七宝の柱

2話 七宝の柱(2)

6,079字 約12分 2003年5月1日 公開

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 と言うもの(すなわち)これである。

 ちょっと(この寺のではない)(ある)案内者に申すべき事がある。君が(ささ)げて持った鞭だ。が、遠くの掛軸(かけじく)を指し、高い(ところ)の仏体を示すのは、とにかく、目前に近々(ちかぢか)と拝まるる、観音勢至(かんおんせいし)金像(きんぞう)を説明すると言って、御目(おんめ)、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の(さき)を振うのは勿体(もったい)ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、(さく)がいいだけに、(またたき)もしたまいそうで、さぞお鬱陶(うっとう)しかろうと思う。

 (くるま)寂然(しん)とした夏草塚(なつくさづか)(そば)に、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)隈々(くまぐま)に自然と伸びて、荒れたこの広い境内(けいだい)は、宛然(さながら)沼の乾いたのに似ていた。

 別に門らしいものもない。

 此処(ここ)から中尊寺(ちゅうそんじ)へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた(かや)の屋根にも、路傍(みちばた)地蔵尊(じぞうそん)にも、一々(いちいち)由緒のあるのを、車夫(わかいしゅ)に聞きながら、金鶏山(きんけいざん)(いただき)、柳の(たち)あとを左右に見つつ、(くるま)は三代の豪奢(ごうしゃ)の亡びたる、草の(こみち)(しずか)に進む。

 山吹がいまを(さかり)に咲いていた。丈高(たけたか)く伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。――何処(どこ)(やしき)の垣根(ごし)に、それも(たま)に見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの金衣(きんい)娘々(じょうじょう)を見る事は珍しいと言っても()い。田舎の他土地(ほかとち)とても、人家の庭、背戸(せど)なら格別、さあ、手折(たお)っても抱いてもいいよ、とこう野中(のなか)の、しかも路の(はた)に、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。

 そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって咲交(さきまじ)る。……

 が、燃立(もえた)つようなのは一株も見えぬ。(しも)に、雪に、長く(とざ)された上に、風の荒ぶる野に開く所為(せい)であろう、花弁が皆堅い。山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの薄紅(うすくれない)珊瑚(さんご)に似ていた。

 音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、潺々(せんせん)として(いわ)(むせ)んで泣く谿河(たにがわ)よりも(さみ)しかった。

 実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかったのである。

 そのかわり、牛が三頭、(こうし)一頭(ひとつ)連れて、雌雄(めすおす)の、どれもずずんと(おおき)く真黒なのが、前途(ゆくて)の細道を巴形(ともえがた)(ふさ)いで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。

 これにはたじろいだ。

牛飼(うしかい)も何もいない。野放しだが大丈夫かい。……彼奴(あいつ)猛獣だからね。」

「何ともしゃあしましねえ。こちとら馴染(なじみ)だで。」

 けれども、胸が細くなった。轅棒(かじ)で、あの(おおき)巻斑(まきふ)のある(つの)を分けたのであるから。

「やあ、(われ)、……小僧も(たっ)しゃがな。あい、御免。」

 (あえ)(けもの)(におい)さえもしないで、縦の目で優しく()ると、両方へ黒いハート形の(おもて)を分けた。が牝牛(めうし)の如きは、何だか極りでも悪かったように、さらさらと雨のあとの露を(ちら)して、山吹の中へ角を隠す。

 私はそれでも足を縮めた。

「ああ、(やっ)(ころも)(せき)を通ったよ。」

 全く、ほっとしたくらいである。振向いて見る勇気もなかった。

 小家(こいえ)がちょっと両側に続いて、うんどん、お煮染(にしめ)御酒(おんさけ)などの店もあった。が、何処(どこ)へも休まないで、車夫(わかいしゅ)は坂の下で(くるま)をおろした。

 軒端(のきば)に草の茂った、その(なか)に、古道具をごつごつと積んだ、暗い中に、赤絵(あかえ)の茶碗、皿の(まじ)った形は、大木の空洞(うつろ)(いばら)の実の(こぼ)れたような風情(ふぜい)のある、小さな店を指して、

