて飛んだ。
『畜生!』恁う言つて農夫がそれを拂つた。
『ワア――』と、眠りから覺めた樣な鈍い泣聲が新坊の口から洩れた。
『新坊さん!』と、智惠子は驚喜の聲を揚げて、矢庭に砂の上の子供に抱着いた。
『生きた! 生きた!』と女兒等も急に騷ぐ。
新坊の泣き聲も高くなつた。眼も開いた。
『死んだんぢやないんだよ、初めつから。』と、吉野もホッと安心した樣な顏を上げて、笑ひながら女兒等を見はした。
『はア、大丈夫だ。』と農夫も安心顏。
『何とはア、此處ア瀬が迅えだで、子供等にや危ねえもんせえ。去年もはア……』と、暢氣に喋り立てる。
『わア――』と新坊はまた泣く。
『その着物を絞つて下さい、日向樣、いや、それより温めてやらなくちや。』と、吉野は裙やら袖やら濡れた己が着物の帶を解いて、肌と肌、泣く兒をピッタリと抱いて前を合せる。
『私抱きませう。』と智惠子が言つた。
『構ひません。冷くて氣持が好いですよ。さ、もう泣かなくて可い、好い兒だ! 好い兒だ!……イヤ、恁うしてるよりや家へ歸つて寢かした方が好い。然う爲ませう日向樣! 此儘お送りしますから。温めなくちや、惡い!』
『そンだ、其方が好うがんす。』と農夫も口を添へる。
『濟みません、貴方!』と智惠子は心を籠めて言つて、
『私がうつかりしてゐて這事になつて……。』
『然うぢやない、僕が惡いんです。僕が先に川に入つて見せたんだから!』
『否、私……夢見る樣な氣持になつてゐて、つい……。』
その顏を、吉野はチラと見た。