7話 お梅人形(2)
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百貨店でお梅人形の騒ぎがあった同じ日の午後、明智小五郎は山野家の玄関を訪れた。丁度山野夫人が居合せて、彼は早速例の洋館の客間に通された。一寸あいさつが済むと、明智は何か気せわしく会話の順序を無視して突然要件に入った。
「三千子さんの指紋が欲しいのですが、もう一度御部屋を見せて頂けないでしょうか」
「サア、どうか」
山野夫人は先に立って二階の三千子の部屋へ上って行った。
書斎も化粧室も、この前見た時に比べて、まるで違う部屋の様に、綺麗にかたづいていた。三千子の指紋を探すのは少しも骨が折れなかった。先ず書斎の机の上に使い古した吸取紙があって、それに黒々と右の拇指の指紋が現れていた。化粧室では、鏡台や手函などは綺麗に掃除が出来ていて指紋なぞ残っていなかったけれど、鏡台の抽出の中の、様々の化粧品の瓶には、どれにも、幾つかのハッキリした指紋があった。
「この瓶を拝借して行って差支ありませんか」
「ハア、どうか。お役に立ちましたら」
明智はポケットから麻のハンケチを出して、選り出した数個の化粧品容器を、注意してその中に包んだ。
客間に帰ると、明智はテーブルの上に、今の化粧品の容器類と、吸取紙と、外に一枚の紙切れとを並べた。この最後のものには、何者かの片手の指紋がハッキリと押されてあった。明智はそこへひょいと一つの虫眼鏡を放り出していった。
「奥さん。この紙切れの五つの指紋と、御嬢さんのお部屋にあった吸取紙や、化粧品の指紋と比べて御覧なさい。虫眼鏡で大きくすれば、素人でもよく分りますよ」
「マア」夫人は青くなって、身を引く様にした。「どうかあなたお調べ下さいまし。私には何だか怖くって……」
「イヤ、僕はもうさっき調べて見て、この両方の指紋が同じものだってことを知っているのですが、奥さんにも一度、見て置いて頂く方がいいのです」
「あなたが御覧なすって、同じものなれば、それで十分ではございませんか。私などが見ました所で、どうせよくは分らないのですから」
「そうですか……ではお話しますが、奥さん、びっくりしてはいけません。お嬢さんは何者かに殺されなすったのです。こちらのはその死骸の片手から取った指紋なのです」
山野夫人は、フラフラと身体がくずれ相になるのをやっと堪えた。そして大きな目で明智をにらむ様にして、どもりながらいった。
「で、その死骸というのは一体どこにあったのでございますか」
「銀座の――百貨店の呉服売場なんです。実にこの事件は変な、常軌を逸した事柄ばかりです。そこの呉服売場の飾り人形の片手が、昨夜の間に、本物の死人の手首とすげ換えられていたというのです。警務係をやっている者に知合がありまして、早速知らせてくれたものですから、序にそっと指紋を取ってもらった訳なのですが。それから、これは手首と一緒に警察の方へ行っているのですが、その手首には大きなルビイ入の指環がはめてあったのだ相です。これも多分御心当りがありましょうね」
「ハア、ルビイの指環をはめていましたのも本当でございますが、でも三千さんの手首が百貨店の売場にあったなんて。まるで夢の様で、私一寸本当な気が致しませんわ」
「御もっともですが、これは少しも間違いのない事実です。やがて今日の夕刊には、この事件が詳しく報道されるでしょうし、警察でもいずれこれをお嬢さんの事件と結びつけて考える様になるでしょう。御宅にとっては、お悲しみの上に、非常に御迷惑な色々の問題が起って来るかも知れません」
「マア、明智さん、どうすればいいのでございましょう」
山野夫人は、目に一杯涙をためて、一種異様のゆがんだ表情で、明智にすがりつくようにいうのであった。
「早く犯人を探し出して、お嬢さんの死骸を取戻すほかはありません。こうなれば警察の方でも十分捜索してくれるでしょうし、案外早く解決がつくかも知れません。その後、御主人は御帰りないのですか」
「ハア、主人はこちらから電報を打ちまして一昨日帰ってもらったのでございますが、ひどく子煩悩の方だものですから、あのピアノのことなんか申しますと、もうとても生きてはいないだろうと気落をしてしまいまして、まるで病人の様になって、人様にお逢いするのもいやだと申して、寝間に引こもっているのでございます。そんな訳でございますから、今のお話も主人に知らせましたものかどうかと先程から迷っている様な訳でございますの」
