9話 探偵小説の「謎」(9)
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逃避の動機
右の例もやはり苦痛を逃れるための犯罪の一種といえるが、それとは違った意味で、純粋に逃避(エスケープ)のための犯罪というものを考えた二人の作家がある。その一人が前のアメリカ大統領ルーズベルト(作家とはいえないが)であり、他の一人がイギリスの逆説家チェスタートンであるのも面白い。これは一応犯罪の外貌をもつのみで、二つとも真の犯罪ではない。
探偵作家アントニー・アボットは「リバティー」記者であったころ、よくルーズベルトを訪ねたものであるが、大統領は有名な探偵小説好き、アボットは作家なのだから、二人の間にしばしば探偵小説談が交わされた。ある時アボットはルーズベルトに、あなた自身で一つ探偵小説を書いてみる気はないかと誘いをかけたところ、大統領は、いや私は忙しくてとても書くひまはないが、探偵小説の筋は持っている。これを専門の探偵作家に書かせてみてはどうかという返事であった。それを聞いたアボットは大喜びで、さっそくヴァン・ダインをはじめ著名の作家六人を動員して大統領の立案になる長篇探偵小説を、分担執筆させることとした。そして、これを「大統領探偵小説」と銘うって発売したのである。この本の表紙には立案者としてルーズベルトの名が大きく印刷してある。
その大統領の立案した筋というのが、非常に面白い。大政治家や大実業家の意識下に潜在願望として隠れていそうな、この世から全く姿をくらましてしまうというトリックを中心とする探偵小説なのである。
その大統領が考案したというのは、一人の男が現在の環境から完全に逃避しようとするテーマであった。実業界に名を知られた百万長者が、現在の境遇にあき、他郷で全く別の人間として新しい生活を始めたいと考える。家族、親戚知己、自分の社会的地位など一切のものと絶縁して、生れかわりたいのだが、しかし金だけは持って行きたい。たとえば七百万弗の財産があるとすれば、そのうち二百万弗くらいを家族の生活費として残し、あとの五百万弗は持って行きたい。そして、家族や知人がいくら探しても絶対に発見されないようにしたいというのである。
いかにも大政治家や大実業家の潜在意識にありそうな願望で、ルーズベルト大統領がこういう問題を考えたことは非常に面白いと思う。東洋にはこの思想は昔からあった。高位高官の人が現世のわずらいを離れて山に入るとか、隠者の生活を送るとかいうことは珍らしくなかった。それの俗っぽいのが艶隠者である。東洋思想では金銭とも離れるのだが、アメリカの逃避は財産の大部分を持って行こうというので、さすがに現世的である。その上、生れかわって全く別の生涯を始めようというのだから、これは隠者でなくて、もっと積極的な更正である。それだけに、この逃避には非常な困難が伴う。世間に知られた実業家でも、全財産を放棄して、南米とか濠洲とかに渡り、一貧乏人として暮らすのなら、さしてむずかしくもないかもしれぬが、五百万弗の金を持って行こうというのだから、ここから足がつく。たとえ宝石に換えて持ち出したとしても、それを売ればわかってしまう。その心配を全くなくするためには大犯罪者と同じほどの悪智恵がいるわけで、その方法を六人の作家に考えてもらいたいという出題だったのである。作家たちはこれに対してどんな解答を与えたか。
私はこの「大統領探偵小説」を早くから持っていたけれど、連作など読む気にならず、序文を見ただけでほうってあったが、この小文を書くために、つい全部読んでしまった。読んでみると思ったより面白かったし、印象が新しいので、この部分だけが長くなって不調和のようだけれども、少し詳しく書くことにする。
