10話 「天神様」
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僕等は門並みの待合の間をやつと「天神様」の裏門へ辿りついた。するとその門の中には夏外套を着た男が一人、何か滔々としやべりながら、「お立ち合ひ」の人々へ小さい法律書を売りつけてゐた。僕は彼の雄辯に辟易せずにはゐられなかつた。が、この人ごみを通りこすと、今度は背広を着た男が一人最新化学応用の目薬と云ふものを売りつけてゐた。この「天神様」の裏の広場も僕の小学時代にはなかつたものである。しかし広場の出来た後にもここにかかる見世物小屋は活き人形や「からくり」ばかりだつた。
「こつちは法律、向うは化学――ですね。」
「亀井戸も科学の世界になつたのでせう。」
僕等はこんなことを話し合ひながら、久しぶりに「天神様」へお詣りに行つた。「天神様」の拝殿は仕合せにも昔に変つてゐない。いや、昔に変つてゐないのは筆塚や石の牛も同じことである。僕は僕の小学時代に古い筆を何本も筆塚へ納めたことを思ひ出した。(が、僕の字は何年たつても、一向上達する容子はない。)それから又石の牛の額へ銭を投げてのせることに苦心したことも思ひ出した。かう云ふ時に投げる銭は今のやうに一銭銅貨ではない。大抵は五厘銭か寛永通宝である。その又穴銭の中の文銭を集め、所謂「文銭の指環」を拵へたのも何年前の流行であらう。僕等は拝殿の前へ立ち止まり、ちよつと帽をとつてお時宜をした。
「太鼓橋も昔の通りですか?」
「ええ、――しかしこんなに小さかつたかな。」
「子供の時に大きいと思つたものは存外あとでは小さいものですね。」
「それは太鼓橋ばかりぢやないかも知れない。」
僕等は暖簾をかけた掛け茶屋越しにどんより水光りのする池を見ながら、やつと短い花房を垂らした藤棚の下を歩いて行つた。この掛け茶屋や藤棚もやはり昔に変つてゐない。しかし木の下や池のほとりに古人の句碑の立つてゐるのは僕には何か時代錯誤を感じさせない訣には行かなかつた。江戸時代に興つた「風流」は江戸時代と一しよに滅んでしまつた。唯僕等の明治時代はまだどこかに二百年間の「風流」の《にほひ》を残してゐた。けれども今は目のあたりに、――O君はにやにや笑ひながら、恐らくは君自身は無意識に僕にこの矛盾を指し示した。
「カルシウム煎餅も売つてゐますね。」
「ああ、あの大きい句碑の前にね。――それでもまだ張り子の亀の子は売つてゐる。」
僕等は、「天神様」の外へ出た後、「船橋屋」の葛餅を食ふ相談をした。が、本所に疎遠になつた僕には「船橋屋」も容易に見つからなかつた。僕はやむを得ず荒物屋の前に水を撒いてゐたお上さんに田舎者らしい質問をした。それから花柳病の医院の前をやつと又船橋屋へ辿り着いた。船橋屋も家は新たになつたものの、大体は昔に変つてゐない。僕等は縁台に腰をおろし、鴨居の上にかけ並べた日本アルプスの写真を見ながら、葛餅を一盆づつ食ふことにした。
「安いものですね、十銭とは。」
O君は大いに感心してゐた。しかし僕の中学時代には葛餅も一盆三銭だつた。僕は僕の友だちと一しよに江東梅園などへ遠足に行つた帰りに度たびこの葛餅を食つたものである。江東梅園も臥龍梅と一しよに滅びてしまつてゐるであらう。水田や榛の木のあつた亀井戸はかう云ふ梅の名所だつた為に南画らしい趣を具へてゐた。が、今は船橋屋の前も広い新開の往来の向うに二階建の商店が何軒も軒を並べてゐる。……