4話 雲は天才である(4)
読み方を変える
世にも無作法極まる乱暴な手紙と云つぱ、蓋し斯くの如きものの謂であらう。然も之は普通の消息ではない。人が、自己の信用の範囲に於て、或る一人を、他の未知の一人に握手せしむる際の、謂はば、神前の祭壇に読み上ぐべき或る神聖なる儀式の告文、と云つた様な紹介状ではないか。若し斯くの如き紹介状を享くる人が、温厚篤実にして万中庸を尚ぶ世上の士君子、例へば我が校長田島氏の如きであつたら、恐らく見もせぬうちから玄関に立つ人を前門の虎と心得て、いざ狼の立塞がぬ間にと、草履片足で裏門から逃げ出さぬとも限らない。然も此一封が、嘗てこのS――村に呱々の声を挙げ、この学校――尤も其頃は校舎も今の半分しか無く、教師も唯の一人、無論高等科設置以前の見すぼらしい単級学校ではあつたが、――で、矢張り穏健で中正で無愛想で、規則と順序と年末の賞与金と文部省と妻君とを、此上なく尊敬する一教育者の手から、聖代の初等教育を授けられた日本国民の一人、当年二十七歳の天野大助が書いたのだと知つたならば、抑々何の辞を以て其驚愕の意を発表するであらうか。実際これでは紹介状ドコロの話ではない。命令だ、しかも随分乱暴な命令だ、見ず知らずの独眼竜に出来る限りの助力をせよといふのだもの。然し乍ら、この驚くべき一文を胸轟かせて読み終つた自分は、決して左様は感じなんだ。敢て問ふ、世上滔々たる浮華虚礼の影が、此手紙の何の隅に微塵たりとも隠れて居るか。一金三両也。馬代。くすかくさぬか、これどうぢや。くすといふならそれでよし、くさぬにつけてはたゞおかぬ。うぬがうでには骨がある。といふ、昔さる自然生の三吉が書いた馬代請求の付状が、果して大儒新井白石の言の如く千古の名文であるならば、簡にしてよく其要を得た我が畏友朱雲の紹介状も亦、正に千古の名文と謂つべしである。のみならず、斯くの如き手紙を平気で書き、又平気で読むといふ彼我二人の間は、真に同心一体、肝胆相照すといふ趣きの交情でなくてはならぬ。一切の枝葉を掃ひ、一切の被服を脱ぎ、六尺似神の赤裸々を提げて、平然として目ざす城門に肉薄するのが乃ち此手紙である。此平然たる所には、実に乾坤に充満する無限の信用と友情とが溢れて居るのだ。自分は僅か三秒か四秒の間にこの手紙を読んだ。そして此瞬間に、躍々たる畏友の面目を感じ、其温かき信用と友情の囁きを聞いた。
『よろしい。此室へお通し申して呉れ。』
『乞食をですかツ。』
と校長が怒鳴つた。
『何だつてそれア余りですよ。新田さん。学校の職員室へ乞食なんぞを。』
斯う叫んだのは、窓の硝子もピリ/\とする程甲高い、幾億劫来声を出した事のない毛虫共が千万疋もウヂヤ/\と集まつて雨乞の祈祷でもするかの様な、何とも云へぬ厭な声である。舌が無いかと思はれたマダム馬鈴薯の、突然噴火した第一声の物凄さ。
小使忠太の団栗眼はクル/\/\と三廻転した。度を失つてまだ動かない。そこで一つ威嚇の必要がある。
『お通し申せ。』
と自分は一喝を喰はした。忠太はアタフタと出て行つた、が、早速と復引き返して来た。後には一人物が随つて居る。多分既に草鞋を解いて、玄関に上つて居たつたのであらう。
『新田さん、貴君はそれで可のですか。よ、新田さん、貴君一人の学校ではありませんよ。人ツ、代用のクセに何だと思つてるだらう。マア御覧なさい。アンナ奴。』
馬鈴薯が頻りにわめく。自分は振向きもしない。そして、今しも忠太の背から現はれむとする、「アンナ奴」と呼ばれたる音吐朗々のナポレオンに、渾身の注意を向けた。朱雲の手紙に「独眼竜ダヨ」と頭註がついてあつたが、自分はたゞ単に、ヲートルローの大戦で誤つて一眼を失つたのだらう位に考へて、敢て其為めに千古の真骨頭ナポレオン・ボナパルトの颯爽たる威風が、一毫たりとも損ぜられたものとは信じなんだのである。或は却つて一段秋霜烈日の厳を増したのではないかと思つた。忠太は体を横に開いてヒヨコリと頭を下げる。や否や、逃ぐるが如く出て行つてしまつた。
天が下には隠家もなくなつて、今現身の英傑は我が目前咫尺の処に突兀として立ち給ふたのである。自分も立ち上つた。
此時、自分は俄かに驚いて叫ばんとした。あはれ千載万載一遇の此月此日此時、自分の双眼が突如として物の用に立たなくなつたではないか。これ程劇甚な不幸は、またとこの世にあるべきでない。自分は力の限り二三度瞬いて見て、そして復力の限り目をつた。然しダメである。ヲートルローの大戦に誤つて流弾の為めに一眼を失ひ、却つて一段秋霜烈日の厳を加へた筈のナポレオン・ボナパルトは、既に長しなへに新田耕助の仰ぎ見るべからざるものとなつたのである。自分の大くつた目は今、数秒の前千古の英傑の立ち止つたと思ふた其同じ処に、悄然として塵塚の痩犬の如き一人物の立つて居るのを見つめて居るのだ。実に天下の奇蹟である。いかなる英傑でも死んだ跡には唯骸骨を残すのみだといふ。シテ見れば、今自分の前に立つて居るのは、或はナポレオンの骸骨であるかも知れない。
