本所両国

15話 方丈記

1,494字 約3分 1999年8月23日 公開

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 僕「今日は本所(ほんじよ)へ行つて来ましたよ。」

 父「本所もすつかり変つたな。」

 母「うちの近所はどうなつてゐるえ?」

 僕「どうなつてゐるつて、……釣竿屋の石井(いしゐ)さんにうちを売つたでせう。あの石井さんのあるだけですね。ああ、それから提灯屋(ちやうちんや)もあつた。……」

 伯母(をば)「あすこには洗湯(せんたう)もあつたでせう。」

 僕「今でも常磐湯(ときはゆ)と云ふ洗湯はありますよ。」

 伯母「常磐湯と言つたかしら。」

 妻「あたしのゐた(へん)も変つたでせうね?」

 僕「変らないのは石河岸(いしがし)だけだよ。」

 妻「あすこにあつた、大きい柳は?」

 僕「柳などは勿論焼けてしまつたさ。」

 母「お前のまだ小さかつた頃には電車も通つてゐなかつたんだからね。」

 父「上野(うへの)新橋(しんばし)との(あひだ)さへ鉄道馬車があつただけなんだから。――鉄道馬車と云ふ度に思ひ出すのは……」

 僕「僕の小便をしてしまつた話でせう。満員の鉄道馬車に乗つたまま。……」

 伯母「さうさう、赤いフランネルのズボン下をはいて、……」

 父「何、あの鉄道馬車会社の神戸(かんべ)さんのことさ。神戸さんもこの(あひだ)死んでしまつたな。」

 僕「東京電燈の神戸(かんべ)さんでせう。へええ、神戸さんを知つてゐるんですか?」

 父「知つてゐるとも。大倉(おほくら)さんなども知つてゐたもんだ。」

 僕「大倉喜八郎(きはちらう)をね……」

 父「僕もあの時分にどうかすれば、……」

 僕「もうそれだけで沢山(たくさん)ですよ。」

 伯母「さうだね。この上損でもされてゐた日には……」(笑ふ)

 僕「『(はん)()馬場(ばば)』あたりはかたなしですね。」

 父「あすこには葛飾北斎(かつしかほくさい)が住んでゐたことがある。」

 僕「『()下水(げすゐ)』もやつぱり変つてしまひましたよ。」

 母「あすこには(わる)御家人(ごけにん)沢山(たくさん)ゐてね。」

 僕「僕の覚えてゐる時分でも何かそんな気のする所でしたね。」

 妻「お(つる)さんの(うち)はどうなつたでせう?」

 僕「お鶴さん? ああ、あの藍問屋(あゐどんや)の娘さんか。」

 妻「ええ、(にい)さんの好きだつた人。」

 僕「あの(うち)どうだつたかな。兄さんの為にも見て来るんだつけ。(もつと)も前は通つたんだけれども。」

 伯母「あたしは地震の年以来一度も行つたことはないんだから、――行つても驚くだらうけれども。」

 僕「それは驚くだけですよ。伯母(をば)さんには見当(けんたう)もつかないかも知れない。」

 父「何しろ変りも変つたからね。そら、昔は夕がたになると、みんな門を細目(ほそめ)にあけて往来(わうらい)を見てゐたもんだらう?」

 母「法界節(ほふかいぶし)や何かの帰つて来るのをね。」

 伯母「あの時分は蝙蝠(かうもり)沢山(たくさん)ゐたでせう。」

 僕「今は雀さへ飛んでゐませんよ。僕は実際無常(むじやう)を感じてね。……それでも一度行つてごらんなさい。まだずんずん変らうとしてゐるから。」

 妻「わたしは一度子供たちに亀井戸(かめゐど)太鼓橋(たいこばし)を見せてやりたい。」

 父「臥龍梅(ぐわりゆうばい)はもうなくなつたんだらうな?」

 僕「ええ、あれはもうとうに。……さあ、これから驚いたと云ふことを十五回だけ書かなければならない。」

 妻「驚いた、驚いたと書いてゐれば()いのに。」(笑ふ)

 僕「その(ほか)に何も書けるもんか。若し何か書けるとすれば、……さうだ。このポケツト本の中にちやんともう誰か書き尽してゐる。――『玉敷(たましき)の都の中に、(むね)を並べ(いらか)を争へる、(たか)(いや)しき人の住居(すまひ)は、代々(よよ)()てつきせぬものなれど、これをまことかと(たづ)ぬれば、昔ありし家は(まれ)なり。……いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人(ひとり)二人(ふたり)なり。(あした)に死し、(ゆふべ)に生まるるならひ、ただ水の(あわ)にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方(いづかた)より来りて、何方(いづかた)へか去る。』……」

 母「何だえ、それは? 『お文様(ふみさま)』のやうぢやないか?」

 僕「これですか? これは『方丈記(はうぢやうき)』ですよ。僕などよりもちよつと偉かつた(かも)長明(ちやうめい)と云ふ人の書いた本ですよ。」

(昭和二年五月)

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