案頭の書

2話 一 古今実物語 二

2,256字 約5分 2007年7月10日 公開

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 更に又「孝子黄金(こがね)の釜を掘り出し娘の事」を見よ。

三八(さんぱち)といへる百姓は一人(ひとり)の母につかへて、至孝ならぶものなかりける。或年(あるとし)霜月(しもつき)下旬の頃、母(たけのこ)(しよく)(たき)(よし)のぞみける。もとより貧しき身なれども、母の好みにまかせ、朝夕(あさゆふ)の食事をととのへすすむといへ共この(たけのこ)はこまりはてけるが、(中略)蓑笠(みのかさ)ひきかづき、二三丁ほど(ある)(ところ)の、藪を心当(こころあて)(ゆき)ける。積る朽葉(くちば)につもる雪、かきのけ/\さがせども、(中略)ああ天我をほろぼすかと(なみだ)と雪に(そで)をぬらし、是非(ぜひ)なく/\も帰る道筋、(なは)からげの小桶(こをけ)(ひと)つ、何ならんと取上げ見れば、孝子三八に(たまは)ると書付はなけれ共、まづ(ふた)をひらけば、内よりによつと塩竹の子、(かね)もらうたよりうれしく、(中略)女房にかくとしらすれば、同じ心の(しうとめ)思ひ、手ばやに塩だし(かつを)かき、即時に(あつもの)となしてあたへける。其味(なま)なるにかはる事なく、母もよろこび大方(おほかた)ならず、いか(なる)人のここに落せしや、是又(ひと)つのふしぎ也。

「しかるにかほど孝心厚き者なれ共、《かせ》げばかせぐほど貧しく成り、次第/\に家をとろへ、今は朝夕(あさゆふ)のけぶりさへたえ/″\に成りければ、三八(さんぱち)女房に云ふやう、(中略)ふたりが中にまうけし娘ことし十五まで育てぬれ共、(中略)かれを都の(かた)へつれ行き、勤奉公(つとめぼうこう)とやらんをさせ、給銀(きふぎん)にて(ひとかせぎ)して見んと思ふはいかにと尋ぬるにぞ、わらはも()くよりさやうには思ひ(さふら)へ共、(中略)と答へける。(中略)三八は身ごしらへして、娘うちつれ出でにける。名にしおふ難波(なには)大湊(おほみなと)(まづ)此所(ここ)へと心ざし、少しのしるべをたずね、それより茶屋奉公にいだしける。(中略)(さて)此娘、(中略)つとめに(いづ)る其日より、富豪の大臣かかり、早速(さそく)に身うけして、三八夫婦母おやも大阪へ引きとり、有りしにかはる(くらし)と成り、三八夏は蚊帳(かや)の代りにせし身を腰元(こしもと)共に(とこ)(あふ)がせ、女房は又(しうとめ)にあたへし乳房(ちぶさ)虎屋(とらや)羊羹(やうかん)にしかへ、氷から(こひ)も古めかしと、水晶の水舟(みづぶね)に朝鮮金魚を泳がせて楽しみ、(これ)至孝のいたす所なり。」

 天は孝子に幸福を与へず。孝子に幸福を与へしものは何人(なんびと)かの遺失せる塩竹の子のみ。或は身を売れる一人(ひとり)娘のみ。作者の俗言を冷笑するも(また)悪辣(あくらつ)(きは)めたりと云ふべし。()はこの皮肉なる現実主義に多少の同情を有するものなり。唯唯作者の論理的頭脳(づなう)は残念にも余り雋鋭(しゆんえい)ならず。「餓鬼聖霊会(がきしやうりやうゑ)を論ずる事」の如き、「寺僧病人問答の事」の如き、或は又「仏者と儒者渡唐天神(とたうてんじん)を論ずる事」の如き、論理の筆を(ろう)したるものは如何(いか)贔屓眼(ひいきめ)に見るにせよ、(おほむ)床屋(とこや)の親方の人生観を講釈すると五十歩百歩の(かん)にあるが如し。(ちなみ)に云ふ。「古今(ここん)実物語」は宝暦(はうれき)二年正月出板、土冏然(とけいぜん)の漢文の序あり。書肆(しよし)は大阪南本町一丁目村井喜太郎(むらゐきたらう)、「古今百物語」、「当世百物語」号と同年の出版なりしも一興ならん()