「それはいけませんね。だが、御主人も余り御気落がひどい様ですね。じゃ、今日は御目にかかれませんかしら」
「ハア」夫人はいい悪く相に、「先程もあなたのいらしったことを申したのですけど、今日は失礼させて頂くと申しているのでございます」
「では、僕はこれで御暇しますが、今日までに調べましたことを二三御報告して置きましょう」明智は少し考えてから続けた。「先ず例の衛生人夫の行方です。ゴミの中へお嬢さんの身体を隠して持去ったかも知れないという、あの衛生人夫ですね。僕はあの翌日一杯かかって、出来るだけ調べたのですが、吾妻橋の東詰までは、色々な人の記憶を引出して、どうにかこうにか跡をつけることが出来ましたけれど、それから先は、橋を渡ったのか、河岸を厩橋の方へ行ったのか、それとも左に折れて業平橋の方に向ったのか、どう手を尽しても分らないのです。現に唯今でも僕の配下のものが一人その方の捜索にかかり切っている様な訳ですが、まだ何の吉報もありません。
もう一つは、お宅の蕗屋という運転手です」明智は何かニヤニヤ笑って夫人の顔を見た。「奥さんはお隠しなすっていた様ですが、それは御無理とは思いませんが、お隠しなさるということはどちらかといえば却って人に穿鑿心を起させるものです。僕は早速蕗屋のことを調べました。そして、恐らく奥様以上に詳しい事情を知ることが出来たのです。お嬢さんと蕗屋との間柄は、双方真面目だった様ですが、どちらかといえばお嬢さんの方が一層熱心だったかも知れません。これは多分あなたも御承知だろうと思います。ところが蕗屋はそれ以前から小間使の小松(あの朝お嬢さんの寝台が空っぽになっているのを発見した女ですね)この小松とかなり深い関係があった。つまり一種の三角関係という様なものがあったのです。
その蕗屋が丁度お嬢さんの行方不明と前後して、御暇を頂いて郷里へ帰っているというのは、御主人が御考えなすった通り、何か意味があり相に見えますね。で僕も御主人と同じ道を取って、蕗屋のあとを追って見たのです。四月二日以後の彼のあらゆる行動を調べて見たのです。ところが、彼は三日の夕方突然御主人に御暇を願って、その晩の汽車で彼の郷里の大阪へ立っています。その時彼が単身で、女の同行者などなかったことは、沢山の目撃者(多くは同業者ですが)が口をそろえて証明しております。
御主人は大阪で蕗屋にお逢いなすっているのではありませんか。お目にかかってその模様をお伺い出来ないのは残念ですが、蕗屋はお嬢さんの今度の変事には、恐らく何の関係もないのでしょう。ただ、彼は何かを知っているかも知れませんがね」
明智はそういって、山野夫人をじっと見つめた。夫人は青ざめて、涙ぐんで、さしうつむいているばかりだ。明智は彼女の表情から何事をも読むことが出来なかった。
「表面に現れている点だけでいえば、この際一番疑わしいのは小間使の小松です」明智は一段声を低くしていった。「彼女にとって、お嬢さんは恋の敵だったのです。それに小間使なればいつだってだれにも疑われないで、お嬢さんのお部屋へ出入出来ますし、お嬢さんのいらっしゃらないことを第一に発見したのもあの女だったのです。そして、それ以来病気だといって一間に、とじこもっているのも変に取れば取れないことはありません」
「イイエ、あれに限ってそんな恐しいことを致すはずはございません」山野夫人はあわてて明智の言葉をさえぎった。「あれは不幸な娘でございます。両親ともなくなってしまって、ひどい伯父の手で、恐しい所へ売られるばかりになっていましたのを、主人が聞込んで救ってやったのでございます。そしてもう四年というもの、娘分同様にして養って来たのでございます。当人もそれをひどく恩に着まして、口癖の様に御主人のためなれば命も惜くないなどと申しまして、それはまめまめしく働いて居てくれるのでございます。それに気質もごく優しい娘ですから、どの様な事情がありましても、三千子をどうかするなんてことがあろうはずはございません」
