本所両国

6話 「一銭蒸汽」

1,351字 約3分 1999年8月23日 公開

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 僕等はそこから引き返して川蒸汽(かはじようき)の客になる為に横網(よこあみ)の浮き桟橋(さんばし)へおりて行つた。昔はこの川蒸汽も一銭蒸汽と呼んだものである。今はもう賃銭も一銭ではない。しかし五銭出しさへすれば、何区でも勝手に()かれるのである。けれども屋根のある浮き桟橋は――震災は勿論この浮き桟橋も(ほのほ)にして空へ立ち(のぼ)らせたのであらう。が、一見した所は明治時代に変つてゐない。僕等はベンチに腰をおろし、一本の巻煙草に火をつけながら、川蒸汽の来るのを待つことにした。「石垣にはもう(こけ)が生えてゐますね。もつとも震災以来四五年になるが、……」

 僕はふとこんなことを言ひ、O君の為に笑はれたりした。

「苔の生えるのは当り前であります。」

 大川(おほかは)は前にも書いたやうに一面に泥濁(どろにご)りに濁つてゐる。それから大きい浚渫船(しゆんせつせん)が一艘起重機(きぢゆうき)(もた)げた向う河岸(がし)も勿論「首尾(しゆび)の松」や土蔵(どざう)の多い昔の「一番堀(いちばんぼり)」や「二番堀(にばんぼり)」ではない。最後に川の上を通る船も今では小蒸汽(こじようき)達磨船(だるまぶね)である。五大力(ごだいりき)高瀬船(たかせぶね)伝馬(てんま)荷足(にたり)田船(たぶね)などといふ大小の和船も何時(いつ)()にか流転(るてん)の力に押し流されたのであらう。僕はO君と話しながら、「湘日夜東(げんしやうにちやひがし)に流れて去る」といふ支那人の詩を思ひ出した。かういふ大都会の中の川は(げんしやう)のやうに悠々と時代を超越してゐることは出来ない。現世(げんせい)は実に大川(おほかは)さへ刻々に工業化してゐるのである。

 しかしこの浮き桟橋の上に川蒸汽を待つてゐる人々は大抵(たいてい)大川よりも保守的である。僕は巻煙草をふかしながら、唐桟柄(たうざんがら)の着物を着た男や銀杏(いてふ)返しに()つた女を眺め、何か矛盾に近いものを感じない(わけ)には()かなかつた。同時に又明治時代にめぐり合つた或懐しみに近いものを感じない(わけ)には行かなかつた。そこへ下流から()いで来たのは久振(ひさしぶ)りに見る五大力(ごだいりき)である。(へさき)の高い五大力の上には鉢巻をした船頭(せんどう)一人(ひとり)一丈余りの()を押してゐた。それからお(かみ)さんらしい女が一人御亭主(ごていしゆ)に負けずに竿を差してゐた。かういふ水上生活者の夫婦位妙に僕等にも抒情詩(ぢよじやうし)めいた心もちを起させるものは少ないかも知れない。僕はこの五大力を見送りながら、――その又五大力の上にゐる四五歳の男の子を見送りながら、幾分か彼等の幸福を(うらや)みたい気さへ起してゐた。

 両国橋(りやうごくばし)をくぐつて来た川蒸汽はやつと浮き桟橋へ横着けになつた。「隅田丸(すみだまる)三十号」(?)――僕は或はこの小蒸汽に何度も前に乗つてゐるのであらう。()(かく)これも明治時代に変つてゐないことは確かである。川蒸汽の中は満員だつた上、立つてゐる客も少くない。僕等はやむを得ず(ふね)ばたに立ち、薄日(うすび)の光に照らされた両岸の景色を見て行くことにした。(もつと)(ふな)ばたに立つてゐたのは僕等二人に限つた(わけ)ではない。僕等の前には夏外套(なつぐわいたう)を着た、顋髯(あごひげ)の長い老人さへやはり船ばたに立つてゐたのである。

 川蒸汽は静かに動き出した。すると大勢(おほぜい)の客の中に忽ち「毎度御やかましうございますが」と甲高(かんだか)い声を出しはじめたのは絵葉書や雑誌を売る商人である。これも(また)昔に変つてゐない。若し少しでも変つてゐるとすれば、「何ごとも活動ばやりの世の中でございますから」などと云ふ言葉を(はさ)んでゐることであらう。僕はまだ小学時代からかう云ふ商人の売つてゐるものを一度も買つた覚えはない。が、天窓(てんまど)越しに彼の姿を見おろし、ふと僕の小学時代に伯母(をば)と一しよに川蒸汽へ乗つた時のことを思ひ出した。

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