赤外線男

3話 赤外線男(3)

6,606字 約13分 2003年2月2日 公開

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赤外線男(せきがいせんおとこ)というものが()んでいる!」

 途方(とほう)もない「赤外線男」の存在を云い出したのは、(ほか)ならぬ深山(みやま)理学士だった。それは苦心の赤外線テレヴィジョン装置が組上ってから二日ほど後のことだった。

 大胆(だいたん)といおうか、気が変になったといおうか、深山理学士の発表に(おどろ)いたのは、学界の人達ばかりだけではなかった。逸早(いちはや)く帝都の諸新聞紙はこの発表をデカデカの活字で報道したものだから、知ると()らざるとを問わず、どこからどこの隅々(すみずみ)まで、一大センセイションが颶風(ぐふう)の如く()きあがった。

「赤外線男というものが()んでいるそうだ」

「そいつは、わし等の眼には見えぬというではないか」

「深山理学士の何とかという器械で見ると、確かに見えたというではないか」

 などと、人の噂は千里を走った。

 なにが「赤外線男」だ?

 深山理学士の言うところによれば()うだ。

()はかねて学界に予告して置いた赤外線テレヴィジョン装置の組立てを、()(ほど)完成した。これは普通のテレヴィジョンと殆んど同じものだが、変っている点は、赤外線だけに感ずるテレヴィジョンで、可視光線は装置の入口の黒い吸収硝子(きゅうしゅうガラス)で除いて、装置の中には入れない。だから徹頭徹尾(てっとうてつび)、赤外線しか映らないテレヴィジョンである。

「予はこの装置の完成するや、永い間の欲望を何よりも早く達したいものと思い、装置を使って、研究所の運動場の方向を(のぞ)くことにした。折から夕刻だった。肉眼では人の顔も仄暗(ほのくら)くハッキリ見別けのつかぬような状態であったが、この赤外線テレヴィジョンに映るものは、殆んど白昼(はくちゅう)と変らない明るさであった。それは太陽の残光(ざんこう)が多量の赤外線を含んで、運動場を照しているせいに違いなかった。勿論画面の調子から云って、吾人(ごじん)が既に充分に知っている赤外線写真と同じで、たとえば樹々の青い葉などは雪のように真白(まっしろ)にうつって見えた。なんという驚くべき器械の魅力(みりょく)であるか。

「しかしこれは真の驚きではなかった。後になって予を発病に近いまでに驚倒(きょうとう)せしめるものがあろうとは、今日の今日まで考えたことがなかった。それは実に、吾人がいまだ肉眼で見たことのなかった不思議な生物が、この器械によって発見されたことである。それは確かに運動場の上をゴソゴソと()いまわっていた。予は眼のせいではないかと、器械から眼を離し、肉眼でもって運動場を見たが、そこにはその影もない。これはと思って、赤外線テレヴィジョン装置を(のぞ)いてみると、確かに運動場のテニスコートの棒ぐいの傍に、動いているものがあるのだ。その内に、()の生き物は直立(ちょくりつ)した。それを見ると驚くべし、人間である。しかも日本人の顔をした男である。背は相当に高い。がっちり()えている。なんか真黒な洋服を着ているようだ。鳥渡(ちょっと)悪魔のような、また工場の隅から飛び出してきた職工のような恰好である。それほどアリアリと(なが)められる人の姿でありながら、一度元の肉眼(にくがん)にかえると、薩張(さっぱ)り見えない。赤外線でないと一向に姿の見えない男――というところから、予はこの生物に『赤外線男』なる名称をつけたいと思う。

 しかし残念なことに、やがてこの『赤外線男』はこっちに気がついたものと見え、キッと歯をむいて怒ったような顔をしたかと思うと、ツツーっと逸走(いっそう)を始めた。そしてアレヨアレヨと云う(うち)に、視界の外に出てしまった。(おどろ)いてテレヴィジョン装置のレンズを向け直したが、最早(もはや)駄目だった。しかし()(かく)も、予は初めて『赤外線男』の()んでいることを知った。われ等人間の肉眼では見えない人間が()んでいるとは、何という(おどろ)くべきことだ。そしてまア、何という恐ろしいことだ」

 深山(みやま)理学士の発表は、大体こんな風の意味のものだった。

「赤外線男」という名詞で、一つの流行語になってしまった。帝都の市民は、この「赤外線男」が今にも自分の身近(みぢ)かに現われるかと思って戦々恟々(せんせんきょうきょう)としていた。

