人間生活の矛盾

6話

2,131字 約4分 2015年11月22日 公開

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 今日の世の中で第一に気のつくのは形式と精神との矛盾である。「人間万事嘘ばかり」という古い本を読んだことがあるが、社会本能が退化してからの社会では精神がすでに変っているから、いかなる形式もすべて嘘とならざるを得ない。例えば代議士制度のごときも、本来ならば、選挙人が自分でこの人をと思う人を選び、その人に頼んで代りを務めて貰うべきはずであるのに、今では誰からも頼まれもせぬ人間が自分で勝手に候補者と名乗り、なにとぞ私を選んでくださいと有権者の家を戸別に訪問して、平身低頭して頼んで歩く。また有権者の方では、この人をと思うような人がなかったり、たといあっても、とうてい出てくれそうもなかったりして、止むを得ず気に入らぬ人間に投票するか、棄権するかのいずれかにする。これが何で代議制と名づけられようか。しかも税を取りに来るときには、これは君らの選んだ代議士が可決したことであるから、君ら自身が可決したのも同じである、ぐずぐずいわずに早く出せというて請求する。運動費に何万円も費すところを見れば、当選してからかならずその何倍かの儲けがあるものと思われるが、かような自己本位的の行為は、社会本能がよほど退化した後でなければとうてい誰にもできぬことである。

 社会本能が未だ退化しなかった頃には、一国内は真に挙国一致で愛国心が充満していたろうが、この本能が退化し始めてからは、愛国心も次第に変化して、本能に基づいた無意識的のものからだんだん智力に造られた意識的のものに移って来た。つねには容易に持ち上らぬ箪笥が火事のときには楽々と運べるごとく、非常の際には思いがけぬ力が出るもので、戦争でも始まると、今まで隠れていた社会本能がにわかに働いて、国家のためには身命を(なげう)つ特志家が幾人も続出するが、かようなときでさえ、大多数の人々は、わが国が敗けては自分が困る、それゆえ是非ともわが国を勝たせねばならぬと、心の中で意識的に理窟を考えた結論の愛国心より外は持たぬ。しかして平時には、社会本能の退化につれて頭を擡げ出した自己本位の本能が、無意識ながら有力に働くゆえ、めいめいが意識的に考えることも、皆この本能の命ずるところに従うてことごとく自己本位になり、その結果として、口に唱えることと身に行なうこととが全く矛盾するに至る。とくに車夫が車賃を貰うて車を引くように、愛国賃を貰うて愛国する者や、愛国を売り物にして強請(ゆす)って歩いたり無銭飲食をしたりする輩に至っては、言行不一致もまたすこぶるはなはだしい。しかして、これらは皆社会本能の退化したために生じた人間生活の矛盾である。

 社会本能が充分に発達すると、国内は完全に協力一致するが、その代りに国と国とはことごとく敵同士となる。蟻や蜂の団体では実際そのとおりになっている。人間も小さな団体を造って相戦うていた頃には、やはり、そのとおりであったろうが、国が大きくなり、社会本能が退化して、国内の人々の間に種々の矛盾や衝突が生じてからは、国の勢力の大部分は国内で消費せられ、それだけ外国と戦う気分が薄らいだ。国としては相変らず敵愾心を備えていても、個人と個人とが出遇うたときにかならず相殺し合わねばならぬという必要がなくなり、境を接したところでは、そろそろ平気で交際し始めるに至った。これはすなわち社会本能の退化のために、国の(たが)が緩んだのである。その後、交通の便が開けるにしたがい、国と国との関係が密接になり、汽車や汽船が到着するごとに多数の外国人が入り込んで来るようになると、人々の考え方にもだんだんと変化が生じ、初め何ごとにも自国本位であったのが、少しずつ国際関係をも尊重するようになり、終には、国などという面倒なものは廃して、誰も彼もが単に世界人となった方がよろしくはなかろうかなどと考える者までが生ずる。しかしながら、現在の世の中には、未だ民族の区別もあり、国の区別もあって、強い国から侮辱や圧迫をこうむることも絶えずあるから、世界人では安心ができず、やはり国を強くして置かねばならぬとも考える。この点においても思想が二派に分れて互いに衝突するを免れぬ。

 国際の関係が多くなり、広くなるにしたがい、国際間の相談もたびたび開かれ、国際間の約束もしばしば結ばれる。万国為替(かわせ)というような便利なものができて、外国へ行っても電報一本で何千円の金でもすぐに受け取れるから、地球上のどこへ行っても何の不便もなく、あたかも世界中が一か国になったごとくに感ずることもある。これから推して世界が真に一国になってしまうことも不可能ではない。かつ実際一か国になってしまえば、戦争などという嫌なものがなくてすむであろうと考える人もできる。しかしかような便利な方法も元来が相互の利益のために智力で工夫したもので、その点では汽車や汽船の発明と同じ種類に属するから、けっしてこれをもって、国と国とが仲好しになった(しる)しとみなすことはできぬ。容貌も気質も、風俗、習慣もいちじるしく違うた人間がことごとく世界人として同列に並ぶことは、外国を敵視した社会本能が全く消えた後でなければ、実現は覚束ないようであるが、これらの点に関してもずいぶん相矛盾した思想が世に行なわれている。

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