魂胆色遊懐男(こんたんいろあそびふところをとこ)」はかの「豆男江戸見物(まめをとこえどけんぶつ)」のプロトタイプなり。予の家に蔵するは巻一、巻四の二冊なれども、大豆右衛門(まめゑもん)の冒険にはラブレエを想はしむるものなきにあらず。

 大豆右衛門は洛東(らくとう)山科(やましな)の人なり。その母「塩の長次(ちやうじ)にはあらねど、夢中に馬を呑むと見て、懐胎したる子なるゆへ」大豆右衛門と称せしと云へば、この名の()つて来る所は(かならず)しも多言するを要せざるべし。大豆右衛門、二十三歳の時、「さねかづら取りて京の歴々の女中方へ売べしと逢坂山(あふさかやま)にわけ登り」しが、(たまたま)玉貌(ぎよくばう)仙女(せんぢよ)と逢ひ、一粒(いちりふ)金丹(きんたん)を服するを得たり。「ありがたくおし頂きてのむに、忽ち其身雪霜の消ゆる如くみぢみぢとなつて、芥子人形(けしにんぎやう)の如くになれり。」こは人倫の(まじは)りを不可能ならしむるに似たれども、仙女の説明する所によれば、「色里(いろざと)にても又は町家の歴々の奥がたにても、心のままにあはれるなり。(中略)(なんぢ)があふて見度(みたし)と思ふ女のねんごろにする男の(ふところ)の中に入れば、その男の魂ぬけ(いで)、汝(かり)に其男に入れかはりて、相手の女を自由にする事、又なき楽しみにあらずや」と云へば、(すこぶ)る便利なる転身(てんしん)と云ふべし。爾来(じらい)大豆右衛門、色を天下に(ぎよ)すと雖も、迷宮(めいきゆう)に似たる人生は容易に幸福を与ふるものにあらず。たとへば巻一の「(あね)の異見耳痛樫木枕(みみいたいかたぎまくら)」を見よ。

「台所より飛びあがり、奥の方を心がけ、(ふすま)のすこし()きたるあひよりそつと()りて大座敷へ(いで)、(中略)唐更紗(たうざらさ)暖簾(のれん)あげて、長四畳(ながよでふ)()を過ぎ、一だんたかき小座敷あつて、有明(ありあけ)の火明らかに、(これ)此家(このや)旦那(だんな)殿の寝所(しんじよ)ならめと腰障子をすこしつきやぶりて、是より入つて見れば夫婦枕をならべて、前後も知らず連れ(ぶし)(いびき)に、(中略)(まづ)内儀(ないぎ)の顔をさし(のぞ)いて見れば、(その)美しさ(この)器量で三十ばかりに見ゆれば、卅五六でもあるべし。(中略)男は三十一二に見えて、成程(なるほど)強さうな生れつき。(さて)は此女房の美しいに思ひつきて、我より二つ四つも年のいたをもたれしか、(ただし)入り(むこ)か、(中略)と亭主(ていしゆ)(ふところ)にはいればそのまま(たましひ)入れ替り、(中略)さあ夢さましてもてなしやと云へば、此女房目をさまし、(きも)のつぶれた顔して、あたりへ我をつきのけ、起きかへつて、コレ気ちがひ、(ここ)を内ぢやと思ひやるか、()()けぬ先に()にや/\と云ふに、面白うもない歌留多(かるた)をうつてゐて()()かし、今からは()なれまい、旦那殿(だんなどの)大津祭(おほつまつり)()かれて留守(るす)ぢやほどに、泊つてなりと行きやと、兄弟の(かたじ)けなさは(なん)の遠慮もなく一所に寝るを、(あね)をとらまへ軽忽(きやうこつ)な、こりや畜生の行儀(ぎやうぎ)か。こちや畜生になる事は(いや)ぢやいの。(中略)多聞(たぶん)悪いと畳を叩いて腹を立てる。(さて)南無(なむ)さん姉ぢやさうな。是は粗相千万(そさうせんばん)、(中略)と後先(あとさき)揃はぬ事を云ふて、又(もと)夜着(よぎ)へこそこそはいつて、寝るより早く其処(そこ)を立ち退()き、(下略(げりやく))」(この項未完)

(大正十三年六月)

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