よしや骸骨であるにしても、これは又サテ/\見すぼらしい骸骨である哩。身長五尺の上を出る事正に零寸零分、埃と垢で縞目も見えぬ木綿の袷を着て、帯にして居るのは巾狭き牛皮の胴締、裾からは白い小倉の洋袴の太いのが七八寸も出て居る。足袋は無論穿いて居ない。髪は二寸も延びて、さながら丹波栗の毬を泥濘路にころがしたやう。目は? 成程独眼竜だ。然しヲートルローで失つたのでは無論ない。恐らく生来であらう、左の方が前世に死んだ時の儘で堅く眠つて居る。右だつて完全な目ではない。何だか普通の人とは黒玉の置き所が少々違つて居るやうだ。鼻は先づ無難、口は少しく左に歪んで居る。そして頬が薄くて、血色が極めて悪い。これらの道具立の中に、独り威張つて見える広い額には、少なからず汗の玉が光つて居る。涼しさうにもない。その筈だ、六月三十日に袷を着ての旅人だもの。忠太がヒヨツトコの真似をして見せたのも、「アンナ奴」と馬鈴薯の叫んだのも、自身の顔の見えぬ故でもあらうが、然し左程当を失して居ない様にも思はれる。
斯う自分の感じたのは無論一転瞬の間であつた。たとへ一転瞬の間と雖ども、かくの如きさもしい事を、この日本一の代用教員たる自分の胸に感じたのは、実に慚愧に堪へぬ悪徳であつたと、自分の精神に覚醒の鞭撻を与へて呉れたのは、この奇人の歪める口から迸しつた第一声である。
『僕は石本俊吉と申します。』
あゝ、声だけは慥かにナポレオンにしても恥かしくない声だ。この身体の何処に貯へて置くかと怪まれる許り立派な、美しい、堂々たる、広い胸の底から滞りなく出る様な、男らしい凛とした声である。一葉の牡蠣の殻にも、詩人が聞けば、遠き海洋の劫初の轟きが籠つて居るといふ。さらば此男も、身体こそ無造作に刻まれた肉塊の一断片に過ぎぬが、人生の大殿堂を根柢から揺り動かして響き渡る一撞万声の鯨鐘の声を深く這裏に蔵して居るのかも知れない。若しさうとすると、自分を慚愧すべき一瞬の悪徳から救ひ出したのは、此影うすきナポレオンの骸骨ではなくて、老ゆる事なき人生至奥の鐘の声の事になる。さうだ、慥かにさうだ。この時自分は、その永遠無窮の声によつて人生の大道に覚醒した。そして、畏友朱雲から千古の名文によつて紹介された石本俊吉君に、初対面の挨拶を成すべき場合に立つて居ると覚悟をきめたのである。
『僕が新田です。初めて。』
『初めて。』
と互に一揖する。
『天野君のお手紙はどうも有難う。』
『どうしまして。』
斯う云つて居る間に、自分は不図或る一種の痛快を感じた。それは、随分手酷い反抗のあつたに不拘、飄然として風の如く此職員室に立ち現れた人物が、五尺二寸と相場の決つた平凡人でなくて、実に優秀なる異彩を放つ所の奇男子であるといふ事だ。で、自分は、手づから一脚の椅子を石本に勧めて置いて、サテ屹となつて四辺を見た。女教師は何を感じてか凝然として此新来の客の後姿に見入つて居る。他の三人の顔色は云はずとも知れた事。自分は疑ひもなく征服者の地位に立つて居る。
『一寸お紹介します。この方は、私の兄とも思つて居る人からの紹介状を持つて、遙々訪ねて下すつた石本俊吉君です。』
何れも無言。それが愈々自分に痛快に思はれた。馬鈴薯は『チヨッ』と舌打して自分を一睨したが、矢張一言もなく、すぐ又石本を睨め据ゑる。恐らく余程石本の異彩ある態度に辟易してるのであらう。石本も亦敢て頭を下げなんだ。そして、如何に片目の彼にでも直ぐ解る筈の此不快なる光景に対して、殆んど無感覚な位極めて平気である。どうも面白い。余程戦場の数を踏んだ男に違ひない。荒れ狂ふ獅子の前に推し出しても、今朝喰つた飯の何杯であつたかを忘れずに居る位の勇気と沈着をば持つて居さうに思はれる。
得意の微笑を以て自分は席に復した。石本も腰を下した。二人の目が空中に突き当る。此時自分は、対手の右の目が一種抜群の眼球を備へて居る事を発見した。無論頭脳の敏活な人、智の活力の盛んな人の目ではない。が兎に角抜群な眼球である丈けは認められる。そして其抜群な眼球が、自分を見る事決して初対面の人の如くでなく、親しげに、なつかしげに、十年の友の如く心置きなく見て居るといふ事をも悟つた。ト同時に、口の歪んで居る事も、独眼竜な事も、ナポレオンの骸骨な事も、忠太の云つた「気をつけさつしあい」といふ事も、悉皆胸の中から洗ひ去られた。感じ易き我が心は、利害得失の思慮を運らす暇もなく、彼の目に溢れた好意を其儘自分の胸の盃で享けたのだ。