連作執筆者として選ばれた作家はルュパート・ヒューズ、サミュエル・ホプキンス・アダムス、アントニー・アボット、リタ・ワイマン、ヴァン・ダイン、ジョン・アースキンの六人であった。この順序で執筆し、一編の長篇小説に纏めたのである。先ず第一回担当のヒューズが主人公の境遇をきめた。主人公は弁護士事務所を開いて七百万の財を積んだ中年の男(アメリカでは弁護士でも百万長者になれるらしい)その妻は女優上がりのロシア美人で、金を目あてに結婚した女。夫の目をかすめて若いスポーツマンなどとよろしくやっている。夫はそれを知って離婚話をもちだすが、財産に離れては大変なので、自殺するとおどかして、これに応じない。弁護士はそんなことから(他にも多少の理由がある)いよいよ現在の境遇がいやになり、全く別の人に生れかわって新生活をはじめることを決意し、長期にわたって、その準備をするのである。(これは大統領の着想とは少し違うのではあるまいか。出題者の気持はもっと社会的名声の高い人物で、その名声から来る生活の窮屈さに飽きあきしていることそれ自体を動機とする逃避を考えていたのだと思う。夫婦関係のイザコザなどを主たる動機としては、大統領のせっかくの心理的な着想が弱められてしまう)
逃避の第一着手として、彼は変名で腹話術師に弟子入りし、誰にも気づかれぬ場所で、半年のあいだ声を変える練習をする。そして、誰の声でもまねられるようになる。(これは声帯模写だから、日本ならば腹話術師よりも声色屋に弟子入りすることになる)
第二回を受持ったアダムスは、これにつづいて表情、手の動かし方、歩き癖その他いっさいの身振りを別人のものにするために、やはり俳優の弟子となり、数カ月の練習を積むという筋にしている。それから、所持の株券約五百万弗を、ある仲買店を通じ、目立たぬように一カ月がかりで処分し、全部現金に替えてしまう。
第三回のアボットは、さすがにこの連作の主唱者だけに、非常に力を入れて書いている。私が感想を述べたいのも主としてこの部分にある。ここでいよいよ主人公は顔面並びに、全身の整形外科手術を受けることになる。しかし、全然架空の人物を作り上げたのでは、五百万弗を持ち、それで新しく仕事を始めたいというのだから、人に怪しまれるおそれが充分ある。そのために彼は私立探偵社に命じ、実業界から引退した資産家で、独り者で、近い親戚もなく心臓病で死期の定まっているような人物を探させる。広いアメリカのことだから、こういうむずかしい注文に合う人物も絶無とはいえぬ。やがて、或る土地の病院で死期を待っている注文通りの人物が見つかる。弁護士はその病院に出向いてその人物に会い、行方不明になっている彼の妹を必ず探し出して世話するという条件で、その人物の前歴を買い取る。そして、この心臓病者と一緒に、ニューヨークから遠く離れた小都会の整形外科病院に入院する。
その病院長は整形外科の名手だが、病院の建物はあまり立派でないので、莫大な建築費をだすという条件で、一切質問を禁じて、全身の整形手術をひきうけさせる。もちろん弁護士はこれらの交渉にはすべて一定の変名を用いている。変貌のモデルは心臓病の人物で、その人の病気になる前の写真などを参考にして、健康人としての彼に似せてもらうのである。ここから整形術の描写になる。毛の色や癖を変え、生えぎわを直し、眉を変え、まぶたを変え、骨を削って鼻、顎、頬の形を変え、口、耳を変え、肩の骨を削ってなで肩にし、手足の先にいたるまで、あらゆる変形を行なって全くの別人を造り上げる。むろん一年に近い歳月を要するのである。
隠れ簔願望
ここで少し余談に入る。お伽噺に「隠れ簔」というのがある。その簔を着ると自分の姿が他人には見えなくなる。どんないたずらをしても、どんな悪事を働いても、何をしても相手にはこちらの姿が見えないのである。これは人類何千年の夢の一つであろう。それ故お伽噺となって世界中にもてはやされ、西洋ではH・G・ウェルズの「インヴィジブル・マン」(透明人間)となり、日本では猿飛佐助の忍術となって、万人の興味をそそるのである。善人も隠れ簔がほしいだろうが、悪人はいっそうこれがほしい。これ一つあれば、彼の字引から「不可能」の文字が無くなってしまうからである。
アボットの外科変貌術は最も科学化された「隠れ簔」である。もともとルーズベルトの出題そのものが、何らかの「隠れ簔」を要求するものであった。この大政治家の意識下にも強い「隠れ簔」願望があり、これに同感したアボットは整形外科術をもって答えたというわけである。
