3話 死人の腕(2)
読み方を変える
新聞では左程重大に扱っている訳でもなく、文句も極簡単なものであったが、紋三の眼にはその記事がメラメラと燃えている様に感じられた。彼は蒲団の上にムックリと起き上って、ほとんど無意識のうちに、同じ記事を五度も六度もくり返し読んでいた。
「多分偶然の一致なんだろう。それに昨夜のは己の幻覚かも知れないのだから」
と強いて気を落ちつけ様としても、そのあとから直ぐに、あの奇怪な一寸法師の姿が――さびしい場末の溝川の縁に立って、風呂敷包を投げ込もうとしている、彼奴の物すごい形相が、まざまざと眼の前に浮んで来た。
彼はどうするという当もなく、何かに追い立てられる様な気持で、寝床から起上ると大急ぎで着換えを始めた。
どういう積りか、彼は洋服箱の中から仕立おろしの合のサック・コートと、春外套を出して身につけた。学校を出てからまだ勤めを持たぬ彼には、これが一張羅の外出着で、可成自慢の品でもあった。上下おそろいのしゃれた空色が、彼の容貌によく映った。
「マア、おめかしで、どちらへお出かけ?」
下の茶の間を通ると、奥さんがうしろから声をかけた。
「イイエ、一寸」
彼は変なあいさつをして、そそくさと編上のひもを結んだ。
併し、格子戸の外へ出ても、彼はどこへ行けばいいのか、一寸見当がつかなかった。一応警察へ届けようかとも思ったが、それ程の自信もなく、何だかまだあれを自分だけの秘密にして置きたい気持もあった。兎も角昨夜の寺へ行って様子を探って見るのが一番よさそうだった。若や昨夜の出来事は皆彼の幻覚に過ぎなかったのではないか。そんなことが頻に考えられた。もう一度昼の光の下で確めて見ないでは安心が出来なかった。彼は思い切って本所まで出かけることにした。
雷門で電車を降りると、吾妻橋を渡って、うろ覚えの裏通りへ入って行った。その辺一帯が夜中と昼とでは、まるで様子の違うのが、一寸狐につままれた感じだった。同じ様な裏町を幾度も幾度も往復している内に、でも、やっと見覚えのある寺の門前に出た。その辺はごみごみした町に囲まれながら、無駄な空地などがあって、変にさびしいところだった。門前にポッツリと一軒切りの田舎めいた駄菓子店があって、お婆さんが店先でうつらうつらと日なたぼっこをしていたりした。
紋三はさえた靴音を響かせながら、門の中へ入って行った。そして昨夜の庫裏の入口に立つと、思い切って障子をあけた。ガラガラとひどい音がした。
「御免下さい」
「ハイ、どなたですな」
十畳位のガランとした薄暗い部屋に、白い着物を着た四十恰好の坊さんが坐っていた。
「一寸伺いますが、こちらに、あのう、身体の不自由な方が住まっていらっしゃるでしょうか」
「エ、何ですって、身体が不自由と申しますと?」
坊さんは目をパチクリさせて問い返した。
「脊の低い人です。確か昨夜非常に遅く帰られたと思うのですが」
紋三は変なことをいい出したなと意識すると、一層しどろもどろになった。来る道々、考えて置いた策略なんかどこかへ飛んで行ってしまった。
「それは、お門違いじゃありませんかな。ここには人を置いたりしませんですよ。脊の低い身体の不自由な者なんて、一向心当りがございませんな」
「確このお寺だと思うのですが、附近に外にお寺はありませんね」
紋三は疑い深か相に、庫裏の中をじろじろ眺めまわしながらいった。
「近くにはありませんな。だが、おっしゃる様な人はここにはおりませんよ」
坊さんは、変な奴だといわぬばかりに、紋三をにらみつけて、無愛想に答えた。
紋三はもう持ちこたえられなくなって、このまま帰ろうかと思ったが、やっと勇気を出して続けた。
「イヤ、実はね、昨夜ここの所で変なものを見たのですよ」彼はそういいながら、ズカズカと中へ入って上り框に腰をおろした。「よく見世物などに出る小人ですな、あれがある品物を持って、ここの庫裏へ入る所を見たのですよ。もっとも向うの杉垣の外からでしたがね。全く御存じないのですか」
紋三はしゃべりながら益々変てこになって行くのを感じた。
「ヘエー、そうですかねエ」坊さんはさもさも馬鹿にした調子で、「一向に存じませんよ。あなたは何か感違いをしていらっしゃるのだ。そんな馬鹿馬鹿しいことがあるもんですかね。ハハハハハハ」