いくら浮世の辛い水を飲んだといつても、年若い者のする事は常に斯うである。思慮ある人は笑ひもしやう。笑はば笑へ、敢て関する所でない。自分は年が若いのだもの。あゝ、青春幾時かあらむ。よしや頭が禿げてもこの熱かい若々しい心情だけは何日までも持つて居たいものだと思つて居る。何んぞ今にして早く蒸溜水の様な心に成られやう。自分と石本俊吉とは、逢会僅か二分間にして既に親友と成つた。自分は二十一歳、彼は、老けても見え若くも見えるが、自分よりは一歳か二歳兄であらう。何れも年が若いのだ。初対面の挨拶が済んだ許りで、二人の目と目が空中で突当る。此瞬間に二つの若き魂がピタリと相触れた。親友に成る丈けの順序はこれで沢山だ。自分は彼も亦一箇の快男児であると信ずる。
然し其風采は? 噫其風采は!――自分は実際を白状すると、先刻から戦時多端の際であつたので、実は稍々心の平静を失して居た傾がある。随つて此新来の客に就いても、観察未だ到らなかつた点が無いと云へぬ。今、一脚の卓子に相対して、既に十年の友の心を以て仔細に心置きなく見るに及んで、自分は今更の如く感動した。噫々、何といふ其風采であらう。口を開けばこそ、音吐朗々として、真に凛たる男児の声を成すが、斯う無言の儘で相対して見れば、自分はモウ直視するにも堪へぬ様な気がする。噫々といふ外には、自分のうら若き友情は、他に此感じを表はすべき辞を急に見出しかねるのだ。誠に失礼な言草ではあるが、自分は先に「悄然として塵塚の痩犬の如き一人物」と云つた。然しこれではまだ恐らく比喩が適切でない。「一人物」といふよりも、寧ろ「悄然」其物が形を表はしたといふ方が当つて居るかも知れぬ。
顔の道具立は如何にも調和を失して居る、奇怪である、余程混雑して居る。然し、其混雑して居る故かも知れぬが、何処と云つて或る一つの纏まつた印象をば刻んで居ない。若し其道具立の一つ/\から順々に帰納的に結論したら、却つて「悄然」と正反対な或るエツクスを得るかも知れない。然し此男の悄然として居る事は事実だから仕様がないのだ。長い汚ない頭髪、垢と塵埃に縞目もわかぬ木綿の古袷、血色の悪い痩せた顔、これらは無論其「悄然」の条件の一項一項には相違ないが、たゞ之れ丈けならば、必ずしも世に類のないでもない、実際自分も少なからず遭遇した事もある。が、斯く迄極度に悄然とした風采は、二十一年今初めてである。無理な語ではあるが、若し然云ふをうべくんば、彼は唯一箇の不調和な形を具へた肉の断片である、別に何の事はない肉の断片に過ぎぬ、が、其断片を遶る不可見の大気が極度の「悄然」であるのであらう。さうだ、彼自身は何処までも彼自身である。唯其周囲の大気が、凝固したる陰欝と沈痛と悲惨の雲霧であるのだ。そして、これは一時的であるかも知れぬが、少なからぬ「疲労」の憔悴が此大気をして一層「悄然」の趣を深くせしむる陰影を作して居る。或は又、「空腹」の影薄さも這裏に宿つて居るかも知れない。
礼を知らぬ空想の翼が電光の如くひらめく。偶然にも造化の悪戯によつて造られ、親も知らず兄弟も知らずに、虫の啼く野の石に捨てられて、地獄の鉄の壁から伝はつてくる大地の冷気に育くまれ、常に人生といふ都の外濠伝ひに、影の如く立ち並ぶ冬枯の柳の下を、影の如くそこはかと走り続けて来た、所謂自然生の放浪者、大慈の神の手から直ちに野に捨てられた人肉の一断片、――が、或は今自分の前に居る此男ではあるまいか。さうとすると、かの音吐朗々たる不釣合な声も、或日或時或機会、螽を喰ひ野蜜を嘗め、駱駝の毛衣を着て野に呼ぶ予言者の口から学び得たのかと推諒する事も出来る。又、「エイ、エイツ」と馬丁の掛声勇ましき黒塗馬車の公道を嫌つて、常に人生の横町許り彷徨いて居る朱雲がかゝる男と相知るの必ずしも不合理でない事もうなづかれる。然し、それにしては「石本俊吉」といふ立派な紳士の様な名が、どうも似合はない様だ。或は又、昔は矢張慈母の乳も飲み慈父の手にも抱かれ、愛の揺籃の中に温かき日に照され清浄の月に接吻された児が、世によくある奴の不運といふ高利貸に、親も奪はれ家も取られ、濁りなき血の汗を搾り搾られた揚句が、冷たい苔の上に落ちた青梅同様、長しなへに空の日の光といふものを遮られ、酷薄と貧窮と恥辱と飢餓の中に、年少脆弱、然も不具の身を以て、健気にも単身寸鉄を帯びず、眠る間もなき不断の苦闘を持続し来つて、肉は落ち骨は痩せた壮烈なる人生の戦士――が、乃ち此男ではあるまいか。朱雲は嘗て九円の月俸で、かゝる人生の戦士が暫しの休息所たる某監獄に看守の職を奉じて居た事がある。して見れば此二人が必ずしも接近の端緒を得なんだとはいへない。今思ひ出す、彼は嘗て斯う云ふた事がある、『監獄が悪人の巣だと考へるのは、大いに間違つて居るよ、勿体ない程間違つて居るよ。