 そのうちに、ボツボツ「赤外線男」の仕業(しわざ)と思われることが、警視庁へ報告されて来るようになった。

 郊外の文化住宅の卓子(テーブル)の上に、温く湯気(ゆげ)の立ち昇る紅茶のコップを置かせてあったが、主人公がさア飲もうと思ってその方へ手を出すと、これは不思議、紅茶が半分ばかり減っていた。これはきっと「赤外線男」が忍びこんでいて、グーッとやったんだろうというような話もあった。

 ギンザ、ダンスホールの夜更(よふ)け。ジャズに(はや)されて若き男と女とが踊り狂っている。そのときアブれて、壁際(かべぎわ)の椅子にしょんぼり腰をかけていた稍々(やや)年増(としま)のダンサーが、キャーッと悲鳴をあげると何ものかを払いのけるような恰好をし、(おどろ)いてダンスを()めて駈けよる人々の腕も待たず、パッタリ床の上に(たお)れてしまった。ブランデーを与えて元気をつけさせ、さてどうしたのかと(たず)ねてみると、彼女が椅子にかけているとき、何者とも知れず急にギュッと身体を抱きすくめた者があったというのだ。目を(みは)っているが、人影も見えない。それなのに、ヒシヒシと肉体の上に圧力がかかってくる。これは赤外線男に抱きつかれたんだと思うと急に恐ろしくなって、あとは無我夢中(むがむちゅう)だったという。――何が(さいわい)になるか判らないもので、「赤外線男」に抱きつかれたダンサーというので、いままでアブれ()ちだったのが急に流行(はやり)()になって、シートがぐんぐん上へ昇っていった。

 こうなると何事も、暗闇(くらやみ)だからといって安心してするわけにはゆかなかった。何時(いつ)赤外線男にアリアリと(のぞ)かれてしまうか知れなかったのである。

 これに類する報告は、日一日と()えていった。しかし赤外線男のすることが、この辺の程度なら、それは悪戯小僧(いたずらこぞう)又は軽い痴漢(ちかん)みたいなもので、迷惑ではあるけれど、大して恐ろしいものではない。いやひょいとすると、それ等の小事件は赤外線男に対する疑心暗鬼(ぎしんあんき)から出たことで、本当の赤外線男の仕業ではないのじゃないか。或いは赤外線男といわれるものも、深山理学士の錯覚(さっかく)であって始めから赤外線男なんて、居ないのじゃないか。こんな風に、赤外線男に対する期待(はず)れを口にする人も少くはなかった。

 だがしかし「赤外線男」否定党が大きな顔をしていられるのも、永い時間ではなかった。ここに突如(とつじょ)として赤外線男の魔手(ましゅ)は伸び、帝都全市民の(おもて)は紙のように色を(うしな)って、「赤外線男」恐怖症(きょうふしょう)(かか)らなければならなくなった。――それは赤外線男発見者の深山理学士の研究室が不可解な襲撃(しゅうげき)をうけたことだった。

 これは午前二時前後の出来ごとだったけれど、警視庁へ報告されたのはもう夜明けの五時頃だった。場所が場所であるし、赤外線男の(うわ)さの高い折柄(おりから)でもあったので、(ただ)ちに幾野(いくの)捜査課長、雁金(かりがね)検事、中河予審判事(なかがわよしんはんじ)等、係官一行が急行した。

 取調べの結果、判明した被害は、深山研究室の(ドア)が破壊せられ、あの有名なる赤外線テレヴィジョン装置が滅茶滅茶に(こわ)されているばかりか、室内のあらゆる戸棚(とだな)や引出しが乱雑に()(まわ)され、あの装置に関する研究記録などが一枚のこらず引裂かれているというひどい有様(ありさま)だった。

 襲撃されたところは、もう一ヶ所あった。それは深山研究室に程近い研究所の事務室だった。ここでも同じ様な狼藉(ろうぜき)が行われているのみか、壁の中に仕掛けられた(がく)のうしろの(かく)し金庫が開かれ、現金千二百円というものが盗まれてしまった。

 さて当の深山理学士は、当夜(とうや)例のとおり、研究室内に泊っていた筈だが、どうしていたかと云うと、赤外線男のために、もろくも猿轡(さるぐつわ)をはめられ両手を(うしろ)(しば)られて、室内にあった背の高い変圧器のてっぺんに(ほう)りあげられて、パジャマ一枚で(ふる)えていた。これを発見したのは係官の一行だった。

