6話 文の使い 三
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あくる日の午の刻すぎに、荏原権右衛門は高三河守師冬の館をたずねた。師冬は師直の甥であるが幼い頃から叔父の養い子になっていた。ことし二十一歳の若者で、武勇は養父にも劣らない上に、その威勢を嵩にきて何事も思うがままに振舞っている。彼の館もやはり堀川のうちにあって、むかしは然るべき殿上人の住居であったのを無体に横領して、車寄せを駒寄せに作り変えたのであった。
「権右衛門、来たか。これへ。」
取次ぎの家来にむかって、師冬は頤で指図した。多血質の養父とは違って、彼は痩形の色の蒼白い眼のするどい、見るからに神経質らしい、何となく尖った感じをあたえるような男であった。武士はなんどきでも鎧を投げかける用意がなければならぬと言って、わが家に打ちくつろいでいる時でも彼はかならず直垂を身につけていた。弓矢も鎧櫃も自分のそばを離さなかった。
「朝夕はいこう冷えまする。若殿の御機嫌はいかがでござりましょうか。」
あたえられた円座を占めて、権右衛門は直垂の袖をかき合わせると、師冬は軽いしわぶきを一つした。
「おお、いかにも朝夕は俄かに冷えて来たようじゃ。都の冬も近づいたわ。その冬空にむかって北国の南朝方が又もや頭をもたげたとかいうので、きのうも今日もその注進で忙がしい。したがってお見舞にも得参らぬが、父上はどうじゃ。」
「は、やはりいつもの通り……。」
「いつもの通り……。では、相も変わらず垂れ籠めておわすのか。」と、師冬は眉をしかめた。「さながら物怪にでも憑かれたような。困ったものじゃのう。」
彼はさすがに養父の秘密を知らないのであった。師直の館の中でも、ほんとうにその秘密を知っているものは、小坂部と侍従とその他二、三人に過ぎないので、余の者は皆まことの病気だと信じていた。師冬もやはり正直にそう思っている一人であった。
「御療養はあのように行き届いているに、とかく捗々しゅうがないというは……。」
と、師冬はまた言った。「そのようなことが世間に洩れきこえると、口さがない京わらんべは、やれ楠の祟りじゃの、新田の怨霊じゃのと、あらぬ事どもを言い触らして、父上の武名を傷つきょうも知れぬ。さりとは無念の儀じゃ。もろもろの病いはおのれの心からいずるともいえば、其方たちも常に気を配って、父上の弱った心を引き立つるように努めねばならぬぞ。今朝の注進によれば、畑六郎左衛門は湊の城を出て金津河合江口の城々を攻め落としたとある。由良越前は西方寺の城を出て、和田江守深町の庄を奪ったという。敵がかように勢いを得ては、もう安閑としてはいられぬ時節じゃ。その矢先きに父上の御病気はまことに心もとない。いや、まだそればかりでない、堀口兵部大輔も居山の城を打って出たという注進もある。」
こういう軍ばなしを権右衛門はもう聞き飽きていた。それが自分の務めでもあり、また相当の功名手柄を望む野心も山々でありながら、敵がいよいよこの都へ乱入して来るとあれば格別、遠い北国で一度や二度の勝敗はあまりに彼の神経を刺戟しなくなった。敵がちっとぐらい暴れ廻ったところで、誰かが又それを何とか撃ち攘ってくれるだろう位に多寡をくくっているので、彼は年の若い師冬が熱しているほどにはこの問題を重大視していなかった。殊に主人の病根をよく知っている彼は、なんにも知らない師冬が一人で苛々しているのを気の毒に思い、おかしくも思った。
それでも若殿の手前、さすがに聞き流しにもならないので、彼も好い加減に調子をあわせて、気乗りのしない軍ばなしを一とくさり済ませた後に、さらに真面目になってささやいた。
「若殿、それがしが今日推参つかまつりましたは、ちと密々にお耳に入れ申したい儀がござりまして……。余の儀ではござりませぬ。姫上のおん身に就きまして……。」
「姫がなんとした。」
「山名殿と御縁組の儀は……。」と、権右衛門は若い主人の顔色をうかがいながら訊いた。
「まだ決まらぬ。」と、師冬は手軽く言った。「何をいうにも父上も御病気の折り柄じゃで、そのようなことを申しいずるもいかがと差し控えているが、山名の方では懇望、わしも承知、やがて表向きに取り決むる筈じゃが、それが何とした。」
「恐れながらその儀は……。相成らぬかとも存じられまするが。」
「なぜ成らぬ。」と、師冬はその眼に稲妻を走らせた。「父上不得心か、但しは姫か。」
「大殿の思召しは存じませぬが……。」
「なりゃ、姫か。姫が不得心と申すことを其方たしかに聞いたか。」
「勿論、姫上の思召しを我々が直きじきに承わろう筈はござりませぬが、唯それがしが見とどけましたるところでは……。」
「むむ、何を見た。」