鬼であるべき筈の囚人共が、政府の官吏として月給で生き剣をブラ下げた我々看守を、却つて鬼と呼んで居る。其筈だ、真の鬼が人間の作つた法律の網などに懸るものか。囚人には涙もある血もある、又よく物の味も解つて居る、実に立派な戦士だ、たゞ悲しいかな、一つも武器といふものを持つて居ない。世の中で美い酒を飲んでる奴等は、金とか地位とか皆それ/″\に武器を持つて居るが、それを、その武器だけを持たなかつた許りに戦がまけて、立派な男が柿色の衣を着る。君、大臣になれば如何な現行犯をやつても、普通の巡査では手を出されぬ世の中ではないか。僕も看守だ、が、同僚と喧嘩はしても、まだ囚人の頬片に指も触つた事がない。朝から晩まで夜叉の様に怒鳴つて許り居る同僚もあるが、どうして此僕にそんな事が出来るものか。』
然し此想像も亦、敢て当れりとは云ひ難い。何故となれば、現に今自分を見て居るこの男の右の眼の、親しげな、なつかしげな、心置きなき和かな光が、別に理由を説明するでもないが、何だか、『左様ではありませぬ』と主張して居る様に見える。平生いかに眼識の明を誇つて居る自分でも、此咄嗟の間には十分精確な判断を下す事は出来ぬ。が兎も角、我が石本君の極めて優秀なる風采と態度とは、決して平凡な一本路を終始並足で歩いて来た人でないといふ事丈けは、完全に表はして居るといつて可。まだ一言の述懐も説明も聞かぬけれど、自分は斯う感じて無限の同情を此悄然たる人に捧げた。自分と石本君とは百分の一秒毎に、密接の度を強めるのだ。そして、旅順の大戦に足を折られ手を砕かれ、両眼また明を失つた敗残の軍人の、輝く金鵄勲章を胸に飾つて乳母車で通るのを見た時と、同じ意味に於ての痛切なる敬意が、また此時自分の心頭に雲の如く湧いた。
茲に少しく省略の筆を用ゐる。自分の問に対して、石本君が、例の音吐朗々たるナポレオン声を以て詳しく説明して呉れた一切は、大略次の如くであつた。
石本俊吉は今八戸(青森県三戸郡)から来た。然し故郷はズツト南の静岡県である。土地で中等の生活をして居る農家に生れて、兄が一人妹が一人あつた。妹は俊吉に似ぬ天使の様な美貌を持つて居たが、其美貌祟りをなして、三年以前、十七歳の花盛の中に悲惨な最後を遂げた。公吏の職にさへあつた或る男の、野獣の如き貪婪が、罪なき少女の胸に九寸五分の冷鉄を突き立てたのだといふ。兄は立派な体格を備へて居たが、日清の戦役に九連城畔であへなく陣歿した。『自分だけは醜い不具者であるから未だ誰にも殺されないのです、』と俊吉は附加へた。両親は仲々勤勉で、何一つ間違つた事をした覚えもないが、どうしたものか兄の死後、格段な不幸の起つたでもないのに、家運は漸々傾いて来た。そして、俊吉が十五の春、土地の高等小学校を卒業した頃は、山も畑も他人の所有に移つて、少許の田と家屋敷が残つて居た丈けであつた。其年の秋、年上な一友と共に東京へ夜逃をした。新橋へ着いた時は懐中僅かに二円三十銭と五厘あつた丈けである。無論前途に非常な大望を抱いての事。稚ない時から不具な為めに受けて来た恥辱が、抑ゆべからざる復讐心を起させて居たので、この夜逃も詰りは其為めである。又同じ理由に依つて、上京後は労働と勉学の傍ら熱心に柔道を学んだ、今ではこれでも加納流の初段である。然し其頃の悲惨なる境遇は兎ても一朝一夕に語りつくす事が出来ない、餓ゑて泣いて、国へ帰らうにも旅費がなく、翌年の二月、さる人に救はれる迄は定まれる宿とてもなかつた位。十六歳にして或る私立の中学校に這入つた。三年許りにして其保護者の死んだ後は、再び大都の中央へ礫の如く投げ出されたが、兎に角非常な労働によつて僅少の学費を得、其学校に籍だけは置いた。昨年の夏、一月許り病気をして、ために東京では飯喰ふ道を失ひ、止むなく九月の初めに、友を便つて乞食をしながら八戸迄東下りをした。そして、実に一週間以前までは其処の中学の五年級で、朝は早く『八戸タイムス』といふ日刊新聞の配達をし、午後三時から七時迄四時間の間は、友人なる或菓子屋に雇はれて名物の八戸煎餅を焼き、都合六円の金を得て月々の生命を繋ぎ、又学費として、孤衾襟寒き苦学自炊の日を送つて来たのだといふ。年齢は二十二歳、身の不具で弱くて小さい所以は、母の胎内に七ヶ月しか我慢がしきれず、無理矢理に娑婆へ暴れ出した罰であらうと考へられる。
