15話 罪業転嫁(1)
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その夜人形師安川国松の家に、不思議な会合が催された。広い仕事場の板敷に、あり合せの腰かけが並べられ、そこに田村検事、刑事部長を始め警察の人々が腰をかけ、その間にうちしおれた小林紋三や、キョトキョトと落ちつかぬ安川人形師の姿も混っていた。山野夫人は心身過労の為に半病人になって邸に残っていたし、大怪我をした一寸法師は、近所の病院に担ぎ込まれて、生死の境にあったので、この会合には加わっていない。
仕事場の一方には出来上った様々の人形が不思議な群像をなし、その傍に未完成の頭、腕、足などが、まるで人食鬼の住家の様にゴロゴロと転がっていた。そして、人形共と見さかいのつかぬ明智の支那服姿がその前に立って、何かしきりに説明していた。彼の傍には、小さな台があり、台の上にはいつか彼が紋三に見せた証拠の品々が並んでいるのだ。
彼はいよいよ本当の犯人を引渡すからというので、友達の間柄の田村検事や、刑事部長などを、そこへ呼び集めたのであった。丁度畸形児捕物から引続いてのことだったし、外にも重大な理由があって、人形師の仕事場が説明の場所に選ばれた。明智にしては、これが当日のもっとも重要なプログラムなのだ。
彼はこれまでの経過を一応説明してしまうと、いよいよ本題に入って行った。
「つまり三千子殺しの犯人として疑うべき人物が五人あった。第一は養源寺の和尚即ち例の不具者ですが、これはもっとも兇悪無慙の気違いには相違ないけれど、彼が三千子の手足を公衆の前にさらしたこととか、山野夫人を脅迫したことなどから考えて、直接の犯人でないことは明白です。第二は山野夫人です。この人は三千子の継母である上に、ここにあるショールその他の三千子の持物が、彼女の部屋の押入に隠されていたり、不具者の脅迫に応じたりして、もっとも深い疑いをかけられていましたけれど、私はあとでお話する別の人物を疑っていたために、小林君の様に性急に断定することをしなかった訳です。それに唯今では、既に夫人があることを告白してしまいましたので、彼女の無実は明白になりました。第三は三千子に取っては恋敵の小間使小松です。この女は事件のあった日から病気と称して一間にとじこもり、数日後には家出をして、今もって行方が分らないという様なことで、警察でも深くお疑いになっている様ですが、私にはある理由から彼女の所在が分っております。そして、決して犯人ではないということも。第四は今未決監に放り込まれている、可哀相な北島春雄ですが、この男が犯人でないことは最初から分っております。それは当日外部から忍び込んだ形跡の絶無だったことの外に、彼が犯人とすれば、兇行に石膏像なんかを使用するはずもなく、ピアノやゴミ箱の様な手数のかかる方法によって死体を隠匿する理由もない訳ですから。第五は運転手の蕗屋が、事件の翌日国へ帰ったためにやや疑われておりますが、彼は三千子の恋人で、彼の方で三千子を嫌っていた様子もなく、一寸殺人の動機がありません。のみならず、私はこの男の所在をも突止め、彼が犯人でないことを確めることが出来たのです。つまり五人の嫌疑者の内には一人も真犯人のいないことが分ったのであります」
明智は例によって、思わせぶりな物のいい方をした。これが彼の探偵生活での、いわば唯一の楽しみなのだ。併しそれが聴手の好奇心を刺戟した効果は大きかった。彼等は煙草を吸うことさえ忘れて、小学生の様に明智の滑らかに動く脣ばかり見つめていた。
