小坂部姫

5話 文の使い 二

3,958字 約8分 2012年1月28日 公開

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「姫はどうなされたぞ。殿はいこうおむずかりじゃに……。」

 四十に近い古女房が鉄漿(かね)ぐろの口をゆがめて、暗い庭さきを眺めていた。かれは侍従といって、むかしは然るべき殿上人(てんじょうびと)につかえていたが、今は世と共に衰えて、わずかに武家に身をよせて朝夕を送っているのであった。

 小坂部のゆくえを探しに出た侍女(こしもと)どもは、なんの手がかりもなしに帰って来た。三人の侍もむなしく戻った。あとから采女と権右衛門の出たことは誰も知らないので、(やかた)の内には不安の空気がいよいよ濃くなって来たところへ、権右衛門の馬の音がきこえた。彼が双ヶ岡で姫のゆくえを探しあてたという報告をうけ取って、皆もまず眉を開いた。姫が何のために遁世者の兼好をたずねたのか、それは確かには判らなかったが、大方は和歌の添削(てんさく)を乞いに行ったか、但しは昔物語の講釈でも聴きに行ったか、いずれにしても沙汰なしに出てゆくのは人騒がせであるというような蔭口もきこえたが、ともかくもかれが無事で帰って来ることが確かめられて、どの人の胸も軽くなった。しかし、その姫はなかなか戻らなかった。采女が一緒であるというのを聞いて、侍従はその戻りの遅いのも無理はないと察していたが、きょうも暮れ方から武蔵守師直の機嫌がよくない。さもないことに癇癪を起こして、夕餐の三宝(さんぽう)を打ち毀し、土器(かわらけ)を投げ砕いたので、侍女どもは恐れをなして早々に引き退がってしまった。

 こうなると、姫の戻りが待たれるので、侍従も落ち着いてはいられなかった。弓矢を取って代るべき侍どもは館の内にも大勢控えているが、あるものに魂を奪い取られて、一種の物怪(もののけ)に憑かれたように焦れ狂っている主人を、おだやかに取り鎮めるものは小坂部のほかは無いので、侍従もひたすらにかれの戻りを待ち佗びていた。権右衛門も自分ひとりが駈けぬけて来たのを後悔して、再び馬に鞍を置かせようとしているところへ、姫と采女とはしずかに帰って来た。

 侍従をはじめ、待ちかねていた家来や侍女どもがあわただしく出で迎えると、姫はかれらの質問に対してこう答えた。

「昼のほどに徒然草を読んでいたら、どうも()せぬところがあったので、すぐに双ヶ岡まで走って来た。ほほ、増穂の(すすき)じゃ。」

 増穂のすすき――その意味を、侍従はさすがに知っていた。それも徒然草の中に書かれてあることで、あるところに大勢の人があつまっている時に、ます穂の芒の議論が出た。渡辺の(ひじり)がこの事をよく知っていると或る人が語ると、その席に居合わせた登蓮法師が俄かに座を起って、すぐに蓑笠を貸してくれ、これから渡辺の聖のところへその教えをうけに行きたいと言った。あいにくに雨は降る、それほど急ぐにも及ぶまい。まず雨のやむのを待つがよかろうと、そばから注意する者があるのを、登蓮はあざけり笑って、人の命は雨の晴れ間を待つものではない、その間に聖が死ぬか、自分が死ぬか判ったものではあるまいと言って、降りしきる雨の中を忙がしそうに出て行ったというのである。小坂部も書物を読んで、何か解せないところがあったので、あすをも待たないですぐに其の教えを乞いに行ったという。それは怪しむべきことではない。むしろ尊むべきことであるかも知れないと侍従は思った。かれはその増穂のすすきの意味を家族や侍女どもにも講釈して聞かせて、姫が非凡の才女であることを今更のように説明するとと共に、自分もまた一簾(ひとかど)の物識りであることを暗に説き誇った。

 小坂部が奥へゆくと、今まで時々物狂わしゅう呶鳴り散らしていた師直の声が急に鎮まった。やがて侍従も奥へ呼ばれた。

 秋の夜寒(よさむ)も近づいたとはいいながら、綾の小袖を三枚もかさねて、錦の敷蒲団の上に坐っている四十あまりの大男は、館のあるじの高武蔵守師直であった。さばき髪というほどでもないが、掻きあげない髪の毛のほつれかかるのを煩さがって、彼は蒼黒いひたいに白の練絹の鉢巻をしていた。その鉢巻の下には少し飛び出した眼玉が蝦蟇(ひきがえる)のように大きく光っていた。

「侍従、近う寄れ。」と、師直は声をかけた。

 先刻とは人が違ったような、むしろ薄気味わるいほどに物静かな、柔かい声で招かれて、侍従は少しためらったが、そばには小坂部が付いているのに安心して、かれは会釈(えしゃく)して一と膝すすませると、師直はつづけて言った。

「お身に頼みがある。この歌をとどけておくりゃれ。」

 誰にと訊き返すまでもなく、その届けるぬしを侍従はすぐに覚った。迷惑の色は見るみるかれの顔の上に湧き出した。

「ならぬというか。どうじゃ。」と、師直はかさねて言った。

 その声はやはり静かであった。彼はしばらく黙って相手の顔を見つめていた。彼の物をいう時のほかは其の口を固く一文字にむすんでいたが、その大きい眼の中には怪しい笑みが()かんでいるのを侍従は見逃がさなかった。しかしこれはどう考えても難儀の使いであるので、侍従はわざとその意を読みかねたように黙っていた。