「そうです。僕も小松がそんな女だとは思いません」明智は頭の毛を指でモジャモジャやりながら、「ただ、表面の事情があの女に嫌疑のかかる様な風になっていることを申上げたのです。だが、小松に罪のないことはよく分っていますが、罪はなくても何か知っていることがあるかも知れません。この間も僕は、あの女の寝間へ行って、色々尋ねて見たのですが、何を聞いても知らぬというばかりで、顔さえも上げられないのです。強いて尋ねるとしまいにはしくしく泣き出すのです。あの女は何かしら秘密を持っていることは確です」
明智は山野夫人のどんな微細の表情の動きをも見逃すまいとする様に、彼女の青ざめた顔をのぞき込んだ。そして、ごく平凡な調子で次の話題に進んで行った。
「この事件には、妙な不具者が関係している様に思われます。俗に一寸法師という奴です。もしやそんなものに御心当りはありませんか。多分御聞及びでしょうが、小林君も先夜そんなものを見たということですし、今度の百貨店の事件にもどうやら同じ一寸法師が関係しているらしいのです。昨夜真夜中に問題のお梅さんという人形の側でそいつがうごめいている所を店員が見たというのです」
「マア」山野夫人は真から気味悪そうに身震いした。「小林さんから聞きました時は、あの人が何か見違えたのだろうと思っていましたが、マア、ではやっぱり、そんな不具者がいるのでございましょうか。イイエ、私少しも存じませんわ。小さい時分見世物で見ました外には、一寸法師なんて久しく見たこともございませんわ」
「そうでしょうね」明智は夫人の目を見続けていた。「それについて妙なことがあるのですよ。小林君は一寸法師が養源寺へ入る所を確に見たのですが、お寺でもそんなものはいないといいますし、近所の人も見た事がないというのです。
今度も又それと同じことが起ったのです」明智は話しつづけた。「そうして店員が夜中に一寸法師を見たにも拘らず、その前日も翌日もそんな不具者が出入口を通った様子がないのです。といって窓を破って出入した跡もありません。いつの時も、彼奴は消える様になくなってしまうらしいのです。そこに何か意味がありはしないかと思うのですが」
明智は何かしら知っていた。知りながら態と何食わぬ顔をして、いわば不必要な会話を取交している様な所が見えた。彼は最初から一つの計画を立てて、お芝居をやっているのかも知れなかった。
「それから、今度の事件でもっとも不思議なのは、これは奥様もとっくにお気づきだと思いますが、犯人が彼自身の犯行を公衆の面前にさらけ出そうとしている点です。小林君の見たことといい、例の千住の片足事件といい、(もっともこれは全然別の事件かも知れませんが)今度の百貨店の出来事といい、凡て犯人は恐しい殺人事件のあったことを世間に知らせようとしている形があります。殊に今日のは、ちゃんと指環まではめてあった。これは山野三千子さんの手首だぞと、広告している様なものではありませんか。殺人者が自分の犯行を広告するというのは、到底考えられないことです。馬鹿か気違いでなければ、いや、どんな馬鹿でも気違いでも、まさかそんな乱暴なことはしないでしょう。それに、だれにも姿を見せないで百貨店の飾り人形に、死人の手首をとりつけて来るなんて、馬鹿や気違いで出来る芸当ではありません。とすると、この一見馬鹿馬鹿しく見える出来事には、何か深い魂胆がなければなりません」
明智はそこでポッツリと言葉を切って、山野夫人の青ざめた顔を眺めた。不自然に長い間そうしてじっとしていた。
山野夫人は、明智の鋭い眼光を意識して、さしうつむいたまま震えていた。彼女は余りの恐しさに顛倒して口も利けないらしく見えた。
「で、もしこれが深い計画によって行われた出来事だとしますと、その意味はたった一つしかありません。つまり、犯人は外にあるのです。お嬢さんの死体の一部を公衆の面前にさらけ出している奴は、犯人ではなくて、そういう驚くべき手段によって、別に本当の犯人を脅迫しているのです。何かためにする処があって、非常手段を採っているのです。そんな風には考えられないでしょうか」
山野夫人はその時、ハッと顔を上げて明智を見た。二人は無言のまま、じっとにらみ合った。お互にお互の胸の奥まで突通す様な、恐しい眼光を取交した。が、次の瞬間には、山野夫人はテーブルに顔を伏せて、はげしく泣き出していた。圧えても圧さえても、胸を刺す甲高い声が、袖をもれた。彼女の小さい肩が烈しく波打った。なげ出した白い首筋におくれ毛がもつれて、なまめかしくふるえた。