「ところが、ここにもう一人、第六の嫌疑者が現れました。それはたった今、私の部下が山野夫人と小林君のあとをつけて、夫人の告白を聞いて確めることが出来たのです」明智は隅田堤での一部始終をかいつまんで話した、「これは山野夫人の不思議な行動から、私も早く気づいてはいたのです。しかし貞淑な夫人の数々の人知れぬ心遣いは、夫人には誠にお気の毒な訳ですが、全く無駄であったのです。山野氏は決して実子殺しの罪人ではありません」
驚くべきは、明智はそうして悉くの嫌疑者を、片っぱしから否定してしまった。
「併し、夫人が山野氏が過って実子を殺したものと信じたのは、決して無理ではなかったのです」明智が続けた。「夫と妻の間にそんな誤解が生じるというのは、一寸考えると変な様ですが、山野氏が人一倍厳格な性質であること、夫人との間柄が一種特別の、例えば昔流の主従の様な関係にあったこと、それから、今度の事件に対する山野氏の不思議な立場が、二人の間に妙な疎隔を生じたことなども、この誤解の原因であったに相違ありません。凡ての事情が偶然にも山野氏を指さしている様に見えたのです。第一事件の当夜山野氏は洋館の方で夜更しをしました。運転手の蕗屋を追かけて行って多額の金円を与えました。そこから帰ると神経性の発熱に襲われ、事件が発展するにつれて彼の病気は重くなって行きました。家人を遠ざけて口も利かない日が続きました。それから、不具者が夫人に送った脅迫状の中には、山野氏の名前が記されていたのです」
彼は台の上の例の焼残りの手紙を取って、それを手に入れた径路、文面等を説明した。
聞手は凡て意外な顔色であった。たった一人、安川国松だけが、明智の話も耳に入らずブルブルふるえていた。
紋三も最初は意外な感じがした。いよいよ間違いないと思っていた山野氏まで犯人でないとすると、最早疑うべき何人も残っていないのだ。一体全体明智は何を考えているのか。彼は今夜真犯人を引渡すと公言している。ではその曲者はこの安川の家にいるのであろうか。まさかあの人形師がその犯人ではあるまいな。だが、そんな風に色々と考えている内、ふとある驚くべき考えが、彼の頭をかすめた。彼は驚愕と喜悦の為に、顔が真赤になった。
「あの写真だ。明智があの写真を見て、つまらないおしゃべりをした。あれだ。あれをもっとよく考えて見ればよかったのだ」
それは曾て明智の机の上にあり、今はそこの台にのせてある、山野の家族一同の写真だった。明智がなぜあの写真を意味ありげに取扱ったか、その訳が今こそ分ったのだ。それにしても、これはまあ、何という驚くべき事実であろう。
「そこで、嫌疑者が一人もなくなった訳ですが、殺人行為があった以上、犯人のないはずはありません」明智の説明は続いた。「犯人は確にあったのです。ただそれが余りに意想外な犯人であるために、何人も、山野夫人すらも、気がつかなかったのです。私は御約束通り、今夜その犯人を御引渡し致します。ですが、その前に、私が真犯人を発見するに至った径路をかいつまんで御話して置き度いと思うのです。警察の方々には多少御参考にもなろうかと思いますので」
又しても明智の思わせぶりであった。田村検事はもどかしさに、ガタリと足を組み直した。
「明智君、いやに気を持たせるじゃないか。まずその犯人を明かしてからにし給え」
「さては」明智は愉快相にニコニコして、「君にもまだ見当がつかないと見えるね。併し、まあ順序よく話させてくれ給え」
「どうも、君の話は小説的でいけない。なるべく簡単に」
磊落な田村氏は笑いながら友人の揶揄に報いた。
