3話 歌行灯(3)
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「いや、横になるどころじゃない、沢山だ、ここで沢山だよ。……第一背中へ掴まられて、一呼吸でも応えられるかどうだか、実はそれさえ覚束ない。悪くすると、そのまま目を眩して打倒れようも知れんのさ。体よく按摩さんに掴み殺されるといった形だ。」
と真顔で言う。
「飛んだ事をおっしゃりませ、田舎でも、これでも、長年年期を入れました杉山流のものでござります。鳩尾に鍼をお打たせになりましても、決して間違いのあるようなものではござりませぬ。」と呆れたように、按摩の剥く目は蒼かりけり。
「うまい、まずいを言うのじゃない。いつの幾日にも何時にも、洒落にもな、生れてからまだ一度も按摩さんの味を知らないんだよ。」
「まあ、あんなにあんた、こがれなさった癖に。」
「そりゃ、張って張って仕様がないから、目にちらつくほど待ったがね、いざ……となると初産です、灸の皮切も同じ事さ。どうにも勝手が分らない。痛いんだか、痒いんだか、風説に因ると擽ったいとね。多分私も擽ったかろうと思う。……ところがあいにく、母親が操正しく、これでも密夫の児じゃないそうで、その擽ったがりようこの上なし。……あれ、あんなあの、握飯を拵えるような手附をされる、とその手で揉まれるかと思ったばかりで、もう堪らなく擽ったい。どうも、ああ、こりゃ不可え。」
と脇腹へ両肱を、しっかりついて、掻竦むように脊筋を捻る。
「ははははは、これはどうも。」と按摩は手持不沙汰な風。
女房更めて顔を覗いて、
「何んと、まあ、可愛らしい。」
「同じ事を、可哀想だ、と言ってくんねえ。……そうかと言って、こう張っちゃ、身も皮も石になって固りそうな、背が詰って胸は裂ける……揉んでもらわなくては遣切れない。遣れ、構わない。」
と激しい声して、片膝を屹と立て、
「殺す気で蒐れ。こっちは覚悟だ、さあ。ときに女房さん、袖摺り合うのも他生の縁ッさ。旅空掛けてこうしたお世話を受けるのも前の世の何かだろう、何んだか、おなごりが惜いんです。掴殺されりゃそれきりだ、も一つ憚りだがついでおくれ、別れの杯になろうも知れん。」
と雫を切って、ついと出すと、他愛なさもあんまりな、目の色の変りよう、眦も屹となったれば、女房は気を打たれ、黙然でただ目を《みは》る。
「さあ按摩さん。」
「ええ、」
「女房さん酌いどくれよ!」
「はあ、」と酌をする手がちと震えた。
この茶碗を、一息に仰ぎ干すと、按摩が手を掛けたのと一緒であった。
がたがたと身震いしたが、面は幸に紅潮して、
「ああ、腸へ沁透る!」
「何かその、何事か存じませぬが、按摩は大丈夫でござります。」と、これもおどつく。
「まず、」
と突張った手をぐたりと緩めて、
「生命に別条は無さそうだ、しかし、しかし応える。」
とがっくり俯向いたのが、ふらふらした。
「月は寒し、炎のようなその指が、火水となって骨に響く。胸は冷い、耳は熱い。肉は燃える、血は冷える。あっ、」と言って、両手を落した。
吃驚して按摩が手を引く、その嘴や鮹に似たり。
兄哥は、しっかり起直って、
「いや、手をやすめず遣ってくれ、あわれと思って静に……よしんば徐と揉まれた処で、私は五体が砕ける思いだ。
その思いをするのが可厭さに、いろいろに悩んだんだが、避ければ摺着く、過ぎれば引張る、逃げれば追う。形が無ければ声がする……ピイピイ笛は攻太鼓だ。こうひしひしと寄着かれちゃ、弱いものには我慢が出来ない。淵に臨んで、崕の上に瞰下ろして踏留まる胆玉のないものは、いっその思い、真逆に飛込みます。破れかぶれよ、按摩さん、従兄弟再従兄弟か、伯父甥か、親類なら、さあ、敵を取れ。私はね、……お仲間の按摩を一人殺しているんだ。」
十二