天野朱雲氏との交際は、今日で恰度半年目である。忘れもせぬ本年一月元旦、学校で四方拝の式を済ましてから、特務曹長上りの予備少尉なる体操教師を訪問して、苦学生の口には甘露とも思はれるビールの馳走を受けた。まだ酔の醒めぬ顔を、ヒユーと矢尻を研ぐ北国の正月の風に吹かせ乍ら、意気揚々として帰つてくると、時は午後の四時頃、とある町の彼方から極めて異色ある一人物が来る。酒とお芽出度うと晴衣の正月元日に、見れば自分と同じ様に裾から綿も出ようといふ古綿入を着て、羽織もなく帽子もなく、髪は蓬々として熊の皮を冠つた如く、然も癪にさはる程悠々たる歩調で、洋杖を大きく振り廻し乍ら、目は雪曇りのした空を見詰めて、……。初めは狂人かと思つた。近づいて見ると、五分位に延びた漆黒の鬚髯が殆んど其平たい顔の全面を埋めて、空を見詰むる目は物凄くもギラ/\する巨大なる洞穴の様だ。随分非文明な男だと思ひ乍ら行きずりに過ぎやうとすると、其男の大圏に振つて居る太い洋杖が、発矢と許り俊吉の肩先を打つた。
『何をするツ。』と身構へると、其男も立止つて振返つた。が、極めて平気で自分を見下すのだ。癪にさはる。先刻も申上げた通り、これでも柔術は加納流の初段であるので、一秒の後には其非文明な男は雪の堅く氷つた路へと許り倒れた。直ぐ起き上る。打つて来るかとまた身構へると、矢張平気だ。そして破鐘の様な声で、怒つた風もなく、
『君は元気のいい男だね!』
自分の満身の力は、此一語によつて急に何処へか逃げて了つた。トタンに復、
『面白い。どうだ君、僕と一しよに来給へ。』
『君も変な男だね!』
と自分も云つて見た。然し何の効能も無かつた。変な男は悠々と先に立つて歩く。自分も黙つて其後に従つた。見れば見る程、考へれば考へる程、誠に奇妙な男である。此時まで斯ういふ男は見た事も聞いた事もない。一種の好奇心と、征服された様な心持とに導かれて、三四町も行くと、
『此処だ。独身ぢやから遠慮はない。サア。』
「此処」は、広くもあらぬ八戸の町で、新聞配達の俊吉でさへ知らなかつた位な場処、と云はば、大抵どんな処か想像がつかう。薄汚ない横町の、昼猶暗き路次を這入つた突当り、豚小舎よりもまだ酷い二間間口の裏長屋であつた。此日、俊吉が此処から帰つたのは、夜も既に十一時を過ぎた頃であつた。その後は殆んど夜毎に此豚小舎へ通ふやうになつた。変な男は乃ち朱雲天野大助であつたのだ。『天野君は僕の友人で、兄で、先生で、そして又導師です。』と俊吉は告白した。
家出をして茲に足掛八年、故郷へ還つたのは三年前に妹が悲惨な最後を遂げた時唯一度である。家は年々に零落して、其時は既に家屋敷の外父の所有といふものは一坪もなかつた。四分六分の残酷な小作で、漸やく煙を立てて居たのである。老いたる母は、其儘俊吉をひき留めやうと云ひ出した。然し父は一言も云はなかつた。二週間の後には再び家を出た。その時父は、『壮健で豪い人になつてくれ。それ迄は死なないで待つて居るぞ。石本の家を昔に還して呉れ。』といつて、五十余年の労苦に疲れた眼から大きい涙を流した。そして、何処から工面したものか、十三円の金を手づから俊吉の襯衣の内衣嚢に入れて呉れた。これが、父の最後の言葉で、又最後の慈悲であつた。今は再びこの父をこの世に見る事は出来ない。
と云ふのは、父は五十九歳を一期として、二週間以前にあの世の人と成つたのである。この通知の俊吉に達したのは、実に一週間前の雨の夕であつた。
『この手紙です。』といつて一封の書を袂から出す。そして、打湿つた声で話を続ける。
『僕は泣いたです。例の菓子屋から、傘がないので風呂敷を被つて帰つて来て見ると、宿の主婦さんの渡してくれたのが此手紙です。いくら読み返して見ても、矢張り老父が死んだとしか書いて居ない。そんなら何故電報で知らして呉れぬかと怨んでも見ましたが、然し私の村は電信局から十六里もある山中なんです。恰度其日が一七日と気がつきましたから、平常嫌ひな代数と幾何の教科書を売つて、三十銭許り貰ひました。それで花を一束と、それから能く子供の時に老父が買つて来て呉れました黒玉――アノ、黒砂糖を堅くした様な小さい玉ですネ、あれを買つて来て、写真などもありませんから、この手紙を机の上に飾つて、そして其花と黒玉を手向けたんです。……其時の事は、もう何とも口では云へません。残つたのは母一人です、そして僕は、二百里も遠い所に居て矢張一人ポッチです。』
石本は一寸句を切つた。大きい涙がボロ/\と其右の眼からこぼれた。自分も涙が出た。何か云はうとして口を開いたが、声が出ない。
『その晩は一睡もしませんでした。彼是十二時近くだつたでせうが、線香を忘れて居たのに気が付きまして、買ひに出掛けました。寝て了つた店をやう/\叩き起して、買ふには買ひましたが、困つたです、雨が篠をつく様ですし、矢張風呂敷を被つて行つたものですから、其時はもうビシヨ濡れになつて居ます。どうして此線香を濡らさずに持つて帰らうかと思つて、薬種屋の軒下に暫らく立つて考へましたが、店の戸は直ぐ閉るし、後は急に真暗になつて、何にも見えません。雨はもう、轟々ツと鳴つて酷い降り様なんです。望の綱がスツカリ切れて了つた様な気がして、僕は生れてから、随分心細く許り暮して来ましたが、然し此時の位、何も彼もなくたゞ無暗にもう死にたくなつて、呼吸もつかずに目を瞑る程心細いと思つた事はありません。斯んな時は涙も出ないですよ。