「私が最初、この事件にある不調和を見出したのは、この化粧品のクリームの瓶からです」明智は台の上の白いポンピアン・クリームの壺を取り上げた。「音楽家が不協和音に敏感な様に探偵は事実の不調和に敏感であることが必要かも知れません。往々にして些細な不調和の発見が、推理の出発点になるものです。これは三千子の化粧台から持って来たのですが、御覧の通り外の瓶には皆指紋があるのに、このクリームだけはふき取った様に、何の跡も見えません。一番油じみ易いクリームの瓶にです。ところが、外側は注意深くふき取ったにも拘らず、千慮の一失でしょうか、中のクリームの表面に、実にハッキリと指紋が残っている。そして、その指紋は外の瓶のや、例の切断された腕の指紋とは、全く別のものなのです。
これは右の人さし指の指紋です。こちらの水白粉の同じ指のと比較しますと、不思議によく似てはいますけれど、ですから肉眼で見たのでは区別がつかぬ程ですが、レンズで見ればまるで別人の指紋であることが分ります。三千子という人は非常なおしゃれで、化粧台には、この外にまだ沢山の化粧品があったのですが、妙なのは、それには少しも指紋がついていない。一度でも使用した化粧品の瓶に指紋がついていないというのは、一寸考えられないことです。使用するたびに瓶をふく訳でもありますまい。これは何か為にする所があって、態と指紋をふきとったのではないでしょうか。すると、ここにある分だけ拭取ってなかったのはなぜでありましょう。それはこの分に限ってそうしてはならなかったからです。つまりこれだけは三千子の持物ではないのです。巧に用意された偽証なのです」
紋三は何だかうれしい様な気持だった。彼の想像の当っていたことが、段々明かになって行くのだ。
「その証拠には、この指紋の残っている化粧品は、贅沢屋の三千子の持物としては、少し地味な好みですし、この過酸化水素キュカンバーだとか、過酸化水素クリームなどは、どちらかといえば油性の人に適当なものですが、三千子は反対に青白いすさんだ皮膚だったということですから、全く使用しなかったとは断言出来ませんけれど、少しふさわしくない感じです。それから色白粉ですが、青白い人は薔薇色のを用いるのが普通であるにも拘らず、ここにある水白粉は赤ら顔に適当な緑色のものです。又花つばき香油なんていうものは、洋髪には余り使いません。つまり、どちらから観察しても、これらの化粧品は三千子さんの常用したものではない。どこか外の所から持って来て三千子さんの部屋へ置いたものに相違ないのです」
明智の説明は段々細い点に入って行く。
「化粧品が準備された偽証であることは、この吸取紙によっても分ります。これもやっぱり偽証の一つなのです」彼は桃色の吸取紙を示した。それの表面には拇指のインキの指紋がハッキリと現れていた。「これが三千子の書きもの机の真中にのせてあった。態と目につく場所へ置いたことは一見して分るのです。それから、ここに文字を吸取った跡がかすかに残っている。一寸見たのでは、ポツポツと点線になっていて読めませんが、鉛筆で跡をつけて見るとハッキリした文字が現れて来る。だが、文句に注意すべき点はない。ただ女らしい文章の一部分が現れているに過ぎません。ところで、ここに別に三千子の筆蹟があります。これと吸取紙の筆蹟と比べて見ますと、両方とも若い女らしい手で、よく似ていますが、ただこうして見たのでは本当のことが分らない。吸取紙の方のは左文字ですからね」
明智はそこに用意してあった懐中鏡を取ると、吸取紙の上にかざして、聞手の方に見える様にした。田村検事などは、すぐそばまで顔を持って行って、感心した様に二つの筆蹟を見比べるのであった。
「こうして右文字に直して見ると全く別人の筆蹟です。つまり、この吸取紙は三千子のものではないのです」
「すると何だね」田村検事が驚いていった。「エート、一寸法師が持歩いた腕なんかは、三千子のものでないことになるね。それらの指紋がうそだとすると」
「そうだよ。三千子のものではなかったのだよ」
「そんなことをいえば、この事件は根本からくつがえって来る訳だが」
