小坂部姫

14話 眇目の男 二

3,811字 約8分 2012年1月28日 公開

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 姫と采女とが逃げ込んで来たので、師冬の館でもおどろいた。不意の敵に襲われたという采女の報らせを聞いて、居合わせた侍どもの四、五人がすぐに門外へ駈けて出たが、狼藉者の姿はもう見当たらなかった。

 この報らせをうけ取って、師冬も眉をよせた。彼は妹を自分の居間へ呼びよせて訊いた。

「途中で不思議の狼藉者に出逢うたという。さりとは()しからぬ儀じゃ。不意に抜き連れて斬ってかかるなど、よのつねの強盗ばらの仕業(しわざ)とも覚えぬ。自体、お身はこの夜更けに何処へまいった。」

 この問いには小坂部も返事にゆき詰まった。しかし相手が兄である以上、なまじいに包み隠さない方がよかろうとも考えたので、かれは正直に今夜の成り行きを話した。塩冶の一家の危急を救おうとして、その密告に赴いたことを打ち明けると、兄も幾たびかうなずきながら、思わず会心の笑みを洩らした。

「おお、よう致した。さすがはお身じゃ。男でも並々の者ではその分別は泛かぶまい。表向きには申されぬことじゃが、わしもひそかに塩冶を救うてやりたいと存じていたが、まさかにわしの口から内通もならぬので、どうかこうかと思案していたところを、さかしいお身に抜け駈けされたわ。いや、今もむかしも抜け駈けするが勝であろうよ。しかし塩冶はどうじゃ。死物狂いの逆寄(さかよ)せなどをたくむような()ぶりはなかったかな。いや、奥方に行き逢うたばかりでは、それも判るまい。塩冶が日頃の気性から察すると、しょせんは見込みの立たぬ逆寄せなど巧もうよりも、一刻も早う都を落ちて本国に立て籠る――十に八、九は先ずそれであろうな。とはいえ油断は無用じゃ。こちらでも万一の構えをせねばなるまい。」

 一方は塩冶に同情しながらも、時誼によっては彼と闘わなければならない事情のもとに置かれている師冬は、すぐに腹心の家来を呼んで何事をかささやいた。その家来がけわしい眼をして早々に立ち去るのを見送って、師冬は更に妹に訊いた。

「今宵の供にはかの侍従と、ほかに一人の侍を召し連れて出たというが、その侍は誰じゃな。」

「本庄采女でござりまする。」と、小坂部はやはり正直に答えた。

「本庄采女……。」と、師冬はさもこそというようにうなずいた。「大方はそうであろうと察していた。兄妹(きょうだい)の仲じゃ、つつまず言え、お身はあの采女という若侍と恋しているか。」

 何もかも正直がよいと思ったので、小坂部は素直にそれを是認した。

「父上もそれを承知かな。」と、師冬はかさねて訊いた。

「一応は打ち明けました。」

「打ち明けたか。」と、師冬は意味ありげにほほえんだ。「して、父上はなんと申された。」

「聞き届けたとは仰せられましたが、それは何とやら頼りないようにも思われまするので……。」

 師冬は再びさもこそというようにうなずいて、妹のやや蒼白い顔を燈台の火にじっと見つめた。

「父上はなんと申されたか知らぬが、この恋はならぬと思え。若い女子のひと筋に、兄を無慈悲と恨むまいぞ。有りようは師冬、山名の忰にお身をくれようと約束した。和泉守は年も若し、家柄も正しく、武勇もすぐれた者じゃ。殊にわしとは日頃から仲良しじゃで、妹をくりょうと約束した。本人ばかりでなく、父の伊豆守にも言い聞かせてあれば、今さら変がえのならぬ破目になっている。勿論、お身としては初耳でもあろうが、武士と武士とが一旦約束した以上、今更どうにもならぬことは賢いお身にはよう判っている筈じゃ。兄が頼む――采女のことは思い切れ。彼とても主人の頼みじゃ、よもや故障は申すまい。万一とこう申すにおいては、成敗か勘当か、所詮わが身のためにならぬことは彼とても存じて居ろう。のう、小坂部。若い同士にはある習いで、お身と采女との密事を兄は決して叱りはせぬ。ただ(いさぎ)よう思い切って、山名に縁組みしてくるれば、三方四方が無事に納まるというものじゃ。聞き分けてくれ、応と言え。」

 彼としては十分の理解と同情とをもっているらしい口ぶりであったが、この兄とこの妹と、ふたりの心と心には大きい距離があった。小坂部はしばらく俯向いてその返事を考えているらしかった。

「ならぬか、応と言うまいか。」と、気の短い兄は畳みかけて問いつめた。「くどくも言うようじゃがお身は賢い。父上の悪業を見かねて、女子(おなご)の身ひとつで夜陰に館をぬけ出し、塩冶の一家を救おうとしたほどの賢い女子じゃ。物の道理、人間の義理、それの判らぬ筈はあるまい。兄がこれほどに言うて聞かせても、得心せぬとあれば是非がない。師冬にも思案がある。その()に及んで後悔すまいぞ。」