『それから、其処に立つて居たのが、如何程の時間か自分では知りませんが、気が付いた時は雨がスツカリ止んで、何だか少し足もとが明るいのです。見ると東の空がボーツと赤くなつて居ましたつけ。夜が明けるんですネ。多分此時まで失神して居たのでせうが、よくも倒れずに立つて居たものと不思議に思ひました。線香ですか? 線香はシツカリ握つて居ました、堅く。しかし濡れて用に立たなくなつて居るのです。
『また買はうと思つたんですが、濡れてビシヨ/\の袂に一銭五厘しか残つて居ないんです。一把二銭でしたが……。本を売つた三十銭の内、国へ手紙を出さうと思つて、紙と状袋と切手を一枚買ひましたし、花は五銭でドツサリ、黒玉も、たゞもう父に死なれた口惜まぎれに、今思へば無考な話ですけれども、十五銭程買つたのですもの。仕方がないから、それなり帰つて来て、其時は余程障子も白んで居ましたが、復此手紙を読みました。所が、可成早く国に帰つて呉れといふ事が、繰り返し/\書いてあるんです。昨夜はチツとも気がつかなかつたですが、無論読んだには読んだ筈なんで、多分「父が死んだ」といふ、たゞそれ丈けで頭が一杯だつた故でせう。成程、父と同年で矢張五十九になる母が唯一人残つたのですもの、どう考へたつて帰らなくちやならない、且つ自分でも羽があつたら飛んで行きたい程一刻も早く帰り度いんです。然し金がない、一銭五厘しか無い、草鞋一足だつて二銭は取られまさアね。新聞社の方も菓子屋の方も、実は何日でも月初めに前借してるんで駄目だし、それに今月分の室賃はまだ払つて居ないのだから、財産を皆売つた所で五銭か十銭しか、残りさうも無い。財産と云つたものの、蒲団一枚に古机一つ、本は漢文に読本に文典と之丈、あとの高い本は皆借りて写したんですから売れないんです。尤もまだ毛布が一枚ありましたけれども、大きい穴が四ツもあるのだから矢張駄目なんです。室賃は月四十銭でした、長屋の天井裏ですもの。児玉――菓子屋へ行つて話せば、幾何か出して貰へんこともなかつたけれど、然し今迄にも度々世話になつてましたからネ。考へて考へて、去年東京から来た時の経験もあるし、尤も余り結構な経験でもありませんが、仕方が無いから思ひ切つて、乞食をして国まで帰る事に遂々決心したんです。貧乏の位厚顔な奴はありませんネ。此決心も、僕がしたんでなくて、貧乏がさせたんですネ。それでマア決心した以上は一刻の猶予もなりませんし、国へは直ぐさう云つて手紙を出しました。それから、九時に学校へ行つて、退校願を出したり、友人へ告別したりして。尤も告別する様な友人は二人しかありませんでしたが、……処が校長の云ふには、「君は慥か苦学して居る筈だつたが、国へ帰るに旅費などはあるのかナ。」と、斯ういふんです。僕は、乞食して行く積りだつて、さう答へた処が、「ソンナ無謀な破廉恥な事はせん方が可だらう。」と云ひました。それではどうしたら可でせうと問ひますと、「マア能く考へて見て、何とかしたら可ぢやないか。」と抜かしやがるんです。癪に触りましたネ。それから、帰りに菓子屋へ行つて其話をして、新聞社の方も断はつて、古道具屋を連れて来ました。前に申上げた様な品物に、小倉の校服の上衣だの、硯だのを加へて、値踏みをさせますと、四十銭の上は一文も出せないといふんです。此方の困つてるのに見込んだのですネ。漸やくの次第で四十五銭にして貰つて、売つて了つたが、残金僅か六銭五厘では、いくら慣れた貧乏でも誠に心細いもんですよ。それに、宿から借りて居た自炊の道具も皆返して了ふし、机も何もなくなつてるし、薄暗い室の中央に此不具な僕が一人坐つてるのでせう。平常から鈍い方の頭が昨夜の故でスツカリ労れ切つてボンヤリして、「老父が死んで、これから乞食をして国へ帰るのだ」といふ事だけが、漠然と頭に残つてるんです。此漠然として目的も手段も何もない処が、無性に悲しいんで、たゞもう声を揚げて泣きたくなるけれども、声も出ねば涙も出ない。何の事なしにたゞ辛くて心細いんですネ。今朝飯を喰はなかつたので、空腹ではあるし、国の事が気になるし、昨夜の黒玉をつかんで無暗に頬ばつて見たんです。
『それから愈々出掛けたんですが、一時頃でしたらう、天野君の家へ這入つたのは。天野君も以前は大抵夜分でなくては家に居なかつたのですが、学校を罷めてからは、一日外へ出ないで、何時でも蟄居して居るんです。』
