4話 令嬢消失(1)
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「どこの方か知らぬが、あなたも随分妙ないいがかりをなさるね」
暫く問答をくり返している内に坊さんはとうとう怒り出した。
「一寸法師がどうの、人間の片腕がどうのと、あなたは夢でも見なすったのではないかね。知らんといったら知りませんよ。ご覧の通り狭い寺で、どこに人の隠れるような所がある訳でもない。お疑いなら家探しをして下すってもいい。又、近所の人達に聞いて下すってもいい。この寺にそんな不具者が住んでいるかどうか」
「イヤ、なにもあなたをお疑いする訳ではありませんよ」紋三はもうしどろもどろになっていた。「僕のつもりでは、そういう怪しげな男が昨夜ここへ忍び込むのを見たものですから、御注意申上げたいと思って伺ったのです。でも変ですね。僕は確に見たのですが」
「見なすったら、見なすったでもいいが、私は今少し忙しいので」
坊さんは渋面を作って、気違いに取合っている暇はないといわぬばかりであった。
「イヤどうもお邪魔しました」
紋三は仕方なく立上った。そして、ほとんど夢中で門の外まで歩いた。
「己は確にどうかしている。何という気違いじみた訪問をやったものだろう。坊主に嘲弄されるのは当然だ。だがあの調子では、奴さん別にうしろ暗いところがあるようでもない。どうも、やっぱり訳が分らないな」
彼は暫くぼんやりして、門前にたたずんでいたが、ふと思いついて、お婆さんの居眠りをしている駄菓子屋の店先へやって行った。
「お婆さん、お婆さん、そこにあるせんべいを五十銭ばかり下さい」彼は欲しくもない買物をして何気なく尋ねて見た。「この辺に子供のような脊の低い、つまり小人島だね、そういう不具者はいないだろうか。お婆さんは知らないかね」
「左様でございますね。私も永年この辺に住んでおりますが、そんなものは見かけたことも、うわさに聞いたこともございませんね」
婆さんはけげんらしく答えた。
「この前のお寺ね、和尚さんのほかにどんな人が住んでいるのだい」
「アア、養源寺ですか。あすこはあなた妙なお寺でございましてね、お住持お一人切りなんですよ。ついこの間まで小僧さんが一人いましたけれど、それも暇をお出しなすったとかで見えなくなってしまいました。ほんに変くつなお方でございます。何かの時には私のつれ合がお手伝いに上りますので、よく存じておりますが」
婆さんは話好きと見えて、雄弁にしゃべり続けた。だが、紋三はここでも別段に得る所はなかった。彼はいい加減に話を切上げて、せんべいのふくろを荷厄介にしながら電車道の方へ歩いた。道々、酒屋とか車の帳場とかへ立寄って、同じような事を尋ねたけれど、どこでも一寸法師を知っている者はなかった。彼は益々変てこな気持になって行った。
雷門で電車に乗ってからも、彼は妙にぼんやりしていた。何か頭に薄い幕が張ったような気持だった。
「まあ、小林さんじゃありませんか」
電車が上野山下をすぎた時、だれかが彼の前に立って声をかけた。物思いに沈んでいた紋三は、その小さな声に飛上る程驚かされた。何か悪い事をしているところを見つかった感じだった。相手を識別しない前に、額の辺が真赤になった。
「ホホホホホホ、ぼんやりなすっているのね」
そこには、思いがけぬ山野夫人が、ニコニコして立っていた。
「どちらへ?」
彼女は癖の、首をかしげて尋ねた。
実業家山野大五郎氏の夫人ともあろう人が、今ごろ満員電車のつり革にぶらさがっていようとは、あまりに意外なので、紋三はすっかり面喰った。
「どうも御ぶさたしました。サアどうか」
