7話 乗り継ぎ「一銭蒸汽」
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僕等はその時にどこへ行つたのか、兎に角伯母だけは長命寺の桜餅を一籠膝にしてゐた。すると男女の客が二人、僕等の顔を尻目にかけながら、「何かひますね」「うん、糞臭いな」などと話しはじめた。長命寺の桜餅を糞臭いとは、――僕は未だに生意気にもこの二人を田舎者めと軽蔑したことを覚えてゐる。長命寺にも震災以来一度も足を入れたことはない。それから長命寺の桜餅は、――勿論今でも昔のやうに評判の善いことは確かである。しかし《あん》や皮にあつた野趣だけはいつか失はれてしまつた。……
川蒸汽は蔵前橋の下をくぐり、廐橋へ真直に進んで行つた。そこへ向うから僕等の乗つたのとあまり変らない川蒸汽が一艘矢張り浪を蹴つて近づき出した。が、七八間隔ててすれ違つたのを見ると、この川蒸汽の後部には甲板の上に天幕を張り、ちやんと大川の両岸の景色を見渡せる設備も整つてゐた。かういふ古風な川蒸汽も亦目まぐるしい時代の影響を蒙らない訣には行かないらしい。その後へ向うから走つて来たのはお客や芸者を乗せたモオタアボオトである。屋根船や船宿を知つてゐる老人達は定めしこのモオタアボオトに苦々しい顔をすることであらう。僕は江戸趣味に随喜する者ではない。従つて又モオタアボオトを無風流と思ふ者ではない。しかし僕の小学時代に大川に浪を立てるものは「一銭蒸汽」のあるだけだつた。或はその外に利根川通ひの外輪船のあるだけだつた。僕は渡し舟に乗る度に「一銭蒸汽」の浪の来ることを、――このうねうねした浪の為に舟の揺れることを恐れたものである。しかし今日の大川の上に大小の浪を残すものは一々数へるのに耐へないであらう。
僕は船端に立つたまま、鼠色に輝いた川の上を見渡し、確か広重も描いてゐた河童のことを思ひ出した。河童は明治時代には、――少くとも「御維新」前後には大根河岸の川にさへ出没してゐた。僕の母の話に依れば、観世新路に住んでゐた或男やもめの植木屋とかは子供のおしめを洗つてゐるうちに大根河岸の川の河童に腋の下をくすぐられたと言ふことである。(観世新路に植木屋の住んでゐたことさへ僕等にはもう不思議である。)まして大川にゐた河童の数は決して少くはなかつたであらう。いや、必しも河童ばかりではない。僕の父の友人の一人は夜網を打ちに出てゐたところ、何か舳へ上つたのを見ると、甲羅だけでも盥ほどあるすつぽんだつたなどと話してゐた。僕は勿論かういふ話を尽く事実とは思つてゐない。けれども明治時代――或は明治時代以前の人々はこれ等の怪物を目撃する程この町中を流れる川に詩的恐怖を持つてゐたのであらう。
「今ではもう河童もゐないでせう。」
「かう泥だの油だの一面に流れてゐるのではね。――しかしこの橋の下あたりには年を取つた河童の夫婦が二匹未だに住んでゐるかも知れません。」
川蒸汽は僕等の話の中に廐橋の下へはひつて行つた。薄暗い橋の下だけは浪の色もさすがに蒼んでゐた。僕は昔は渡し舟へ乗ると、――いや、時には橋を渡る時さへ、磯臭い《にほひ》のしたことを思ひ出した。しかし今日の大川の水は何のも持つてゐない。若し又持つてゐるとすれば、唯泥臭いだけであらう。……
「あの橋は今度出来る駒形橋ですね?」
O君は生憎僕の問に答へることは出来なかつた。駒形は僕の小学時代には大抵「コマカタ」と呼んでゐたものである。が、それもとうの昔に「コマガタ」と発音するやうになつてしまつた。「君は今駒形あたりほとゝぎす」を作つた遊女も或は「コマカタ」と澄んだ音を「ほとゝぎす」の声に響かせたかつたかも知れない。支那人は「文章は千古の事」と言つた。が、文章もおのづからを失つてしまふことは大川の水に変らないのである。