そこへドアが開いて、書生が入って来た。彼はその場のただならぬ様子を見ると、そのまま引返し相にしたが、思い返してテーブルの方へ近づいて来た。彼も何か非常に興奮している様子だった。
「奥様」彼はおずおずと夫人を呼びかけた。「大変な物が参りました」
夫人はやっと涙を圧えて、顔を上げた。
「ただ今、こんな小包が参りました」
書生は持っていた細長い木箱をテーブルの上に置いて、チラと明智の方を見た。
小包は粗末な木箱で、厳重に釘づけになっていたが、書生が無理にあけたのであろう、蓋が半分に割れて、中から何か油紙に包んだものがはみ出していた。
細長い木箱は午後の第一回の郵便物の中に混っていた。差出人の記名はなかったけれど、いずれどこからかの到来物に相違ないと思って、書生の山木は何気なく蓋を開いた。(ここでは封書の外の小包だとか書籍類などは、書生が荷造りを解いて主人の所へ差出す習慣だった)だが、一目中の品物を見ると、山木は青くなってしまった。彼はそれをどう処分していいか分らなかった。病中の主人を驚かすのは憚られた。といって、黙って置く訳には行かぬ。ふと思いついたのは客間に素人探偵の明智が来ていることだった。彼は兎も角、それを夫人と明智のところへ持って行くことにした。
明智は書生の説明を聞きながら箱の中から油紙に包んだ品物を取出して、丁寧に包みを解いた。中からは渋紙色に変色した人間の片腕が出て来た。肱のところから見事に切断され、切口に黒い血がかたまっていた。たまらない臭気が鼻を打った。
「君、奥さんをあちらへお連れしてくれ給え。これをごらんにならん方がいい」
明智は手早く包みを箱の中へ押し込んで叫んだ。
山野夫人は、併し、凡てを見てしまった。彼女は立上って無表情な顔で一つ所を見つめていた。顔色は透通る様に白かった。
「君、早く」
明智と書生とが同時に夫人をささえた。夫人はもう立っている力がなかった。彼女は無言のまま書生に抱かれる様にして日本間の方へ立去った。
明智は夫人が行ってしまうと、又包みを解いて中の物を取出し、暫く眺めていた。余程注意しないと、皮膚がズルズルとめくれて来そうだった。それは若い女の左の手首だった。これと百貨店にさらされたものとが丁度一対をなしているのではないかと思われた。
彼は棚の上にあった硯箱をおろして墨をすると、手帳の上に、注意深く、腐りかかった五本の指の指紋を取った。そして、それを元通り包み直し箱の中に納めて、目につかぬ部屋の隅へ置いた。いうまでもなく、彼は木箱や包紙や、箱の表面の宛名の文字などは、残る所なく綿密に調べた。
それから、先程のハンカチを解いて、三千子の化粧品の容器類を取出し、それの表面に残っている指紋と、今手帳に写した指紋とを虫眼鏡でのぞき比べた。
「やっぱりそうだ」
彼はため息と一緒に、低い声で独言をいった。箱の中の手首は三千子のものに相違ないことが分ったのだ。それから、何を思ったのか、彼は再び三千子の部屋へ上って、暫く何かしていたが、やがて降りて来るとそこに書生の山木が待受けていた。
「奥様から、御調べがすみましたら失礼ですが御随意に御引取り下さいますように申上げてくれということでした。それから警察の方への届けなんかも、よろしく御計らい下さいます様に」
「アア、そうですか。それは御心配のない様に御伝え下さい。ですが、一寸でいいから御主人に御目にかかれないでしょうか」
「イエ、それも大変失礼ですが、主人はお嬢さんのことで、非常に神経過敏になっておりますので、出来るだけは、色々なことを耳に入れないで置きたいとおっしゃって、凡て秘密にしてありますので、この際なるべくならお会い下さいません様にということでした」
「そうですか。じゃ僕は帰ることにしますが、この箱は君がどこかへ大切に保存して置いて下さい。いずれ警察から人が来るでしょうから、それまでなるべく手をつけない様にね」
明智は化粧品のハンカチ包を大切相に懐中して立上った。書生の山木と小間使のお雪とが玄関まで彼を見送った。その時廊下の小暗い所でお雪が小さな紙切れを明智に手渡したのを、先に立った山木は少しも気づかなかった。