8話 小夜衣 二
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内輪にこういう小刀細工をしている人間があろうとは、さすがに思いもよらない小坂部は、あくる朝ともかくも館を出た。父の手前はかの双ヶ岡をたずねて、兼好法師に小夜衣の歌の説明を乞うて来ると言って出たのであるが、それはあらためて兼好の講釈を聞くまでもなかった。しかし自分としては再びかの庵をたずねて、この間の礼を述べ、あわせて其の結果を一応報告する務めがあるとも思ったので、かれは諸国の大小名から進物として贈って来た修禅寺紙、有馬筆、伊勢荒布の名産を中間に持たせて行った。微行といっても、この間とは違って表向きに父の許しをうけて出るのであるから、きょうは荷をかつぐ中間のほかに侍女二人を連れていた。
美しく晴れた朝で、さわやかな秋風がうす物の被衣をそよそよと吹いて通った。澄んだ空は一日ましに高くなって、比叡も愛宕も秋の光りの中に沈んで見えた。堀川から西へ西へと辿ってゆくと、とある四つ辻のまん中に五、六人の小供たちが立ち騒いでいた。赤とんぼうを追うのでなく、かれらはある異形の男のあとを追っているのであった。
「御覧じませ。あれは眇目の唐人めでござりまする。」と、中間はかの異形の男を指さして教えた。
「おお、あれが眇目の唐人か。」
その噂を聴きながらその正体をまだ一度も見たことのない侍女どもは、珍らしそうに立ち停まった。眇目の唐人――それを見るも聞くも小坂部はきょうが初めてであった。彼は蒼白い顔に長い毛をふりかぶって、身には異国風の破れた衣服を着て、跣足でうろうろと迷いあるいていた。中間や侍女どもの説明によると、この怪しげな男はふた月ほど前から都の町をさまよっているのであった。どこからどうして来たのか知らないが、とにかく彼は大明から渡来の唐人で、何か判らない呪文のようなことを唱えながら毎日歩いているのである。彼が眇目の名を取ったのは、左の片眼が魚の鱗を挟んだような眇であるためで、それが彼の怪しげな人相をいよいよ怪しく見せているのであった。
町の人達はもう見馴れているので、さのみに珍らしいとも思っていないらしかったが、小供達はやはり彼のあとを追って何かからかったりしているのを、彼は別に煩さいとも感じていないらしく、悪太郎どもが時々に投げつける小石のいたずらに対しても、彼はいつでも笑顔を以って応えていた。
そんな説明を聞かされながら、小坂部はしばらく其処に立ち停まって、巷にさまようかの怪しい姿をながめていると、異国の男もその眇目で若い艶やかな処女を見付けたらしく、これも立ち停まってこちらをじっと見つめていたが、眼に見えない糸にひかれたように、やがてふらふらと歩み寄って来たので、侍女どもは気味悪そうにあわてて小坂部を囲った。中間も声を尖らせて叱った。
「ええ、おのれ、邪魔な奴。退け、のけ。」
それを耳にもかけないように、異国の男は無遠慮に小坂部の前に進み近付いたかと思うと、忽ち大地に吸い付けられたようにその両膝を折って、さながらかれを礼拝するようにひざまずいた。怪しく窶れた人相は彼の年齢を老けさせているが、おそらく四十を多く越えていないのであろう。一方の陰った眇目に引きかえって、明かるい右の眼は燃えるように爛々とかがやいているのが小坂部の注意を惹いて、かれは思わず形をあらためた。
「退け、のけ。叱っ。」
中間は犬を追うように叱り退けようとしたが、彼は身動きもしなかった。いつの間に何処で習ったのか知らないが、彼は極めて鮮かな日本の詞で敬うように言った。
「おお、ここにござりましたか。わたくしはお身さまを尋ねて居りました。ようぞお逢い下された。」
いよいよ薄気味が悪くなって、侍女どもは思わず逡巡すると、中間は主人のおん大事というように姫を囲って彼の前に立ちはだかった。
「おのれ、何者じゃ。お微行じゃで御苗字は申さぬが、これは当時この都に隠れもない御大身の御息女でおわしますぞ。仮りにも無礼を働いたら、おのれが首も手足もばらばらに引き放されてしまうと思え。さあ、退け。ええ、おのれ、執念く邪魔するか。」
足蹴にでもするかと見えたので、小坂部はあわててさえぎった。
「あ、待ちゃ。見も識らぬ異国の人に、あらい折檻はせぬものじゃ。見るところ何か子細のありそうな。ともかくもわたしが訊いて見ようほどに、しばらく待ちゃれ。」
かれは恐れ気もなく一と足すすみ出て、自分を打ち仰いでいる異国の男の怪しく輝いた眼をしずかに瞰おろした。
「聞けば異国の人のそうな。お身はまことに大明の生まれか。して、何のために此の国へは渡ってまいられた。」
「わたくしはまことに大明の人、福建というところで生まれました。わたくしは燕京の使いと一緒に日本へまいりました。」