彼は兎も角立上って席を譲ろうとした。立上る時、あまりあわてたのと、その時丁度電車がカーヴの所を通り過ぎた為に、フラフラとして、彼の手が夫人の腿の辺に触ったので、彼は一層面喰って真赤になった。
「エエ有難う。丁度いい所で逢いましたわ、私少し伺いたいことがありますのよ。お差支なかったら、この次は広小路でしょうか。今度止ったら私と一緒に降りて下さいません?」
「ハ、承知しました」
紋三はまるで夫人の家来ででもある様に、鞠躬如として答えた。彼は日頃から山野夫人の美貌に対して、ある恐怖に似たものを感じていた。彼は同郷の先輩である主人の山野大五郎氏よりも、この夫人に接する時の方が一層、気づまりであった。
上野広小路で電車をおりると、二人は肩を並べて公園の方へ歩いて行った。
「あなたおひる、まだでしょうね。私もそうなのよ。でも暫く散歩をつき合って下さらないこと。その代りお話をしてしまったら精養軒をおごりますわ。少し人に聞かれちゃあ都合の悪いお話なんですから」
どういう話があるのか、夫人は非常に大事を取っている様に見えた。しかし、紋三は夫人の話が何であろうと、彼女と肩を並べて歩くさえあるに、その上彼女と食卓を共にすることが出来るというので、もう有頂天になっていた。考えて見ると彼は今朝から一度も食事をしていないのだ。
また彼は、今日一張羅の洋服を着て出たことを仕合せに思った。「これなれば、夫人を恥かしがらせないで済むだろう。いや夫人の服装と丁度釣合が取れてさえいるかも知れない」彼は一歩遅れて夫人の美しい後姿を眺めながら、そんなことばかり考えていた。
「ねえ小林さん。いつかあなたのお知合に、有名な素人探偵の方がある様に伺いましたわね。私の思い違いでしょうか」
夫人は公園の入口のやや人足のまばらになった所へ来ると、いきなり紋三の方を振向いて妙なことを尋ねた。
「ハア、明智小五郎じゃありませんか。あの男なら、友達という程ではありませんけれど、知っているには知っています。長い間上海に行っていて、半年ばかり前に帰ったのですが、その当時逢った切り久しく訪ねもしません。帰ってからは余り事件を引受けないということです。ですが、奥さんはあの男に何か御用でもおありなんですか」
「エエ、あなたにはまだお知らせしませんでしたけれど、大変なことが出来ましてね。実はあの三千子が家出しましたの」
「エ、三千子さんが、ちっとも存じませんでした。で、いつの事なんです」
「丁度五日になりますのよ。まるで消えでもしたようにいなくなりましてね。どう考えても家出の理由も、どこから出て行ったかという様なことも、まるで分りませんの。ほんとうに神隠しにでも逢った様な気がします。警察の方も内々で捜索を願ってあるんですし、主人を始め出入の方も手分けをして方々探しているのですけれど、まるで手がかりがありません。御存じの事情でしょう。私ほんとうに困ってしまいましたわ。大阪の方に少し心当りが出来たものですから、主人は昨夜用もないのにあちらの支店へ出かけますし、私は私で、今朝からこうして知り合いという知り合いを尋ね歩いているのですよ。態と電車なんかに乗ってみたりして、まるで探偵の様ですわね」そして、夫人は妙な笑いを浮べながら、三千子の話とは少しも関係のない事をつけ加えた。「それはそうと、あなたは養源寺のお住持さんを御存じなの?」
紋三はその時少からず狼狽したが、同時にある馬鹿馬鹿しい妄想がふと彼の心に萌した。
「イエ、別に知っている訳でもないのですが、然しどうしてそんなことをお尋ねなさるのですか」
「私最前養源寺の前であなたにお逢いしましたのよ」夫人はおかし相にいった。「門の空地の所ですれ違ったのですけれど、あなたはすっかりすまし込んでいらしったわね。あのお寺のお住持はやっぱり山野の同郷の人で、それは変り者ですの。三千さんのことで、私も一寸お寄りして今帰り途なのですが、あなたはあのお住持がお国の方なことを御存じないの?」
