高野聖

2話

1,351字 約3分 1999年1月30日 公開

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 岐阜(ぎふ)ではまだ蒼空(あおぞら)が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原(まいばら)長浜(ながはま)薄曇(うすぐもり)(かすか)に日が()して、寒さが身に染みると思ったが、(やな)()では雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら(まじ)って来た。

(雪ですよ。)

(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、(あお)いで空を見ようともしない、この時に限らず、(しず)(たけ)が、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖(びわこ)の風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。

 敦賀で悚毛(おぞけ)の立つほど(わずら)わしいのは宿引(やどひき)悪弊(あくへい)で、その日も期したるごとく、汽車を(おり)ると停車場(ステイション)の出口から町端(まちはな)へかけて招きの提灯(ちょうちん)印傘(しるしがさ)(つつみ)を築き、潜抜(くぐりぬ)ける(すき)もあらなく旅人を取囲んで、()()(かまびす)しく(おの)家号(やごう)呼立(よびた)てる、中にも(はげ)しいのは、素早(すばや)く手荷物を引手繰(ひったく)って、へい難有(ありがと)(さま)で、を(くら)わす、頭痛持は血が上るほど(こら)え切れないのが、例の下を向いて悠々(ゆうゆう)小取廻(ことりまわ)しに通抜(とおりぬ)ける旅僧は、(たれ)も袖を()かなかったから、幸いその後に()いて町へ入って、ほっという息を()いた。

 雪は小止(おやみ)なく、今は雨も交らず乾いた軽いのがさらさらと(おもて)を打ち、(よい)ながら(かど)(とざ)した敦賀の(とおり)はひっそりして一条二条縦横(たてよこ)に、(つじ)の角は広々と、白く積った中を、道の(ほど)八町ばかりで、とある軒下(のきした)辿(たど)り着いたのが名指(なざし)の香取屋。

 (とこ)にも座敷(ざしき)にも(かざ)りといっては無いが、柱立(はしらだち)の見事な、(たたみ)(かた)い、()の大いなる、自在鍵(じざいかぎ)(こい)(うろこ)黄金造(こがねづくり)であるかと思わるる(つや)を持った、()ばらしい(へッつい)を二ツ(なら)べて一斗飯(いっとめし)()けそうな目覚(めざま)しい(かま)(かか)った古家(ふるいえ)で。

 亭主は法然天窓(ほうねんあたま)、木綿の筒袖(つつそで)の中へ両手の先を(すく)まして、火鉢(ひばち)の前でも手を出さぬ、ぬうとした親仁(おやじ)女房(にょうぼう)の方は愛嬌(あいきょう)のある、ちょっと世辞のいい(ばあ)さん、(くだん)の人参と干瓢の話を旅僧が打出すと、にこにこ笑いながら、縮緬雑魚(ちりめんざこ)と、(かれい)干物(ひもの)と、とろろ昆布(こんぶ)味噌汁(みそしる)とで(ぜん)を出した、物の言振(いいぶり)取成(とりなし)なんど、いかにも、上人(しょうにん)とは別懇(べっこん)の間と見えて、(つれ)の私の居心(いごころ)のいいといったらない。

 やがて二階に寝床(ねどこ)(こしら)えてくれた、天井(てんじょう)は低いが、(うつばり)は丸太で二抱(ふたかかえ)もあろう、屋の(むね)から(ななめ)(わた)って座敷の(はて)(ひさし)の処では天窓(あたま)(つか)えそうになっている、巌乗(がんじょう)屋造(やづくり)、これなら裏の山から雪崩(なだれ)が来てもびくともせぬ。

 特に炬燵(こたつ)が出来ていたから私はそのまま(うれ)しく入った。寝床はもう一組おなじ炬燵に()いてあったが、旅僧はこれには(きた)らず、横に枕を並べて、火の気のない臥床(ねどこ)に寝た。

 寝る時、上人は帯を解かぬ、もちろん衣服も()がぬ、着たまま(まる)くなって俯向形(うつむきなり)に腰からすっぽりと入って、(かた)夜具(やぐ)(そで)()けると手を()いて(かしこま)った、その様子(ようす)は我々と反対で、顔に枕をするのである。

 ほどなく寂然(ひっそり)として()に就きそうだから、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと、私は夜が更けるまで寐ることが出来ない、あわれと思ってもうしばらくつきあって、そして諸国を行脚なすった内のおもしろい(はなし)をといって打解(うちと)けて(おさな)らしくねだった。

 すると上人は頷いて、(わし)は中年から仰向けに枕に就かぬのが(くせ)で、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家(しゅっけ)のいうことでも、(おしえ)だの、(いましめ)だの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。後で聞くと宗門名誉(しゅうもんめいよ)の説教師で、六明寺(りくみんじ)宗朝(しゅうちょう)という大和尚(だいおしょう)であったそうな。

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