私も「隠れ簔」願望の強い男で、昔の作に「覗き」の心理を描いたものが多いのもここからきている。「屋根裏の散歩者」で天井裏という隠れ簔に隠れて悪事を働くのも、「人間椅子」という隠れ簔に隠れて恋愛をするのも、すべてこの願望の変形であった。ジャック・ロンドンの「光と影」やH・G・ウェルズの「見えざる人」に執着をおぼえたのも、涙香の「幽霊塔」や「白髪鬼」に惹きつけられ、私自身その焼き直しをしたのも、またこの願望からきている。
涙香といえば、彼の代表作である「噫無情」「巌窟王」「白髪鬼」「幽霊塔」などに、ことごとくこの「隠れ簔」願望がふくまれているのは興味深いことである。「噫無情」では前科者が全く別人の大工場主となり、「巌窟王」では海底の藻屑と消えたはずの脱獄者が王者の如き存在となり、「白髪鬼」では墓場からよみがえった人物が別人として元の妻と再婚するなど、いずれも読者の「隠れ簔」願望に訴えるところが非常に強く大きいのである。私たちが少年時代、これらの作品に心酔した理由の半ばは、おそらくこの要素によるものではないであろうか。
「幽霊塔」では奇怪な老科学者が、電気の作用によって、女主人公の容貌を自由に変えることが書いてあるが、その方法には魔術性が多く、まだお伽噺の域を出ていない。アボットはこれを近代化し、科学化したのである。私も「幽霊塔」を焼き直す時、外科変貌の箇所は原作よりも科学的にし、アボットに近い説明を加えておいたが、私は外科手術の知識に乏しく、ほとんど常識で書いたので、アボットほど詳細ではなかった。また、私は中篇「石榴」にもこの方法を取り入れ、一応の記述はしたが、やはり引例などの点でアボットまで行っていなかった。しかし、アボットの描写が完全だというのではない。若しこの部分のみに興味を集注し、充分資料を集めたならば、もっと科学的に、もっと詳細に描き得るはずである。そして現代の「隠れ簔」を理論上だけででも完成し得るはずである。
外科変貌術の中で、アボットは一つだけ私の全く気づかなかった手法を取り入れている。近年、薄いガラス又は合成樹脂製のレンズを目の角膜にはりつけ、眼鏡の代りにするという方法が考案されていると聞いたが、アボットは一九三五年のこの作品に、変貌の手段として早くもこれを取り入れている。いくら顔面の他の部分を変えても眼がもとのままでは、忽ちその人と看破される。逆に眼を隠せば、他の部分が同じでも、なかなかその人とは分らないものである(花見の目かつらの効果を思え)。この最大の難物である眼も、もしまぶたの中に薄いガラス体を入れることができれば、目の色や黒眼の大きさまでも自由に変え得るわけで、変装には何よりも効果的である。アボットはうまい所へ気づいたものだと思う。
ところで、犯罪者のこういう外科変貌は、前大戦前後から、現実にも行われていたのである。昭和二十五年の三月岩谷書店から出版されたゾエデルマンとオコンネル共著の「現代犯罪捜査の科学」一〇五頁「整形外科及び犯罪の鑑識」の項を見ると、犯罪者が外科変貌を企てた実例が挙げてある。要所を引用してみる。『(第一次大戦前にも外科変貌の例が幾つか報告されているが)第一次大戦以来、かかる報道が数件新聞紙上に現われた。著名の犯人ジョージ・デリンガーは、その顔面に外科手術を受けたと推定されている。第十八図はデリンガーの手術前の顔二個と、以後の顔二個とを示したものである。しかし、気がつくことは、その変貌が極めて僅少なことである。疑いもなく上手な整形外科医は恐らく顔の容相を驚異的に変更し得るであろう。しかしながら、もしも犯罪人が彼の古い周囲との関係を断ち切って新出発しなければ、かかる変化はほとんど価値がないことを見出すであろう。この方法が不成功に終り易いのには二つの理由がある。その一つは普通の顔にはほんとうに人を欺くほどの変化を作ることが困難であり、たといそれが可能としても、手術の痕跡は長期にわたって残ること、その二は全然未知の土地に居を定めることの困難、手術の痕跡が治癒するに至るまで長く未知の土地に滞在することの困難にある。』