「姫上には……。」と、権右衛門は恐る恐る言い出した。「本庄采女になみなみならずお目をかけさせらるるようにも相見えまするが……。」
師冬は黙って半信半疑の首を傾けているのを、烏帽子のひたい越しに窺いながら権右衛門はかさねて言った。
「かようの讒口めいたること、甚だ心苦しゅうござりまするが、一旦それがしの眼に止まりましたる以上、いたずらに見過ごしまするは却って不忠かとも存じますれば……。して、山名殿とは、しかとお約束なされましたか。」
「おお、わしはしかと約束した。和泉介はわしとも日ごろ仲好しじゃで、妹をくりょうと約束した。いや、和泉介ばかりでない、彼の父伊豆守にも言い聞かせたよ。」
「伊豆守も承知でござりまするか。」
いよいよ事面倒であると言いたそうに、権右衛門は子細らしく顔をしわめて見せると、師冬も蒼白い額に深い皺をきざませた。
「本庄采女……。どのような奴であったかのう。おお、思い出した。都落ちの平家の公達を見るような、なま白けた面の若侍であろうが……。かやつが妹と不義している……。たしかにそうか、相違ないな。」
「ひが眼かは存じませぬが、それがしは確かにそう見ました。」
「むむう。」と、師冬は空をじっと睨みながら、髭のうすい唇を少しふるわせていた。
敵にむかってはなかなかに鋭い若大将であるが、こういう場合の彼は養父ほどに大胆でない。一方に強いわがままな心をもちながら、また一方にはひどく気の弱いところもある。臆病らしいところもある。その性質は権右衛門もかねて心得ているので、彼が今この問題をいかに解決するかと、一種の興味をもってひそかにうかがっていた。
「若い者どもじゃ。是非もないか。」と、師冬は独り言のように言った。
「え。」
権右衛門は驚いたように額をあげると、それを抑え付けるように師冬はまた言った。
「さりとて、積もっても見やれ。高武蔵守の娘、高三河守の妹を、氏も系図もない若侍にむざむざと呉れてやらりょうか。不憫でも無慈悲でも是非がない。姫を叱って……いや、とくと理解を加えて思い切らするまでじゃ。」
「して、采女は……。」
「成敗か。勘当か、二つに一つじゃが、まずは勘当かな。命を取るもあまりに無慈悲じゃ。いずれにしても権右衛門。よう教えてくれた。礼をいうぞ。但し今しばらくは父上の耳に入るるな。師冬が自分で埓をあくるわ。」
「然るびょうお願い申しまする。」
ここまで運んで置けばもういいと思ったので、権右衛門は早々に若殿の前をさがった。彼は師直一家の譜代の家来ではない。若い時からただ足軽としてその組下に付いたのであるが、生まれ付き小才覚のあるのが主人の眼にとまって、乱れたる世の仕合わせには忽ちめきめきと抜擢されて、今ではともかくも足軽大将をうけたまわるほどの身分になった。こういう経歴の人間であるだけに、二股侍というではないが、自分の主人以外、羽振りのよい諸大名にこすり付いて何かの利徳を得ようとする卑しい心がある。彼は山名伊豆守時氏の屋敷へも時どき出入りしているうちに、時氏の嫡子和泉守義氏が小坂部を懇望しているという噂を聞いた。単に懇望しているばかりでなく、すでに師冬にまで打ち明けて、その承諾を得たとも聞いたので、彼は自分もこの縁談に何か首を突っこんで、首尾よくそれを成就させて、わが主人にも自分の奉公振りを見せ、あわせて相手の山名からも相当の礼物を貰おうという下心で、この頃は足しげく山名の屋敷へ出入りして、自分が万事呑み込んでいるようなことを言い立てるので、和泉守も彼を信用して、さきには引出物として京染めの素襖と小袖をくれた。近い頃には太刀をくれた。彼が指しほこらしている身分不相応の兵庫鎖の太刀は即ちそれであった。
この意味からいって、彼が最も憎んでいるのは本庄采女であった。眼の捷い彼は姫と采女との関係を決して見逃がさなかった。采女という邪魔外道をなんとか片付けてしまわなければ、姫と山名との縁談がなめらかに進行しないのは判り切っているので、彼はこの間からいろいろに肝胆を砕いた末にきょうはいよいよ二人の秘密を師冬の前に暴露したのであった。
「成敗でも勘当でもいい。どの道、かやつさえ片付けてしまえば天下は太平というものじゃ。」
こんなことを考えながら、彼は師冬の館の門を出ると、秋の日はあかあかと大路を照らして、路ばたの柳はその痩せた影を長く落としていた。鼻の先きへついと飛んで来た赤とんぼうを田楽扇で払いながら、権右衛門は柳の白い落ち葉を踏んでゆくと、被衣を深くした一人の女房に逢った。女房は彼を見て会釈した。
「おお、侍従どの。どこへ行かるるぞ。」と、権右衛門も会釈しながら訊いた。
「あの、そこまで……。」
何やら詞をにごして、侍従はそこそこに行き過ぎてしまった。その素振りがなんとなく怪しいので、権右衛門は幾たびか見返った。
「あの古狐め。どこへゆく。」