「あの裏に、旦那、弁慶(べんけい)手植(てうえ)の松があるで――御覧になるかな。」

「いや、帰途(かえり)にしましょう。」

 その手植の松より、直接(じか)に弁慶にお目に(かか)った。

 樹立(こだち)森々(しんしん)として、(いささ)かもの(すご)いほどな坂道――岩膚(いわはだ)を踏むようで、泥濘(ぬかり)はしないがつるつると(すべ)る。雨降りの中では草鞋(わらじ)か靴ででもないと上下(じょうげ)(むずか)しかろう――其処(そこ)通抜(とおりぬ)けて、北上川(きたかみがわ)衣河(ころもがわ)、名にしおう、高館(たかだち)(あと)を望む、三方見晴しの処(ここに四阿(あずまや)が立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備えてある。)其処(そこ)へ出ると、真先に案内するのが弁慶堂である。

 車夫(わかいしゅ)が、笠を脱いで手に()げながら、裏道を崖下(がけさが)りに駈出(かけだ)して行った。が、待つと、間もなく肩に置手拭(おきてぬぐい)をした円髷(まるまげ)の女が、堂の中から、扉を開いた。

「運慶の作でござります。」

 と、ちょんと坐ってて言う。誰でも構わん。この六尺等身と(とな)うる木像はよく出来ている。山車(だし)や、芝居で見るのとは(わけ)が違う。

 顔の色が蒼白い。大きな折烏帽子(おりえぼし)が、妙に小さく見えるほど、頭も顔も大の悪僧の、鼻が(ひらた)く、口が、例の(くい)しばった可恐(おそろ)しい、への字形でなく、唇を下から上へ、の字を反対に(しゃく)って、

「むふッ。」

 ニタリと、しかし、こう、何か苦笑(にがわらい)をしていそうで、目も細く、目皺(めじわ)が優しい。出額(おでこ)でまたこう、しゃくうように人を()た工合が、これで(たましい)が入ると、(ふもと)の茶店へ下りて行って、少女(こおんな)の肩を(おおき)な手で、

「どうだ。」

 と()りそうな、串戯(じょうだん)ものの好々爺(こうこうや)の風がある。が、歯が抜けたらしく、(ゆたか)な肉の頬のあたりにげっそりと(やつれ)の見えるのが、判官(ほうがん)生命(いのち)を捧げた、苦労のほどが(しの)ばれて、何となく涙ぐまるる。

 で、本文(ほんもん)通り、黒革縅(くろかわおどし)大鎧(おおよろい)樹蔭(こかげ)に沈んだ色ながら(よろい)(そで)颯爽(さっそう)として、長刀(なぎなた)を軽くついて、少し(こご)みかかった広い胸に、(えもの)()のしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、頬先(ほおさき)に内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、(さっ)()ると、従って冷い風が吹きそうである。

 別に、仏菩薩(ぶつぼさつ)の、(とうと)い古像が()に据えて数々ある。

 みどり()を、片袖(かたそで)で胸に(いだ)いて、御顔(おんかお)を少し仰向(あおむ)けに、吉祥果(きっしょうか)の枝を肩に振掛(ふりか)け、(もすそ)をひらりと、片足を軽く挙げて、――いいぐさは(つたな)いが、(まい)などしたまう(さま)に、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、()をおあやしのような、鬼子母神(きしぼじん)の像があった。御面(おんおもて)は天女に(ひと)しい。彩色(いろどり)はない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き木彫(きぼり)である。

「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」

 置手拭(おきてぬぐい)のが、

「はあ、其処(そこ)は開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」

「少々ばかり、御免下さい。」

 と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりと(つか)えたのは、亀井六郎(かめいろくろう)が所持と札を打った(おい)であった。

 三十三枚の(くし)(とう)の鏡、五尺のかつら、(くれない)(はかま)(かさね)(きぬ)(おさ)めつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。