「今からちょうど三年前。……その年は、この月から一月後の師走の末に、名古屋へ用があって来た。ついでと言っては悪いけれど、稼の繰廻しがどうにか附いて、参宮が出来るというのも、お伊勢様の思召、冥加のほど難有い。ゆっくり古市に逗留して、それこそついでに、……浅熊山の雲も見よう、鼓ヶ嶽の調も聞こう。二見じゃ初日を拝んで、堺橋から、池の浦、沖の島で空が別れる、上郡から志摩へ入って、日和山を見物する。……海が凪いだら船を出して、伊良子ヶ崎の海鼠で飲もう、何でも五日六日は逗留というつもりで。……山田では尾上町の藤屋へ泊った。驚くべからず――まさかその時は私だって、浴衣に袷じゃ居やしない。
着換えに紋付の一枚も持った、縞で襲衣の若旦那さ。……ま、こう、雲助が傾城買の昔を語る……負惜みを言うのじゃないよ。何も自分の働きでそうした訳じゃないのだから。――聞きねえ、親なり、叔父なり、師匠なり、恩人なりという、……私が稼業じゃ江戸で一番、日本中の家元の大黒柱と云う、少兀の苦い面した阿父がある。
いや、その顔色に似合わない、気さくに巫山戯た江戸児でね。行年その時六十歳を、三つと刻んだはおかしいが、数え年のサバを算んで、私が代理に宿帳をつける時は、天地人とか何んとか言って、禅の問答をするように、指を三本、ひょいと出してギロリと睨む……五十七歳とかけと云うのさ。可いかね、その気だもの……旅籠屋の女中が出てお給仕をする前では、阿父さんが大の禁句さ。……与一兵衛じゃあるめえし、汝、定九郎のように呼ぶなえ、と唇を捻曲げて、叔父さんとも言わせねえ、兄さんと呼べ、との御意だね。
この叔父さんのお供だろう。道中の面白さ。酒はよし、景色はよし、日和は続く。どこへ行っても女はふらない。師走の山路に、嫁菜が盛りで、しかも大輪が咲いていた。
とこの桑名、四日市、亀山と、伊勢路へ掛った汽車の中から、おなじ切符のたれかれが――その催について名古屋へ行った、私たちの、まあ……興行か……その興行の風説をする。嘘にもどうやら、私の評判も可さそうな。叔父はもとより。……何事も言うには及ばん。――私が口で饒舌っては、流儀の恥になろうから、まあ、何某と言ったばかりで、世間は承知すると思って、聞きねえ。
ところがね、その私たちの事を言うついでに、この伊勢へ入ってから、きっと一所に出る、人の名がある。可いかい、山田の古市に惣市と云う按摩鍼だ。」
門附はその名を言う時、うっとりと瞳を据えた。背を抱くように背後に立った按摩にも、床几に近く裾を投げて、向うに腰を掛けた女房にも、目もくれず、凝と天井を仰ぎながら、胸前にかかる湯気を忘れたように手で捌いて、
「按摩だ、がその按摩が、旧はさる大名に仕えた士族の果で、聞きねえ。私等が流儀と、同じその道の芸の上手。江戸の宗家も、本山も、当国古市において、一人で兼ねたり、という勢で、自ら宗山と名告る天狗。高慢も高慢だが、また出来る事も出来る。……東京の本場から、誰も来て怯かされた。某も参って拉がれた。あれで一眼でも有ろうなら、三重県に居る代物ではない。今度名古屋へ来た連中もそうじゃ、贋物ではなかろうから、何も宗山に稽古をしてもらえとは言わぬけれど、鰻の他に、鯛がある、味を知って帰れば可いに。――と才発けた商人風のと、でっぷりした金の入歯の、土地の物持とも思われる奴の話したのが、風説の中でも耳に付いた。
叔父はこくこく坐睡をしていたっけ。私あ若気だ、襟巻で顔を隠して、睨むように二人を見たのよ、ね。
宿の藤屋へ着いてからも、わざと、叔父を一人で湯へ遣り……女中にもちょっと聞く。……挨拶に出た番頭にも、按摩の惣市、宗山と云う、これこれした芸人が居るか、と聞くと、誰の返事も同じ事。思ったよりは高名で、現に、この頃も藤屋に泊った、何某侯の御隠居の御召に因って、上下で座敷を勤た時、(さてもな、鼓ヶ嶽が近いせいか、これほどの松風は、東京でも聞けぬ、)と御賞美。