彼の物語を綜合して考えると、彼は倭寇鎮撫を依頼する明朝の国使にしたがって、日本へ渡来したのである。ここであらためて注釈を加えるまでもなく、鎌倉時代の末期から我が四国西国の人民は一種の海賊組を組織して、しばしば朝鮮や明国の海岸をおびやかした。かの八幡船といい、胡蝶軍と呼ばるるのが即ちそれである。明国でも多年その侵略になやまされて、幾たびか我が国に使者をつかわして其の取締り方を頼んで来たが、乱れた世にはとても完全な鎮撫の行き届こう筈もないので、倭寇の禍いは明国の沿海地方で年々くり返された。その鎮撫をたのむ使者が幾年か前にも明国の都の燕京を出発して、九州の平戸に到着したことがあったが、その当時この眇目の男もその一行に加わって上陸した。しかし彼は他に求むるところがあるので、日本の土を踏むと同時に一行をぬけ出して、まず九州一円をさまよいあるいた。それから海を越えて四国へも渡ったが、彼の求むるものは何処の山にも浦にも見当たらないので、彼はそれからそれへと流れ渡って、中国から堺の浦、浪華の津を経て、ふた月ほど前に初めて都に入り込んだのである。そうして、ここでも根よく毎晩さがし歩いているうちに、彼はきょう測らずもその求むるものを尋ね当てたのであった。
彼の求むるものは一体なんであるか。それは彼自身もあらわには説き明かさなかった。聞いている者には勿論わからなかった。しかも彼が大明の国使の一行をぬけ出して、殆んど気違いのような乞食のような悲惨な生活をして、あらゆる侮辱と艱難を堪え忍んで、異国の空をさまよい続けているという、そのあくまでも根強い執着心から推し量ると、彼の求むるその物が並大抵なものでないらしいことは容易く想像された。
「して、お身は何をたずねられまする。主親の仇か、大切の宝か。」と、小坂部は彼に同情するようにまた訊いた。
八幡船の倭寇に主人か親かを殺されて、その復讐のために遠く渡って来たのか。あるいは大切の宝物を奪い取られて、それを取り返すために尋ね迷っているのか。恐らくそういう目的をいだいて、何物をか探し歩いているのであろうと小坂部は想像した。しかし彼は髪の長い頭を忙がわしく振った。
「違います、違います。わたくしはそんなものを尋ねているのではござりませぬ。わたくしはお身さまを尋ねていたのでござりまする。」
彼を気違いと見て、侍女どもは声をあげて笑い出した。その端下ないのを小坂部は眼で叱って、さらに眇目の男を屹と眺めた。
「さりとは解せぬことじゃ。異国に生まれたお身が何のためにわたしをたずねてまいられた。」
「神のお告げでござる。」
こう言って彼は爪の伸びた指先きでおどろの髪をかきあげながら、畏れ敬うように再び小坂部の顔を打ち仰いだ。その敬虔の態度がいよいよ小坂部の注意を惹いて、かれも自分の足もとにひざまずいている異国の眇目の男をおのずと尊みたいような、一種の厳粛な心持になった。取り分けてかれは、相手の燃えるような片眼の光りに自分の魂を怪しく惹き付けられた。
「その神と申すは、大明国の神でおわしますか。」と、小坂部もおなじくひざまずいて訊いた。
京の町の四つ辻で、あかあかと照らす秋の月の下に、歴々の家の娘御とも見える艶やかなおとめと、気違いか乞食かとも見える異国の眇目の男とが向かい合って語っている。それが往来の人の眼を惹いて、いつのか間にか彼等のまわりは見物人の垣が結われた。中間は苦々しそうにその人垣を追いくずしている間に、二人の問答はだんだん進行して行った。眇目の男はその神に就いて委しい説明をあたえないで、単にそれは自分の信ずる神であると答えた。そうして、その神の指図によって、彼は遠い日本まで何物をか尋ねに来たのであると語った。
「その尋ぬるものが仮りにわたしであったとして、さてそれを尋ねあてたら、何とせらるるのじゃ。」と、小坂部は瞬きもせずに彼の顔を見つめた。
男も瞬きもせずに黙っていた。しかし彼の感情はいよいよ熱して来たらしく、その片眼は火のように輝いて見えた。
「わたしを異国へ連れて行こうとか。」と、小坂部はしずかに又訊いた。
君は頭をゆるく振った。
「わたしを神への生贄にしようとか。」
男はやはり黙っていた。しかしその頭が右へも左へも動かないのを見て、侍女どもは又うす気味悪くなって来た。かれらはもう笑ってはいられなくなった。中間も何だか一種の不安を感じて来たらしく、侍女どもに眼配せして一度に起ち上がった。
「姫上。そのような気ちがいにお構い遊ばすな。さあ、お越しなされませ。」
「ほんに時も移りまする。さあ、早うおいでなされませ。」と、侍女どもは無理に小坂部を急き立てて行った。
眇目の男はこの主従のあとを追おうともしなかった。幾年の艱難を凌いでようように尋ねあてたという獲物を、そのまま素直にやり過ごして、彼は口の中で何かの呪文を唱えながら、どこへか消えるように立ち去ってしまった。