南京の基督

3話

796字 約2分 1998年11月13日 公開

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 翌年の春の或夜、宋金花を訪れた、若い日本の旅行家は(ふたたび)うす暗いランプの下に、彼女と(テエブル)を挾んでゐた。

「まだ十字架がかけてあるぢやないか。」

 その夜彼が何かの拍子に、ひやかすやうにかういふと、金花は急に真面目になつて、一夜南京に(くだ)つた基督が、彼女の病を癒したと云ふ、不思議な話を聞かせ始めた。

 その話を聞きながら、若い日本の旅行家は、こんな事を独り考へてゐた。――

「おれはその外国人を知つてゐる。あいつは日本人と亜米利加(アメリカ)人との混血児だ。名前は確か George Murry とか云つたつけ。あいつはおれの知り合ひの路透(ロイテル)電報局の通信員に、基督教を信じてゐる、南京の私窩子(しくわし)を一晩買つて、その女がすやすや眠つてゐる間に、そつと逃げて来たと云ふ話を得意らしく話したさうだ。おれがこの前に来た時には、丁度あいつもおれと同じ上海のホテルに泊つてゐたから、顔だけは今でも覚えてゐる。何でもやはり英字新聞の通信員だと称してゐたが、男振りに似合はない、人の悪るさうな人間だつた。あいつがその後悪性な梅毒から、とうとう発狂してしまつたのは、事によるとこの女の病気が伝染したのかも知れない。しかしこの女は今になつても、ああ云ふ無頼(ぶらい)な混血児を耶蘇基督だと思つてゐる。おれは一体この女の為に、蒙を(ひら)いてやるべきであらうか。それとも黙つて永久に、昔の西洋の伝説のやうな夢を見させて置くべきだらうか……」

 金花の話が終つた時、彼は思ひ出したやうに燐寸(マツチ)を擦つて、匂の高い葉巻をふかし出した。さうしてわざと熱心さうに、こんな窮した質問をした。

「さうかい。それは不思議だな。だが、――だがお前は、その後一度も(わづら)はないかい。」

「ええ、一度も。」

 金花は西瓜の種を(かじ)りながら、晴れ晴れと顔を輝かせて、少しもためらはずに返事をした。

本篇を草するに当り、谷崎潤一郎氏作「秦淮(しんわい)の一夜」に負ふ所(すくな)からず。附記して感謝の意を表す。

(大正九年六月)

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