「くつがえって来る。出発点から間違っている」
明智は平気で答えた。田村氏の顔色は漸く真剣味を帯びて来た。刑事部長も一膝前にのり出した。
「では、明智君、三千子は死んでいないというのか」
「そうだ。三千子は死んではいないのだ」
「じゃあ、君は……」
田村検事は、ある感情の交錯のために顔を青くして、明智をにらみつけた。
「そうだ」明智は検事の表情を読む様にして「その通り。君の考えは当っている。三千子は被害者ではないのだ」
「被害者ではなくて……」
「加害者なのだ。三千子こそ犯人なのだ」
「すると、被害者はどこにいる。三千子は一体だれを殺したのだ」
「待ち給え、大体見当はついているのだが」明智は検事を制して置いて、隅の方に小さくなっている人形師をさし招いた。「安川さん。つかぬことを聞く様だが、ここに並んでいる人形は皆註文の品だろうね」
「ヘイ、左様で」人形師は脣をなめなめ答えた。「皆花屋敷へ入れますんで、生人形でございます」
「この奥の方に並んでいるキューピー人形は、随分大きなものだが、やっぱり花屋敷へ飾るのかね」
「ヘイ、左様で」人形師はもう目に見える程震え出していた。
「だが、このキューピー人形は、昨日まで店の間に飾ってあった様だが、どうして外の人形と混ぜてしまったのだ」
「…………」人形師の挙動が凡てを語っていた。
明智はやにわに、邪魔になる生人形共を引き倒して、その奥のキューピー人形に近づいた。そして、その辺に落ちていたハンマーを拾うと、人形のおどけた顔面を目がけて、烈しい一撃を加えた。人形の顔がくずれ、鉋屑と土の塊がパッと散った。
「これが気の毒な被害者です」
明智が指で土をかきのけて行くと、その奥から、黒髪を乱した藍色の死人の顔が現れ、プンと異臭が鼻をついた。
「申すまでもなく、これは小間使の小松です。可哀相に両手両足を半分に切られて、丁度……そうです、丁度一寸法師そのままの姿で、この、ニコニコした福の神の体内に、ぬりつぶされていたのです。恐しい不具者の呪いです。だが……」
明智はふと口を噤んだ。その時丁度死人の咽喉が現れ、そこの皮膚に不思議な黒痣が見えた。明かに指でつかんだ痕なのだ。
「これはきっと、頭の傷だけでは死に切らなかったので、指で縊り殺したのです」
異様な沈黙が来た。物慣れた警察の人々も、この前代未聞の残虐を正視するに堪えなかった。皆息をのんだ体で、部屋全体が一場の陰惨な活人画だった。赤茶けた電燈の光が、人々の半面を照らして、床や壁に、物の怪の様な影を投げていた。生きた人間共は、死んだ様に動かず、却て生なき人形共が、顔見合せてクスクスと笑っている様に見えた。
「すると、三千子が恋敵の小松をこんな目に逢せた訳だね」やっとしてから、田村氏が溜息と共にいった。
「そうだよ」流石の明智もいくらか青ざめていた。「犯罪の裏には恋だ。三千子と小松との蕗屋に対する恋、一寸法師の山野夫人に対する恋、この事件は凡て恋から出発している」
「だが、この人形の中へ塗りこめたのは」
「それは三千子じゃない。やっぱり一寸法師だ。そして、この安川という男も共犯者だ。僕が人形師を怪しいとにらんだのは、一寸法師が昨夜ここへ入るのを見届けたからでもあるが、もう一つは、一寸法師が普通の人間に化けていた、その継足があたり前の義足ではなくて、木でこしらえた人形の足だった。特別の考案をこらして、折れ曲りの所なんか実に具合よく出来ている。彼奴が、しょっちゅう靴をはいていたのはそのためなのだよ。そんな物を作るのは先ず人形師より外にないからね。つまり、この安川と一寸法師とは十年来の腐れ縁に相違ないのだ」
