3話 七宝の柱(3)
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「この奥に義経公。」
車夫の言葉に、私は一度俥を下りた。
帰途は――今度は高館を左に仰いで、津軽青森まで、遠く続くという、まばらに寂しい松並木の、旧街道を通ったのである。
松並木の心細さ。
途中で、都らしい女に逢ったら、私はもう一度車を飛下りて、手も背もかしたであろう。――判官にあこがるる、静の霊を、幻に感じた。
「あれは、鮭かい。」
すれ違って一人、溌剌たる大魚を提げて駈通ったものがある。
「鱒だ、――北上川で取れるでがすよ。」
ああ、あの川を、はるばると――私は、はじめて一条長く細く水の糸を曳いて、魚の背とともに動く状を目に宿したのである。
「あれは、はあ、駅長様の許へ行くだかな。昨日も一尾上りました。その鱒は停車場前の小河屋で買ったでがすよ。」
「料理屋かね。」
「旅籠屋だ。新築でがしてな、まんずこの辺では彼店だね。まだ、旦那、昨日はその上に、はい鯉を一尾買入れたでなあ。」
「其処へ、つけておくれ、昼食に……」
――この旅籠屋は深切であった。
「鱒がありますね。」
と心得たもので、
「照焼にして下さい。それから酒は罎詰のがあったらもらいたい、なりたけいいのを。」
束髪に結った、丸ぽちゃなのが、
「はいはい。」
と柔順だっけ。
小用をたして帰ると、もの陰から、目を円くして、一大事そうに、
「あの、旦那様。」
「何だい。」
「照焼にせいという、お誂ですがなあ。」
「ああ。」
「川鱒は、塩をつけて焼いた方がおいしいで、そうしては不可ないですかな。」
「ああ、結構だよ。」
やがて、膳に、その塩焼と、別に誂えた玉子焼、青菜のひたし。椀がついて、蓋を取ると鯉汁である。ああ、昨日のだ。これはしかし、活きたのを料られると困ると思って、わざと註文はしなかったものである。
口を溢れそうに、なみなみと二合のお銚子。
いい心持の処へ、またお銚子が出た。
喜多八の懐中、これにきたなくもうしろを見せて、
「こいつは余計だっけ。」
「でも、あの、四合罎一本、よそから取って上げましたので、なあ。」
私は膝を拍って、感謝した。
「よし、よし、有難う。」
香のものがついて、御飯をわざわざ炊いてくれた。
これで、勘定が――道中記には肝心な処だ――二円八十銭……二人分です。
「帳場の、おかみさんに礼を言って下さい。」
やがて停車場へ出ながら視ると、旅店の裏がすぐ水田で、隣との地境、行抜けの処に、花壇があって、牡丹が咲いた。竹の垣も結わないが、遊んでいた小児たちも、いたずらはしないと見える。
ほかにも、商屋に、茶店に、一軒ずつ、庭あり、背戸あれば牡丹がある。往来の途中も、皆そうであった。かつ溝川にも、井戸端にも、傾いた軒、崩れた壁の小家にさえ、大抵皆、菖蒲、杜若を植えていた。
弁財天の御心が、自ら土地にあらわれるのであろう。
忽ち、風暗く、柳が靡いた。
停車場へ入った時は、皆待合室にいすくまったほどである。風は雪を散らしそうに寒くなった。一千年のいにしえの古戦場の威力である。天には雲と雲と戦った。