(的等にも聞かせたい。)と宗山が言われます、とちょろりと饒舌った。私が夥間を――(的等。)と言う。
的等の一人、かく言う私だ……」
十三
「なお聞けば、古市のはずれに、その惣市、小料理屋の店をして、妾の三人もある、大した勢だ、と言うだろう。――何を!……按摩の分際で、宗家の、宗の字、この道の、本山が凄じい。
こう、按摩さん、舞台の差は堪忍してくんな。」
と、竊と痛そうに胸を圧えた。
「後で、よく気がつけば、信州のお百姓は、東京の芝居なんぞ、ほんとの猪はないとて威張る。……な、宮重大根が日本一なら、蕪の千枚漬も皇国無双で、早く言えば、この桑名の、焼蛤も三都無類さ。
その気で居れば可いものを、二十四の前厄なり、若気の一図に苛々して、第一その宗山が気に入らない。(的等。)もぐっと癪に障れば、妾三人で赫とした。
維新以来の世がわりに、……一時私等の稼業がすたれて、夥間が食うに困ったと思え。弓矢取っては一万石、大名株の芸人が、イヤ楊枝を削る、かるめら焼を露店で売る。……蕎麦屋の出前持になるのもあり、現在私がその小父者などは、田舎の役場に小使いをして、濁り酒のかすに酔って、田圃の畝に寝たもんです。……
その妹だね、可いかい、私の阿母が、振袖の年頃を、困る処へ附込んで、小金を溜めた按摩めが、ちとばかりの貸を枷に、妾にしよう、と追い廻わす。――危く駒下駄を踏返して、駕籠でなくっちゃ見なかった隅田川へ落ちようとしたっさ。――その話にでも嫌いな按摩が。
ええ。
待て、見えない両眼で、汝が身の程を明く見るよう、療治を一つしてくりょう。
で、翌日は謹んで、参拝した。
その尊さに、その晩ばかりはちっとの酒で宵寝をした、叔父の夜具の裾を叩いて、枕許へ水を置き、
(女中、そこいらへ見物に、)
と言った心は、穴を圧えて、宗山を退治る料簡。
と出た、風が荒い。荒いがこの風、五十鈴川で劃られて、宇治橋の向うまでは吹くまいが、相の山の長坂を下から哄と吹上げる……これが悪く生温くって、灯の前じゃ砂が黄色い。月は雲の底に淀りしている。神路山の樹は蒼くても、二見の波は白かろう。酷い勢、ぱっと吹くので、たじたじとなる。帽子が飛ぶから、そのまま、藤屋が店へ投返した……と脊筋へ孕んで、坊さんが忍ぶように羽織の袖が飜々する。着換えるのも面倒で、昼間のなりで、神詣での紋付さ。――袖畳みに懐中へ捻込んで、何の洒落にか、手拭で頬被りをしたもんです。
門附になる前兆さ、状を見やがれ。」と片手を袖へ、二の腕深く突込んだ。片手で狙うように茶碗を圧えて、
「ね、古市へ行くと、まだ宵だのに寂然している。……軒が、がたぴしと鳴って、軒行燈がばッばッ揺れる。三味線の音もしたけれど、吹さらわれて大屋根へ猫の姿でけし飛ぶようさ。何の事はない、今夜のこの寂しい新地へ、風を持って来て、打着けたと思えば可い。
一軒、地のちと窪んだ処に、溝板から直ぐに竹の欄干になって、毛氈の端は刎上り、畳に赤い島が出来て、洋燈は油煙に燻ったが、真白に塗った姉さんが一人居る、空気銃、吹矢の店へ、ひょろりとして引掛ったね。
取着きに、肱を支いて、怪しく正面に眼の光る、悟った顔の達磨様と、女の顔とを、七分三分に狙いながら、
(この辺に宗山ッて按摩は居るかい。)とここで実は様子を聞く気さ。押懸けて行こうたってちっとも勝手が知れないから。
(先生様かね、いらっしゃります。)と何と、(的等。)の一人に、先生を、しかも、様づけに呼ぶだろう。
(実は、その人の何を、一つ、聞きたくって来たんだが、誰が行っても頼まれてくれるだろうか。)と尋ねると、大熨斗を書いた幕の影から、色の蒼い、鬢の乱れた、痩せた中年増が顔を出して、(知己のない、旅の方にはどうか知らぬ、お望なら、内から案内して上げましょうか。)と言う。