『天野は罷めたんですか、学校を?』
『エ? 左様々々、君はまだ御存じなかつたんだ。罷めましたよ、遂々。何でも校長といふ奴と、――僕も二三度見て知つてますが、鯰髯の随分変梃な高麗人でネ。その校長と素晴しい議論をやつて勝つたんですとサ。それで二三日経つと突然免職なんです。今月の十四五日の頃でした。』
『さうでしたか。』と自分は云つたが、この石本の言葉には、一寸顔にのぼる微笑を禁じ得なかつた。何処の学校でも、校長は鯰髯の高麗人で、議論をすると必然敗けるものと見える。
然し此微笑も無論三秒とは続かなかつた。石本の沈痛なる話が直ぐ進む。
『学校を罷めてからといふもの、天野君は始終考へ込んで許り居たんですがネ。「少し散歩でもせんと健康が衰へるでせう。」といふと、「馬鹿ツ。」と云ふし、「何を考へて居るのです。」ツて云へば、「君達に解る様な事は考へぬ。」と来るし、「解脱の路に近づくのでせう。」なんて云ふと、「人生は隧道だ。行くところまで行かずに解脱の光が射してくるものか。」と例の口調なんですネ。行つた時は、平生のやうに入口の戸が閉つて居ました。初めての人などは不在かと思ふんですが、戸を閉めて置かないと自分の家に居る気がしないとアノ人が云つてました。其戸を開けると、「石本か。」ツて云ふのが癖でしたが、この時は森として何とも云はないんです。不在かナと思ひましたが、帰つて来るまで待つ積りで上り込んで見ると、不在ぢやない、居るんです。居るには居ましたが、僕の這入つたのも知らぬ風で、木像の様に俯向いて矢張り考へ込んで居るんですナ。「何うしました?」と声をかけると、ヒヨイと首を上げて、「石本か。君は運命の様だナ。」と云ふ。何故ですかツて聞くと、「さうぢやないか、不意の侵入者だもの。」と淋しさうに笑ひましたツけ。それから、「なんだ其顔。陰気な運命だナ。そんな顔をしてるよりは、死ね、死ね。……それとも病気か。」と云ひますから、「病気には病気ですが、ソノ運命と云ふ病気に取り付かれたんです。」ツて答へると、「左様か、そんな病気なら、少し炭を持つて来て呉れ、湯を沸すから。」と再淋しく笑ひました。天野君だつて一体サウ陽気な顔でもありませんが、この日は殊に何だか斯う非常に淋しさうでした。それがまた僕には悲しいんですネ。……で、二人で湯を沸して、飯を喰ひ乍ら、僕は今から乞食をして郷国へ帰る処だツて、何から何まで話したのですが、天野君は大きい涙を幾度も/\零して呉れました。僕はモウ父親の死んだ事も郷国の事も忘れて、コンナ人と一緒に居たいもんだと思ひました。然し天野君が云つて呉れるんです、「君も不幸な男だ、実に不幸な男だ。が然し、余り元気を落すな。人生の不幸の滓まで飲み干さなくては真の人間に成れるものぢやない。人生は長い暗い隧道だ、処々に都会といふ骸骨の林があるツ限。それにまぎれ込んで出路を忘れちや可けないぞ。そして、脚の下にはヒタ/\と、永劫の悲痛が流れて居る、恐らく人生の始よりも以前から流れて居るんだナ。それに行先を阻まれたからと云つて、其儘帰つて来ては駄目だ、暗い穴が一層暗くなる許りだ。死か然らずんば前進、唯この二つの外に路が無い。前進が戦闘だ。戦ふには元気が無くちや可かん。だから君は余り元気を落しては可けないよ。少なくとも君だけは生きて居て、そして最後まで、壮烈な最後を遂げるまで、戦つて呉れ給へ。血と涙さへ涸れなければ、武器も不要、軍略も不要、赤裸々で堂々と戦ふのだ。この世を厭になつては其限だ、少なくとも君だけは厭世的な考へを起さんで呉れ給へ。今までも君と談合つた通り、現時の社会で何物かよく破壊の斧に値せざらんやだ。全然破壊する外に、改良の余地もない今の社会だ。建設の大業は後に来る天才に譲つて、我々は先づ根柢まで破壊の斧を下さなくては不可。然しこの戦ひは決して容易な戦ひではない。容易でないから一倍元気が要る。元気を落すな。君が赤裸々で乞食をして郷国へ帰るといふのは、無論遺憾な事だ、然し外に仕方が無いのだから、僕も賛成する。尤も僕が一文無しでなかつたら、君の様な身体の弱い男に乞食なんぞさせはしない。然し君も知つての通りの僕だ。たゞ、何日か君に話した新田君へ手紙をやるから、新田には是非逢つて行き給へ。何とか心配もして呉れるだらうから。僕にはアノ男と君の外に友人といふものは一人も無いんだから喃。」と云つて、先刻差上げた手紙を書いてくれたんです。それから種々話して居たんですが、暫らくしてから、「どうだ、一週間許り待つて呉れるなら汽車賃位出来る道があるが、待つか待たぬか。」と云ふんです。如何してと聞くと、「ナーニ僕の財産一切を売るのサ。」と云ひますから、ソンナラ君は何うするんですかツて問ふと、暫し沈吟してましたつけが、「僕は遠い処へ行かうと思つてる。」と答へるんです。何処へと聞いても唯遠い処と許りで、別に話して呉れませんでしたが、天野君の事ツてすから、何でも復何か痛快な計画があるだらうと思ひます。考へ込んで居たのも其問題なんでせうね。屹度大計画ですよ、アノ考へ様で察すると。』
