赤外線男

6話 赤外線男(6)

3,525字 約7分 2003年2月2日 公開

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「『赤外線男』が白丘ダリアといったんでは、警官の中にも本気にしない人があった位だよ。しかし要点を云うとネ、元々『赤外線男』という名称は、殺された深山理学士がつけたものなのだ。彼は『赤外線男』を見たといって、いろいろな話をしたが、本当は一度も見たわけじゃなかったのだ。それは彼が便宜上(べんぎじょう)(こしら)えた創作的観念であって、実在ではなかった。

 何故そんなことをやったかというと、始めはあの新説で世間を()ッと云わせて虚名(きょめい)を博しよう位のところだったらしいが、いよいよというときには事務室の金庫から彼が消費(つかい)こんだ大金(おおがね)穴埋(あなう)めに、『赤外線男』を利用したわけだった。研究室が潮に襲われると、逸早(いちはや)く彼は避難したのだったが、そのチャンスを巧くとらえて、潮のかえった後の自室や事務室を散々自分で破壊してあるき、自ら変圧器の上にあがると、自分の身体を縛ったのだ。智恵のある人間には訳のないことだ。

 しかしこの犯行の裏には三人の女が隠れているんだ。そういうと不思議に思うだろうが、一人は情婦(じょうふ)という評判の女・桃枝だ。この女には秘密に大分(みつ)いだものらしい。金庫の金に手をかけたのも、この女のためだ。

 もう一人の女は子爵夫人京子だ。これには潮が云ってたように色ばかりではなく、むしろ慾の方が多かったのだ。夫人と潮との秘交(ひこう)を赤外線映画にうつしたのは、夫人に(いど)むことよりも莫大(ばくだい)な金にしたかったのだ。もし夫人が相当の金を出したとしたら、深山は事務室の金庫を破る必要もなく、『赤外線男』をひねり出す苦労もしないで()んだことだろう。しかし京子夫人にそんな莫大の金の都合はつかなかった。夫人は死を選んだのだ。

 そこへ、もう一人の女性、白丘ダリアという女がいけなかった。これは先天的に異常性を備えた人間だった。左の眼と、右の眼と、視る物の色が大変違うなんて、ほんの一つのあらわれだ。あの狒々(ひひ)のような大女は、自分と反対に真珠のように小さい深山先生に食慾を感じていろいろと(そその)かしたのだ。『赤外線男』も、ダリアから出たアイデアだったかも知れない。

 しかしダリアの使嗾(しそう)に乗った理学士も、金庫の金を盗んだり、それからダリアの喜びそうもない情婦(じょうふ)桃枝のことを手紙から知られると、すっかりダリアに秘密を握られてしまった恰好(かっこう)になった。()()に来るもの――それを考えると彼は安閑(あんかん)としていられなかった。そこで深山は、思い切って、ダリアが同じ室に寝泊りしているのを(さいわ)い、水素瓦斯(ガス)を使って睡っている彼女を殺そうとしたが、水素乾燥用の硫酸の壜が爆発してダリアに目を()まされ、不成功に終ってしまったのだ。

 ダリアはこの事を勿論(もちろん)感づいた。しかしだネ、彼女は悪魔だけに賢明だった。事を荒立(あらだ)てる代りに、一層(いっそう)深山の弱点を抑えて、徹底的にこれを牛耳(ぎゅうじ)ってしまう考えだった。ところがあの騒ぎによって彼女の身体に大きな異変が起った。それは飛んで来た硫酸に眼を犯され、右眼(うがん)は大した損傷(そんしょう)もなかったが、左眼(さがん)はまるで駄目になった。結局右眼一つというようなことになってしまった。しかし左眼が(つぶ)れたことが異変というのじゃない。左眼が潰れたために、残る一眼が急に機能が鋭くなったんだ。左右の肺の一つが結核菌に(おか)されて駄目になると、のこりの一方の肺が代償(だいしょう)として急に強くなり、一つで二つの肺臓の働きをするなどということは、医学上よく聞くことだ。それと似て、ダリアは左眼の(めい)を失うと同時に、右眼の視力が急に異常な鋭敏さを増加した。元々ダリアの右眼は、左眼よりも物が赤く見えるといっていたが、赤い光線を感ずる神経が発達していたんだ。そんなわけだから、一眼(いちがん)になって異常な視神経の発達により、普通の人には到底(とうてい)見えない赤外線までが、アリアリと彼女の網膜(もうまく)には(えい)ずるようになったのだ。普通の人が暗闇と思うところでも、ハッキリ()える。――この異常な感覚を自覚したときのダリアの狂喜(きょうき)ぶりは、大変なものだったろう。しかしその狂喜は、同時に彼女の破滅を予約したものでもあった。ダリアは悪魔になりきってしまった。殺人淫楽者(さつじんいんらくしゃ)という恐ろしい犯罪者に()ちたのだ。そして赤外線が視えるということが、彼女を裏切って秘密曝露(ひみつばくろ)の鍵にまでなってしまった。それは後の話だがネ」