「だが、明智君、どうも変だね」田村氏はふと何事かに気づいて、明智の説明を遮った。「僕の頭がどうかしているのかな。そんなことは不可能に思われるのだが。小松が被害者とするとだね、例の一寸法師の持ち歩いた腕なんかは誰のものだろう。小松が家出をしたのはつい二三日前で、百貨店事件の時分にはまだ山野家にいたではないか。そこに時間的な不合理がある様に思うのだが」
「だが、事件のあった翌日から、小松は病気になった。そして人に顔を見られることを恐れる様な所があった。僕が彼女の病床を見舞った時にも、枕に顔をうずめて、僕の方を正視出来なかった。そればかりではない。彼女の不用意に投出された指には、マニキュアが施してあったのだよ。まるで令嬢の指の様に」
「では若しや、アアそんな馬鹿馬鹿しいことがあるだろうか。……」
「僕も最初はまさかと思っていた。だがこれを見給え。この写真に気づいた時から僕の意見は確定したのだ」
明智はそういって、台の上から山野家一同の撮した写真を取って、田村氏や刑事部長の方へさし出した。それには、三千子の顔に妙ないたずらがしてあった。彼女の眉を、すっかり胡粉で塗りつぶし、その下に眼鏡の枠が書いてあった。
それを見ると田村氏と刑事部長は顔を見合せて感嘆した様に「似ている」と呟やいた。
「似ているでしょう。三千子の眉をとって、眼鏡をかけさせ、技巧たっぷりの表情を、もっと静にすれば、小松と見分けがつきません。それも道理です。小松というのは実は山野氏の隠し子で、三千子とは姉妹なのだから。ただ、一方はおとなしやかな無表情、一方は技巧たっぷりのおてんば娘なのと、それに髪の形だとか眼鏡や眉の相違があるので、一寸気がつかないだけです。分りますか。つまり三千子はあの晩、恋敵の異母妹といい争った末、激情のあまり、ついあんなことをしてしまった。石膏像をなげつけて過って相手を殺してしまったのです。そして、咄嗟の場合、小松に化けるという妙案を思いついた訳です」
「それはどういう意味だね。小間使に化けて見たところで、罪が消える訳でもあるまいが」
「さっきもお話した北島春雄という命知らずがいたのだ。丁度その前日彼は牢を出て三千子に不気味な予告の葉書を出している。失恋に目のくらんだ狂人だ。殺されるかも知れない。三千子はその日も、この命知らずのことで頭が一杯になっていた。丁度その時あの変事が起ったものだから、一つは北島の復讐をのがれるために、一つは小松殺しの嫌疑を避けるために、又一つには、山野夫人に、継子殺しの嫌疑をかけるために、どちらから考えても、都合のよい変装という妙案を思いついたのだ。三千子が探偵小説の愛読者だったことを考え合せると、彼女の心持なり遣り口なりがよく分るのだよ。さっきもいった様に三千子の書棚は、内外の探偵小説で殆ど埋まっていたのだからね。死体をピアノに隠したのもゴミ箱のトリックも夫人の部屋へ偽証を作ったのも、皆彼女の智恵なんだ。例のゴミ車をひいた衛生夫は、情夫の蕗屋が化けたのだ」
「それを家内中が知らなかったというのは、おかしいね」
「いや、たった一人知っていた人がある。それは三千子の父親の山野氏だ。丁度事件の起った時分に洋館にいたのだからね。山野氏は家名を重んずる厳格な人だけに、却て三千子の計画に同意した。そして、三千子と一緒になって凡てを秘密の内に葬り去ろうとした。小松に化けた三千子に金を与えて家出させたのも、養源寺の和尚や蕗屋を買収したのも山野氏だった。山野氏のそんなやり方が、夫人の疑いを招くことになり、結局事件を面倒にしてしまった形なんだ」
「すると、例の不具者は、小松の死体を埋ることを引受けて、その立場を利用して山野氏からは金をしぼり、一方夫人を脅迫していた訳だね」
「そうだ。山野氏にしては、あの坊主がまさかあんな悪党だとは知らないからね。なぜか非常に心易い仲だった。不具者奴うまく取入っていたのだろう。それにこれまでずっと援助を与えていた関係があるので、事情をあかして頼めば、万々裏切る様なことはあるまいと思ったのだ」
