長江游記

4話 三 廬山(上)

1,599字 約3分 2015年3月31日 公開

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 若葉を吐いた立ち木の枝に豚の死骸がぶら下っている。それも皮を剥いだ儘、後足を上にぶら下っている。脂肪に蔽われた豚の体は気味の悪い程まっ白である。私はそれを眺めながら、一体豚を逆吊りにして、何が面白いのだろうと考えた。吊下げる支那人も悪趣味なら、吊下げられる豚も間が抜けている。所詮支那程下らない国は何処にもあるまいと考えた。

 その間に大勢の苦力(クウリイ)どもは我々の駕籠(かご)の支度をするのに、腹の立つ程騒いでいる。勿論苦力に碌な人相はない。しかし殊に獰猛(どうもう)なのは苦力の大将の顔である。この大将の麦藁帽は Kuling Estate Head Coolie No* とか横文字を抜いた、黒いリボンを巻きつけている。昔 Marius the Epicurean は、蛇使いが使う蛇の顔に、人間じみた何かを感じたと云う。私は又この苦力の顔に蛇らしい何かを感じたのである。(いよいよ)支那は気に食わない。

 十分の後、我々一行八人は籐椅子の駕籠に揺られながら、石だらけの路を登り出した。一行とは竹内栖鳳氏の一族郎党、(ならび)大元(たいげん)洋行のお(かみ)さんである。駕籠の乗り心地は思ったよりも好い。私はその駕籠の棒に長々と両足を伸ばしながら、廬山の風光を楽んで行った。と云うと如何にも体裁が好いが、風光は奇絶でも何でもない。唯雑木の茂った間に、山空木(やまうつぎ)が咲いているだけである。廬山らしい気などは少しもしない。これならば、支那へ渡らずとも、箱根の旧道を登れば沢山である。

 前の晩私は九江(キュウキャン)にとまった。ホテルは即ち大元洋行である。その二階に寝ころびながら、康白情氏(こうはくじょうし)の詩を読んでいると、潯陽江(じんようこう)(はく)した支那の船から、蛇皮線だか何かの音がして来る。それは兎に角風流な気がした。が、翌朝になって見ると、潯陽江に(そうろう)と威張っていても、やはり赤濁りの溝川(どぶかわ)だった。楓葉荻花秋瑟瑟(ふうようてきかあきしつしつ)などと云う、洒落れた趣は何処にもない。川には木造の軍艦が一艘、西郷征伐に用いたかの如き、怪しげな大砲の口を出しながら、琵琶亭のほとりに(かか)っている。では猩猩(しょうじょう)少時(しばらく)措き、浪裡白跳張順(ろうりはくちょうちょうじゅん)黒旋風李逵(こくせんぷうりき)でもいるかと思えば、眼前の船の(とま)の中からは、醜悪恐るべき尻が出ている。その尻が又大胆にも、――甚尾籠な申し条ながら、悠々と川に糞をしている。……

 私はそんな事を考えながら、何時かうとうと眠ってしまった。何十分か過ぎた後、駕籠の止まったのに眼をさますと、我々のつい鼻の先には、出たらめに石段を積み上げた、(けわ)しい坂が突き立っている。大元洋行のお上さんは、此処は駕籠が上らないから、歩いて頂きたいと説明した。私はやむを得ず竹内逸氏と、胸突き八町を登り出した。風景は不相変平凡である。唯坂の右や左に、炎天の埃を浴びながら、野薔薇の花が見えるのに過ぎない。

 駕籠に乗ったり、歩かせられたり、いずれにもせよ骨の折れる、忌々(いまいま)しい目を繰返した後、やっとクウリンの避暑地へ来たのは彼是午後の一時頃だった。この又避暑地の一角なるものが軽井沢の場末と選ぶ所はない。いや、赤禿の山の裾に支那のランプ屋だの酒桟(チュザン)だのがごみごみ店を出した景色は軽井沢よりも一層下等である。西洋人の別荘も見渡した所、気の利いた構えは一軒も見えない。皆烈しい日の光に、赤や青のペンキを塗った、卑しい亜鉛屋根(トタンやね)を火照らせている。私は汗を拭いながら、このクウリンの租界を(ひら)いた牧師エドワアド・リットル先生も永年支那にいたものだから、とんと美醜の判断がつかなくなったのだろうと想像した。

 しかし其処を通り抜けると、(あざみ)や除虫菊の咲いた中に、うつ木も水々しい花をつけた、広い草原が展開した。その草原が尽きるあたりに、石の垣をめぐらせた、小さい赤塗りの家が一軒、岩だらけの山を後にしながら、翩々(へんぺん)と日章旗を翻している。私はこの旗を見た時に、祖国を思った、――と云うよりは、祖国の米の飯を思った。なぜと云えばその家こそ、我々の空腹を満たすべき大元洋行の支店だったからである。

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