3話 三
読み方を変える
私は今から二十二年前に著した『進化論講話』にも書いて置いたとおり、自然淘汰説をもってもっとも真実に近い仮説と認め、自然淘汰をもって、生物進化の起った原因の中のはなはだ重大なものと考えている。しかしすでに同書の中にも断わっておいたとおり、私は自然淘汰をもって生物進化の唯一の原因とは思わぬ。仮に一対の動物があって、代々二疋ずつの子を生み、生れた子が皆育って、少しの淘汰もなしに、子孫が連綿とつづいたとしても、長い間には次第に変って行くであろうと考える。このことについては、横道にわたるゆえ、今は論ずるのを見合せ、単に私が今もなお自然淘汰説を採る理由をいうてみると、それは未だこの説に代るべき適当な学説を見出さぬからである。私はこの方面には大いに興味を持っているから、異なった説が発表せられるごとにかならずこれを読んでみたが、未だ一回も、そのために自然淘汰説を捨てねばならぬと感じたことはない。
多くの場合には、論者がこの説をあまり狭く考えたり、誤解したりしているのであって、もしも真にこれを了解していたならば、何もかれこれというに及ばず、双方を両立させて置いて何の差支えもないと思うた。自然淘汰説を捨てると説明のできなくなる現象が生物界には無数にある。前に述べたいわゆる適応の性質はことごとくそれであるが、代々優ったもののみが生き残って、その性質を子に伝えたとすれば各種の動物に餌を取る装置や、敵から逃れる能力がよく発達しているのは当然と思われ、漠然ながらも、一応はわけが解ったような心持ちがする。これに反して、もしも自然淘汰というようなことが全くなかったとすれば、木の葉と寸分も違わぬ木の葉蝶や、桑の枝と少しも見分けがつかぬ枝尺取りなどのごとき、無心ながら巧みに敵の目を晦ましているものがいかにして生じたやら、全く不可思議というの外はない。
また、自然淘汰説を採る以上は、生存競争の際に勝敗の標準となった性質が次第に発達し来ったと論ずるがごとくに、勝敗の標準とならなかった性質はだんだん退化し来ったとみなされねばならぬが、その実例と思われるものは数多く知られてある。恐ろしい敵がいないために飛ぶ必要のない所では、鳥の翼の優劣は勝敗の標準とならぬが、かような鳥の翼は次第に退化する。現にニュージーランドの鴫駝鳥の翼はかくしてほとんど見えぬほどに小さくなってしまった。年中真闇な洞穴の中では眼の優劣は勝敗の標準とならぬが、かような所に住む動物は眼が次第に退化する。アメリカのマンモス洞に住む盲魚や盲エビはかくして終に眼を失うに至った。このような例はなおいくつでも挙げることができるが、これらから見ると、淘汰が行なわれぬ場合には、今まで淘汰によって発達し来った性質もたちまち退化し始めるのが、生物界に通じた規則であるごとくに思われる。
なおここに一つ自然淘汰説に関連して私が数年前に考え出したことがある。誰も未だ発表したことのない、全く私自身の独創的の考えであるゆえ、本来ならば充分に思想をまとめてから専門学上の報告として公けにすべきはずであるが、ちょうどよい機会であるから一言その要点だけをここに述べる。それは自然淘汰とホルモンとの関係についてである。動物の身体各部の間には思いがけぬ関係があって、ある器官に変化が起ると、遠く距った所にいちじるしい影響を及ぼすことが稀でない。例えば、男の子の若い中に睾丸を切り除くと、成長しても鬚が生えぬ。牡鹿ならば角が生ぜぬ。甲状腺が不完全であると赤ん坊がいつまでも大きくならず、下垂体が異常に発達すると手足ばかりが無暗に大きくなる。胸線が早く変質すると、五六歳の子供が大人のとおりに成熟し、副腎に故障があると、皮膚に色素が溜って、唐金色になる。これらは皆ホルモンの働きによることで、鬚や角が生えるのは睾丸の中にできたホルモンが血液とともに顎や額まで廻って行きそこの組織を刺戟するからであり、子供が身体の小さい中に早くも大人のごとくに成熟することのないのは、胸線の造ったホルモンが生殖線まで達して、その早熟を制止しているからである。かように、全身の成長も、一部の発達も、付属物の形状も、皮膚の色も、みなホルモンの司配をうけ、あるいは促進せられあるいは抑制せられている。されば自然淘汰によってある性質が発達するという場合には、多くはそれと同時に、その性質の発達を促したホルモンを生ずる器官の発達もしくは、その発達を止めていたホルモンを生ずる器官の退化を意味する。ここに一種の獣類があって、その獣類にとっては、角の大きなことが例えば生存競争上に有利であったと仮定すると、長い間には自然淘汰によって角は次第に大きくなるのであろうが、それと同時に角の発達を促したホルモンを生ずる器官は発達し、角の発達をその程度までに止めさせていたホルモンを生ずる器官は退化する。いくら角の大きいのが競争に勝つに都合がよいというても、これにはもとより際限があることで、ある程度に達した後には、これ以上に大きくなることはかえって生存上不利益になる。普通の自然淘汰だけではけっしてある器官が過度に発達する気遣いはないように思われるが、自然淘汰によって角の大きさと同時に、角を大きくするホルモンを生ずる器官が発達したとすれば、後に至って、角が過度に大きくなることは、あり得べき理窟になる。またそれと反対に、もしも角の大小が生存競争における勝敗の標準でなくなったとすれば、角は次第に退化して小さくなるであろうが、この場合にもホルモンのことを考えに入れると、自然淘汰の働きの範囲が広くもなり、かつ大いに解りやすくなるように思う。従来は古代の絶滅した動物に見るごときある体部の過度の発育や、不用器官が次第に退化して終に影をも止めなくなることは、自然淘汰説によって説明することの困難なものの一つとみなされていたが、ここに述べた私の説は、この点で従来の自然淘汰説の足らぬところを補い、力を添えて難関を無事に超させてやることができる。
以上の私が懐手式に考えだした独創の理論で、根拠の薄弱なきわめて頼りないものではあるが、また、あり得べきことのように感ずるから、ついでをもって、表して置く次第である。自然淘汰説に関しては、これだけで止めとして、次に人類の過去に属する私の学説に移る。