「そうですか。ちっとも知りません。僕は昨夜から狐につままれた様な気持なんです。実際どうかしているのですね、奥さんにお逢いして知らずにいるなんて。この頃何だか頭が変なのです」
「そういえば妙に考え込んでいらっしゃるわね。何かありましたの?」
「奥さんはお読みになりませんでしたか。今朝の新聞に千住の溝川から若い女の片足が出て来たという記事がのっていましたが」
「アアあれ読みました。三千さんのことがあるものですから、私一時はハッとしましたわ。でも、まさかねえ」
夫人は一寸笑って見せた。
「ところが、僕はあれでひどい目に逢っちまったんですよ。実は僕昨夜浅草公園へ行ったのです」紋三は極り悪そうにいった。「暗い公園の中で化物みたいな奴に出くわしましてね。それからすっかり頭が変になっちまったのです」
夫人が好奇心を起した様に見えたので、それから紋三は昨夜の一条をかい摘んで話した。
「マア、気味の悪い」夫人は眉をしかめて「でもそれは、あなたの神経のせいかも知れませんわ。養源寺さんは嘘をいう様な方ではないのだし、それに近所の人だって、そんな不具者がいれば気のつかないはずはありませんものね」
「僕もそう思うのです。そうだとすると一層いけないのですけれど……」
彼等はそうして三十分以上も上野の山内を歩きまわった。紋三は三千子の家出の顛末を聞き訊し、山野夫人の方では明智小五郎の為人を尋ねたりした。そして結局明智の宿を訪ねることに話が極った。
二人は精養軒で食事を済せると自動車を呼ばせて、明智の泊っている赤坂の菊水旅館に向った。紋三は妙にうれしい様な気持だった。美しい山野夫人とさし向いで食事を摂ったことも、彼女と膝を並べて車に揺られていることも、そして、その行先が有名な素人探偵の宿であることも、すべてが彼の子供らしい心を楽しませた。
車を降りて旅館の広い玄関を上る時などは、彼はすっかりいい気持になっていた。山野夫人が彼の恋人であって、彼女は夫の目を盗んで、彼と遭うためにこの内へ来ているのだ、という様なけしからぬ空想をさえ描いた。
幸い明智は在宿であった。彼は気軽に二人を廊下まで出迎えてくれた。
日当りのよい十畳程の座敷だった。三人は紫檀の卓を囲んで座についた。明智は講釈師の伯龍に似た顔をニコニコさせて、客が要件を切りだすのを待っていた。山野夫人はこの初対面の素人探偵に好感を持った様に見えた。彼女の方でも笑顔を作りながら、三千子の家出について話し始めた。彼女は笑顔になると少女の様に無邪気な表情に変ってひとしお魅力を増すのであった。
上海から帰って以来約半年の間、素人探偵明智小五郎は無為に苦しんでいた。もう探偵趣味にもあきあきしたなどといいながら、その実は、何もしないで宿屋の一間にごろごろしているのは退屈で仕様がなかった。丁度そこへ、彼の貧窮時代同じ下宿にいた縁故で知合の小林紋三が、屈竟な事件を持込んで来た。山野夫人の話を聞いている内に、彼は多年の慣れで、これは一寸面白そうな事件だと直覚した。そして、いつの間にか、長く伸ばした髪の毛に指を突込んでかき廻す癖を始めていた。
山野夫人の話はかなりくだくだしいものであったが、明智はそれを彼の流儀で摘要して、必要な部分だけ記憶に止めた。
行方不明者、山野三千子、十九歳、山野氏の一人娘、昨年女学校卒業
父、大五郎、四十六歳、鉄材商、土地会社重役
母、百合枝、三十歳、三千子の実母は数年前死亡し百合枝夫人は継母である。
召使、小間使二人、下女中二人、書生、自動車運転手、助手