「実に複雑な事件だね。だが、君の説明で大体の筋道は分った。それでは、約束通り犯人を引渡してくれるだろうね。一体三千子はどこに隠れているのだ」
刑事部長は始めて彼の大切な役目に気づいた様に、厳格な調子でいった。
「引渡すことは引渡すがね」明智は沈んだ調子で答えた。「三千子さんも気の毒なんだ。ふしだらな点は確に彼女が悪いのだけれど、それも複雑な家庭に育った一人娘であることを考えると、こんなことになったのも彼女ばかりの罪ではないのだ。それに、彼女は今非常に前非を悔いている。人を殺したといっても過失に過ぎないのだし、田村君、この辺の事情をよく含んで置いてくれるだろうね」
「分った分った。なるべく君の希望に添うことにしよう。兎も角早く犯人の在家を教えてくれ給え」
「なに、三千子さんはここの家にいるのだよ」
明智が合図をすると、住居の方の障子が開いて、そこから明智の部下と小間使姿の三千子と、そして、意外なことには運転手の蕗屋までが一緒に立現れた。三千子はいたましく泣きぬれて、目を上げる力もなかった。
「蕗屋君も最初からこの家にいたのです」人々の不審顔を見て取って明智が説明した。「これもやっぱり山野氏が養源寺の和尚を過信した結果なんですが、死体運搬をした蕗屋君は、やっぱり連類に相違ないので、和尚が勧めるままに、かくまい方を託したのです。一寸法師にすれば何か又悪だくみでもあったのでしょう。この家の裏手の納舎を急ごしらえの隠れ家にして、三度の食事もそこへ運ばせることにしていました。そして、蕗屋はそこで、三千子の小松が家出して来るのを待ったのです。殺されたのは三千子だったということがハッキリ分れば、それで三千子の化けた小松の用事は済むのですから。山野氏は適当な時機を見はからって、三千子の小松を家出させ、ここで蕗屋と落ち合うことにしました。三千子が山野氏の令嬢でなくて、小間使ということにして置けば、運転手と一緒になった所で、さして不体裁ではないのです。山野氏は、そんなことまで先から先へと考えていたのかも知れませんね」
そうして明智の説明が一段落つくと、三千子、蕗屋、安川国松の三人は、兎も角近所の原庭署へ連行されることになった。しおらしくすすり泣く三千子、青ざめた蕗屋、ブルブル震えている安川、一瞬間部屋の空気はうち湿って見えた。三人の刑事が、彼等をひっ立てる様にして、あとに随った。そして、彼等が今仕事場の入口を出ようとした時だった。
「三千子さん、一寸」
じっとキューピー人形を眺めていた明智が、ふと何かに気づいた調子で、三千子を呼び止めた。
「あなたは、この死人の首の指のあとに覚えがありますか。あなたは小松の首を絞めたのですか」
三千子は一寸の間躊躇していたが、やがて不審相な様子で答えた。
「いいえ。私、そんなこと致しません」
「本当に?」
「エエ」
明智はそれを聞くとにわかに快活になった。彼は例によって、ニコニコしながら、盛んに長い頭髪をかき廻した。
「田村君、一寸待ち給え。ひょっとしたら、真犯人は三千子さんではないかも知れんよ」
「なんだって?」検事はあきれて明智の顔を眺めた。「君はたった今、三千子さんが犯人だと断言したじゃないか」
「いや、それが少々間違っていたかも知れないのだ」
「間違っていたって?」
「この被害者の首の指の痕だね。三千子さんの指にしては、黯痣が大き過ぎる様な気がするのだ。今そこへ気がついたのだ。それに三千子さんは首を絞めた覚えがないといっている」
「すると?」
「若しや、これは……」
丁度その時、明智の部下の斎藤が、表の方から慌だしく駈け込んで来た。
「明智さん、一寸」
