13話 眇目の男 一
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小坂部と侍従と采女と、三人はあとさきにつながって、木がらしの中を急いで行った。この頃の京の町は人気が穏かでないので、日が暮れると巷に斬取りの強盗が横行する。その噂におびやかされて、まだ宵ながら往来は途絶えて、戸を閉てた家々に燈火のかげも洩れなかった。空一面にきらめいている星の光りも、強い風に吹き消されるかとばかりに瞬いていたが、その星明かりをせめてもの頼りに、三人は暗い夜路をひたすらに急いだ。
「姫上。お早いことでござりまするのう。」と、侍従はあえぎながら言った。
「早いはずじゃ。心が急く。」
小坂部は采女に手をひかれて、ややもすれば吹きやられそうな木枯しの中をうつむき勝ちに走った。侍従は幾たびかつまずきかかって、そのあとを追った。かれは杖を持って出なかったのを悔んだ。塩冶の屋敷は七条のはずれにある。その門前までゆき着いた時には、侍従の額からは汗が滲み出した。
「頼む。」
采女が門口から案内を求めると、一人の若侍が長巻をかかえて出て来た。彼は中国訛りで訊いた。
「どなたでござる。」
「それがしらは執事殿の館からまいった者。夜中の推参、憚りありとは存ずれど、何を申すも火急の用事じゃ。奥方に窃とお逢い申したい。これにあるは殿の御息女じゃ。」
若侍は狐にでも化かされたかというように、暗い中をじろじろと透かし視ていたが、やがて奥へ引っ返して行った。いわゆる飛ぶ鳥も落とすという威勢をもっている高武蔵守師直の息女が、夜陰に忍んで尋ねて来る――それは確かにこの中国武士をおどろかしたに相違なかった。木枯しは又ひとしきり吹きまくって、砂と落葉とが渦巻いてころげて来る中に、三人は袖をかき合わせてたたずんでいると、若侍は松明をかざして再び出て来た。ほかにも二、三人の侍が付いて来た。吹き消されたようにゆらめく火の光りで、かれらは門前に立つ三人の姿をとくと見さだめた上で、うやうやしく式代して奥へ案内した。
侍従は小坂部に付き添って奥へ通ったが、采女は玄関の前に控えていると、侍どもは彼を詰所へ案内して、焚火の前に休ませてくれた。ここでも北国の南朝方がこの頃ふたたび頭をもたげ出したという噂が出た。しかしそれも都までは攻めのぼって来る力があるまいなどとあざわらっていた。正成もほろびた、義貞も討たれた。車の両輪を失った南朝方がいかに燥っても狂っても、どうなるものではないと、どの人もみな楽観しているらしかった。かれらの敵は新田の一族でもない、楠の残党でもない、南朝方でもない。かえって味方の中にあることを、かれらは夢にも知らないのである。采女はそれを気の毒に思った。彼は又、よい主人をもっているということを、まわりの人達から羨まれた。それも何だか彼をくすぐったく感じさせたので、采女はなるべく詞すくなにうけこたえをしていた。
半を過ぎないうちに、小坂部と侍従は奥から送られて出て来た。采女は人々に会釈して暗い門前へ出ると、木枯しはまだ吹きやまなかった。火のそばを離れたせいか、夜の寒さが俄かに身にしみて来た。
「御用は滞りなく相済みましたか。」と、采女は歩きながら小声で訊いた。
「奥方のおどろき、見るも痛わしいような。」と、小坂部は溜め息をついた。「なれど、これでわたしの役目は済んだ。」
「塩冶の方々はどうすることでござりましょう。」と、侍従は不安らしくうしろを見かえった。
「どうすると言うて、逃がれぬ破目じゃ。」と、小坂部は再び嘆息した。「夜のあけぬ間に都を落つる。それよりほかに仕様はあるまい。」
父の讒言がだんだん有力なものになって、将軍家から謀叛の疑いをうける以上、塩冶は安閑として都にはいられない。一刻も早くここを立ち退いて、本国の出雲へ落ちてゆくよりほかはない。それから先きはめいめいの運次第で、どう成りゆくか判らないが、ともかくもここだけは無事に落としてやりたい。こう思って、小坂部は今夜忍んで来たのである。思いもよらない報せを師直の娘から受け取って、塩冶の奥方は涙を流して喜んだ。父に背いてこの密告を敢えてしてくれたかれの芳志は、死んでも決して忘れないと繰り返して感謝した。その感謝をうけ取るに堪えない辛さと苦しさとを我慢して、小坂部は早々に別れて来たのである。これでかれは先ず自分の役目を果たしたような一種の安心を得ると同時に、単に塩冶の一家を救い得たばかりでなく、あわせて父の罪をも救い得たという満足と誇りとを感じた。