「この事件を真先(まっさき)に発見したのは、誰かネ」

 と幾野捜査課長は、()せ集った研究所の一同を見廻(みま)わしていった。

(わし)でございます」年寄の用務員が云った。「儂は毎晩研究所を見廻わっている役でございます」

「発見当時のことを残らず()べてみなさい」

「あれは午前二時頃だったかと思いますが、見廻わりの時間になりましたので、懐中電灯をもって、夜番(よばん)の室から外に出ようとしますと、気のせいか、どっかで物を壊すようなゴトゴトバリバリという音がします。どうやら深山研究室の方向のように思いました。これは火事でも起ったのかと思い、戸口を開けて(やみ)戸外(そと)へ一歩踏み出した途端(とたん)に、脾腹(ひばら)をドスンと一つきやられて、その(まま)何もかも判らなくなりました。大変寒いので気がついてみますと、もう夜は明けかかり、(わし)は元の室の土間(どま)の上に(ころ)がっているという始末(しまつ)。それから(おどろ)いて窓から外へ飛び出すと、門衛(もんえい)のいますところまで駈けつけて、大変だと(わめ)きましたようなわけです」

「すると、お前が脾腹をやられたとき、何か人の形は見なかったか」

「それが何にも見えませんでございました」

(ついで)に聞くが、お前は赤外線男というのを聞いたことがあるか」

「存じて居ります。昨夜のあれは、赤外線男でございましたでしょうか」老人は急に臆気(おくき)がついてブルブル(ふる)え出した。

 課長は、用務員を下げると、今度は深山理学士を呼び出した。

「昨夜、貴方の襲撃された模様をお話し下さい」

「どうも面目次第(めんぼくしだい)もないことですが」と学士はまず頭を()いて「何時頃だったか存じませぬが、研究室のベッドに寝ていた私は、ガタリというかなり高い物音に不図(ふと)眼を(さま)してみますと、どうでしょうか。室の入口の(ドア)の上半分がポッカリ大孔(おおあな)が明いています。これは枕許(まくらもと)のスタンドを()けて寝るものですから、それで判ったのです。私は吃驚(びっくり)して跳ね起きました。すると、あの赤外線テレヴィジョン装置がグラグラと(ひと)()()れ始めました。オヤと思う間もなく、装置の(ふた)()ッという間もなく宙に舞い上り、ガタンと床の上に落ちました。私が呆然(ぼうぜん)としていますと、今度はガチャーンと物凄(ものすご)い音がして、あの装置が破裂したんです。真空管(しんくうかん)破片(はへん)が飛んできました。大きな廻転盤が半分ばかりもげて飛んでしまう。つづいてガチャンガチャンと大きなレンズが(こわ)れて、頑丈(がんじょう)なケースが、(まき)でも割るようにメリメリと引裂かれる。私は(きも)(つぶ)しましたが、ひょっとすると、これはこの装置で見たことのある赤外線男ではないかしらと考えると、ゾーッとしました。見る()からざるものを視た私への復讐(ふくしゅう)なのではないかしらと思いました。私はソッと逃げ出し、室の隅ッこにでも隠れるつもりで、寝床(ねどこ)から(すべ)()りようとするところを、ギュッと抱きすくめられてしまいました。それでいて身の(まわ)りには何の異変もないのです。しかし身体の自由は失われて、恐ろしい力がヒシヒシと加わり、骨が折れそうになるので、思わず『痛い、助けて()れ』と怒鳴(どな)りました。ところがイキナリ、ガーンと頭へ一撃くってその場へ昏倒(こんとう)してしまったのです。それから途中、全然記憶が()けているのですが、イヤというほど(よこ)(ぱら)疼痛(とうつう)を覚えたので、ハッと気がついてみますと、私は妙なところに()っているのです。それが先刻(せんこく)、皆さんから降ろしていただいたあの背の高い変圧器の上です。口には猿轡(さるぐつわ)()ませられ、手は後に縛られ、立ち上ることも出来ない有様です。下を見ると、これはどうでしょう。奇々怪々な光景が悪夢(あくむ)のように眼に映ります。実験戸棚の(ドア)が、風にあおられたように、パターンと開く、すると(たな)に並べてあった沢山の原書(げんしょ)が生き物のようにポーンポンと飛び出してきては、床の上に落ちる。引出しが一つ一つ、ヒョコヒョコ脱け出して飛行機の操縦のようなことをすると、中に入っていた洋紙(ようし)や薬品の小壜(こびん)などが、花火のように空中に乱舞する。いやその化物屋敷のような物凄い光景は、正視(せいし)するのが恐ろしく、思わず眼を閉じて、日頃(とな)えたこともなかったお念仏(ねんぶつ)口誦(くちずさ)んだほどでした」

