本所両国

10話 「天神様」

1,378字 約3分 1999年8月23日 公開

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 僕等は門並(かどな)みの待合(まちあひ)(あひだ)をやつと「天神様(てんじんさま)」の裏門へ辿(たど)りついた。するとその門の中には夏外套を着た男が一人(ひとり)、何か滔々としやべりながら、「お立ち合ひ」の人々へ小さい法律書を売りつけてゐた。僕は彼の雄辯に辟易(へきえき)せずにはゐられなかつた。が、この人ごみを通りこすと、今度は背広を着た男が一人最新化学応用の目薬(めぐすり)と云ふものを売りつけてゐた。この「天神様」の裏の広場も僕の小学時代にはなかつたものである。しかし広場の出来た(のち)にもここにかかる見世物小屋(みせものごや)()き人形や「からくり」ばかりだつた。

「こつちは法律(はふりつ)、向うは化学――ですね。」

亀井戸(かめゐど)も科学の世界になつたのでせう。」

 僕等はこんなことを話し合ひながら、久しぶりに「天神様」へお詣りに行つた。「天神様」の拝殿は仕合せにも昔に変つてゐない。いや、昔に変つてゐないのは筆塚(ふでづか)や石の牛も同じことである。僕は僕の小学時代に古い筆を何本も筆塚へ納めたことを思ひ出した。(が、僕の字は何年たつても、一向(いつかう)上達する容子(ようす)はない。)それから又石の牛の額へ銭を投げてのせることに苦心したことも思ひ出した。かう云ふ時に投げる銭は今のやうに一銭銅貨ではない。大抵(たいてい)は五厘銭か寛永通宝(くわんえいつうはう)である。その又穴銭の中の文銭(ぶんせん)を集め、所謂(いはゆる)「文銭の指環(ゆびわ)」を(こしら)へたのも何年(まへ)の流行であらう。僕等は拝殿の前へ立ち止まり、ちよつと帽をとつてお時宜(じぎ)をした。

太鼓橋(たいこばし)も昔の通りですか?」

「ええ、――しかしこんなに小さかつたかな。」

「子供の時に大きいと思つたものは存外(ぞんぐわい)あとでは小さいものですね。」

「それは太鼓橋(たいこばし)ばかりぢやないかも知れない。」

 僕等は暖簾(のれん)をかけた掛け茶屋越しにどんより水光りのする池を見ながら、やつと短い花房を垂らした藤棚(ふぢだな)の下を歩いて行つた。この掛け茶屋や藤棚もやはり昔に変つてゐない。しかし木の下や池のほとりに古人の句碑の立つてゐるのは僕には何か時代錯誤を感じさせない(わけ)には()かなかつた。江戸時代に興つた「風流」は江戸時代と一しよに滅んでしまつた。唯僕等の明治時代はまだどこかに二百年間の「風流」の《にほひ》を残してゐた。けれども今は()のあたりに、――O君はにやにや笑ひながら、恐らくは君自身は無意識に僕にこの矛盾を()し示した。

「カルシウム煎餅(せんべい)も売つてゐますね。」

「ああ、あの大きい句碑の前にね。――それでもまだ()()の亀の子は売つてゐる。」

 僕等は、「天神様」の外へ出た後、「船橋屋(ふなばしや)」の葛餅(くずもち)を食ふ相談をした。が、本所(ほんじよ)疎遠(そゑん)になつた僕には「船橋屋」も容易に見つからなかつた。僕はやむを得ず荒物屋(あらものや)の前に水を()いてゐたお(かみ)さんに田舎(ゐなか)者らしい質問をした。それから花柳病(くわりうびやう)の医院の前をやつと又船橋屋へ辿(たど)り着いた。船橋屋も家は(あら)たになつたものの、大体は昔に変つてゐない。僕等は縁台(えんだい)に腰をおろし、鴨居(かもゐ)の上にかけ並べた日本アルプスの写真を見ながら、葛餅を一盆(ひとぼん)づつ食ふことにした。

「安いものですね、十銭とは。」

 O君は大いに感心してゐた。しかし僕の中学時代には葛餅も一盆(ひとぼん)三銭だつた。僕は僕の友だちと一しよに江東梅園(かうとうばいゑん)などへ遠足に行つた帰りに度たびこの葛餅を食つたものである。江東梅園も臥龍梅(ぐわりゆうばい)と一しよに滅びてしまつてゐるであらう。水田(すゐでん)(はん)の木のあつた亀井戸(かめゐど)はかう云ふ梅の名所だつた為に南画(なんぐわ)らしい(おもむき)を具へてゐた。が、今は船橋屋の前も広い新開の往来(わうらい)の向うに二階建の商店が何軒も軒を並べてゐる。……

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