しかし、この種の困難は「大統領探偵小説」の場合のような百万長者には少しも障碍とならない。彼は未知の土地に定住することをこそ望むのである。また、変貌の完全不完全は、犯人がどれだけの費用とどれだけの日子を費しうるかによって定まる。もしそれらの条件が、あらゆる困難(医師に承知させること、長期にわたる手術中、世間の目をくらますこと、医師に永久に秘密を守らせることなど)にもかかわらず、克服されたとすれば、警察に挙げられた右の実例の犯人よりも、遙かに見分けにくい変貌がなしとげられるであろう。あるいはそういう大変貌をとげて現に其筋の目をのがれているような犯罪者が、絶無とは断言できないように思われる。
さて、余談が非常に長くなったが、話をもとにもどして、変貌のモデルになった心臓病者は外科病院で死亡し、そこで人間の入れ替りが完成した。弁護士は心臓病だった人物になりきってしまった。心臓病者の死体はその土地に埋葬し、その時まで使用していた弁護士の変名が墓石に刻まれる。
第四回の担当者ワイマンは、次に弁護士その人の抹消について書いている。いくら別人になりきっても、ニューヨークで行方不明になっている弁護士の死亡が確かめられないでは、世間が承知しない。その死体偽造の手段である。弁護士はまた私立探偵を雇って、(むろん変名で)借金に苦しんでいる、いくらか不良性のある医学生を探し出させ、その学生に大金の謝礼をして、医学校の実験用死体置場から、年配、背かっこうなど自分に似た死体を盗み出させ、一方ニューヨーク郊外のガレージに預け放しになっている自分の自動車をうけとって、自分の服を着せた死体をそれにのせて、自動車もろとも断崖から転落させ、自分の過失死を装う。転落の際ガソリンが爆発して死体は黒焦げとなり、容貌など分らなくなってしまう。
第五回はヴァン・ダインの受持ちだが、あと一回で結末をつけなければならないために、この辺からだんだん無理な筋になってくる。ヴァン・ダインの文章にもほとんど精彩がない。自動車事故の記事が新聞にのる。有名な弁護士なのでセンセイションも大きいのである。彼はほくそ笑んで自分自身の死亡記事を読む。計画はうまくいったのである。葬儀の日取りもきまって、それが新聞に発表される。彼は自分の葬儀に列席する。一種の優越感と、変貌を知人が見分け得るかどうかを試すためである。しかし、誰も見分けるものはない。もとの妻さえ、彼と顔を会わせても気づかなかった。
さて、ここからあとがどうも面白くない。彼は一つだけ非常な失策をやっていたことが分る。ある事情があってその筋で死体の再検査をしてみると、頭部にピストルの穴があり、頭蓋内に弾丸さえ残っていた。盗み出したのが自殺者の死体であったことを、うかつにも気づかないでいたのである。これは実に苦しいプロットだが、それがいろいろにもつれて結局弁護士の妻に殺人の嫌疑がかかり、(以下第六回アースキンの受持ち)その無実の罪をとくために、彼はあれほど苦心した計画を棒に振って、其筋に真実を告白することになる。しかし再び悪妻と同棲するには及ばなかった。彼女は故郷のロシアに夫があり、重婚の罪を犯していたことが分ったからである。というような、実につまらない結果になっている。日本の過去の連作ほどでたらめではないが、やはり連作というものの弱点を暴露しているわけである。
連作の梗概は以上で終ったが、さて、よく考えてみると、ヒューズからワインマンまで四回にわたるいろいろの変貌計画には実に非常に大きな欠陥がある。犯罪の秘密を完全にたもつには相棒を作らないで終始単独行動をとるべしというのが原則であるが、この主人公はその原則をめちゃめちゃに破っている。彼自身のほかに、彼の秘密の一部に参画した人間が無数にある。腹話術師、俳優、株を売却させた仲買人、整形外科医、心臓病患者を探しだした私立探偵、死体を盗ませた医学生、その医学生を探しだした私立探偵、直接関係者だけでも七人もあるが、そのほかに、たとえば外科病院の助手や看護婦、腹話術や身振りを練習した家の管理人や雇人、仲買店の店員など、同様に彼の奇妙な行動を見た人間は何人あるか分からない。そのうち一人でも名探偵の手にかかれば、それからそれへと弁護士の行動が暴露して行くであろうし、又七人の直接関係者のうち誰かが事実を語る気になれば、これもまたいもづる式に真相がばれて行くであろう。実に危険千万。一方であれほど綿密な計画を立てた主人公が、この方面ではまるで小学生のように無邪気であけっぱなしな手抜かりをしている。