 理学士は、そこで一座の顔を見廻わしたが、憐愍(れんびん)を求めるように見えた。

「それから、どうしたです」課長は(なお)も先を(うなが)した。

「それからです。室内の騒ぎが少し静まると、こんどは、(こわ)れた戸口がガタガタと鳴りました。何だか廊下に跫音(あしおと)がして、それが遠のいてゆくように聞えました。すると間もなく、向うの方で大きな(ひびき)がしはじめました。掛矢(かけや)でもって扉を叩き割るような恐ろしい物音です。それは今から考えてみますと、どうも事務室の入口のように思われました。その物音もいつしか消えて、こんどは又別の、ゴトンゴトンという音にかわり、何となく小さい物を投げつけているように思いましたが、それも五分、十分と()つうちに段々静かになり、(やが)て何にも聞えなくなりました。私は赤外線男がまだ此の室へ引返してくるのではないかと、気も(たましい)も消し飛ばしてガタガタ(ふる)えていましたが、(さいわい)にもその後、別に異変も起らず、やっと我れに返ったようなわけでした。いや何と申してよいか、あのように恐ろしいと思ったことはありませんでした」

 そういって深山理学士は、大きい溜息(ためいき)をついたのであった。

「君は、そのとき、何か(ドア)の閉るような物音をききはしなかったかネ」と課長が(たず)ねた。

「そうです。そういえば、跫音(あしおと)らしいものが空虚な反響(はんきょう)をあげて、トントンと遠のくように思いましたが、別に扉がギーッと閉まる音は気がつきませんでした」

「ふふん、それはどうも……」課長は低く(うな)った。

「どうでしょうか、ちょっとお(たず)ねしますが」と事務員の一人がオズオズと進み出でた。「今の深山(みやま)先生のお話では、赤外線男が、この建物から扉を閉めて出て行った様子がございませんが、そうしますと、赤外線男はまだこの建物の中でウロついているのでございましょうか」

「そりゃ判らんね」と太った刑事が云った。「この辺にウロウロしているかも知れないが、また一方から考えると、赤外線男が建物から出てゆくときにゃ、別に所長さんに叱られるわけではないから、君のように必ず扉をガタンと閉めてゆくとは限らないからナ」

 そのとき一人の刑事と何か(ささや)き合っていた雁金検事が、捜査課長の肩をつっついた。

「君、一つ発見したよ。この(へや)の戸棚の隅に大きな靴の跡があったよ」

「靴の跡ですか」

「そうだ。これはちょっと変っている大足だ。無論、深山理学士のでもないし、またこれは男の靴だから、この(へや)のダリア嬢のものでもない。寸法から背丈を計算して出すと、どうしても五尺七寸はある。それからゴムの(かかと)摩滅具合(まめつぐあい)から云ってこれは血気盛(けっきさか)んな青年のものだと思うよ」

「検事さん、待って下さい」と捜査課長は(あわ)気味(ぎみ)に云った。

「その足跡は果して犯人のでしょうか、どうでしょうか」

「それは勿論(もちろん)、いまのところ戸棚の隅にあったというだけのことさ」

「それにですな、赤外線男というのは、眼に見えない人間なんじゃないですか。その見えない人間が、足跡を残すというのは滑稽(こっけい)じゃないでしょうか」

「しかし君」と検事も中々負けてはいなかった。「深山君の報告によると、赤外線男はこの運動場を人間のような恰好して歩いていたというぞ。してみれば、赤外線男とて、地球の重力(じゅうりょく)をうけて歩いているので、空中を飛行しているわけではない。だから身体は見えなくても、大地(だいち)に接するところには、赤外線男の足跡が残らにゃならんと思うよ」

「足跡が見えるなら、靴も見えたっていいでしょう。すくなくとも、靴の裏は見えたっていいわけです。そこには我々の眼に見える泥がついているのですからネ」

 課長と検事とは喋っていながらも、この難問題が自分たちの(はたけ)ではないことに気がついた。

「ねえ、君」と検事が鼻に小皺(こじわ)をよせて(ささや)くように云った。「これはどうも俺たちの手にはおえないようだよ。第一、知識が足りない」

「そうですヨ」と課長も苦笑した。

「仕方がないから、これは一つ例の男を頼むことにしてはどうかネ。帆村荘六(ほむらそうろく)をサ」

「帆村君ですか。実は私も前からそれを考えていたのです」

 二人の意見は直ぐに(まとま)った。そして(あらた)に呼び出されるべき帆村荘六という男。これはご存知の方も少くはないと思うが、素人探偵として近頃売り出して来た青年で、科学の方面にも相当明るいという人物だった。

 こうして取調べも一と通り終り、報告書も作られたけれど、直接の被害の中にとうとう()れてしまった一つの重大なる品物があった。それは深山理学士が戸棚の中に秘蔵(ひぞう)していた或る品物だったが、彼はそれを係官に報告しなかった。それは決して忘れたわけではなくて、故意(こい)に学士の心に()めたものと思われる。一体、その品物はどんなものだったか。

 とにかく深山学士研究室の襲撃事件によりて、赤外線男の生態(せいたい)というものが、大分はっきりしてきた。

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