七宝の柱

1話 七宝の柱(1)

1,327字 約3分 2003年5月1日 公開

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 山吹(やまぶき)つつじが(さかり)だのに、その日の寒さは、(くるま)の上で幾度も外套の(そで)をひしひしと引合(ひきあわ)せた。

 夏草(なつくさ)やつわものどもが、という芭蕉(ばしょう)の碑が古塚(ふるづか)の上に立って、そのうしろに藤原氏(ふじわらし)三代栄華の時、竜頭(りゅうず)の船を(うか)べ、管絃(かんげん)の袖を(ひるがえ)し、みめよき女たちが(くれない)(はかま)で渡った、朱欄干(しゅらんかん)瑪瑙(めのう)の橋のなごりだと言う、蒼々(あおあお)と淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く朽古(くちふる)びた(くい)(ただ)一つ、太く頭を出して、そのまわりに何の(うお)の影もなしに、(かすか)な波が(さび)しく巻く。――雲に薄暗い大池がある。

 池がある、この毛越寺(もうえつじ)へ詣でた時も、本堂わきの事務所と言った(ところ)に、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、(ひま)らしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、(かっ)と火の気の立つ……とそう思って差覗(さしのぞ)いたほどであった。

 旅のあわれを、お察しあれ。……五月の中旬(なかば)と言うのに、いや、どうも寒かった。

 あとで聞くと、東京でも(あわせ)一枚ではふるえるほどだったと言う。

 汽車中(きしゃちゅう)伊達(だて)大木戸(おおきど)あたりは、真夜中のどしゃ(ぶり)で、この様子では、思立(おもいた)った光堂(ひかりどう)の見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。

 濃い(もや)が、(かさな)り重り、汽車と(もろ)ともに(かけ)りながら、その百鬼夜行(ひゃくきやこう)の、ふわふわと明けゆく空に、消際(きえぎわ)らしい顔で、硝子(がらす)窓を(のぞ)いて、

「もう!」

 と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形を(あら)わす頃から、音もせず、霧雨になって、遠近(おちこち)に、まばらな田舎家(いなかや)の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。

 次第に、麦も、田も色には出たが、菜種(なたね)の花も雨にたたかれ、(はたけ)に、(あぜ)に、ひょろひょろと乱れて、女郎花(おみなえし)の露を思わせるばかり。初夏はおろか、春の(たけなわ)な景色とさえ思われない。

 ああ、雲が切れた、(あかる)いと思う(ところ)は、

「沼だ、ああ、(おおき)な沼だ。」

 と見る。……雨水が渺々(びょうびょう)として田を(ひた)すので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。……処々(ところどころ)(いわ)蒼く、ぽっと薄紅(うすあか)く草が染まる。(うれ)しや日が当ると思えば、(つの)ぐむ(あし)(まじ)り、生茂(おいしげ)根笹(ねざさ)を分けて、さびしく石楠花(しゃくなげ)が咲くのであった。

 奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は(いや)が上に曇った。けれども、(こころざ)平泉(ひらいずみ)に着いた時は、幸いに雨はなかった。

 そのかわり、(くるま)に寒い風が添ったのである。

 ――さて、毛越寺では、運慶(うんけい)の作と(とな)うる仁王尊(におうそん)をはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。

「御参詣の方にな、お(さわ)らせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」

 と腰袴(こしばかま)で、細いしない竹の(むち)を手にした案内者の老人が、硝子蓋(がらすぶた)を開けて、半ば繰開(くりひら)いてある、玉軸金泥(ぎょくじくこんでい)(きょう)を一巻、手渡しして見せてくれた。

 その紺地(こんじ)に、清く、さらさらと装上(もりあが)った、一行金字(いちぎょうきんじ)一行銀書(いちぎょうぎんしょ)の経である。

 俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持(こころもち)かも知れない。(たっと)い文字は、()に一字ずつ(かすか)に響いた。私は一拝(いっぱい)した。

清衡朝臣(きよひらあそん)奉供(ぶぐ)一切経(いっさいきょう)のうちであります――時価で申しますとな、(ただ)この一巻でも一万円以上であります。」

 (たちばな)南谿(なんけい)東遊記(とうゆうき)に、

これは清衡(きよひら)存生(ぞんじょう)の時、自在坊(じざいぼう)蓮光(れんこう)といへる僧に命じ、一切経書写の事を(つかさど)らしむ。三千日が間、能書(のうしょ)の僧数百人を招請(しょうせい)し、供養し、これを書写せしめしとなり。()もこの経を拝見せしに、その書体楷法(かいほう)正しく、行法(ぎょうほう)また精妙にして――

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