明智は彼を隅の方へつれて行って、ひそひそと何かささやき交した。
「僕の想像は間違っていなかった」明智は欣々として人々の方をふり向いた。「やっぱり真犯人は外にあったのです。三千子さんは小松を殺した訳ではないのです」
「それは一体何者だ」
田村氏と刑事部長が殆ど同時に叫んだ。
「一寸法師です。今この斎藤君がもたらした新事実を報告しましょう。一寸法師は病院のベッドで息を引取りました。彼はその今わの際にあらゆる彼の罪を告白した相です。その数々の罪がどんなに残虐を極めていたかは、いずれ御話する機会もあるでしょう。今はこの事件に関係した部分だけを申上げます。彼はあの朝ゴミにまみれた小松の死体を蕗屋君から受取ったのですが、その日の夜になって死体を人目につかぬ場所へ隠そうとして、ゴミの中から抱き上げた時、偶然にも小松が息をふき返したのです。彼女は全く死に切ってはいなかったのでしょう。不具者は一時は驚きましたけれど、次の瞬間には彼の持前の残虐性が頭をもたげました。彼は凡ての満足な人間を呪っていたのです。それに、小松が今蘇っては、山野氏から金を引出すことも出来ず、夫人を脅迫する手段もない。そこで彼は折角生返った娘を再び絞め殺したというのです。そして腕や足丈けを方々へさらしものにして、山野氏と夫人とを別々の意味で怖がらせた。それは一つは畸形児の戦慄すべき犯罪露出慾をも満足させました。だが顔丈けはさらしものに出来ない。それをすれば夫人が真相を悟ってしまう。そこで顔と胴体の隠し場所を探して、キューピイ人形といううまいものを見つけたのです。死に際の告白ですから、まさか嘘ではありますまい」
紋三はその時の異常な光景を、長い間忘れることが出来なかった。明智は髪の毛をつかみながら仕事場の板敷をふみならして、あちらへ行ったりこちらへ行ったり、歩き廻る。三千子、蕗屋の両人は今までの泣き顔に、恥しげなほほ笑みを見せる。山野邸に人が走る。吉報を聞いて喜ばしさの余り、重病の山野氏が夫人を同伴してかけつける。
「なに、殺人罪ではないのですからね。それに若い娘さんのことだし、多分無罪になるかも知れませんよ」
田村検事も、肩の荷をおろしたという風で、ニコニコしながら、実業家山野氏を慰める。
それから、三千子、蕗屋、安川国松の三人は一先ず原庭署へつれて行かれたが、田村氏の言葉もあるので、誰も彼等の身の上を気づかうものはなかった。ただ安川人形師だけが周囲の喜びをよそに、うちしおれているのが余計あわれに見えた。
小林紋三は明智と連立って、人形師の家を出た。彼等は事件が円満に解決した満足で、自然多弁になっていた。タクシーの帳場までを歩きながら、色々と事件について語り合った。
「めでたし、めでたしですね。あなたのこれまで関係された事件でも、これ程都合よく運んだものは少いでしょうね」
紋三がお世辞めかしていった。
「都合よくね」明智は意味ありげな調子だった。「何も悔悟しているものに罪をきせることはないのだからね。死ぬ者貧乏だよ。それにあいつは希代の悪党なんだから」
「それはどういう意味でしょうか」
紋三は変な顔をして尋ねた。
「例えばだね、小松の絞め殺されていることが、キューピー人形を毀すまでもなく、前もって僕に分っていたのかも知れない。そして、悔悟した三千子さんを救う為に、死にかかっている一寸法師をくどき落して、うその告白をさせる……巧に仕組まれた一場のお芝居。という様なことは全く考えられないだろうか。分るかい。……罪の転嫁。……場合によっちゃ悪いことではない。殊に三千子さんの様な美しい存在をこの世からなくしない為にはね。あの人は君、全く悔悟しているのだよ」
素人探偵明智小五郎は、春のよい暗を大またに歩きながら、すがすがしい声でいった。