「ああ、これは、(きず)をつけてはなりません。」

 棚が狭いので(つか)えたのである。

 そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸を()てた。

 (つれ)の家内が、

(いき)御像(おすがた)ですわね。」

 と、ともに拝んで言った。

「失礼な事を、――時に、御案内料は。」

「へい、五銭。」

「では――あとはどうぞお賽銭(さいせん)に。」

 そこで、(よろい)()たたのもしい山法師に別れて出た。

 山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。

 (おおき)な広い本堂に、一体見上げるような釈尊(しゃくそん)のほか、寂寞(せきばく)として何もない。それが荘厳であった。日の光が(かすか)()れた。

 裏門の方へ出ようとする(かたわら)に、寺の(くりや)があって、其処(そこ)で巡覧券を出すのを、車夫(わかいしゅ)が取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ薬師堂(やくしどう)、次の宝物庫(ほうもつこ)、さて金色堂(こんじきどう)、いわゆる光堂(ひかりどう)。続いて経蔵(きょうぞう)弁財天(べんざいてん)と言う順序である。

 皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとを(とざ)すのである。が、宝物庫(ほうもつぐら)には番人がいて、経蔵には、年紀(とし)(わか)い出家が、火の気もなしに一人経机(きょうづくえ)(むか)っていた。

 はじめ、薬師堂に詣でて、それから宝物庫(ほうもつぐら)を一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、一条(ひとすじ)、道を隔てた丘の上に導く。……(きざはし)の前に、八重桜(やえざくら)が枝も(たわわ)に咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。

 桜は中尊寺の門内にも咲いていた。(ふもと)から(あが)ろうとする坂の下の取着(とッつき)(ところ)にも一本(ひともと)見事なのがあって、山中心得(さんちゅうこころえ)条々(じょうじょう)を記した禁札(きんさつ)一所(いっしょ)に、たしか「浅葱桜(あさぎざくら)」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。処々(ところどころ)汽車の窓から()た桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっと(さえ)を見せて咲いたのはなかった。薄墨(うすずみ)鬱金(うこん)、またその浅葱(あさぎ)と言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。

 ()(きざはし)の前の花片(はなびら)が、折からの冷い風に、はらはらと(さそ)われて、さっと散って、この光堂の中を、(そら)ざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと――羽目(はめ)浮彫(うきぼり)した、孔雀(くじゃく)の尾に玉を刻んで、緑青(ろくしょう)()びたのがなお(おごそか)に美しい、その翼を――ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、黄金(きん)巻柱(まきばしら)の光をうけて、ぱっと金色(こんじき)(ひるがえ)るのを見た時は、思わず驚歎の(ひとみ)(みは)った。

 床も、承塵(なげし)も、柱は(もと)より、(たたず)めるものの踏む(ところ)は、黒漆(こくしつ)の落ちた黄金(きん)である。黄金(きん)()げた黒漆とは思われないで、しかも()のけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立った(おもむき)がある。われら仙骨(せんこつ)を持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲を(すか)して、四方に、七宝荘厳(しっぽうそうごん)巻柱(まきばしら)に対するのである。美しき虹を、そのまま柱にして(えが)かれたる、十二光仏(じゅうにこうぶつ)の微妙なる種々相(しゅじゅそう)は、一つ一つ(にしき)の糸に白露(しらつゆ)(ちりば)めた如く、玲瓏(れいろう)として珠玉(しゅぎょく)の中にあらわれて、清く(あきら)かに、しかも(かすか)なる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、螺鈿(らでん)を、星の流るるが如く輝かして、宝相華(ほうそうげ)勝曼華(しょうまんげ)透間(すきま)もなく咲きめぐっている。

 この柱が、須弥壇(しゅみだん)四隅(しぐう)にある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座(しざ)あって、壇上には弥陀(みだ)観音(かんおん)勢至(せいし)三尊(さんぞん)二天(にてん)六地蔵(ろくじぞう)が安置され、壇の中は、真中に清衡(きよひら)、左に基衡(もとひら)、右に秀衡(ひでひら)(かん)が納まり、ここに、各一口(ひとふり)(つるぎ)(いだ)き、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)(いん)を帯び、錦袍(きんぽう)に包まれた、三つの(しかばね)がまだそのままに(よこた)わっているそうである。

 雛芥子(ひなげし)(くれない)は、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ金色(こんじき)(このみ)なのである。

 (つつし)んで、辞して、天界一叢(てんかいいっそう)の雲を下りた。

 (きざはし)を下りざまに、見返ると、外囲(そとがこい)の天井裏に蜘蛛(くも)の巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なる(ちり)よ、と見れば、一粒(いちりゅう)の金粉の落ちて輝くのであった。