 そういって帆村は、何か恐ろしいことでも思い出したらしく、大きい溜息をつくと、ビールを口にもっていって、琥珀色(こはくいろ)の液体をグーッと()()した。筆者(わたくし)(びん)をとりあげると、静かに()いでやった。

「それからあの殺人騒ぎだ。暗闇の中に、次から次へ起る恐ろしい殺人事件。疑いは一応もってみても、眼のわるいお嬢さんに、そんな芸当が出来ようとは誰も思っていなかった。一方『赤外線男』という『男』の観念がすっかり普及していてお嬢さんに眼をつけることが阻害(そがい)された。誰があの暗黒(あんこく)のなかで、()りに()って非常に正確を要する延髄(えんずい)の真中に(はり)を刺しこむことが出来るだろうか。『赤外線男』という超人(ちょうじん)でなければ、到底(とうてい)想像し得られないことだった。ダリア嬢は、(しか)りその超人的視力をもつ『赤外線女』だったんだ。これはあとで判ったことだけれど、彼女はあの銀鍼(ぎんばり)をシャープペンシルの(じく)の中に隠して持っていたのだった。

 これに対して僕の探偵力は、全く貧弱(ひんじゃく)なものだった。どう考えていっても、『赤外線男』という超人を肯定するより(ほか)に仕方がなくなるのだ。僕はそんな莫迦気(ばかげ)たことがと排斥(はいせき)していたのが、そもそも大間違いではなかったかと考え直し、それからもう一度一切の整理をやり返すと、始めてすこし事情が判って来た。

『赤外線男』が殺人をやるようになったのは()く最近のことだ。以前に(おい)ては『赤外線男』の呼び声は高かったにしろ、殺人事件はなかった。そこに何物かがひそんでいると気が付いた僕は、殺人事件の発生が、ダリアの一眼失明を機会にして其の以後に連続して行われたということを発見した。同時に探索(たんさく)の結果、ダリアの両眼の視力異常についても聞きこむことが出来た。よし、それなれば、何としても()けの皮を()いでみせるぞ。そういう意気ごみで、僕はダリアに近づくと、大変心安くなった。折しも幸運なことに深山の写した子爵夫人と潮との秘交(ひこう)の赤外線映画が手に入ったので、そこにチャンスを(つか)む計画を()てた。僕は手筈をきめて、ダリア嬢を警視庁に呼び出したわけだった。

 最初の計画は、残念ながら失敗に近かった。それは庁内の警官射的場で、青赤黄いろとりどりの水珠(みずたま)のように(まる)標的(ひょうてき)を二人で射つことだった。僕はドンドン気軽に撃って、彼女にも撃たせようとしたが、ダリアは早くも危険を(さと)って拳銃(ピストル)をとりあげようとはしなかった。()しあの場合、彼女も射撃を始めたとしたら、必ずのっぴきならぬ証拠が出来る筈だった。それはあの色とりどりの円い標的の間に残る白い余白には、あの裏面から赤外線で照明している深山(みやま)の別個の標的があったのだ。彼女は赤外線も赤い色も判別する力はない。それは赤外線も、吾々が赤を識別できると同様、アリアリと眼に(うつ)るからだ。しかし彼女は危険を感じて、吾々の眼には見えない赤外線標的を撃つことから()がれた。しかし射撃を(こば)んだということが、僕の予想を大いに力づけて呉れる効能(ききめ)はあった。

 さて、最後のトリック――それには鬼才(きさい)ダリア嬢も見事に引っ懸ってしまった。それはすこし下卑(げび)た話だ。けれども、あの便所の一件だ。例のフィルムの映写中に彼女は激しい尿意(にょうい)(もよお)したのだった。それは勿論、すこし前に食堂で彼女が飲んだオレンジ・エードに、一服盛ってあったというわけサ。映画が終るや(いな)やダリア嬢は気が気でなく廊下へ飛び出した。もうこれ以上我慢をすると、女の身にとって顔から火の出るような粗相(そそう)を演ずることになる。彼女は極度に狼狽(ろうばい)していたのだ。暗い廊下の向うを見ると、嬉しやそこには『便所』と書いた赤い(あかり)がついている。彼女は(ドア)を押して飛びこんだ。果してそこには奥深く便器が並んでいた。彼女は用を足した。しかし(ここ)に彼女は、とりかえしのつかない大失敗をしたのだった。

 それは、この『便所』と書いた赤い(あかり)は、普通の視力をもった人間には、到底(とうてい)発見することの出来ない光だったのだ。つまり赤外線灯で『便所』という文字を照していたのだ。吾々のようなものならば、その前を無造作(むぞうさ)に通りすぎてしまう筈だった。赤外線の見える女の悲しさに、ダリア嬢はついそのような灯の下をくぐってしまったのだ。その場の光景は(かね)て張番をさせて置いた監視員によって、すっかり見とどけられてしまった。とうとう異常な視力の持ち主は化の皮を剥がれてしまったのだ。流石(さすが)のダリア嬢もこうなっては策の(ほどこ)しようもなく、とうとう一切を白状してしまった。『赤外線男』――いや『赤外線女』の事件は、ざっとこんな風だった」

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