前に記した「捜査の科学」は手術の痕跡のことばかり気にしているが、実際問題としても、困難はむしろこの方面にある。少くとも整形外科医だけにはどうしても秘密を握られる。そしてその助手があり、看護婦がある。これを考えると、犯罪者の外科変貌による隠れ簔は、やはり難事に相違ないのである。
「大統領探偵小説」の感想が長くなったが、さて次に移る。
逃避の別の例
チェスタートンの短篇(未訳)に、逃避を動機とする奇妙な作品がある。私はこの作を読んだとき強く感銘し、メモのあとに「探偵小説の根本興味はパラドックスなりと感ず。インポシブル興味とはパラドックス(思想の手品)のことなり。」と書きつけている。トリックそのものとは別に、文中のチェスタートン一流の論理が、私にそういう感銘を与えたのである。ところで、その筋というのは、産をなした大詩人が、あらゆるぜいたくと快楽をしつくし、詩人という地位に飽きあきして、全然新しい人間として生れかわることを願望する。そして次のような隠れ簔を案出する。
彼には一人の凡庸な弟があって、その市の場末で雑貨商を営み、何のわずらいもない平和な日々を送っている。天才的詩人にはこの凡庸がうらやましかった。そこで、彼はこの弟に大金を与えて、外国への長旅に出し、自分は弟に変装して(兄弟だから顔は似通っていた)雑貨商の平凡な主人に納まろうというのである。
そこで、二人は相談の上、まず弟がその市に近い海水浴場の脱衣小屋の中で着物を脱ぎすて、裸になって海に入り、遠く離れた淋しい海岸に泳ぎつく。その海岸の岩の蔭に、あらかじめ別の服装と旅行鞄などが用意してある。弟はそれを着て知人に出会わないような路をとって、そのまま外国旅行に出発する。一方兄の詩人はあとから脱衣小屋にはいって、弟の着物をそっくり身につけ、髭を剃りおとし、そのまま弟の雑貨店に帰って、そこの主人として新生活を始める。
これを世間から見ると、金持ちの兄が行方不明となり、何の手掛りも残っていないので、利益を得るものを疑えという筆法から、唯一の財産相続者である弟が疑われる。そこで弟の雑貨商が取調べを受けることになるが、結局、名探偵の奇矯な推理によって、兄弟入れかわりの真相が暴露するという話である。この場合探偵の方にも、詩人の異常心理を理解する力がなくては、捜査に成功することができないわけである。
こういう超常識の動機は、ヴァン・ダイン流の考え方では、アンフェアなのだが、チェスタートンの手にかかると、少しも不満を感じない面白い小説となる。この奇矯な動機の説明に、前に記した鮮やかなパラドックスが用いられているのである。
右の二つの例のような意味の逃避ではないが、リチャード・ハルの倒叙探偵小説「伯母殺し」は、不良青年が、我儘勝手なぜいたくな生活がしたいばかりに、自分の自由を束縛している親代りの伯母を殺そうとする話で、やはり現在の厳格な陰気な生活からの逃避が動機となっている。「伯母殺し」については、「幻影城」におさめた「倒叙探偵小説再説」に梗概を記したから、ここにはくりかえさない。
この項目に属するもので、いま一つ面白い例がある。「陸橋殺人事件」の作者ノックスは、現在ではビショップの位につき「ノックス聖書」というものまで書いているえらい学僧だが、奇抜な短篇「密室の行者」でもわかるように実に極端な筋を考え出す人である。動機の考案にも、次のように思い切ったのがある。
不治の病で医師から死期を宣告された男が、その苦痛をまぬがれるために非常な苦労をする話。臆病でとても自殺はできない。自分で死ねないとすれば他人に殺してもらうほかはないのだが、進んで殺人罪を犯してくれるような篤志家はいない。自分でそういう相手を作りださなければならない。そこで、彼は殺してくれる人がないとすると、こちらが誰かを殺して、その罪によって死刑にしてもらうのが一番だと実に廻りくどいことを考える。この話も、すでに「意外な犯人」で詳説してあるから参照されたい。
(「宝石」昭和二十五年八―十一月号連載の随筆より抜萃)
11 探偵小説に現われた犯罪心理