「はは、まだ判らぬか。それとも、どうでもならぬか。」

 いつもならば戦場で千騎万騎を(しった)する坂東声を筒いっぱいにふり立てて、頭から噛みつくように罵りたけるわがままのあるじが、これほどの強い忍耐力をもって自分に対するというのが、侍従に取っては却って怖ろしいもののようにも感じられた。かれはいよいよ返事に困って、少し猫背の肩をすくめながら(いたず)らに臆病らしい眼を伏せていると、それを取りなすように小坂部はしずかに言った。

「侍従どの。何をかくそう。ます穂の芒の正体はそれじゃ。まことは兼好の御坊に頼んで、その歌を書いて貰うて来ましたのじゃ。わたしも共々に頼みます。人目を忍んで、かのお人に……。のう、頼みましたぞ。」

 侍従はますます迷惑した。師直の怒りも勿論おそろしかったが、ふだんから何かにつけて自分を優しく庇ってくれる小坂部がこう打ち付けて頼むのを、無下(むげ)に断わるのもまた心苦しかった。もう一つには、もともと、この事件は自分が発頭人(ほっとうにん)ともいうべきであって、塩冶の内室の世にたぐいなき艶色を自分がうかうかと吹聴(ふいちょう)したればこそ、師直の胸に道ならぬ恋の種を()いたので、下世話(げせわ)にいう「無い子に知恵をつけた」その責任は自分にもある。勿論それに対してどんな返しをよこそうとも、それは相手の心次第で、自分は唯その使いを勤めさえすればいいのであると、かれは結局多寡をくくって素直にその役目を引き受けることになった。師直は当座の引出物(ひきでもの)として、かれに色ある小袖ひと重ねと練絹ひと巻とを取らせた。差しあたっての利慾に、かれもしばらくは将来の不安を忘れて、あるじと姫とにうやうやしく礼を述べて引き退がった。

「今更ながらお身の才覚には、この父もほとほと感じ入ったよ。」と、師直は侍従のうしろ姿を見送りながら、笑ましげに首をゆすった。「それにくらべると、あの女房め、眼付きばかりは小賢(こざか)しげでも、年甲斐もない愚か者じゃ。あの頬桁一つくらわしてくりょうとも思うたが、あやつでもさすがに猫よりもましじゃと料簡(りょうけん)して、かさねがさねの恩をきせて置いた。かの歌の使い、何というてもあやつよりほかには頼む者もないでのう。それに付けても、もう一度お身を褒めてやりたい。なにさま当代の文者という吉田兼好に此の文たのもうと思い立ったは、さすがはお身じゃ。日頃から物の用に立たぬは手書(てかき)じゃとあざけり、まして法師のたぐいは、木の折れかなんどのように思い侮っていたは師直が一生の不覚であったよ。なよ竹の――ただこの一句に無量の思いをこもらせたは奥ゆかしゅうて面白い。はは、おもしろい謎じゃ。塩冶の室はきこゆる歌よみじゃといえば、どのように返しをよこすかのう。」

 わが娘からたった今教えられた「なよ竹」の講釈を、百年も前から心得ていたような顔をして、彼は笑いながら枕もとの香をつまんで、大明(たいみん)渡りと見える香炉に軽く投げ入れすると、うす白い煙りがたよたよとあがって、むせるような匂いが彼の大きい鼻をうった。坂東武者もこの頃は都の手振りを見習って、風流を誇るようになったのである。父の機嫌の好いのを見計らって、小坂部は甘えるようにささやいた。

「父上、わたくしにも折り入ってお願いがござりまするが……。」

「ほう、あらたまってお身の願いとは……。何なりと言え。聞こう。」と、師直は興がるように首を伸ばして、娘の白い横顔をのぞいた。

「余の儀でもござりませぬが、小坂部に夫を持たせてくださりませ。」

 夜風がさっと吹き込んで来て、燈台の灯が力なくふるえて、ゆらゆらとなびいた。その弱い光りが再び元のように明かるくなった時に、師直はもう一度その灯を吹き消そうとするかのように大きく笑い出した。

「よい、よい。若い娘の言いにくい事を打ち明けてよう言うた。男の子には三河守(みかわのかみ)がある。武蔵将監(むさししょうげん)がある。武蔵五郎がある。娘というてはお身一人じゃで、可愛さのあまりにいつまでも小供のように思うていたが、まことにお身ももう娘盛りじゃ。師直が今の威勢をもって婿えらみするというたら、公家ならば関白大臣、武家ならば二ヵ国三ヵ国の大名、わが望むままの婿を得らるるは知れてあるが、さて其のひとり娘をむざと手放すのが惜しゅうてのう。ついそのままに延引していたが、親の子煩悩が仇となって、あたら花盛りをやみやみと過ごさするもまた本意でない。して、お身はどのような男を持ちたいぞ。遠慮なしに言うてお見やれ。」

「言うてもよろしゅうござりまするか。」と、小坂部はあらためて念を押した。

「おお、苦しゅうない。お身は優美の生まれ立ちじゃで、婿は公家かな。」

「いえ、そうではござりませぬ。」

「やはり武家か。では、桃井、山名、細川、まずはそこらかな。」

「違いまする。」

「はて、親をじらすな。悪い奴め。師直は気が短い。早う言え。」

 父は眼じりをしわめて笑った。

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