 さて経蔵(きょうぞう)を見よ。また(いや)が上に可懐(なつかし)い。

 羽目(はめ)には、天女――迦陵頻伽(かりょうびんが)髣髴(ほうふつ)として舞いつつ、かなでつつ浮出(うきで)ている。影をうけた(つか)(ぬき)の材は、鈴と草の花の玉の螺鈿(らでん)である。

 漆塗(うるしぬり)、金の八角(はちかく)の台座には、本尊、文珠師利(もんじゅしり)、朱の獅子に()しておわします。獅子の(まなこ)爛々(らんらん)として、(かっ)と真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔が()られるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこの(くつわ)を取って、ちょっと振向いて、菩薩(ぼさつ)にものを言いそうなのが優玉(ゆうてんぎょく)、左に一匣(いっこう)を捧げたのは善哉童子(ぜんざいどうじ)。この両側左右の背後に、浄名居士(じょうみょうこじ)と、仏陀波利(ぶっだはり)(ひとつ)払子(ほっす)を振り、(ひとつ)錫杖(しゃくじょう)一軸(いちじく)を結んだのを肩にかつぐように()いて立つ。(ひたい)も、目も、眉も、そのいずれも莞爾莞爾(にこにこ)として、文珠(もんじゅ)微笑(ほほえ)んでまします。第一獅子が笑う、獅子が。

 この須弥壇(しゅみだん)を左に、一架(いっか)を高く設けて、ここに、紺紙金泥(こんしきんでい)の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは金泥銀泥(きんでいぎんでい)で、本経(ほんきょう)の図解を描く。……清麗巧緻(せいれいこうち)にしてかつ神秘である。

 いま此処(ここ)に来てこの経を()るに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。

 ()の裏に、色の青白い、()せた墨染(すみぞめ)の若い出家が一人いたのである。

 私の一礼に答えて、

「ご(ゆる)り、ご覧なさい。」

 二、三の散佚(さんいつ)はあろうが、言うまでもなく、堂の内壁(ないへき)にめぐらした(やつ)の棚に満ちて、二代基衡(もとひら)のこの一切経(いっさいきょう)、一代清衡(きよひら)金銀泥一行(きんぎんでいいちぎょう)まぜ(がき)の一切経、(ならび)判官贔屓(ほうがんびいき)の第一人者、三代秀衡(ひでひら)老雄の奉納した、黄紙宋板(おうしそうばん)の一切経が、みな黒燿(こくよう)の珠玉の如く(うるし)()に満ちている。――一切経の全部量は、七駄片馬(しちだかたうま)と称うるのである。

「――拝見をいたしました。」

「はい。」

 と腰衣(こしごろも)の素足で立って、すっと、経堂を出て、朴歯(ほおば)高足駄(たかあしだ)で、巻袖(まきそで)で、寒く(ほっそ)りと草を()く。清らかな僧であった。

「弁天堂を案内しますで。」

 と車夫(わかいしゅ)が言った。

 向うを、墨染(すみぞめ)で一人()若僧(にゃくそう)の姿が、(さび)しく、しかも何となく(とうと)く、正に、まさしく彼処(かしこ)におわする……天女の御前(おんまえ)へ、われらを導く、つつましく、謙譲なる、一個のお取次のように見えた。

 かくてこそ法師たるものの(かい)はあろう。

 世に、緋、紫、金襴(きんらん)緞子(どんす)(よそお)うて、伽藍(がらん)に処すること、高家諸侯(こうけだいみょう)の如く、あるいは仏菩薩(ぶつぼさつ)の玄関番として、衆俗(しゅうぞく)を、受附で威張(いば)って追払(おっぱら)うようなのが少くない。

 そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、(しゅうと)だ、小姑(こじゅうと)だ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。

 衆生(しゅじょう)は、きゃつばらを追払(おいはら)って、仏にも、祖師にも、天女にも、直接(じか)にお目にかかって話すがいい。

 時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光に()い、(かつら)()に巻かれた心地がして、乱れたままの道芝(みちしば)を行くのが、青く清明なる(まる)い床を通るようであった。