茶代を奮発んで、頼むと言った。
(案内して上げなはれ、可い旦那や、気を付けて、)と目配をする、……と雑作はない、その塗ったのが、いきなり、欄干を跨いで出る奴さ。」
十四
「両袖で口を塞いで、風の中を俯向いて行く。……その女の案内で、つい向う路地を入ると、どこも吹附けるから、戸を鎖したが、怪しげな行燈の煽って見える、ごたごたした両側の長屋の中に、溝板の広い、格子戸造りで、この一軒だけ二階屋。
軒に、御手軽御料理としたのが、宗山先生の住居だった。
(お客様。)と云う女の送りで、ずッと入る。直ぐそこの長火鉢を取巻いて、三人ばかり、変な女が、立膝やら、横坐りやら、猫板に頬杖やら、料理の方は隙らしい。……上框の正面が、取着きの狭い階子段です。
(座敷は二階かい、)と突然頬被を取って上ろうとすると、風立つので燈を置かない。真暗だからちょっと待って、と色めいてざわつき出す。とその拍子に風のなぐれで、奴等の上の釣洋燈がぱっと消えた。
そこへ、中仕切の障子が、次の室の燈にほのめいて、二枚見えた。真中へ、ぱっと映ったのが、大坊主の額の出た、唇の大い影法師。む、宗山め、居るな、と思うと、憎い事には……影法師の、その背中に掴まって、坊主を揉んでるのが華奢らしい島田髷で、この影は、濃く映った。
火燧々々、と女どもが云う内に、
(えへん)と咳を太くして、大な手で、灰吹を持上げたのが見えて、離れて煙管が映る。――もう一倍、その時図体が拡がったのは、袖を開いたらしい。此奴、寝ん寝子の広袖を着ている。
やっと台洋燈を点けて、
(お待遠でした、さあ、)
って二階へ。吹矢の店から送って来た女はと、中段からちょっと見ると、両膝をずしりと、そこに居た奴の背後へ火鉢を離れて、俯向いて坐った。
(あの娘で可いのかな、他にもござりますよって。)
と六畳の表座敷で低声で言うんだ。――ははあ、商売も大略分った、と思うと、其奴が
(お誂は。)
と大な声。
(あっさりしたものでちょっと一口。そこで……)
実は……御主人の按摩さんの、咽喉が一つ聞きたいのだ、と話した。
(咽喉?)……と其奴がね、異に蔑んだ笑い方をしたものです。
(先生様の……でござりますか、早速そう申しましょう。)
で、地獄の手曳め、急に衣紋繕いをして下りる。しばらくして上って来た年紀の少い十六七が、……こりゃどうした、よく言う口だが芥溜に水仙です、鶴です。帯も襟も唐縮緬じゃあるが、もみじのように美しい。結綿のふっくりしたのに、浅葱鹿の子の絞高な手柄を掛けた。やあ、三人あると云う、妾の一人か。おおん神の、お膝許で沙汰の限りな! 宗山坊主の背中を揉んでた島田髷の影らしい。惜しや、五十鈴川の星と澄んだその目許も、鯰の鰭で濁ろう、と可哀に思う。この娘が紫の袱紗に載せて、薄茶を持って来たんです。
いや、御本山の御見識、その咽喉を聞きに来たとなると……客にまず袴を穿かせる仕向をするな、真剣勝負面白い。で、こっちも勢、懐中から羽織を出して着直したんだね。
やがて、また持出した、杯というのが、朱塗に二見ヶ浦を金蒔絵した、杯台に構えたのは凄かろう。
(まず一ツ上って、こっちへ。)
と按摩の方から、この杯の指図をする。その工合が、謹んで聞け、といった、頗る権高なものさ。どかりとそこへ構え込んだ。その容子が膝も腹もずんぐりして、胴中ほど咽喉が太い。耳の傍から眉間へ掛けて、小蛇のように筋が畝くる。眉が薄く、鼻がひしゃげて、ソレその唇の厚い事、おまけに頬骨がギシと出て、歯を噛むとガチガチと鳴りそう。左の一眼べとりと盲い、右が白眼で、ぐるりと飜った、しかも一面、念入の黒痘瘡だ。
が、争われないのは、不具者の相格、肩つきばかりは、みじめらしくしょんぼりして、猪の熊入道もがっくり投首の抜衣紋で居たんだよ。」
十五