『さうですか。天野はまた何処かへ行くと云つてましたか。アノ男も常に人生の裏路許り走つて居る男だが、甚計画をしてるのかネー。』
『無論それは僕なんぞに解らないんです。アノ人の言ふ事行る事、皆僕等凡人の意想外ですからネ。然し僕はモウ頭ツから敬服してます。天野君は確かに天才です。豪い人ですよ。今度だつて左様でせう、自身が遠い処へ行くに旅費だつて要らん筈がないのに、財産一切を売つて僕の汽車賃にしようと云ふのですもの。これが普通の人間に出来る事ツてすかネ。さう思つたから、僕はモウ此厚意だけで沢山だと思つて辞退しました。それからまた暫らく、別れともない様な気がしまして、話してますと、「モウ行け。」と云ふんです。「それでは之でお別れです。」と立ち上りますと、少し待てと云つて、鍋の飯を握つて大きい丸飯を九つ拵へて呉れました。僕は自分でやりますと云つたんですけれど、「そんな事を云ふな、天野朱雲が最後の友情を享けて潔よく行つて呉れ。」と云ひ乍ら、涙を流して僕には背を向けて孜々と握るんです。僕はタマラナク成つて大声を揚げて泣きました。泣き乍ら手を合せて後姿を拝みましたよ。天野君は確かに豪いです。アノ人の位豪い人は決してありません。……(石本は眼を瞑ぢて涙を流す。自分も熱い涙の溢るるを禁じ得なんだ。女教師の啜り上げるのが聞えた。)それから、また坐つて、「これで愈々お別れだ。石本君、生別又兼死別時、僕は慇懃に袖を引いて再逢の期を問ひはせん。君も敢てまたその事を云ひ給ふな。たゞ別れるのだ。別れて君は郷国へ帰り、僕は遠い処へ行くまでだ。行先は死、然らずんば戦闘。戦つて生きるのだ。死ぬのは……否、死と雖ども新たに生きるの謂だ。戦の門出に泣くのは児女の事ぢやないか。別れよう。潔く元気よく別れよう。ネ、石本君。」と云ひますから、「僕だつて男です、潔くお別れします。然し何も、生別死別を兼ぬる訳では無いでせう。人生は成程暗い坑道ですけれど、往来皆此路、君と再び逢ふ期が無いとは信じられません。逢ひます、屹度再逢ひます。僕は君の外に頼みに思ふ人もありませんし、屹度再何処かで逢ひます。」と云ひますと、「人生は左様都合よくは出来て居らんぞ。……然し何も、君が死にに行くといふではなし、また、また、僕だつて未だ死にはせん。……決して死にはせんのだから、さうだ、再逢の期が遂に無いとは云はん。たゞ、それを頼りに思つて居ると失望する事がないとも限らない。詰らぬ事を頼りにするな。又、人生の雄々しき戦士が、人を頼りにするとは弱い話だ。……僕は此八戸に来てから、君を得て初めて一道の慰藉と幸福を感じて居た。僅か半歳の間、々たる貧裡半歳の間とは云へ、僕が君によつて感じ得た幸福は、長なへに我等二人を親友とするであらう。僕が心を決して遠い処へ行かんとする時、君も亦飄然として遙かに故園に去る、――此八戸を去る。好し、行け、去れ、去つて再び問ふこと勿れ。たゞ、願はくは朱雲天野大助と云ふ世外の狂人があつたと丈けは忘れて呉れ給ふな。……解つたか、石本。」と云つて、ジツと僕を凝視るのです。「解りました。」ツて頭を下げましたが、返事が無い。見ると、天野君は両膝に手をついて、俯向いて目を瞑つてました。解りましたとは云つたものの、僕は実際何もかも解らなくなつて、只斯う胸の底を掻きむしられる様で、ツイと立つて入口へ行つたです。目がしきりなく曇るし、手先が慄へるし、仲々草鞋が穿けなかつたですが、やう/\紐をどうやら結んで、丸飯の新聞包を取り上げ乍ら見ると、噫、天野君は死んだ様に突伏してます。「お別れです。」と辛うじて云つて見ましたが、自分の声の様で無い、天野君は突伏した儘で、「行け。」と怒鳴るんです。僕はモウ何とも云へなくなつて、大声に泣き乍ら駆け出しました。路次の出口で振返つて見ましたが、無論入口に出ても居ません。見送つて呉れる事も出来ぬ程悲しんで呉れるのかと思ひますと、有難いやら嬉しいやら怨めしいやらで、丸飯の包を両手に捧げて入口の方を拝んだと迄は知つてますが、アトは無宙で駆け出したです。……人生は何処までも惨苦です。僕は天野君から真の弟の様にされて居たのが、自分一生涯の唯一度の幸福だと思ふのです。』
語り来つて石本は、痩せた手の甲に涙を拭つて悲気に自分を見た。自分もホツと息を吐いて涙を拭つた。女教師は卓子に打伏して居る。
〔生前未発表・明治三十九年七月稿、十一月補稿〕