 (きざはし)の下に立って、仰ぐと、典雅温優(てんがおんゆう)なる弁財天(べんざいてん)金字(きんじ)(ふち)して、牡丹花(ぼたんか)(がく)がかかる。……いかにや、年ふる雨露(あめつゆ)に、彩色(さいしき)のかすかになったのが、木地(きじ)胡粉(ごふん)を、かえってゆかしく(あら)わして、萌黄(もえぎ)群青(ぐんじょう)の影を添え、葉をかさねて、白緑碧藍(はくりょくへきらん)の花をいだく。さながら瑠璃(るり)の牡丹である。

 ふと、高縁(たかえん)雨落(あまおち)に、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。

 扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。

 ぽかんと立ったのが(きまり)が悪い。

 ああ、もう彼処(あすこ)から透見(すきみ)をなすった。

 とそう思うほど、真白(ましろ)き面影、天女の姿は、すぐ其処(そこ)に見えさせ給う。

 私は恥じて俯向(うつむ)いた。

「そのままでお(よろ)しい。」

 壇は、下駄(げた)のままでと()の僧が言うのである。

 なかなか。

 足袋(たび)の、そんなに汚れていないのが、まだしもであった。

 蜀紅(しょくこう)(にしき)と言う、天蓋(てんがい)も広くかかって、真黒(まくろ)御髪(みぐし)宝釵(ほうさい)の玉一つをも(さえぎ)らない、御面影(おんおもかげ)(たえ)なること、御目(おんまな)ざしの美しさ、……申さんは恐多(おそれおお)い。ただ、西の(かた)(はるか)に、山城国(やましろのくに)浄瑠璃寺(じょうるりでら)吉祥天(きっしょうてん)のお写真に似させ給う。白理(はくり)優婉(ゆうえん)明麗(めいれい)なる、お十八、九ばかりの、(ほぼ)(ひと)だけの坐像である。

 ト手をついて対したが、見上ぐる瞳に、御頬(おんほお)のあたり、(かすか)に、いまにも莞爾(かんじ)と遊ばしそうで、まざまざとは拝めない。

 私は、端坐して、いにしえの、通夜(つや)と言う事の意味を(たしか)に知った。

 このままに二時(ふたとき)いたら、微妙な、御声(おこえ)が、あの、お口許(くちもと)微笑(ほほえみ)から。――

 さて壇を退(しりぞ)きざまに、僧のとざす扉につれて、かしこくもおんなごりさえ(おし)まれまいらすようで、涙ぐましくまた(がく)を仰いだ。御堂そのまま、私は碧瑠璃(へきるり)牡丹花(ぼたんか)(うち)に入って、また牡丹花の裡から出たようであった。

 花の影が、(おおき)(ちょう)のように草に()した。

 月ある、(あきらか)なる時、花の(おぼろ)なる(ゆうべ)、天女が、この縁側(えんがわ)に、ちょっと端居(はしい)の腰を掛けていたまうと、経蔵から、侍士(じし)童子(どうじ)払子(ほっす)錫杖(しゃくじょう)を左右に、赤い獅子に()して、文珠師利(もんじゅしり)が、悠然と、草をのりながら、

「今晩は――姫君、いかが。」

 などと、お話がありそうである。

 と、(ふもと)の牛が白象(びゃくぞう)にかわって、普賢菩薩(ふげんぼさつ)が、あの山吹のあたりを御散歩。

 まったく、一山(いっさん)の仏たち、(おおき)石地蔵(いしじぞう)(すご)いように活きていらるる。

 下向(げこう)の時、あらためて、見霽(みはらし)四阿(あずまや)に立った。

 伊勢、亀井(かめい)片岡(かたおか)鷲尾(わしのお)、四天王の松は、畑中(はたなか)(あぜ)四処(よところ)に、雲を(よろ)い、(ゆるぎいと)の風を浴びつつ、(ある)ものは粛々(しゅくしゅく)として衣河(ころもがわ)に枝を(そびや)かし、(ある)ものは恋々(れんれん)として、高館(たかだち)(こずえ)を伏せたのが、彫像の如くに(なが)めらるる。

 その高館(たかだち)(あと)をば(しずか)にめぐって、北上川の水は、はるばる、瀬もなく、音もなく、雲の(はて)さえ見えず、ただ(はるばる)と言うように流るるのである。

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