2話 一 古今実物語 二
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更に又「孝子黄金の釜を掘り出し娘の事」を見よ。
「三八といへる百姓は一人の母につかへて、至孝ならぶものなかりける。或年の霜月下旬の頃、母筍を食し度由のぞみける。もとより貧しき身なれども、母の好みにまかせ、朝夕の食事をととのへすすむといへ共この筍はこまりはてけるが、(中略)蓑笠ひきかづき、二三丁ほど有所の、藪を心当に行ける。積る朽葉につもる雪、かきのけ/\さがせども、(中略)ああ天我をほろぼすかと泪と雪に袖をぬらし、是非なく/\も帰る道筋、縄からげの小桶壱つ、何ならんと取上げ見れば、孝子三八に賜ると書付はなけれ共、まづ蓋をひらけば、内よりによつと塩竹の子、金もらうたよりうれしく、(中略)女房にかくとしらすれば、同じ心の姑思ひ、手ばやに塩だし鰹かき、即時に羹となしてあたへける。其味生なるにかはる事なく、母もよろこび大方ならず、いか成人のここに落せしや、是又壱つのふしぎ也。
「しかるにかほど孝心厚き者なれ共、《かせ》げばかせぐほど貧しく成り、次第/\に家をとろへ、今は朝夕のけぶりさへたえ/″\に成りければ、三八女房に云ふやう、(中略)ふたりが中にまうけし娘ことし十五まで育てぬれ共、(中略)かれを都の方へつれ行き、勤奉公とやらんをさせ、給銀にて一して見んと思ふはいかにと尋ぬるにぞ、わらはも疾くよりさやうには思ひ候へ共、(中略)と答へける。(中略)三八は身ごしらへして、娘うちつれ出でにける。名にしおふ難波の大湊、先此所へと心ざし、少しのしるべをたずね、それより茶屋奉公にいだしける。(中略)扨此娘、(中略)つとめに出る其日より、富豪の大臣かかり、早速に身うけして、三八夫婦母おやも大阪へ引きとり、有りしにかはる暮と成り、三八夏は蚊帳の代りにせし身を腰元共に床を扇がせ、女房は又姑にあたへし乳房を虎屋が羊羹にしかへ、氷から鯉も古めかしと、水晶の水舟に朝鮮金魚を泳がせて楽しみ、是至孝のいたす所なり。」
天は孝子に幸福を与へず。孝子に幸福を与へしものは何人かの遺失せる塩竹の子のみ。或は身を売れる一人娘のみ。作者の俗言を冷笑するも亦悪辣を極めたりと云ふべし。予はこの皮肉なる現実主義に多少の同情を有するものなり。唯唯作者の論理的頭脳は残念にも余り雋鋭ならず。「餓鬼聖霊会を論ずる事」の如き、「寺僧病人問答の事」の如き、或は又「仏者と儒者渡唐天神を論ずる事」の如き、論理の筆を弄したるものは如何に贔屓眼に見るにせよ、概ね床屋の親方の人生観を講釈すると五十歩百歩の間にあるが如し。因に云ふ。「古今実物語」は宝暦二年正月出板、土冏然の漢文の序あり。書肆は大阪南本町一丁目村井喜太郎、「古今百物語」、「当世百物語」号と同年の出版なりしも一興ならん乎。
「魂胆色遊懐男」はかの「豆男江戸見物」のプロトタイプなり。予の家に蔵するは巻一、巻四の二冊なれども、大豆右衛門の冒険にはラブレエを想はしむるものなきにあらず。
大豆右衛門は洛東山科の人なり。その母「塩の長次にはあらねど、夢中に馬を呑むと見て、懐胎したる子なるゆへ」大豆右衛門と称せしと云へば、この名の由つて来る所は必しも多言するを要せざるべし。大豆右衛門、二十三歳の時、「さねかづら取りて京の歴々の女中方へ売べしと逢坂山にわけ登り」しが、偶玉貌の仙女と逢ひ、一粒の金丹を服するを得たり。「ありがたくおし頂きてのむに、忽ち其身雪霜の消ゆる如くみぢみぢとなつて、芥子人形の如くになれり。」こは人倫の交りを不可能ならしむるに似たれども、仙女の説明する所によれば、「色里にても又は町家の歴々の奥がたにても、心のままにあはれるなり。(中略)汝があふて見度と思ふ女のねんごろにする男の懐の中に入れば、その男の魂ぬけ出、汝仮に其男に入れかはりて、相手の女を自由にする事、又なき楽しみにあらずや」と云へば、頗る便利なる転身と云ふべし。爾来大豆右衛門、色を天下に漁すと雖も、迷宮に似たる人生は容易に幸福を与ふるものにあらず。たとへば巻一の「姉の異見耳痛樫木枕」を見よ。
「台所より飛びあがり、奥の方を心がけ、襖のすこし明きたるあひよりそつと下りて大座敷へ出、(中略)唐更紗の暖簾あげて、長四畳の間を過ぎ、一だんたかき小座敷あつて、有明の火明らかに、是ぞ此家の旦那殿の寝所ならめと腰障子をすこしつきやぶりて、是より入つて見れば夫婦枕をならべて、前後も知らず連れ節の鼾に、(中略)先内儀の顔をさし覗いて見れば、其美しさ此器量で三十ばかりに見ゆれば、卅五六でもあるべし。(中略)男は三十一二に見えて、成程強さうな生れつき。扨は此女房の美しいに思ひつきて、我より二つ四つも年のいたをもたれしか、但入り聟か、(中略)と亭主が懐にはいればそのまま魂入れ替り、(中略)さあ夢さましてもてなしやと云へば、此女房目をさまし、肝のつぶれた顔して、あたりへ我をつきのけ、起きかへつて、コレ気ちがひ、爰を内ぢやと思ひやるか、夜の更けぬ先に往にや/\と云ふに、面白うもない歌留多をうつてゐて夜を更かし、今からは往なれまい、旦那殿も大津祭に行かれて留守ぢやほどに、泊つてなりと行きやと、兄弟の忝けなさは何の遠慮もなく一所に寝るを、姉をとらまへ軽忽な、こりや畜生の行儀か。こちや畜生になる事は厭ぢやいの。(中略)多聞悪いと畳を叩いて腹を立てる。扨は南無さん姉ぢやさうな。是は粗相千万、(中略)と後先揃はぬ事を云ふて、又本の夜着へこそこそはいつて、寝るより早く其処を立ち退き、(下略)」(この項未完)
(大正十三年六月)