「言うまでもないことじゃが、今宵のことはかならず他言無用でござりまするぞ。」と、かれは采女と侍従に固く口止めした。
「勿論のことでござります。」
二人も誓うように答えた。これが露顕すれば、姫ばかりでなく、それに係り合った自分達もどんな仕置きをうけるか判らないのであるから、彼等はもちろん他言する筈はないのであった。しかも無断で館を忍び出た三人は、来た時と同じように帰る路をも急がなければならないので、どこから飛んで来るかも知れない落葉のつぶてを袖で払いながら、采女と侍従とが小坂部の前後をはさんで、堀川の方へ足早にたどって来ると、暗い路ばたから何者かふらふらと迷うようにあらわれて、三人のゆく先に立ち塞がった。
「何者じゃ。退け、退け。」
その途端に、低い叫び声が小坂部の口を衝いて出た。
「あ、眇目の男……。」
これにおどろかされた采女は、梟のような眼をして暗いなかを透かして視ると、星明かりに窺われた彼の姿は、たしかに異国の風俗であるらしく思われた。時が時、場所が場所であるので、采女も思わずぎょっとして、すぐに太刀に手をかけて立ち停まった。
「おのれ、退け。邪魔するな。」
すわといわば容赦せぬという気勢を示したが、相手はびくともしないらしかった。彼は暗い足もとにひざまずいてささやいた。
「館へ戻られてはお身達のためにならぬ。引っ返されい。」
「引っ返してどこへ……。」と、小坂部はひと足すすみ出て訊いた。
「わたくしが御案内申しまする。われらの神の住むところへ……。」
「や、異国か。」と、采女は再び彼を睨めた。「但しは我々をあざむいて、中国九州の敵どもへ人質に渡そうとか。」
「なんの、あざむくことではござらぬ。ともかくわたくしの御案内する方へ……。」
小坂部のそばへ近寄ろうとする彼を、采女はあわてて押しのけた。
「ええ、ならぬ。おのれ執念く付きまつわると命がないと思え。」
いかに美しく、やさしげに見えても、采女は坂東武者の血をうけた其の時代の若い武士である。暗夜に自分達のゆく手をさえぎって、自分の主人の息女――しかも自分の恋人をどこへか誘って行こうとする。この怪しい異国の男に対して、なんの遠慮も容赦もなかった。彼はその男を手あらく突き退けて、小坂部の手をとってふた足三足あゆみ出すと、眇目の男はまた追いすがって来て、小坂部の袂を掴もうとした。采女はいよいよ焦れて彼の腕を強く捻じあげた。
「異国の奴とて命は二つあるまいに、いつまでも邪魔して後悔するな。」
言うかと思うと男の痩せたからだはもう大地に投げ付せられていた。それをあとに見捨てて三人は暗い路をまた走った。眇目の男――それがどうして執念く付きまつわるのか、小坂部は言い知れない不安と疑惑とを感じながら、この場合どうすることも出来ないので、かれは采女のなすままにして真っ直ぐに館へ急いだ。眇目の男のほかに、まだ一つの黒い影が途中から彼等のうしろに付き纏って来たことを誰も知らなかった。
堀川の館はもう一町ほどの前に近付いた時に、うしろの黒い影が何かの合図をすると、暗い物蔭から更に七、八人の黒い影があらわれて、ばらばらと駈けよって三人を押っ取り巻いた。再度の敵に采女はまた驚いた。
「誰じゃ、おのれ、強盗か。」
黒い影は一人も返事をしなかった。その幾人かは先ず小坂部の手を捉えて、しっかと引っ立てて行こうとした。ほかの幾人かは一度に抜き連れて采女に斬ってかかった。今度の敵は眇目の男のたぐいでないので、采女もすぐに抜きあわせて闘った。うろうろしている侍従は誰かに蹴倒されて、救いを呼ぶ声も立てられないで、路ばたにただ小さく這いかがまっていた。
小坂部は捉えられた手を振り払った。女と思っての遠慮か、但しは他に子細があるのか、敵もさのみは激しく迫って来ないのを幸いに、かれは摺りぬけて一間ばかり逃げた。その一刹那に、かれの胸に泛んだのは、これから自分の館へむかって走るよりも、兄の師冬の館に逃げ込む方が路順も好い距離も近い。こう思いついて、かれは大路を横に切れた。采女もおそらく同じ考えであったらしい。これも眼の前の敵を斬り払って、小坂部のあとに付いて逃げた。二人がどうにかこうにか三河守の門前まで逃げ延びたのを見とどけて、敵はもう諦めたらしく、そのまま何処かへ散ってしまった。
「姫上。お怪我はござりませぬか。」
「そなたも無事か。」
二人はいたわり合いながら、まずほっと息をついた。