 父ばかりでなく、兄もまた一種の暴君になって来たらしいので、小坂部はいよいよ吐胸(とむね)をついた。殊にこれは直接に自分の身の上に降りかかる大事件であるので、かれは無道の父に対するよりも、更に強い不満を感じた。かれは思い切って兄に答えた。

「だんだんの御意見でござりまするが、この儀ばかりは……。」

「ならぬか。お身も父上を見習うて、思いのほか頑固(かたくな)に相成ったな。」と、師冬の薄い口髭は怪しくふるえたが、その興奮する神経を努めて押し鎮めるようにしずかに言った。「しかし今一度思案して見い。余の儀とも違うて、早速(さそく)に返答のならぬ筈のことを性急に催促したはわしのあやまりじゃ。これは一半日を争うことではない。あすにもあさってにも、ゆるゆると思い直して見い。」

 言いかけて、彼はにわかに耳を傾けた。門前をさわがしてゆく人馬の音が、まだ吹きやまない木枯しの中にひびいたかと思うと、家来の一人があわただしく駈け込んで来た。それを待ちかねたように師冬の方から声をかけた。

「なんじゃ。あの物音は……。」

「塩冶の館へ討っ手かと存じまする。」

 師冬は腹立たしげに舌打ちした。彼は家来の顔を睨んで、一人もみだりに門外へ踏み出してはならぬと叱るように命令した。

「あれほど申し聞けて置いたに、父上のおそばにいる者共、迂濶に立ち騒ぐとは何たることじゃ。就いては小坂部。いつまでもここに長居もなるまい。家来どもに申し付けて館まで送らしょうか。」

「いえ、それには及びませぬ。」

「いや、采女一人ではおぼつかない。四、五人の供を連れてゆけ。先刻のような狼藉者が再び襲いかかろうも知れん。」

 兄の注意を無下(むげ)にしりぞける訳にも行かないので、その言うがままに五人の家来に送られて、小坂部は采女と一緒に師冬の館を出た。外の木枯しはますます吹き募って、家来の二人が先きに立って振り照らしてゆく松明(たいまつ)は、まだ二、三間を過ぎないうちに忽ちその光りを奪ってしまった。その途端に暗い中から軽げるように出て来た者があった。

「姫上ではござりませぬか。」

 それが侍従の声であると知って、小坂部は立ち停まると、かれは摺り寄って小声で訴えた。

「御用心なされませ。一大事でござりまするぞ。」

「塩冶どのへ討っ手のことか。」

「いえ、そればかりではござりませぬ。」

 かれがいよいよ声を低めて訴えるところによると、せんこく不意に襲いかかった狼藉者は、荏原権右衛門を(かしら)とする七、八人の若侍であった。かれらは主人師直の指図によって、途中に待ち受けて小坂部を引っ捕え、あわせて采女を討ち果たそうとしたのであるらしい。侍従は路ばたに蹴倒されて這いかがまっている間に、目ざす二人を捕り損じ討ち損じた彼等の話を(ぬす)み聴いて、その秘密をあらまし想像したのであった。

「わたくしが推量には、誰かが三人のあとを()けて来て、塩冶殿の屋敷へ入るところを見とどけたのではござりますまいか。」と、侍従は更に自分の想像を付け加えた。

 おそらくそんなことであろうと小坂部も想像した。そしてそれは荏原権右衛門か、あるいはその腹心の者であろうと思った。権右衛門の密告によって、父はいよいよ憤怒(ふんぬ)の焔を燃やして、館へ帰るのを待つまでもなく、途中で自分を引っ捕え、あわせて采女を討ち果たせと命令したのであろう。父のそれを待ち受けて成敗しても遅くはないのであるのに、いったん思い立ったが最後、もう半の猶予も出来ないで、すぐに仕置きを加えようとする――それが父の性質であることを小坂部もよく知っていた。しかしそれが自分達に取ってはむしろ物怪(もっけ)の幸いで、うかうかと館へ帰ったらばどんなことになるかも知れない。かれはここで侍従に出逢ったのを神の助けであるとも思った。眇目の男の忠告も今更のように思い出された。

「よう教えてくだされた。」

 かれは侍従にも礼を言った。かれはもう父の館へは戻られないと思った。しかし邪魔になるのは、兄から付けてよこされた五人の家来である。主人の命令でやって来た以上、いくら断わっても途中から素直に引っ返す筈はない。館まで送り付けられたら、おそらく自分は座敷牢、采女と侍従とはその場で成敗、三人の運命はもう見え透いているようにも思われるので、小坂部の足は俄かに進まなくなった。侍従もその運命は予覚しているので、めったに館へと帰られず、さっきからここらに行き迷っていたのであった。

 どう考えても館へは帰られない。帰れば自分は恋を破られ、あわせて男を殺される。さりとて今の場合、迂濶に兄のところへも戻られない。兄は自分と侍従とを庇ってくれるかも知れないが、采女を救ってくれないのは先刻の口ぶりでも大抵判っている。大事の男を見殺しにして、自分ばかりが救われて何とする。小坂部も思い悩んでしばらくたたずんでいると、暗い中から一群の狼藉者が又あらわれた。

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